芥川龍之介書簡抄81 / 大正六(一九一七)年書簡より(十三) 松岡譲宛
大正六(一九一七)年十月二十五日(消印)・東京市牛込區早稻田南町七夏目樣方 松岡讓樣・ヨコスカ市汐入五百八十尾鷲梅吉方 龍(葉書)
[やぶちゃん注:芥川龍之介画。底本の岩波旧全集よりトリミングした。]
「每日」に馬琴が出だした 插畫でボクの書いた人間が出てくるのはへんな氣のするもんだ出來は或部分は甚惡い しかしちよいちよい傑作な所もある もう一つ書けと云ふから書かうかと思つてゐるがそれにしてもそれは新年ヘだ
早く法城を守る人々の顏が見たいな ボクにあの小說を書かせればこんな插畫をかくよ[やぶちゃん注:以下、底本の岩波旧全集では二行でポイント落ち。](西田さんの本をよんだか フヂヲカ曰二千五百年の名著だとよみたいがムヅカシさうでいかん)
円光のある中外を送つたよ
奧さんはまだかへらないかい かへつたら菅さん行をすすめて一しよに來ないか 湘南の秋光は中々いいよ 僕は小閑を得ると汽車でわざわざ逗子鎌倉へゆくが一人ではつまらない
雁は見ず墮落(オロ)せと聲を聞く夜にて
[やぶちゃん注:『「每日」に馬琴が出だした』この十月二十日から『大阪毎日新聞』に「戲作三昧」の連載が開始されていた(十一月四日まで)。
「插畫でボクの書いた人間が出てくるのはへんな氣のするもんだ出來は或部分は甚惡い しかしちよいちよい傑作な所もある」この後半部は自作の小説への自己批評ではなく、筆心のある龍之介の挿絵に対する批評であろう。平成一二(二〇〇〇)年勉誠出版の「芥川龍之介全作品事典」の石割透氏の本作の解説によれば、挿絵は一回(=一章)ごとに描かれており、『作者は名越国三郎と推測される』とある。名越国三郎(生没年未詳)は大正・昭和前期の挿絵画家で、アール・ヌーボーや世紀末美術の影響をうけた独自な作風で、探偵小説やユーモア小説の挿絵に活躍、代表作に大正一五(一九二六)年『サンデー毎日』連載の江戸川乱歩作「湖畔亭事件」などがある(講談社「日本人名大辞典」に拠った)。
「法城を守る人々」松岡譲作の長編小説。『文章世界』十一月号で連載を開始した。国立国会図書館デジタルコレクションで三巻に分かれた初刊行本が読める。
「西田さん」哲学者西田幾多郎(明治三(一八七〇)年~昭和二〇(一九四五)年)。筑摩全集類聚版脚注によれば、『ここでは、「自覚に於ける正観と反省」(大正六年十月刊)をさす』とあるが、これは「自覺に於ける直觀と反省」(大正六年十月六日岩波書店刊)の誤りである。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで読める。
「フヂヲカ」一高以来の友人で哲学者となった藤岡蔵六。複数回既出既注。
「円光のある中外」筑摩全集類聚版脚注に、『生田長江の戯曲「円光」の掲載された総合雑誌「中外」。この中外は創刊号(大正六年十月)である。同誌は大正八年四月頃終刊』したとある。三幕物で大正六年九月作。国立国会図書館デジタルコレクションの「生田長江脚本集」(大正八年緑葉社刊)のここから読める。
「奧さん」夏目漱石の長女筆子。
「菅さん」菅虎雄。
「雁は見ず墮落(オロ)せと聲を聞く夜にて」この句、以前から今一つ句意が腑に落ちない。識者の御教授を乞うものである。]
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