甲子夜話卷之六 33 又、彌五右衞門の事
6―33 又、彌五右衞門の事
此彌五右衞門も一ふしある人也けり。ある時組同心使に參りたるを、扣居候樣にとて留め置、やがて自ら出て逢ひ、近頃、倅弓稽古精出し候が、御役弓の手前見たきよし申候。一矢射て見せられ候へと所望ありし。折よく其同心かねて誂たる弓鞢を、途中より取りて懷中に有しかば、其まゝ射て見せけるに、彌五右衞門手を拍て、さすが御役弓勤ほど有て鞢も用意ありしとて、誠に感賞し、有合の袴地とり出して同心に與へしと也。この頃の卸先手衆、いかにも人物の揃ひたる事ども也き。
■やぶちゃんの呟き
うん! 何とも言えず、いい話だな! 好きだな!
「又、彌五右衞門の事」前の「6-32 御先手柘植五太夫、天野彌五右衞門申分の事」を受けたもの。
「扣居候樣に」「ひかへをりさふらふやうに」。
「倅」「せがれ」。
「御役」「おやく」。「御役目」。相手を敬ってその務めを指して一人称に代えた語。先の話柄で天野は「御先手組」(先手鉄砲組・先手弓組の併称)の鉄炮頭であることが判る。そちらで出した氏家幹人「武士道とエロス」(講談社現代新書一九九五年刊)によれば、当時の弥五右衛門の屋敷は『下谷稲荷町(現在の台東区東上野三丁目の内)』とあった。「古地図 withMaFan」で調べたところ、ズバり! 上野駅直近の下谷稲荷裏手の路次の奥詰めの西側にあった。現在の下谷神社の境内地の東北の角附近である。
「誂たる」「あつらへたる」。注文しておいた。たまたま、その日、上司天野への使いに行く途中にその店があり、それを受け取って、天野の屋敷に出向いたというのである。
「弓鞢」「ゆみゆがけ」或いは「ゆみかけ」と読む。「弓懸」「弽」「韘」などとも書く。弓を射る際に、手指が痛まないようにするために用いる革製の手袋のこと。左右一対になっているものを「諸(もろ)ゆがけ」、右手(馬手)にのみ着けるものを「的ゆがけ」、右手の拇指(おやゆび)以下の三指だけに着けるものを「四掛(よつかけ)」という。参照した精選版「日本国語大辞典」に挿絵がある。
「拍て」「うちて」。
「弓勤」「ゆみづとめ」。
「有合」「ありあひ」。予備として備えてあるもの。
「袴地」「はかまぢ」。袴を仕立てるための布地。
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