日本山海名産図会 第三巻 鯖
[やぶちゃん注:挿絵は国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングした。キャプションは「鯖鉤舟(さばつりふね)」。篝火の筆致が絵師の手腕を感じさせる。]
○鯖(さは)
丹波・但馬・紀州熊野より出だす。其のほか、能登を名品とす。釣り捕る法、何國(いづく)も異なることなし。春夏秋(しゆんかしう)の夜の、空、曇り、湖水(ゑほのほ)[やぶちゃん注:底本では以下の「立上」までルビされてある。「江、ほのぼの」の意か。よく判らない。]、立上り、海上(かいしやう)、霞みたるを、「鯖日和(さはひより)」と稱して、漁舩數百艘、打ち並ぶこと、一里許り。又、一里ばかりを隔たて並ぶこと、前のごとし。舩ごとに二つの篝(かゞり)を照らし、万火(まんくわ)、𤆞々(こつこつ)として天を焦がす。漁子(あま)十尋(とひろ)ばかりの糸を苧(お)にて卷き、琴の緒(お)のごとき物に、五文目位(くらい)の鈆(なまり)の重玉(おもりたま)を付け、鰯・鰕などを飼(ゑ)とし、竿に付けること、なし。又、但馬の國にては、釣針もなく、只、松明(たいまつ)を振り立て、其の影、波浪を穿(うが)つがごときに、魚、隨ひて踊りて、おのれと、船中に入れり。是れ又、一竒術なり。舩は常の漁船に少し大きにして、緣(ふち)、低し。越前、尚を、大也。○「鯖」の字、「和名抄」に「アヲサバ」と訓ず。「本草」に『靑魚(せいぎよ)、又、鯖』とあるは、「カド」といひて、「ニシン」のことなり。其の子を「カズノコ」、又、「カトノコ」と云う。「サハ」の正字(しやうじ)、未だ詳らかならず。○「サハ」といふ義は「大和本草」に、『此の魚、牙(は)小(せう)也。故に「狹齒」と云ふ。「狹(さ)」は「小(しやう)」也』云〻。「東雅」に云ふ、『古語に、物の多く聚まりたるを「サバ」と云へば、若(も)し、其儀にもや』と云〻。いづれか是(ぜ)なりとも、知らず。
[やぶちゃん注:本邦では単に「鯖(さば)」と呼ぶ場合は、
スズキ目サバ科サバサバ亜科属マサバ Scomber japonicus
或いは、
サバ属ゴマサバ Scomber australasicus(マサバより高温を好み、日本近海でも夏に漁獲量が増える。腹面に小黒点が散在することと、体の横断面が円形に近いことでマサバと区別できる)
を指す。
「𤆞々(こつこつ)として」意味不明。識者の御教授を乞う。
「十尋(とひろ)」。長い単位換算で約十八メートル、短い方で約十五メートル。
「苧(お)」思うにこれは、苧(カラムシから作った糸)を巻きつける苧環(おだまき)から転じて、紡錘型の糸を巻くための漁具を指しているのではないかと思われる。作者は以下でも「琴の緒(お)のごとき物に」と比喩を用いており、一種、文章を意図的に風流に飾っているように思われる。
「五文目」十八・七五グラム。
「鈆(なまり)」「鉛」の別字。
「おのれと」自然に。
『「鯖」の字、「和名抄」に「アヲサバ」と訓ず』実は、作者はここ以下で、自身が示している通り、かなり、貝原益軒の「大和本草」(宝永七(一七〇九)年板行。本「日本山海名產圖會」は寛政一一(一七九九)年板行で実に九十年後のことである)の記載に拠っている。「大和本草卷之十三 魚之下 鯖(さば)」を参照されたい。そこで益軒もこれを引いているのである。源順(みなもとのしたごう)の「和名類聚鈔」の「巻十九」の「鱗介部第三十 龍魚類第二百三十六」に、
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鯖 崔禹錫(さいうしやく)が「食經(しよくけい)」に云く、『鯖【音「靑」。和名「阿乎佐波(あをさば)」。】味、鹹、毒、無し。口、尖り、背、蒼き者なり』と。
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とある。
『「本草」に『靑魚(せいぎよ)、又、鯖』とあるは、「カド」といひて、「ニシン」のことなり。其の子を「カズノコ」、又、「カトノコ」と云う』先の「大和本草」で益軒が、
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今、案ずるに、「本草」に「靑魚」あり、「竹魚」あり。『靑魚は、背、正靑色』といへり。『竹魚は、骨、刺(はり)多く、色、竹色の如し。鱗の下の間、朱を以つて㸃ず。味、「鱖魚」の如し』といへるは、是れ亦、「さば」によく合へり。「さば」は此の二物の内なるべし。
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と述べているのを受けて、作者はここでそれを批判したものである。そもそも明の医師で本草学者の李時珍(一五一八年~一五九三年)の「本草綱目」(没したその年に南京で板行された)は、本邦では江戸時代まで本草学の聖典であったのだが、魚類は淡水魚が圧倒的に多く、しかもその記述内容もかなり正確であるが、海産生物の記載には誤りが有意に多いのである。これは時珍が内陸の湖北省の出身で、生涯の有意な時間をそこで過ごし、海産生物を親しく観察することがなく、概ね他者の本草書を元にして現物に当たらなかったことによる誤りである。リンク先で私は以下のような感じで注した。
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益軒の「靑魚」「竹魚」の二種は「本草綱目」の「巻四十四 鱗之三」の部に並んで出るが、「靑魚」は「生江湖間」とし、「竹魚」も「出桂林湘灕諸江中、狀如青魚大」と、孰れも淡水魚の記載としか読めず、現代中国でも「靑魚」は条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科クセノキプリス亜科 Oxygastrinae アオウオ属アオウオ Mylopharyngodon piceus に、「竹魚」はコイ科ラベオ亜科 Labeoninae の一種に比定されているものと思われ(例えば中文サイトのこちらを見られたい)、『「さば」によく合へり。「さば」は此の二物の内なるべし』という益軒の孰れかをサバとする同定(根拠は背の色と尖った骨という貧弱なもの)は完全な誤りである。
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では、作者は「鯖」が中国ではニシン(条鰭綱ニシン目ニシン科ニシン属ニシン Clupea pallasii )を指すとする典拠を示していないが(実は孫引き。最後の注を参照)、「廣韻」・「集韻」・「正字通」にニシンに比定した記載が載る(大修館書店「廣漢和辭典」の「鯖」の項に拠った)。その場合の音は「セイ・シヤウ(ショウ)・エイ・ヤウ(ヨウ)」である。なお、現代では本邦ではニシンは「鰊・鯟・鯡」で、中国では「鯡魚」である。
『「サハ」の正字(しやうじ)、未だ詳らかならず』サバを表わす場合の「鯖」は国字である。但し、逆輸入されて中国でもサバに対して「鯖」が使われている。
『「サハ」といふ義は「大和本草」に、『此の魚、牙(は)小(せう)也。故に「狹齒」と云ふ。「狹(さ)」は「小(しやう)」也』私は「大和本草」の異った版本を見ていないから、なんとも言えないが、ネット上には、まことしやかに、
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★「さば」の語源は「大和本草」に「この魚は歯が小さい。それで「狭歯(さば)」と言う。「狭(さ)」は「小さい」の意である」と書いてある。
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てな、感じで、もの凄い数の記載が見つかるのだが、実は「大和本草卷之十三 魚之下 鯖(さば)」には、そんな風には書かれていないのである。以下がそれである。
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此の魚、牙、小なり。故、「さば」と云ふ。「さ」は「小」なり。
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思うに、「★」のように書いている連中は、驚くほど、その部分の記載法が酷似しているから、誰かが書いたものを無批判にコピー・ペーストして使用し、それが本当に「大和本草」に書かれているかのようにバラ撒かれてしまったのではないかと思う(酷似箇所は『「大和本草」という本に』という気持ちの悪い言い回しである。こいつ、実は「大和本草」読んでないのがミエミエなんだよ!)。或いは、まさにこの「日本山海名産図会」で作者が判り易く(確かに「牙」は「齒」の方がいいし、「狹齒」で「さば」と読ませるのもピンとはくるわけだが)アレンジしたものを「大和本草」の原文に当たることなく、タレ流しにしたのではないかとも疑われるのである。大方の御批判を俟つものではある。「大和本草」の異版本に当該文字列があるとなら、是非、お教え戴きたいものである。
「東雅」かの新井白石(明暦三(一六五七)年~享保一〇(一七二五)年)の著になる語源書。享保二(一七一七)年成立で同四年に改編している。但し、本格的に刊行されたのは明治三六(一九〇三)年である。但し、作者がかく引用しているから、多くの筆写本が作られたものらしい。書名は現存する中国最古の字書「爾雅」(著者不詳。秦・漢初の頃に編纂されたらしく、前漢の武帝(在位:紀元前一四〇年~紀元前八七年)の時代には既にあった)に基づき、『東方の「爾雅」』の意。名詞を十五部門に分け、まず、漢字を示し、カタカナで訓を附し、古書を挙げて、語源解釈をしたもの。解釈に際しては、時代性と音韻を重視することを説く。こじつけも多いものの、「きぬ」は漢語の「絹」が古期朝鮮語を経て、日本語に入ったものとするなど、逸早く日本語と朝鮮語との関係に言及した注目すべき意見なども述べている(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。以下の引用は、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像で当該部が確認出来る(左ページの「靑鯖(アヲサバ)」)。でもってだ、次のページを見ると、作者のオリジナルと思いきや、ニシンの下りの話が書いてあるじゃん! ちょっと失望した。それにしても、この本、面白いな! 今度、この鱗介部だけ電子化しよう!
『古語に、物の多く聚まりたるを「サバ」と云へば、若(も)し、其儀にもや』作者は引用時に弄(いじく)る癖があるか、或いは写本が違ったものか(改訂前のものかもしれない)、刊本では正しくは、『古語に物の多きを謂てサバといふ。其聚る事、多(サハ)なるを云ひしに似たり』となっている。]
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