伽婢子卷之六 蛛の鏡
○蛛(くも)の鏡(かゞみ)
[やぶちゃん注:同じく底本の昭和二(一九二七)年刊日本名著全集刊行會編第一期「江戶文藝之部」第十巻「怪談名作集」の見開き二ページ分の大きなそれをトリミング補正して用いた。妻は勇敢に柄の長い鉞(まさかり)を肩にする。向こうの妻の右橫にいるのが息子であろう。]
永正年中の事にや、越中の國砺並(となみ)山のあたりにすむ者あり。常に柴をこり、山畑を作り、春は蠶(かひこ)を養うて、世を渡る業(わざ)とす。蠶する比〔ころ〕は、猶、山深く入〔いり〕て、桑の葉を買ひもとめ、夏に至れば、又、山中の村里を尋ねめぐり、糸帛(いとわた)を買ひあつめ、諸方に出〔いだ〕し、あきなうて、利分(りぶん)を求む。
山より、山をつたひて、深く分入〔わけいる〕ところ、谷、深く、水、みなぎりて、渡りがたき所、多し。或は、藤葛(〔ふぢ〕かづら)の大綱(〔おほ〕づな)を引渡し、苔の兩岸の岩根・大木に、つなぎ置く。道行(ゆく)人、この綱に取つき、水を渡る所もあり。然らざれば、みなぎる水、矢よりはやくして、押し流され、岩角(〔いは〕かど)に當りて、くだけ、死す。或は、東の岸より西の岸まで、葡萄蔓(ぶどうづる)の大綱を引張り、竹の籠(かご)を懸け、道行〔みちゆく〕人を、是れに乘せ、向ひより、籠を引寄する。その乘(のる)人も、みづから、綱(つな)をたぐりて、傳ひ渡る。もし、籠の緖(を)、きれおつれば、谷の逆(さか)卷く水に流れ、岩に當りて、死する所もあり。
五月の中比、砺並の商(あき)人、糸帛を買ふために、山中、深く赴きしに、さしも險しき谷に向ひ、岸は屛風をたてたるが如く、水は藍(あゐ)をもむに似て、大木、はえ茂り、日影もさだかならぬに、谷のかたはらに、徑(わたり)三尺ばかりの鏡、一面(〔ひと〕おもて)あり。
其の光り、輝きて、水にうつりて見えたり。
「かのもろこしに聞えし、楊貴妃帳中の『明王鏡(みやうわうきやう)』、汴州(へんしう)張琦(ちやうき)が『神恠鏡(しんくわいきやう)』といふとも、これには、まさらじ。百練(〔ひやく〕れん)の鏡、こゝに現れしや、天上の鏡のおちくだれるや、いかさまにも靈鏡なるべし。岩間を傳ひて、取りて歸り、德、つかばや。」
と思ひ、其あり所を、よく見おほせて、家に歸り、妻に物語りければ、妻のいふやう、
「いかでか其谷かげにさやうの鏡あるべきや。たとひありとても、身に替へて寶を求め、跡
に殘して何にかせむ。もし、足をあやまち、水に落ち入らば、悔(くや)むとも、甲斐なからん。只、思ひとまり給へ。」
といふ。
商人、いふやう、
「更に、あやまち、すべからず。未だ人の見ざるあひだに、早く、とりをさめて、德つかばや。」
とて、夜の明くるを、
「遲し。」
と、刀を橫たへ、出〔いで〕て行く。
妻、こゝろもとながりて、召使ふ男一人、我子と共に三人、鐵垢鑓(さびやり)・鉞(まさかり)なんど、もちて、跡より、追ふて行く。
山深く入て、谷に向へば、白き光り、輝き、まろく、明らかなる大鏡(〔おほ〕かゞみ)あり。
商人、谷の岩かどを傳ひ、其光のあたり近く行〔ゆく〕かと見れば、大音あげて、さけび呼ぶ事、只、一聲にて、音も、せず。
妻と子と、驚きて、谷にくだりければ、商人は蠶の繭の如く、糸にまとひ包まれて、大なる蜘蛛の、黑色なるが、取り付きて、あり。
三人のもの、立〔たち〕かゝりて、鑓にて、つきおとし、鉞(まさかり)にて、切〔きり〕倒し、刀を以つて、糸を割(さき)破りしかば、商人は、頭(かしら)の腦(なう)、おちいり、血、流れて死す。
その蜘蛛の大〔おほい〕さ、足を伸べたるかたち、車の輪の如し。
妻子、なくなく柴をつみ、火を鑽(き)りて、蜘蛛(くも)を燒きければ、臭き事、山谷に滿ちたり。
夫(をつと)の尸(かばね)をば、とりて、歸り、葬(さう)しけり。
其かみより、鏡に化(け)して、をりをり、人をたぶろかし、とりけるとぞ。
[やぶちゃん注:本篇は「耳嚢 巻之九 蜘蛛の怪の事」の注で、一度、電子化しているが、今回は別底本で、全くの零から始めた。
「永正年中」一五〇四年~一五二一年。室町幕府将軍は第九代足利義澄・足利義稙(よしたね)。永正四(一五〇七)年、幕府の権力を掌握していた細川氏(京兆家)の内部対立から、細川政元が暗殺されるという「永正の錯乱」が勃発、これを契機として、畿内では将軍家を巻き込んで各勢力が対立・衝突する「両細川の乱」が始まった。
「越中の國砺並(となみ)山」富山・石川県境にある山地。北方の宝達丘陵と南方の両白山地との間にあり、標高は最高地点で二百七十七メートル。越中と加賀を結ぶ通路が開け、倶利伽羅峠は軍事の要衝でもあった。北陸道は尾根沿いに通っていた。ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「糸帛(いとわた)」絹糸と木綿(きわた)。或いは前者。
を買ひあつめ、諸方に出〔いだ〕し、あきなうて、利分(りぶん)を求む。
「葡萄蔓(ぶどうづる)」ブドウ目ブドウ科ブドウ属ヤマブドウ Vitis coignetiae やブドウ属
エビヅル変種エビヅル Vitis ficifolia var. lobata などの蔓。
「大綱を引張り、竹の籠(かご)を懸け、道行〔みちゆく〕人を、是れに乘せ、向ひより、籠を引寄する」所謂、「籠渡し」である。
「商(あき)人」「あきびと」「あきんど」「あきうど」と多様に読め、確定は出来ない。元禄版でもこの熟語に対する全部の読みは出てこない。
「鏡一面」岩波文庫高田衛編・校注「江戸怪談集(中)」(一九八九年刊)には、ここに注して、『「越中国礪波郡といふ処に袴腰と云ふ山あり。ここにも石室ありて中に一鏡及び室中に石の書籍あり。(略)市右衛門と云ふ者、此の室中に入りて遂に還らず」(『広大和本草』別録、下一)』とある。
「楊貴妃帳中の『明王鏡(みやうわうきやう)』」「新日本古典文学大系」版脚注には、『鍾馗(しょうき)の精霊が楊貴妃の病魔を退治するために、玄宗皇帝をして枕もとの几帳に立て添えさせたという鏡(謡曲・皇帝)』とするが、楊貴妃絡みでこの名の鏡は私は聴いたことがない。後代の作話であろう。
「汴州(へんしう)」「べんしゅう」で、中国の南北朝時代から五代十国時代にかけて現在の河南省開封市一帯に設置された州名。
「張琦(ちやうき)が『神恠鏡(しんくわいきやう)』」不詳。「新日本古典文学大系」版脚注も『不詳』とする。国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」で本篇のこれを質問した事例が載るが、やはり、鏡も張琦(この名は中国史には複数出る)は不詳としている。
「德、つかばや。」「一つ、金儲けをしたいもんだ。」の意。
「刀を橫たへ」「横にして身に帯びる・携える」の意。
「頭(かしら)の腦(なう)、おちいり」頭部(ずぶ)損傷(「ER]さ。)。頭蓋骨が割れて脳漿が飛び散り、脳も損壊して崩れ出ていたのである。大蜘蛛の強力な牙で抉られたものであろう。合掌。]
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