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2021/06/19

日本山海名産図会 第四巻 八目鰻

 

Yatumeunagi

 

[やぶちゃん注:図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションのものをトリミングした。キャプションは「諏訪湖八目鰻(すはのうみやつめうなき) 赤魚(あかうを)を採(と)る」であるが、「赤魚」(「石斑魚」=ウグイ)は描き込まれていない。所謂、「手繰り網」である。]

 

   ○八目鰻(やつめうなき)

江海、所々、是れ、有り。就中(なかずく)、信刕諏訪の海(うみ)に採る物を名產とす。上諏訪・下諏訪の間(あいだ)一里許りは、冬月、氷、滿ちて、其の厚さ、大抵、二、三尺に及ぶ。其の寒極まる時は、かの一里ばかりの氷の間に、あやしき足跡つきて、一條の道をなせり。是れを「神のおわたり」と号(なづ)けて徃來の初めとす。此の時に至りて、鰻を採れり。先つ、氷のうへに小家(こや)を營むなり。是れを建つるに、火を焚きて、穴を穿ち、其の穴に柱を立てて、漁子(れうし)の休(いこ)ふ所とす。又、䋄、或は縄を入るべきほどほどをはかり、處々(ところどころ)を穿(うが)つにも、薪(たきゝ)を積み焚き、延繩(はへなは)を入れ、共餌(ともゑ)を以つて釣り採る事、其の數、夥(おひたゝ)し。氷なき時は、「うなぎ搔(かき)」を用ゆ。又、此の海に「石斑魚」多し。一名(めう)「赤魚」又「赤腹」とも云ふ。是れは「手操䋄(てくりあみ)」を竹につけて、氷の穴より、入れ、外の穴へ通して、採る也。

附記

○「本草綱目」に『鱧(れい)』といふは、『眼(め)の傍(かたはら)に七ツの星あり』といふに付きて、今、此の魚に充てたり。或云、「今も漢渡(からわた)りの『鱧』は一名(めう)『黒鯉魚(こくりぎよ)』と云ひて、形、鰡(ほら)に似て小さく、鱗、大きく、眼の傍に七ツの星あり。全身、脂黒色(しこくしよく)にして、深黑色(しんこくしよく)の斑点(まだら)あり。華人、長嵜に來り、是れを『九星魚』といふ。」。然れども、星は七ツなり。和產にあることなし。恕庵先生、八目鰻に充てたるは、誤りなり。

近來(きんらい)、「南部にて、一種、首に七星(しちせい)ある魚を得て、土人、『七星魚(しちせいぎよ)』といふ。是れ、本条の『鱧(れい)』のたぐひにや否や、未だ其の眞(しん)を見ず」と云々。「本朝食鑑」に說くところの「鱧」は、『涎沫(ゑんまつ)多く、狀(かたち)、略(ほゞ)鰻鱺(うなき)或ひは海鰻(うみうなぎ)の類(たぐ)ひにて、大いなるもの、二、三尺餘り、背に白㸃の目の如き物は九子(きうし)あり。故に「八目鰻」と号(なづ)く。其の肉、不脆(もろからず)。細刺(こほね)多くして、味、美ならず。唯(たゞ)藥物の爲に採るなり』と云々。案ずるに、「本草」の「鱧」の条下に疳疾(かんしつ)を療(りやう)ずることを載せざれば、「鱧」は「鱧」にして、此の「八目鰻」と別物なる事、明かなり。又、「食鑑」に云ふところは、疳疾の藥に充てゝ、此の八目鰻なること、疑ひなくいひて、「鱧」の字に充てたるは、誤りなるべし。所詮、今の「八ツ目鰻」、疳疾の藥用にだにあたらは、漢名の論は無用なるへし。

[やぶちゃん注:「生きた化石」である、

脊椎動物亜門無顎上綱(円口類=無顎類) 頭甲綱ヤツメウナギ目ヤツメウナギ科 Petromyzontidae

に属する生物で、北方系種である。体制が似ているために「ウナギ」の呼称がつくが、生物学的には、タクソン上、魚上綱に含まれないため、魚ではないとする見解さえあるが、では、その習性から魚に付着して体液を吸引する魚類寄生虫とするのも、私には馴染まない気がする。複数種が知られるが、本邦の場合、食用有益種としては、同科の、

ヤツメウナギ目 Petromyzontiforme のカワヤツメ(ヤツメウナギ)Lampetra japonica (変態後の成体の口は吸盤状で顎に骨がなく、大形の魚の外部に吸着、鋭い歯で皮膚を食い破り、口の中にある一対の口腔腺(こうこうせん)からランヘリデン(lanpheridin)という粘液を出し、これで、寄生主の血液の凝固を防ぐとともに、赤血球や筋肉を溶かして摂餌する寄生種である。このため、サケ・マス類などの有用魚に致命的な被害を与えることがある)

スナヤツメ Lethenteron reissneri(幼生のアンモシーテス(Ammocoetes)期は眼がなく、ミミズのように見え、デトリタスや藻類などを食べているが、四年後の秋に成体になり、十四〜十九センチメートルで変態して眼が現れるものの、一方で体内の消化系が消滅してしまい、翌春の産卵期を過ぎて死ぬまで、本種は何も食べない。春に産卵するや、そこで寿命を終えてしまう非寄生種である)

に限られる「大和本草卷之十三 魚之下 八目鰻鱺(やつめうなぎ)」を見られたい。但し、ここでは諏訪湖を名産とするが、長野県水産試験場環境部武居菫氏の論文「諏訪湖魚類目録を検証する」PDF・『陸水学会甲信越支部会報』第三十三号所収(二〇〇七年十二月発行))によれば、カワヤツメ・スナヤツメともに現在は諏訪湖では絶滅している模様である。

「江海、所々、是れ、有り」種によって降海型と陸封型に大別される。カワヤツメは降海型で、変態した若魚は二~三年、海を回遊し、繁殖期になると、再び河川を溯上する。スナヤツメは陸封型で、秋に変態した後、翌年の春から初夏の繁殖期までの、生涯の残りの期間も河川下流の淡水域で過ごす。現在、太古にカワヤツメの一部が何らかの理由で陸封され、分化したものと考えられている。

「上諏訪・下諏訪」諏訪湖の東岸を上諏訪、北岸を下諏訪と呼称する。グーグル・マップ・データを参照されたい。この間の湖岸は実測で四キロメートル(「一里許り」)ほどある。

「神のおわたり」所謂、琵琶湖で知られる「御神渡り」である。ウィキの「諏訪湖」によれば、『冬期に諏訪湖の湖面が全面氷結し、氷の厚さが一定に達すると、昼間の気温上昇で氷がゆるみ、気温が下降する夜間に氷が成長するため「膨張」し、湖面の面積では足りなくなるので、大音響とともに湖面上に氷の亀裂が走りせりあがる』。『この自然現象を御神渡り(おみわたり)と呼び、伝説では上社の男神が下社の女神のもとへ訪れに行った跡だという。御神渡りが現れた年の冬には、無形民俗文化財に指定されている御渡り神事(みわたりしんじ)が、八剱神社の神官により諏訪湖畔で執り行われる。御渡り神事では、亀裂の入り方などを御渡帳(みわたりちょう)などと照らし、その年の天候、農作物の豊作・凶作を占い、世相を予想する「拝観式」が行われる。古式により「御渡注進状」を神前に捧げる注進式を行い、宮内庁と気象庁に結果の報告を恒例とする。尚、御神渡りはその年の天候によって観測されないこともあるが』、『注進式は行われ、その状態は「明けの海(あけのうみ)」と呼ぶ』。『御神渡りは、できた順に「一之御神渡り」、「二之御神渡り」(古くは「重ねての御渡り」とも呼んだ)、二本の御神渡りが交差するものは「佐久之御神渡り」と呼ぶ。御渡り神事にて確認・検分の拝観がなされる』。『御神渡りは湖が全面結氷し、かつ氷の厚みが十分にないと発生しないので、湖上を歩けるか否かの目安の一つとなる』。但し、『氷の厚さは均一でなく、実際に氷の上を歩くのは危険をともなう』。『平安末期に編纂された』西行の歌集「山家集」に『「春を待つ諏訪のわたりもあるものをいつを限にすべきつららぞ」と記されていること』、室町時代の応永四(一三九七)年、『諏訪神社が幕府へ報告した文書の控え』である「御渡注進狀扣」に「當大明神御渡ノ事」と『あることから、古くは平安』『末期頃には呼称があったとされている』とある。

「共餌(ともゑ)」釣糸の上と下に針を結び、そこに同じ餌を付けたものを言う。

「うなぎ搔(かき)」長い柄の先に鉤(かぎ)を付けた道具。泥の中を掻いて、鰻を引っ掛けて捕る。

「石斑魚」「赤魚」「赤腹」条鰭綱骨鰾上目コイ目コイ科ウグイ亜科ウグイ属ウグイ Pseudaspius hakonensis のこと。「大和本草卷之十三 魚之上 ウグヒ (ウグイ)」を参照されたい。先の武居氏の論文に、湖の深層に生息し、五~八月頃、河川に遡上して石礫に産卵するが、『近年』、『著しく減少』とあり、危ぶまれる。

「手操䋄(てくりあみ)」であるが、図の画面の下方のそれはまさに「竹につけて、氷の穴より、入れ、外の穴へ通して、採る」手法を描いていて面白い。

『「本草綱目」に『鱧(れい)』といふ』「本草綱目」の巻四十四の「鱗之三」に(囲み字は太字に代えた)、

   *

鱧魚【「本經上品」。】

釋名 蠡魚【「本經」。】・黑鱧【「圖經」。】玄鱧【「埤雅」】・烏鱧【「綱目」。】鮦魚【音「同」。「本經」。】・文魚【時珍曰はく、『鱧、首、七星、有。夜、北斗に朝(てう)し、自然の禮、有り。故に之れを「鱧」と謂ふ。又、蛇と氣を通じ、色、黑し。北方の魚なり。故に「玄」「黑」の諸名、有り。俗に「火柴頭魚」と呼ぶ。卽ち、此れなり。其の小なる者、「鮦魚」と名づく。蘇頌が「圖經」に「毛詩」の諸註を引きて、『「鱧」は、卽ち、「鯇魚」と謂ふは誤れり。今。直きに削り去りて辯正を煩はさず。』と。】

集解 【「别錄」に曰はく、『九江・池澤に生ず。取るに、時、無し。』と。弘景曰はく、『處處に、之れ、有り。言はく、「是れ、公蠣蛇(こうれいだ)の化する所なり。然れども亦、相生の者も有り。性、至つて死に難し。猶ほ、蛇の性、有るなり。」と。時珍曰はく、『形、長く、體、圓(まど)かにして、頭・尾、相ひ等し。細き鱗、玄色。斑㸃の花文(くわもん)有り。頗る蝮蛇に類す。舌、有り、齒、有り、肚、有り、背・腹に鬛(ひれ)有りて、尾に連(つら)なる。尾、岐、無し。形狀、憎むべく、氣息、鯹(なまぐさ)く惡し。食品として卑(ひ)なる所とす。南人、之れを珍とする者の有り。北人、尤も、之れを絕つ。道家、指して、水厭[やぶちゃん注:水の咒(まじな)いか。]を爲す。齋籙[やぶちゃん注:占術を行うことか。]に忌む所なり。』と。】

肉 氣味 甘、寒。毒、無し。瘡(かさ)有る者は食ふべからず。人をして瘢白(はんぱく)[やぶちゃん注:「はたけ」のような皮膚疾患か。]ならしむ【「别錄」に、源曰はく、『小毒、有り。益、無し。宜しく之れを食ふべからず。』と。宗奭(そうせき)曰はく、『能く痼疾を發す。病ひを療することも亦、其の一端を取るのみ。』と。】

主治 五痔を療し、濕痺・面目浮腫を治す。大水を下す。【「本經」に弘景曰はく、『小豆に合はせ、白く煮て、腫滿を療す。甚だ効あり。』と。】大小便・壅塞氣を下す。鱠に作(な)し、脚氣・風氣の人、食して良し。【孟詵。】妊娠の水氣有るを主(つかさど)る【蘇頌。】

[やぶちゃん注:以下、「附方」が続くが、処方出来る病態・作用のみの見出しを示す。]

 十種水氣死に垂たる

 一切氣を下す

 腸痔の下血

 一切の風瘡

 兒を浴して痘を免(まぬか)る

腸及び肝 主治 冷敗瘡中に蟲を生ずるもの【「别録」】、腸、五味を以つて炙り、香にして痔瘻及び蛀骭瘡(ちゆうかんさう)に貼(てん)ず。蟲を引きて盡くるを度(たびたび)爲せり【「日華」】。

膽 氣味 甘、平。「日華」に曰はく、『諸魚の膽、苦(も)し惟(た)だ、此の膽の甘くせば、食ふべし。異なりと爲すなり。臘月、收め取りて陰乾す。主治 喉痺、將に死えんとする者に、少し許りを㸃じ入るれば、卽ち、差(おさ)ふ。病ひの深き者の水に調(ととの)へて之れを灌(そそ)ぐ。』【「靈苑方」。】と。

   *

興味深いのは、この次の項が「鰻鱺魚」(ウナギ)だということで、以上の記載から見ても、ヤツメウナギ類を書いていることは明白である。なお、言わずもがなであるが、現行では本邦では「鱧」は「はも」で、条鰭綱ウナギ目ハモ科ハモ属ハモ Muraenesox cinereus を指す。同じニョロニョロ系であるのは面白い。「大和本草卷之十三 魚之下 鱧魚(れいぎよ)・海鰻(はも) (ハモ・ウツボ他/誤認同定多数含む)」の私の注も、この漢字の問題を浮き彫りにしてあるので、参考になろう。

「黒鯉魚(こくりぎよ)」こりゃ、アカンて! ただの黒いコイやないかい!

「鰡(ほら)」ボラ目ボラ科ボラ Mugil cephalus「大和本草卷之十三 魚之下 鯔魚(なよし) (ボラ・メナダ)」を参照されたい。まあねえ、河川の中流域まで遡上はするがねぇ、ヤツメウナギとボラのどこが似とる言うとんのや?

『華人、長嵜に來り、是れを『九星魚』といふ。」。然れども、星は七ツなり。和產にあることなし。恕庵先生、八目鰻に充てたるは、誤りなり』「九子(きうし)」ヤツメウナギ類の鰓孔は、眼の後方やや離れた位置に体幹に平行に七つあるが、鼻が頭の背面に一つだけあり、これを加えると、九つになるのである。ウィキの「ヤツメウナギ」によれば、ドイツ語でも、これに基づき、「ヤツメウナギには九つの眼がある」と考え、「九つの眼」を意味する「ノインアウゲン」(Neunaugen)と彼らを呼んでいる、とある。間違っとるのは、恕庵先生やない! 作者である御前やねん! 「恕庵先生」は江戸中期の本草学者の松岡恕庵(じょあん 寛文八(一六六八)年~延享三(一七四六)年)。名は玄達。恕庵は通称。怡顔斎(いがんさい)と号した。京都出身。儒学を学び、古典の動植物を理解するため稲生若水(いのうじゃくすい)に師事し、奥義を究めて本草学の大家となり、医学にも精通した。質素な生活とは対照的に、多数の蔵書を国書と漢書に区分し、二棟の大書庫に収め、学者の面目に徹した。享保六(一七二一)年には幕府に招かれ、薬物鑑定に従事した享保一一(一七二六)年には蘊蓄を傾けや「用薬須知」(ようやくすち)五巻を著した。これは動植物の品類・形態・産出状況・方言などを記載し、博物学的本草学の価値を高めた名著とされる。他にも「本草一家言」・「食療正要」・「桜品」・「菌品」など貴重な著書が多数ある。小野蘭山・戸田旭山ら、著名な門人も多い。

『「本朝食鑑」に說くところの「鱧」は、『涎沫(ゑんまつ)多く、狀(かたち)、略(ほゞ)鰻鱺(うなき)或ひは海鰻(うみうなぎ)の類(たぐ)ひにて、大いなるもの、二、三尺餘り、背に白㸃の目の如き物は九子(きうし)あり。故に「八目鰻」と号(なづ)く。其の肉、不脆(もろからず)。細刺(こほね)多くして、味、美ならず。唯(たゞ)藥物の爲に採るなり』と云々』「本朝食鑑」巻之九の「鱗部之三」の「江海無鱗三十七種」の「鱧」。国立国会図書館デジタルコレクションのここ

『案ずるに、「本草」の「鱧」の条下に疳疾(かんしつ)を療(りやう)ずることを載せざれば、「鱧」は「鱧」にして、此の「八目鰻」と別物なる事、明かなり。又、「食鑑」に云ふところは、疳疾の藥に充てゝ、此の八目鰻なること、疑ひなくいひて、「鱧」の字に充てたるは、誤りなるべし。所詮、今の「八ツ目鰻」、疳疾の藥用にだにあたらは、漢名の論は無用なるへし』ぐちゃぐちゃだ! 「疳疾を療ずる」とは出典は何だ?! 何故、出さない?! 多分、高い確率で、君の言っている見解は「誤り」だぜ! 御前の杜撰に俺は、正直、怒りをさえ、感ずるね。]

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