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2021/06/10

日本山海名産図会 第四巻 白魚

 

Sirauo

 

[やぶちゃん注:図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションのものをトリミングした。キャプションは「西宮白魚(にしのみやしろうを)」。]

 

  ○白魚(しろうを)【「大和本草」に『鱠殘魚(くわいさんぎよ)』といふて前說(ぜんせつ)、『キスコ』といふ說を非(ひ)せり。】

攝州西宮(にしのみや)の入江に、春、二、三月の頃、一町[やぶちゃん注:百九メートル。]の間に、五所(いつところ)ばかり、藁小屋(わらこや)を作り、両岸(りやうきし)同しく、犬牙(くひちがひ)に列(つら)なり、罶簄(やな)の橛(くひ)[やぶちゃん注:底本では「木」(へん)ではなく、「扌」に見えるが、こちらで採った。]を川岸より、一、二間[やぶちゃん注:約一・八二から三・六四メートル。]許り、打ち出し、是れに水を湛(たゞよ)はせ、潮(しほ)の滿つるに、魚、登り、引潮に下(くだ)るの時、此の橛の間に聚まるを待ちて、かねて、柱の頭に穴して、䋄の綱を通はせ、穴に小車(こくるま)をかけて、引きて、網の上下(あげおろし)をなす。䋄は、蚊屋の布の四手(よつで)にて、橛の傍、魚の聚まる方(かた)におろし置きて、時々、是れをあげて、杓(しやく)の底を、布にて張りたる儻(たま)にて、すくひ採るなり。尚、圖のごとし。○案ずるに、此の法、古(いにし)へ、宇治川の「網代木(あしろき)」に似たり。網代木は、橛を、二行に、末廣く、䋄を打ちたるやうに打ちて、其の間へ、水と共に、氷魚(ひお)も湛(たゞよ)ひ留(たま)るを、網代守(あしろもり)、䋄して採れり。「萬葉集」に、

 武士(ものゝふ)の八十宇治川の網代木にいさよふ波の行衞(ゆくへ)しらずも

是れ、水のたゞよふを、詠めり。案ずるに、白魚(しろうを)・氷魚(ひを)、又、三月比(ころ)、海より多く上(のぼ)る。「麵條魚(とろめさこ)」、又、「シロウヲ」ともいひて、俗に、『「鮎(あゆ)」の苗(こ)なり』と云ふもの、ともに、三種、皆、同物別種の物にて、春は「塩さかひ」に生じ、「氷魚」は冬、湖中、波、あらき、さかひ、宇治川田上(たなかみ)に生する事、其の理(り)、一なり。又、「ドロメ」は「鮎(あゆ)」の苗(こ)なり。鮎は年魚(ねんぎよ)にして、年限(としかぎり)の物なれば、上に子を孕みて、身、重き故に、秋、海をさして落ちて、「塩(しほ)さかひ」に產めり。故に江海(こうかい)より登りて、したひに、生長す。是を、浪花、川口にとること、纔[やぶちゃん注:「わづか」。]十日ほとの間なり。又、「チリメンザコ」、「チリメン小アユ」は、則ち、「麵條(どろめ)」の塩干(しほほし)なり。此の物、東武に、なし。「本朝食鑑」に、『白魚(しろうを)は氷魚(ひを)の大(おほ)いなる物なり。江海の中(うち)に生(せう)し、春に至つて、海に登り、二、三月の際(あいた)、子を水草・沙石(させき)の間(あひだ)に生み、其の子、長じて氷魚(ひを)となり、江海に至つて、又、長(ちやう)して、白魚となる』と云ふは、無覺束(おぼつかなき)説なり。

○備前平江(ひらへ)・勢刕桑名等の白魚(しろうを)は、立䋄(たてあみ)、又、「前がき」をもつて、取り、桑名の立網は、長(たけ)七丈、下垂(たれ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]三丈斗(はか)り、䋄の目、一步(ふ)ばかり。「アバ」は桶にて、「イハ」は鈆(なまり)なり。七人宛(づゝ)乘りたる舩五艘、沖より、䋄を入れて、五艘を舫(もや)ひ繋(つな)きて、礒(いそ)へ漕ぎよするなり。䋄の長さ、百尋許りにして、一䋄に獲ること、大凡(およそ)二石許り。魚、澤山なるゆへに、貨(う)るに、升(ます)をもつて、はかる。又、「目差(めさし)」といひて、竹に多く刺し連ねたる物、此の地の產なり。䋄する所は、赤すが・濱地藏・龜津(かめつ)・福嵜(ふくさき)・豊田(とよた)・一色(いつしき)などに採れり。此の間(あひだ)、三里の海路(かいろ)にして、其の中(なか)に橫枕(よこまくら)といふ所は、尾刕・勢刕のさかひなり。尾刕の方(かた)には、白魚(しろうを)なく、桑名の方には蠣(かき)なし。偶(たまたま)得るとも、味、必ず、美(び)ならず。人、是れを一竒(いつき)とす。案ずるに、是れ、前にいへる「潮(しほ)さかひ」なり。元、伊勢の海は、入江にして、桑名福嶌(ふくしま)は、則ち、川口(かはぐち)なり。上は木曾川にて、其の下流、爰(こゝ)に落つる。西宮に生ずる、其の理(り)、同し。

○一種、「鰯(いはし)の苗(こ)」といふ物、「鵞毛※(いささ)」と云ふ[やぶちゃん注:「※」=「月」+「廷」。]。又、潮水(しほみつ)に產するに、同物あり。一名(めう)「サノホリ」と云ふて、冬月(ふゆ)、採る也。若刕にも、似たる魚、有り、「アマサキ」と云ふ。仲冬(ちうとう)より、初春に至る。又、筑前に「シロウヲ」といふ物、小にして、長さ一寸ばかり、腹の下に、小黑(こくろ)き點、七つあり、大小に抱(かゝは)らず。

[やぶちゃん注:これは、基本、

条鰭綱スズキ目ハゼ亜目ハゼ科ゴビオネルス亜科 Gobionellinae シロウオ属シロウオ Leucopsarion petersii

の記載である。孰れも河口付近の汽水域に棲息し、捕獲漁法も似ているが、現在の流通に於いては、条鰭綱新鰭亜綱原棘鰭上目キュウリウオ目シラウオ科シラウオ属シラウオ Salangichthys microdon が混同されることはないのだが、古くはそんな和名の区別はなかったし、この作者の記載でも後に行くほど、怪しい臭いが充満してくるし、いや、現代でも、一般人だけでなく、地方によっては、シロウオ漁専門の漁業者自身がシロウオを「シラウオ」と呼んでいたり、シロウオ漁を解説するのに「白魚」を「しらうおりょう」としている現実がある。作者が引いている貝原益軒の「大和本草」であるが、まず、益軒はシロウオとシラウオの区別をちゃんとしてはいる。

「大和本草卷之十三 魚之上 麵條魚(しろうを) (シロウオ)」

と、

「大和本草卷之十三 魚之上 鱠殘魚(しろうを) (シラウオ)」

で明らかである。但し、作者が引いている方は、実は後者で、既にしてその冒頭から、実は誤っている(益軒が弁別をちゃんと認識していないのである)ことに注意しなくてはならないし、これとは別に、作者の叙述の中にも、両者を混同していると思われる箇所があるので注意が必要である。因みに、俳諧の読み込まれた「白魚」は混淆甚だしく、しかも判別は殆んど不可能に近いと言える(基本、シラウオ漁と食文化が比較的東日本に多く、江戸で詠まれたそれは圧倒的にシラウオを指すことが多いと思われる。)。なお、他に、益軒も、周の武王の船に飛び入ったことで知られる「白い魚」を考証する以下では、とんでもないことになっているのも確認されたい。

「大和本草卷之十三 魚之下 白魚 (混沌にして同定比定不能)」

また、和歌山県有田郡湯浅町町役場の公式サイトのこちらでは、当地のシロウオとシロウオ漁を語りつつ、簡潔に判りやすく両者の違いも画像入りで示してあるので参照されたい。正直、私はシロウオは漢字で「素魚」とし、シラウオは「白魚」とすればよかったのにと考えている。

『「大和本草」に『鱠殘魚(くわいさんぎよ)』といふて前說(ぜんせつ)、『キスコ』といふ說を非(ひ)せり。「大和本草卷之十三 魚之上 鱠殘魚(しろうを) (シラウオ)」』で詳しく注しておいた。「鱠殘魚」はしかし、古代の黄河中流で「白魚」を本邦の魚種として考証しようとすることが基本・土台どころか、地殻・プレートのレベルで大間違いなのである。「キスゴ」はスズキ目スズキ亜目キス科 Sillaginidae のキス(鱚)類、或いは同科キス属シロギス Sillago japonica の別名である。話にならない。「一昨日来いや!」って部類である。

「攝州西宮(にしのみや)」現在の兵庫県西宮市。ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のシロウオのページに(山口県萩での四手網漁の写真もある)、『『日本山海名産図絵』には〈西宮 白魚〉があって、絵図には間違いなくシロウオ漁である』とある。但し、この書の書誌を引用よりも前の所で、本書が元本とした宝暦四(一七五四)年に板行された物産図会「日本山海名物圖會」(平瀬徹斎編著・長谷川光信画)の書誌データを誤って記載している。「日本山海名物圖會」には「白魚」は載らない(国立国会図書館デジタルコレクションで確認済み)

「犬牙(くひちがひ)」「けんが」。この意味の用法がある。

「罶簄(やな)」「簗(やな)」(川の瀬などで魚をとる仕掛けの一つ。木・竹を並べて水を一か所に流すようにし、そこに来る魚を、斜めに張った簀(す)などに受けて捕らえる装置)に同じだが、所謂、「やな」でも、魚をとらえるための広義の漁具や装置の総称である(本邦では「梁」というと、川の中に足場を組んで、木や竹で簀の子状の台を作った梁(やな:狭義)という構造物を設置し、泳いできた魚がかかるのを待つ漁法を指すことが多い)。「罶」は音「リウ(リュウ)」で、原義は古代の竹籤(たけひご)で編んだ籠のことで、単漢字でも魚を捕らえるための漁具を意味し、「簄」(音「コ・ゴ・コウ」)は本邦では「えり」(「魞」とも書く)で、河川・湖沼・内湾に於いて葦簀(よしず)や竹垣を魚道に迷路のように張り立てることで魚を自然に誘導して捕らえる定置漁具(琵琶湖のものが有名)を指す。

「橛(くひ)」「杭」に同じ。この漢字には「棒杭(ぼうぐい)」の他、「切り株」や馬具の轡(くつわ:馬の口に銜(くわ)えさせるもの)」の意がある。

「湛(たゞよ)はせ」湛えさせておいて、その場に漂わせ、の意であろう。

「蚊屋」「蚊帳」に同じ。

「杓(しやく)」柄杓。

「儻(たま)」攩網(たもあみ)。

「網代木(あしろき)」狭義には網代(川の瀬に設ける魚捕りの設備。数百の杭を、網を引く形に打ち並べ、その杭に経緯(たてぬき:縦網とぬき網(横網))を入れ、その終端に筌(うけ:河川・湖沼・​浅海の水底の魚道の要衝に敷設し、魚類の行動生態を利用してその中に陥穽させて捕獲する漁具)などを備えた簗のようなもの。冬、京都の宇治川で、氷魚(ひお:後述)を捕えるのに用い、それが古来より著名であった)を支えるために、水中に打った杭を指すが、和歌では音節数の関係で単に網代全体の意で用いることが多く、ここでもそれ。網代は参照したネットの「精選版 日本国語大辞典」のそれを参照されたい。

「氷魚(ひお)」読みはママ。「ひを」が正しい。「ひうを」の縮約。鮎の、体に色素細胞がまだ殆んど現われていない稚魚のことを指す。長さは二、三センチメートルに過ぎず、呼称は殆んど無色半透明で、死ぬと白濁することによる。秋から冬にかけて琵琶湖で漁れるものが有名で、古来、詩歌俳諧によく詠まれた。

「網代守(あしろもり)」上のリンク先の図に描かれてある。

『「萬葉集」に……』巻第三の柿本人麻呂の一首(二六四番)、

   柹本朝臣人麿の近江國より上り來し時に、

   宇治河の邊(ほとり)に至りて作れる歌一首

 もののふの

    八十氏河(やそうぢがは)の

   網代木(あじろぎ)に

  いさよう波の

       行く方(へ)知らずも

「もののふの八十」はこの歌などで知られる「氏(うぢ)」を導く序詞で、「氏」に「宇治」を掛けた。後に「もののふの」は枕詞となった。物部麻呂一族の行く末の不安、ひいては人の無常を詠んでいる。

「麵條魚(とろめさこ)」「大和本草卷之十三 魚之上 麵條魚(しろうを) (シロウオ)」では、正統のシロウオを指しているので問題はないが、「とろめさこ」とは、恐らく、「半透明で細長い「とろん」とした麺のような小さな雑魚(ざこ)」を意味しており、これは、例えば私の好きな「のれそれ」(アナゴ類(新鰭亜綱カライワシ上目ウナギ目アナゴ亜目アナゴ科 Congridaeのレプトセファルス(Leptocephalus)幼生。Leptocephalus はラテン語で「Lepto(小さい)」+「Cephalus(頭)」の意。ウナギ目 Anguilliformesなどを含むカライワシ上目 Elopomorpha に分類される魚類の幼生魚の学術名)などこそ、こう呼ぶに相応しいと思っている。なお、「のれそれ」はその柔軟な魚体から「伸(の)り反(そ)り」の変化した語かともされる。

「塩さかひ」河川河口付近の海水と淡水の交わる「潮境」のこと。

「宇治川田上(たなかみ)」大津市田上地区。或いはそこを貫流する大戸(だいど)川の別称「田上川」。「たがみがわ」とも称し、「谷上川」とも書く。宇治川の上流瀬田川に合流する。

『「ドロメ」は「鮎(あゆ)」の苗(こ)なり』各地で古くから複数の全く異なる魚種の稚魚を「いさざ」や「どろめ」などの呼称で呼ぶ傾向がある。鮎でも稚魚をかく呼ぶ地方があるか。但し、現行では「ドロメ」という標準和名のそれは、スズキ目ハゼ亜目ハゼ科ゴビオネルス亜科 Gobionellinae アゴハゼ属ドロメ Chaenogobius gulosus であり、高知などではイワシ類の稚魚を指す。

「鮎は年魚(ねんぎよ)にして、年限(としかぎり)の物なれば」ウィキの「アユ」によれば、通常、『産卵を終えたアユは』一『年間の短い一生を終えるが、広島県太田川、静岡県柿田川などの一部の河川やダムの上流部では』、『生き延びて越冬する個体もいる』。『太田川での調査結果からは、越年アユは全て雌である。また、再成熟しての産卵は行われないと考えられている』とあり、「飼育」項には、『観賞魚として水槽内で飼育した場合は成熟までに至らないケースが多いため』一『年から』三『年は生きる』とある。

「浪花、川口」大阪湾奥の淀川などの河口付近の意。

「チリメンザコ」「縮緬雜魚」。ウィキの「ちりめんじゃこ」によれば、『ちりめんじゃこ(縮緬雑魚)は、イワシ類[やぶちゃん注:条鰭綱ニシン目ニシン亜目 Clupeoidei の中の複数種の流通上の人為分類である。](カタクチイワシ・マイワシ・ウルメイワシ・シロウオ・イカナゴなど)の仔稚魚(シラス)を食塩水で煮た後、天日などで干した食品』。『ごく小さな魚を平らに広げて干した様子が、細かなしわをもつ絹織物のちりめん(縮緬)を広げたように見えることからこの名前がついた』。『魚そのものはシラスといい、固く干さない状態のものはその名で呼ばれることもある』。『収量が多く、油分の少ないカタクチイワシ』(条鰭綱ニシン目ニシン亜目カタクチイワシ科カタクチイワシ亜科カタクチイワシ属カタクチイワシ Engraulis japonicus )『の仔魚が用いられることが多い。ちりめんじゃこの体長は一般に』三センチメートルに『満たないものを指し、より大きいものは「カエリ」と呼ばれることがある』とある。「シロウオ」も入っているから、まあ、いいか。

『「本朝食鑑」に……』国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像のここの「集解」の冒頭部の継ぎ接ぎだが、確かに全体を読むと、「無覺束(おぼつかなき)説なり」とぼやきたくはなる内容である。

「備前平江(ひらへ)」「平井」の誤り。現在の岡山県岡山市中区平井。必死で「平江」で探したが、どこにもなかった。ところが、多数のフレーズで検索するうち、「岡山市電子町内会」のサイトの『「ふるさと平井」シリーズ№5』の「平井の白魚」に、『岡山の白魚が有名なのは随分古くからである。醍醐朝の頃』(九〇〇年前後)『の書物に備前国貢進物として「押(おし)年魚」「煮塩(にしお)年魚」とある。この年魚こそ白魚のことで「押年魚」とは乾かした白魚、「煮塩年魚」は白魚の塩物のことである。白魚はおよそ』千『年も前から備前の名物だったことがわかる。また食鑑(しょくかがみ)という本には「備前の平江(平井のこと)』(☜!)『、伊勢の桑名に多し」と書いてあり、東備郡村誌の平井村の項に「冬に至ればシラウオ多し、味他処の産に勝る」と記されている。寺小屋で使われた教科書備前往来にも「額が瀬の蜆(しじみ)、平井の白魚」とある。白魚は古くから平井の特産物だったようである』とある。しかし、ここに問題が生ずる。後でこの筆者は『なおよく似た発音の魚にしろうおと呼ばれるものがあるが、これはハゼ科の魚で生態などはよく似ているが全く異種のものである』あるとあるからである。則ち、ここ備前平井で獲れたのは、シロウオではなく、シラウオであったのである。而して並置される「勢刕桑名」で獲れるのも、同じくシラウオであって、ここに作者は致命的に両種を混同していることが明白となってしまうのである。

「立䋄(たてあみ)」水中に錘(後の「イハ」(岩))で沈めて、桶の「アバ」(浮き)で支え立てる「建て網」。

「前がき」「前搔き」で、攩網様のものか。

「百尋」既に述べたが、「尋」の江戸時代のそれは正確な規定値がないが、明治時代の換算では一尋は約一・八一八メートルとされた。但し、一尋を五尺(約一・五一五メートル)とすることもあるという。前者換算で約百八十二メートル、後者で約百五十一メートルとなる。規模が大きい。

「二石」米俵五俵分。

「貨(う)る」「賣る」に同じ。

「赤すが」現在、三重県桑名市赤須賀元赤須賀が、揖斐川河口に近い右岸にある。

「濱地藏」赤須賀の南に接する桑名市地蔵

「龜津(かめつ)」不詳。順列から揖斐川右岸の旧地名であろう。

「福嵜(ふくさき)」不詳だか、揖斐川河口右岸のこの附近に福江・福地の地名が見出せる。

「豊田(とよた)」揖斐川河口から四キロメートル弱離れた位置に、三重県三重郡川越町豊田ならあるが、ここだけが離れるのはおかしいので、桑名市内の旧地名の可能性が高い。

「一色(いつしき)」前の赤須賀地区の西に桑名市一色町がある。

「橫枕(よこまくら)」三重県桑名市長島町横満蔵(よこまくら)のことであろう。現在、木曽川・長良川・揖斐川に挟まれた輪中の河口近くにある。この輪中は上流部で愛知県(「尾刕」)と三重県(「勢刕」)の県境となっている。

「桑名福嶌(ふくしま)」三重県桑名市福島。以下は、現在と当時の河川の経路が異なるので、問題ない。

『「鰯(いはし)の苗(こ)」といふ物、「鵞毛※(いささ)」と云ふ』(「※」=「月」+「廷」)「いさざ」は「魦」と書き、シロウオの別名でもあるに、作者の混乱は元に戻らないでいる。

「サノホリ」不詳。識者の御教授を乞う。「さのぼり」であるなら、田植えの終わりに田の神を山に送る祭りであるが、時節が合わない。

「アマサキ」不詳。識者の御教授を乞う。

『筑前に「シロウヲ」といふ物、小にして、長さ一寸ばかり、腹の下に、小黑(こくろ)き點、七つあり、大小に抱(かゝは)らず』福岡は現在もシロウオ漁が盛んである。]

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