伽婢子卷之八 長鬚國
[やぶちゃん注:挿絵は底本の昭和二(一九二七)年刊の日本名著全集刊行會編第一期「江戶文藝之部」第十巻「怪談名作集」をトリミング清拭して使用した。ネタバレになるので、挿絵についての解説は最後の注の頭に置いた。その観点から、挿絵は本文の途中で見た方がいいので、特異的に話中に配した。くれぐれも挿絵をじっくりとは先に見ない方がよい。謂わずもがなであるが、底本ではそうした配慮はなされてはいない。]
○長鬚國(ちようしゆこく)
越前の國北の庄に商人あり。每年、松前に渡りて蝦夷(えぞ)と販賣(あきなふ)に、多く木綿・麻布(あさぬの)を遣して、昆布(こんぶ)・干鮑(ほしあわび)に替へて、國に歸り、出《いだ》し賣るを業(わざ)とす。
或る年、舟に乘りて、松前に渡るに、俄かに、風、變り、浪、高く、檣(ほばしら)、をれ、梶(かぢ)、くだけて、吹《ふき》放されつゝ、漸(やうやう)にして、ひとつの嶋に寄せられたり。
人心地、少しつきて、舟をあがりければ、五町[やぶちゃん注:約五百四十五メートル半。]ばかりにして、人里あり。
其所《そのところ》の人は、髮、短かく、鬚(ひげ)、長し。
物いふ聲は日本の言葉に通ず。
或る家に立入《たちいり》て、國の名を問へば、
「長鬚扶桑州(ちやうしゆふさうしう)。」
といふ。國主を問へば、
「是より一里ばかりの東に城郭あり。」
と敎ゆ。
彼(かしこ)に赴き、惣門(そうもん)を過《すぎ》て、見れば、國主の本城とおぼしくて、門の構へ・築地(ついぢ)、高く、石垣は、削り立《たて》たる如し。
門のほとりに立よりければ、門を守るもの、一同に出《いで》て、大に敬ひ、奧のかたにいひ入《いり》たりしに、衣冠の躰(てい)、世に見なれざる出立(いでたち)したる者、はしり出て、殿中に請じ入りたり。
宮殿、はなはだ、花麗(くわれい)にして、きらびやかなる事、いふばかりなし。
紫檀・くわりん・白檀(びやくだん)なんど、入違《いれちが》へ、沈香(ぢんこう)・金銀をちりばめ交へて、立《たち》たり。
錦のしとねを敷き、國主、立出て、對面す。
「大日本國の珍客(ちんきやく)、只今、此所に來れり。我等、邊國(へんごく)のえびすとして、まのあたり、請(しやう)じ參らす事、是れ、幸ひにあらずや。」
とて、一族にふれめぐらすに、皆、おのおの、來り集まる。
いづれも、出たち、花やかなれ共、勢(せい)、短く、髮、かれて、鬚ばかりは、長く生(お)ひのび、腰、少し、かゞまりて見ゆ。
座、定まりて後に、綠の蔕(ほぞ)ある色よき柹(かき)一つ、はらめる黃なる膚(はだへ)の栗、紫の菱(ひし)、くれなゐの芡(みづふき)、靑乳(せいにう)の梨、赤壺(せきこ)の橘(たちはな)を、瑠璃(るり)の盆・水精(すいしよう)の鉢に、うづたかく積みて、出したり。
膳には、野邊の初鳫(はつかり)、澤沼(さわぬま)の鳬(かもめ)、鳴鶉(うづら)、雲雀(ひはり)、紫菨(しきやう)、靑蓴(せいじゆん)、溪山(けいざん)の筍(たかんな)、靈澤(れいたく)の芹(せり)、數を盡して、出し、そなふ。
葡萄(ぶどう)・珠崖(しゆがい)の名酒に、茱萸(しゆゆ)・黃菊(くわうきく)を盃(さかづき)に浮べ、誠に妙(たへ)なる、あるじまうけ、其の味ひ、更に人間の飮食にあらず。
されども、海川のうろくづ、蛤(はまぐり)のたぐひは、一種の肴(さかな)も、これ、なし。
商人、いぶかしくぞ、覺えたる。
國主の曰く、
「我に一人の娘あり。願くは、君、是れに、とゞまり給へ。配偶(はいぐ)の緣を、むすび奉らん。榮耀(えいよう)、いかで極まり有らん。」
といふに、商人、大《おほき》に喜び、
「ともかうも、仰せに隨ひ奉らん。」
とて、數盃(すはい)を傾け侍りしに、
「今宵は、月、巳に滿(みち)て、光り、四方(よも)に輝きて、明らかなる事、白日の如し。これぞ、我等の酒宴遊興を催す時なり。」
とて、滿座のともがら、舞《まひ》、かなで、歌ひ、どよめく。
かゝる所に、姬君、出給ふ。
附きしたがふ女房達、廿餘人、何れも、花を飾り、もすそを引て、ねり出たれば、沈麝(じんじや)の薰(かほり)、座中にみちたり。
商人、これを見るに、かたちは、たをやかに。うるはしけれ共、女にも、鬚、あり。
商人、甚だ、怪しみて、悅びず、古風の躰(てい)一種を詠みける。
さくとても蕊(しべ)なき花はあしからめ
妹(いも)がひげあるかほのうるはし
國主、聞きて、えつぼに入《いり》て笑ひしかば、滿座、かたぶきて、腹をさゝげたり。
娘と女房達は、世に耻かしげ也。
此夜より、商人に一官を進めて、「司風(しふう)の長」とぞ、かしづきける。
身の榮花に、たのしみを極め、國中、敬ひ、もてはやす故に、鬚ある妻に、なれそめて、三年(みとせ)を過れば、男子一人、女子二人をぞ、まうけたる。
ある日、家、こぞりて、泣き悲しみ、妻、甚だ、愁へ、歎く。
城中、打ちひそまりて、色を失へり。
商人、驚きて、妻に問ければ、泣く泣く、答へけるやう、
「きのふ、海龍王(かいりゆうわう)の召しによりて、我が父、巳に龍宮城に赴き給へり。命、生きて、二たび、歸り給ふべからず。此の故に、歎き悲しむ也。
といふ。
商人、大に仰天して、
「其は、如何にもはかりごとあらば、逃(のが)るゝ道、侍べらむや。然(しか)らば、我、たとひ、命をすつる共、何か顧(かへりみ)るべき。」
といふ。
妻のいふやう、
「此事、君にあらずしては、禍ひを逃れて、安穩(あんをん)の地に歸り給ふ事、かなふべからず。願くは、龍宮城に赴き、『東海の第三の迫戶(せと)・第七の嶋・長鬚國、巳に大禍難(《だい》くわなん)に依(よつ)て、今より衰微に及ぶべき也。憐みを以つて首長(しゆうちよう)を放ち返し給はゞ、宜しく太平安穩の政道なるべし。』と、よくよく、の給はゞ、龍神、よこしま、なし。必ず、此歎きを引かへて、喜びの眉(まゆ)を開かん。然らば、一足《いちあし》も早く赴きて給へ。」
とて、聲も、をしまず、泣きければ、商人も、なさけの色に、心、引かれて、急ぎ出立《いでたち》、花やかに裝束(さうぞく)して、十人の侍(さふらひ)・五人の中間(ちうげん)・二人の道びきを招し連れ、龍宮城に赴き、舟に乘りて、しばしの間(あひだ)に着きて、濱おもてを見れば、皆、金銀のいさごにて、國人は、衣冠正しく、かたち、大にして天竺(《てん》ぢく)の人に似たり。
櫻門にさし入《いり》て見れば、七寶莊嚴(《しつ》ほうしようごん)の宮殿、其のさまは、堂寺(だう《じ》)の如し。玉のきざはしに進めば、
「『司風の長』とは汝の事か。今、何故に來れる。」
と問ふ。
商人、こまごまと、いひければ、龍神、すなはち、「海府錄事」を召して勘(かん)がへさせけるに、
「龍宮城の境内(けいだい)に、左樣の國は、これ、なし。」
といふ。
商人、重ねていふやう、
「長鬚國は東海第三の迫戶(せと)・第七の嶋にあたれり。」
と。
龍神、又勘辨(かんべん)せさするに、暫く有りて、錄事(ろくじ)、すなはち、本帳を考へて曰はく、
「其の嶋は、蝦魚(えび)の住所(じうしよ)也。龍宮大王の此月の食料に當てゝ、昨日、召し捕りたり。」
と申す。
龍神、笑ひて曰はく、
「『司風の長』は、まことに人間ながら、蝦(ゑび)のために魅(ばか)されたり。我は海中の王なりといへ共、食(しよく)する所の魚(きよ)・鳥(てう)・生類(しやうるい)、皆、天帝より布(しき)さづけられて、日每(《ひ》ごと)に其の數あり。たとひ人といふとも天帝の定め給ふ數の外に、奢りて生類(しようるゐ)を食する時は、必ず、天の責めを受けて、禍ひあり。況や、我等、數の外に、漫(みだ)りに食する事、かなはず。さりながら、今、はるばるこゝに來れる人の心を、破るべからず。數の定めを耗(へら)して參らせむ。」
とて、内に入て、「司膳掌(しぜんしやう)」に仰せて、商人をつれて、料理臺盤所(れうりだいばんところ)を見せしむるに、麞(くじか)の胎(はら)ごもり、熊の掌(たなごゝろ)、猿のことり、兎の水鏡(みづかゝみ)、五種の削物(けづり《もの》)、七種の菓(くだもの)、䡄則(きそく)・花形、かざり立てて、鳳髓(ほうずゐ)、獅子膏(《しし》かう)、靑肪(《せい》はう)、白蜜(はくみつ)、其の外、海陸(かいろく)のうち、あらゆる珍味、心も言葉も及ばれず。
黃金(こがね)の釜、白銀(がね)の鍋、あかゞねの鼎(かなへ)を並べ、傍らなる籃(かご)の中に、蝦、五、六頭(づ)あり。
大《おほい》さ三尺あまり、色は、さながら、濃紫(こむらさき)にして、鬚、甚だ、長し。
此商人を見て、淚を流す事、雨の如く、頻りに蹕躍(はねおど)りて、其のありさま、
『助け給へ。』
と云はぬばかり也。
「司膳の司」のいふやう、
「是れこそ、蝦の中の王なれ。」
と。
商人、きゝて、不覺の淚を落とす。
龍神、かさねて、使ひを立て、蝦の王を赦(ゆる)し放ち、商人をば、送りて、日本に歸らしむ。
其の夜の曙に、能登の國「鈴(すゞ)の御崎(みさき)」に付《つき》たり。
岸にあがりて、うしろを顧れば、送りける使ひは、大龍となり、波を分けて、海底(かいてい)に隱れ、商人は本國に歸りて、筆に記して、人に語り傅へしと也。
[やぶちゃん注:挿絵の一枚目は長鬚国扶桑州に着き、国主の城を訪れたシーン。「新日本古典文学大系」版脚注によれば、『門は青海波の紋様』で、門の屋根の『棟の両端には海老の形をした飾りがついている。左』幅の迎えている人物は『衣冠の応対人』で、『頭上に海老の冠。左に番の者二人』が描かれているが、右幅の拱手した民草も応対する官人も二人の家来も、皆、長い鬚を持っている。さしてネタバレともなるまいから言っておくが、これが真相の伏線である。二枚目は商人が宮殿内で饗応を受けるシーン。右幅の列の先頭、一番左にいるのが、王の娘。同前で、『床下には、満々とした海水』らしきものが描かれ、左幅の上座にあるのが国主であるが、冠の蝦が一段と大きいのが判る。手前の三人は招かれた長鬚国内の客人。商人以外、女性も例外なく、総てが長い鬚を生やしている。三枚目は龍宮内の台番所(調理室)へ商人が赴くシーン。かすれているが、商人の左手にいるのが、司膳掌(総調理監督官)で、同前で『蓬髪に竜の冠』をつけている『か』とされる。二人の足下に大きな籠に大蝦が三尾おり、商人の方に向いている一尾が長鬚国国主であろう。左幅の手前に食材が吊り下げられてあり、右から二番目に鶴っぽい長い頸を持った鳥、中央に甚だ大きな兎らしきもの、その左手には鴨っぽい鳥二羽が見える。同前解説に、『壺、鼎、鍋、釜、瓶子、盤など多数の器物に珍味が盛られる。当話は挿絵をふんだんに配し、異境のおもむきを充分に醸し出している』とある。本話は他の戦国時代設定の拘りを排して、文字通りの御伽話として楽しめるものに仕上がっている。「越前の國北の庄」現在の福井県福井市大手(グーグル・マップ・データ。以下同じ)は旧越前国足羽(あすわ)郡北ノ庄(後に改めて福居)と呼んだ。現在の福井全体の呼称としても通用した。
「松前」北海道松前郡松前町。中世以降の蝦夷地交易の要地。
「木綿・麻布(あさぬの)」越前は温暖多湿の気候に恵まれ、古代より優れた絹織物など織布の生産が盛んであった。
「昆布(こんぶ)」松前の東方、北海道函館市宇賀浦町附近(正確にはその東の銭亀沢地区の沖合)の昆布は「宇賀の昆布」として古くから知られた。私の「日本山海名産図会 第五巻 昆布」も参照されたい。
「干鮑(ほしあわび)」エゾアワビ Haliotis discus hannai (クロアワビの北方亜種であるが同一種説もあり)を用いたもの。大脱線になるが、私の大好きな、アイヌに伝わる「ムイ(オオバンヒザラガイ)とアワビとの間の戦いと住み分けの物語」を、最近やっと、ちゃんと書けたので、未読の方は是非、どうぞ! 「大和本草諸品圖下 ワレカラ・梅花貝・アメ・(標題無し) (ワレカラ類他・ウメノハナガイ・ヒザラガイ類・ミドリイシ類)」の私の「アメ」の長い注の中にある。
「扶桑州(ふさうしう)」「扶桑」国は古代中国で、太陽の出る東海中にあるとされた、葉が桑の木に似た神木。またはその霊木が生えている地の称。後に日本の異名とはなった。
「紫檀」マメ目マメ科ツルサイカチ属Dalbergia及びシタン属Pterocarpusの総称。古くから高級工芸材として利用される。ビワモドキ亜綱カキノキ目カキノキ科カキノキ属コクタンDiospiros ebenum・マメ目ジャケツイバラ科センナ属タガヤサンSenna siameaとともに三大唐木の一つに数えられる。
「くわりん」「花梨・花林・花櫚」。マメ目マメ科マメ亜科ツルサイカチ連インドカリン属カリン Pterocarpus indicus (但し、同じく「花梨」とも書く「榠樝」、カリン酒や砂糖漬けで知られる黄色な大きな丸い実を結ぶところの、バラ目バラ科シモツケ亜科ナシ連ナシ亜連カリン属カリン Pseudocydonia sinensis とは全く別種であるので注意されたい)。当該ウィキによれば、『タイ、ミャンマーなどの東南アジアからフィリピン、ニューギニアの熱帯雨林に自生する』。『日本では八重山諸島が北限。金木犀に似たオレンジ色の小さな花が密集して咲く。芳香があるが、花期は短く』、一~二日で、『東南アジアの緑化や街路樹や公園に好んで使用される。シンガポールのメインストリートであるオーチャード通りやバンコク、ホーチミン、クアラルンプールなどでも多く見られる』。『フィリピンの国樹』。『古くから唐木細工に使用される銘木。心材は黄色がかった紅褐色から桃色がかった暗褐色。木材にはバラの香りがあり、赤色染料が取れる。木材を削り、試験管に入れて水を注ぎ、これを太陽にかざすと、美しい蛍光を出す』。『家具、仏壇、床柱、床框、装飾、楽器、ブラシの柄などに使われる。シタンに似ており、代用材としても使われる』とある。
「白檀(びやくだん)」ビャクダン目ビャクダン科ビャクダン属ビャクダン Santalum album。ウィキの「ビャクダン」を参照されたい。
「入違《いれちが》へ」複数の高級木材を巧みに組み合わせて。
「沈香(ぢんこう)」狭義にはカンボジア産「沈香木(じんこうぼく)」を指す。東南アジアに植生するアオイ目ジンチョウゲ科ジンコウ属 Aquilaria の、例えば、アクイラリア・アガローチャ Aquilaria agallocha が、風雨や病気・害虫などによって自分の木部を侵された際に、その防御策としてダメージを受けた部分の内側に樹脂を分泌する。その蓄積したものを採取して乾燥させ、木部を削り取ったものを「沈香」と呼ぶ。原木は比重が〇・四と非常に軽いが、樹脂が沈着することによって比重が増し、水に沈むようになることからかく呼ぶ。原木は幹・花・葉ともに無香であるが、熱することで独特の芳香を放ち、同じ木から採取したものであっても、微妙に香りが違うために、僅かな違いを利き分ける香道において「組香」での利用に適している(以上はウィキの「沈香」を参考にした)。
「勢(せい)」背丈。背(せい)。
「蔕(ほぞ)」蒂(へた)のこと。
「菱(ひし)」私の好きな双子葉植物綱フトモモ目ミソハギ(禊萩)科ヒシ属ヒシ Trapa japonica 。私の「大和本草卷之八 草之四 水草類 芰實(ひし) (ヒシ)」を参照されたい。
「芡(みづふき)」「水蕗」で、双子葉植物綱スイレン(睡蓮)目スイレン科オニバス(鬼蓮)属オニバス Euryale ferox の異名。私の「大和本草卷之八 草之四 水草類 芡蓮(をにはす) (オニバス)」を参照。
「靑乳(せいにう)」「新日本古典文学大系」版脚注に、『不詳。ただし、乳梨(にゅうり=別名空閑梨(こがなし))や青梨(あおなし)があり、これらを指すか』とある。調べてみると、「こがなし」は「空閑梨・古河梨」などと書き、小学館「日本国語大辞典」には、『ナシの歴史上の品種。現在では、大古河(おおこが)という品種が知られ、九月中旬に熟し、大果で帯緑黄赤色、果肉は色が白く緻密で柔軟』とあり、「大古河」は岐阜県又は新潟県原産とウィキの「月潟の類産ナシ」にあった(「月潟(つきがた)の類産(るいさん)梨」は新潟県新潟市南区大別当(おおべっとう)地区(旧新潟県西蒲原郡月潟村大別当)に生育するナシ(バラ目バラ科サクラ亜科ナシ属ヤマナシ変種(ニホン)ヤマナシ Pyrus pyrifolia var. culta の古木を指す)。また、サイト「旬の果物百科」の「梨」に、『和梨は果皮の色で大きく』二『つのタイプに分類され』、『幸水や新高梨に代表される皮の色が黄褐色の』「赤梨」『系と、二十世紀梨や菊水に代表される色が淡黄緑色の』「青梨」系がそれで、『青梨系は二十世紀が一世を風靡し』『たが、その後数は減り、現在では幸水や豊水など赤梨系が大半を占めるようにな』ったとある。ナシ、少なくとも、本邦産にニホンヤマナシの原種は青ではなく、赤である。
「赤壺(せきこ)の橘(たちはな)」「新日本古典文学大系」版脚注に、『未詳。橘は食用みかん類総称の古名』とある。種としては、ムクロジ目ミカン科ミカン亜科ミカン属タチバナCitrus tachibana であるが、当該種の実は酸味が強く、生食用には向かず、加工品用に用いる。
「水精(すいしよう)」水晶。
「鳫(かり)」広義の「かり」=ガン(「雁」)は以下の広義のカモよりも大きく、ハクチョウ(カモ科Anserinae亜科Cygnus属の六種及びCoscoroba 属の一種の全七種。全長百四十~百六十五センチメートルで、翼開長は二百十八~二百四十三センチメートルあるだけでなく、飛翔する現生鳥類の中では最大級の重量を有する種群で、平均七・四~十四、最大で十五・五キログラムにも達する)より小さい種群の総称。より詳しくは、私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鴈(かり・がん)〔ガン〕」を参照。
「鳬(かもめ)」広義の「鴨」(かも)(「新日本古典文学大系」版脚注に『「かもめ」は作者の読み癖か』とある)。カモ目カモ亜目カモ科 Anatidae の仲間、或いはマガモ属 Anas を総称するもの。より詳しくは、私の「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鳧(かも)〔カモ類〕」を参照。
「鳴鶉(うづら)」キジ目キジ科ウズラ属ウズラ Coturnix japonica。私の「和漢三才圖會第四十二 原禽類 鶉 (ウズラ)」を参照。
「雲雀(ひはり)」スズメ目スズメ亜目ヒバリ科ヒバリ属ヒバリ Alauda arvensis であるが、本邦には亜種ヒバリAlauda arvensis japonica が周年生息(留鳥)し(北部個体群や積雪地帯に分布する個体群は、冬季になると、南下する)、他に亜種カラフトチュウヒバリ Alauda arvensis lonnbergi や亜種オオヒバリ Alauda arvensis pekinensis が冬季に越冬のために本州以南へ飛来(冬鳥)もする。私の「和漢三才圖會第四十二 原禽類 鷚(ひばり) (ヒバリ)」を参照。
「紫菨(しきやう)」「新日本古典文学大系」版は、本文を『紫姜』とするばかりでなく、注でも『しょうがの異名』としている。単子葉植物綱ショウガ目ショウガ科ショウガ属ショウガ Zingiber officinale だが、これは私は納得出来ない。底本も元禄本もここは「紫菨」であって「姜」ではないからである。しかも、電子版「漢字林 艸部」でも「菨」(音「ショウ」)については、『「菨餘(ショウヨ)」、アサザ(莕菜、荇菜)、ミツガシワ科アサザ属の水草』である『アサザ』の類を指すとあるのである。されば、ここは、双子葉植物綱ナス目ミツガシワ科アサザ属アサザ Nymphoides peltata 、或いは、アサザ属ヒメシロアサザ Nymphoides coreana 、或いは、アサザ属ガガブタ(鏡蓋) Nymphoides indica とすべきであろう。「大和本草卷之八 草之四 水草類 荇 (ヒメシロアザサ・ガガブタ/(参考・アサザ))」を見られたいが、「詩経」の昔から、アサザは「荇菜」(かうさい(こうさい))として出、若葉が食用に供されることから「菜」と言ったのである。
「靑蓴(せいじゆん)」現行では一属一種の、私の好きな(見るのも、食べるのも。採取したことは残念なことにない。いつか採ってみたいな)、スイレン目ハゴロモモ科ジュンサイ属ジュンサイ Brasenia schreberi である。私の「大和本草卷之八 草之四 水草類 蓴 (ジュンサイ)」を参照されたい。
「溪山(けいざん)の筍(たかんな)」奥深い人跡未踏の幽谷に生える笋(たけのこ)。
「靈澤(れいたく)の芹(せり)」同前の深い沢辺に生えるセリ。日本原産の双子葉植物綱セリ目セリ科セリ属セリ Oenanthe javanica 。私の「大和本草卷之五 草之一 蔬菜類 芹(せり) (セリ)」を参照されたい。
「葡萄(ぶどう)」葡萄酒。
「珠崖(しゆがい)の名酒」「珠崖」は漢の郡名。現在の広東省海南島に置かれた。前漢の武帝は南越国を征服し、そこに郡を配したが、珠崖は、その一つ。設置後五十年ほどで廃止されている。「新日本古典文学大系」版脚注は『酒との関係は未詳』とするが、寺本祐司氏の論文「海南島の酒に関する比較考察」(PDF・『日本醸造協会誌』(二〇〇九年五月)発行所収)によれば(コンマを読点に代えた)、冒頭の紹介文章で、『海南島は、中国南部に浮ぶ島であり、大陸やフィリピンなどと深い関係がありながらも異なった伝統酒があることが予想される』。一九九五『年には「いも焼酎の源流を採る」調査部(南日本新聞社主催)が海南島におけるサツマイモ焼酎の製造を確認している。本稿では最近著者が行った調査結果を紹介していただいた』として、本文に、「海南島の伝統酒について」として、『海南島では熱帯・亜熱帯地域で栽培される農産物をもちいて酒がつくられていた。以下黎族』(リー族:海南島に住む少数民族)『に伝わる伝統酒についてまとめた。主な酒の原料は糯米』(もちごめ)、『サツマイモ、バナナであった』として、以下「米を原料とした酒」・「吸酒管で飲む酒」・「サツマイモを原料とした酒」・「バナナを原料とした酒」と標題した解説が続く。地理的にも南海の大きな島嶼である海南島は、如何にも本桃源郷のロケーションとも親和性がよい。
「茱萸(しゆゆ)」バラ目グミ科グミ属 Elaeagnus (種は多い)以外に、似たような実をつける「山茱萸」(やまぐみ)=ミズキ目ミズキ科ミズキ属サンシュユ Cornus officinalis がある。
「あるじまうけ」「主設け」。主人(ホスト)による客人(ゲスト)への饗応(オーギー)。
「うろくづ」「鱗屑」。広義の魚類。
「蛤(はまぐり)」広義の魚類を除く貝類を始めとする軟体動物や甲殻類・棘皮動物の水産食用動物の総て。海産動物が全く出てこないという重要な伏線である。
「沈麝(じんじや)」沈香(じんこう)と麝香。「沈香」は狭義にはカンボジア産「沈香木(じんこうぼく)」を指す。東南アジアに植生するアオイ目ジンチョウゲ科ジンコウ属 Aquilaria の、例えば、アクイラリア・アガローチャ Aquilaria agallocha が、風雨や病気・害虫などによって自分の木部を侵された際に、その防御策としてダメージを受けた部分の内側に樹脂を分泌する。その蓄積したものを採取して乾燥させ、木部を削り取ったものを「沈香」と呼ぶ。原木は比重が〇・四と非常に軽いが、樹脂が沈着することによって比重が増し、水に沈むようになることからかく呼ぶ。原木は幹・花・葉ともに無香であるが、熱することで独特の芳香を放ち、同じ木から採取したものであっても、微妙に香りが違うために、僅かな違いを利き分ける香道において「組香」での利用に適している(以上はウィキの「沈香」を参考にした)。「麝香」はヒマラヤ山脈・中国北部の高原地帯に生息するジャコウジカ(鯨偶蹄目反芻亜目真反芻亜目ジャコウジカ科ジャコウジカ亜科ジャコウジカ属 Moschus のジャコウジカ類)或いはジャコウネコ(食肉目ネコ型亜目ジャコウネコ科 Viverridae のジャコウネコ類)の雄の生殖腺分泌体。包皮小嚢状の腺嚢を乾燥した暗褐色粒状物に約一、二%程度ばかり含有される高価な動物性香料。アルコール抽出により「ムスクチンキ」として高価な香水だけに利用される。近年、希少動物保護の立場から、香科用目的の捕獲は制限されており、殆んど同一の香気を有する合成香料で代用されている。芳香成分は「ムスコン」と呼ぶ。詳しくは私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 麝(じやかう) (ジャコウジカ)」及び「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 靈貓(じやかうねこ) (ジャコウネコ)」を参照。
「甚だ、怪しみて、悅びず」「内心は」ということである。
「古風の躰(てい)」「妹(いも)」という古代歌謡以来の語を用いているからであろう。
「さくとても蕊(しべ)なき花はあしからめ妹(いも)がひげあるかほのうるはし」「新日本古典文学大系」版脚注には、これは、本話がほぼ筋立てをそのまま使った原拠「五朝小説」の「諾皐記」の「大足初有士人云々」の中にでる、『「花ニ蘂無キハ妍(うつく)シカラズ、女ニ鬚無キモ亦醜シ。丈人試ミニ遣(もう)サバ、惣無(すべてなきもの)ハ未ダ必ズシモ惣有(すべてあるもの)ニハ如(し)カズ」という詩の翻案歌。蘂(花蕊)を髭に見立てたもの』とある。原拠本文を確認出来ないので、これ以上は踏み込むことが出来ない。悪しからず。
「えつぼに入《いり》て」「笑壺に入(い)る」は「思い通りになって大いに喜ぶ」ことを言う。
「腹をさゝげたり」腹を抱えて笑った。海老の後方に跳ねるさまをミミクリーしたか。
「司風(しふう)の長」「新日本古典文学大系」版脚注に、『風に関する事を掌握する官職』とする。原話に出ることが示されてある。
「迫戶(せと)」「瀨戶」に同じ。海峡。
「よこしま、なし」横暴なところは、ない。
「道びき」水先案内人。
「海府錄事」「錄事」は実際の記録等を職掌する官職を指す。海を司る龍王の竜宮王府のそれなので「海府」としたものであろう。
「魅(ばか)されたり」「化かされたり」。
「布(しき)さづけられて」「布(し)く」は「遍(あまね)く、勘案して、決め、治める」の意。天帝によって、日々の食料の量まで厳密に決められていて、自分(龍王)の好き勝手にはならない。正確には、過剰に食うことも、恣意的に減らすことも出来ないと言っているのであるが、前者はだめでも、後者は可能ということなのだろう。
「たとひ人といふとも天帝の定め給ふ數の外に、奢りて生類(しようるゐ)を食する時は、必ず、天の責めを受けて、禍ひあり。況や、我等、數の外に、漫(みだ)りに食する事、かなはず」ここは面白い。龍王は、人間よりも、ある種の格(系)の中に於いては低い地位にあるか、或いは束縛が大きいということになる。
「麞(くじか)の胎(はら)ごもり」鯨偶蹄目反芻亜目シカ科オジロジカ亜科ノロジカ族キバノロ属キバノロ Hydropotes inermis (朝鮮半島及び中国の長江流域の、アシの茂みや低木地帯に棲息する、体高四十五~五十五センチメートル、体重九~十一キログラムの小形のシカ)の胎児。
「猿のことり」「新日本古典文学大系」版脚注には、『「猿木取(さるのことり)手足の事なり」(新撰庭訓抄・五月返状)』とある。手羽先を好んで食う人間には残酷と批難する資格はない。
「兎の水鏡(みづかゝみ)」「新日本古典文学大系」版脚注には、『未詳。但し、「みずかがみ」には具の少ない汁の意がある』(出典「可笑記」)とある。
「五種の削物(けづり《もの》)」礼式用の料理で、青・黄・赤・白・黒の五色に見立て、乾き物の魚介五種を削って、器に盛ったもの。種類は一定しないが、普通は「鮑・鰹・鯛・蛸・海鼠」を用いる(小学館「大辞泉」に拠る)。
「七種の菓(くだもの)」「新日本古典文学大系」版脚注には、『未詳。通常は「五菓」とも。「五菓 ゴクハ〈李、杏、棗、桃。栗〉(書言字考)』などとある。
「䡄則(きそく)」「新日本古典文学大系」版脚注には、『亀足(きそく)か。魚鳥を刺した串の手に持つ部分を巻いた飾りのある紙や、折敷』(おしき)『の底のの紙で四隅を折り返したものなど』を言う旨の記載がある。
「花形」同前で、『花形をした亀足か』としつつ、『または銚子の口を蝶形に結んだ紙をも称した』とある。
「鳳髓(ほうずゐ)」同前で、『鳳凰の髄(骨の脂)』とする。
「獅子膏(《しし》かう)」同前で、『獅子肉の脂』とする。
「靑肪(《せい》はう)」同前では『未詳』とある。
「白蜜(はくみつ)」同前で『蜂蜜』とする。
「海陸(かいろく)」「陸」の「リク」は漢音、「ロク」は呉音。
「大《おほい》さ三尺あまり、色は、さながら、濃紫(こむらさき)にして、鬚、甚だ、長し」色と圧倒的大きさから、イセエビ属の最大種である十脚目イセエビ科イセエビ属ニシキエビ Panulirus ornatus であろう。当該ウィキによれば、成体の体長は五十センチメートルほどだが、体長六十センチメートル・体重五キログラムに達する個体も稀れに漁獲される。体つきは同属のイセエビ Panulirus japonicus に『似るが、頭胸甲に棘が少なく、腹節に横溝がない。頭胸甲の地色は暗緑色で、橙色の小突起が並ぶ。腹部背面は黄褐色で、各節に太い黒の横しまがあり、両脇に黄色の斑点が』二『つずつ横に並ぶ。第』一『触角は黒いが』、七『本の白いしま模様があり』、五『対の歩脚も白黒の不規則なまだら模様となる。第』二『触角や腹肢、尾扇などは赤橙色を帯びる。この様々に彩られた体色を「錦」になぞらえてこの和名がある。種小名 ornatus も「武装した」、「飾りたてた」という意味で、やはり体色に因んだ命名である』。『アフリカ東岸からポリネシアまで、インド太平洋の熱帯域に広く分布する。日本でも神奈川県、長崎県以南の各地で記録されているが、九州以北の採集記録は稀で、南西諸島や伊豆諸島、小笠原諸島でも個体数が少ない』。『サンゴ礁の外礁斜面から、礁外側のやや深い砂泥底に生息し、他のイセエビ属より沖合いに生息する。生態はイセエビと同様で、昼は岩陰や洞窟に潜み、夜に海底を徘徊する。食性は肉食性が強く、貝類、ウニ、他の甲殻類など様々な小動物を捕食する』。『分布域沿岸、特に島嶼部では重要な食用種として漁獲されるが、食味はイセエビより大味とされている。大型で鮮やかな体色から、食用以外にも観賞用の剥製にされて珍重され、水族館等でも飼育される』。グーグルの学名の画像検索をリンクさせておく。私は実物の剥製を何度か見たが、暗い紫色という印象が記憶にあって、この本文の叙述と齟齬がない。
「鈴(すゞ)の御崎(みさき)」珠洲岬(すずみさき)。能登半島の先を占める石川県珠洲市にある岬。その先端部にある金剛崎のこととも、その周辺の岬を含めた総称であるとも言われ、「金剛崎のこと」、「金剛崎・遭崎・宿崎のこと」、「禄剛崎・金剛崎・遭崎・のこと、「禄剛崎・金剛崎・長手崎のこと」とする説があり一致を見ない。国土地理院図では「金剛崎」の位置に「珠洲岬」と併記されており、「日本の地名がわかる事典」によれば、珠洲岬とは、能登半島の東端部を指す総称であるとしながらも、狭義には「金剛崎」をいうとあるとある。参照した当該ウィキに幾つかの岬の配置図がある。]