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2021/07/02

日本山海名産図会 第二巻 豊島石

 

Sansiuteksimaisi

 

Tesimasaikujyo

 

[やぶちゃん注:孰れも底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングした。キャプションは、第一図は「讃州豊島石(さんしうてしまいし)」、第二図は「同豊島細工所(てしまさいくしよ)」。]

 

   ○豊島石(てしまいし)

大坂より五十里、讃刕小豆島の邉(へん)にて、廻環(めぐり)三里の島山(しまやま)なり。「家の浦」・「かろうと村」・「こう村」の三村あり。「家の浦」は、家數(いへかず)三百軒斗り、「かろうと村」・「こう村」は、各(おのおの)百七、八十軒ばかり、中にも、「かろうと」より出づる物は、少し硬くして、鳥井・土居(とゐ)の類、これを以つて、造製す。さて、此の山は、他山にことかはりて、山の表より、打ち切り、堀り取るには、あらず。唯(たゝ)、山に穴して、金山(かなやま)の坑塲(しきくち[やぶちゃん注:ママ。「後の「敷口」と誤ったか。「あなば」であろう。])に似たり。洞口(とうこう)を開きて、奧深く堀り入り、敷口(しきくち)を縱橫(しうわう)に切り拔き、十町[やぶちゃん注:約一キロ九十一メートル。]、二十町の道をなす。採工(げざい)、松明(たいまつ)を照らしぬれば、穴中(けつちう)、眞黒(まつくろ)にして 石共、土とも、分かちがたく、採工(げざい)も、常の人色(にんしよく)とは異(こと)なり。かく、掘り入るることを、如何となれば、元、此石には、皮ありて、至つて、硬し。是れ、今、「ねぶ川」と号(なづ)けて出だす物にて【「本ねぶ川」は伊豫也】、矢を入れ、破(わ)り取るに、まかせず。ただ、幾重(いくへ)にも片(へ)ぎわるのみなり。流布(るふ)の豊島石は、その石の實(み)なり。故に、皮を除(よ)けて、堀り入る事、しかり。中(なか)にも、「家の浦」には、敷穴(しきあな)、七つ有り。されども、一山(いつさん)を越えて歸る所なれば、器物(きぶつ)の大抵を、山中に製して、擔(にな)ひ出だせり。水筒(てつゝ)、水走(みつはしり)、火爐(くはろ)、[やぶちゃん注:以上の三つの読点は底本のもの。]一つ𥧄(へつひ)などの類(るい)にて、格別、大いなる物は、なし。「がう村」[やぶちゃん注:ママ。]は漁村なれども、石も「かろうと」の南より、堀り出だす。石工(せきこう)は山下に群居(くんきよ)す。ただし、讃刕の山は、悉く、この石のみにて、弥谷(いやたに)・善通寺(せんつうじ)、「大師(だいし)の岩窟(いわや)」も、この石にて造れり。

○石理(いしめ)は、磊落(いしくづ)の、あつまり、凝(こ)りたるがごとし。浮石(かるいし)に似て、石理、麤(あら)きなり[やぶちゃん注:「麤」の字は実際には下部の「鹿」二つが「比」の字のように略されたもの。]。故に水盥(みづたらひ)などに製しては、水、漏りて、保つこと、なし。されども、火に觸れては、損壞せず。下野(しもつけ)宇都宮に出だせるもの、この石に似て、少しは、美なり。浮石(かるいし)は海中の沫(あは)の化(け)したる物にて、伊豫薩摩紀州相摸に產す。されば、此山も海中の島山(しまやま)なれば、開關以後、汐(しほ)の凝りたる物とも、うたがはれ侍る。「塩飽(しあく)」の名も、若(も)しは、「塩泡(しほあわ)」の轉じたるにか。○「塩飽石(しあくいし)」は御留山(おとめやま)となりて、今、夫れと号(なづ)くる物は多く、貝附(かひつき)を賞す。是れ、その邉(へん)の礒石(いそいし)にて、石理、粹米(こゞめ)のごとくにて、質(しやう)は硬し。飛石(とびいし)・水鉢(みずはち)・捨石(すていし)等(とう)に用ひて、早く、苔の生(お)ふるを詮(せん)とす。礒石(いそいし)は、波に穿(うが)たれて、碨(ゆが)み[やぶちゃん注:この漢字に比定したものの自信はない。]砢(くほ)み、異形を、珍重す。

[やぶちゃん注:「豊島石(てしまいし)」については、既に「石品」で注したが、再掲しておくと、香川県小豆島の西方にある豊島(てしま:現在、小豆郡土庄町(とのしょうちょう)に属する。グーグル・マップ・データ。以下同じ)から産出する岩石。安山岩の下にある凝灰角礫岩で、炉石・石灯籠などの細工石として用いる。

「廻環(めぐり)三里」海岸線長は十九・八キロメートルで、面積は十四・四平方キロメートル。

「島山(しまやま)」豊島の最高標高は壇山(だんやま)の三百三十九・六メートルで瀬戸内海の山では高い。

「家の浦」香川県小豆郡土庄町豊島家浦(てしまいえうら)

「かろうと村」旧唐櫃(からと)村。現在の小豆郡土庄町豊島唐櫃の北部。

「こう村」旧甲生(こう)村。小豆郡土庄町豊島甲生であるが、恐らくは、現在の豊島唐櫃の南部は旧甲生村の村域であったのではないかと私は考える。それはGeoshapeリポジトリ」「国勢調査町丁・字等別境界データセット」の「香川県小豆郡土庄町豊島唐櫃」を見たからである。

「鳥井」神社の「鳥居」のことであろう。

「土居(とゐ)」「どゐ」で、ここは、「建物や家具などの土台」のことであろう。

「敷口(しきくち)」江戸時代の鉱山の坑道入口をこう記した古絵図があるらしいことが確認できたが、この場合は、山肌を切り崩して、深い狭間を作り、そこに縦横に枝坑道を掘った、それぞれも坑道口を意味しているようである。

「採工(げざい)」当て訓。小学館「日本国語大辞典」に、「げざい」の見出しがあり、漢字表記を「下在」「下財」「外在」とし、最初に『鉱山の金掘』(かなほ)『り坑夫。特に江戸時代、佐渡の金山などで穴にはいって働く金掘師』(かなほりし)『をいった』とあり、語源説については、『地下の財宝の意か』の他に、『一種の技術があり、才があるところから、ゲイザイ(芸才)の略』ともあった。

「ねぶ川」根府川石。既注であるが、再掲すると、神奈川県小田原市南方の根府川駅から白糸川中流及び米神(こめかみ)にかけて採石される安山岩の石材名。この安山岩は箱根火山の古期外輪山を形成する溶岩の一部に相当し、東方の海岸方向に流出した溶岩流部分が採掘されている。鉄平石(てっぺいせき)と同じく板状節理が進んでいるために「へげ石(いし)」(「へぐ」は「剝ぐ」で「薄くはがす」の意)とも呼ばれ、古くから石碑・敷石・壁面装飾用の石材として利用されてきたが、現在では採石量が少ない。

『「本ねぶ川」は伊豫也】』「本ねぶ川」が本物の根府川石の意であるなら、根府川の地を出さないのはいいとしても、輝石安山岩でなくてはならない。「伊豫」、現在の愛媛県のそれは松山市周辺に安山岩地層が広がるが、それが江戸時代に「本根府川石」と呼ばれたという記載は見当たらない。それより、讃岐岩、所謂、「サヌカイト」(sanukite)の方が直ちに想起される。名称のもとである香川県坂出市国分台周辺や大阪府と奈良県の境にある二上山周辺で採取される、非常に緻密な古銅輝石安山岩で、固いもので叩くと、高く澄んだ音がすることから「カンカン石」とも呼ばれるものである。どうもよく判らない。

「水筒(てつゝ)」これは思うに、水を分配したり、永し落としたりするための、水道管や土管の類いで、「水筒(すいづつ)」であろう。ただ、この「水」のルビはよく判らず、彫りのミスが疑われ、「て」ではなく、「ゐ」のつもりで「すゐ」の「す」の彫り損ないかもしれず、あるいは「みづ」の「づ」の脱落した「み」の彫り損ないかも知れない(ここの右頁の七行目)。第二図の中央の大きな臼かと思ったそれは、加工している男が中に膝下まで入って削ろうとしているように見えるが、臼だったら、こんなに深く削り彫るはずはないとも感じた。長さが短いが、何らかの土管のように見えなくもない。豪華な水の流れを持った庭園では、前の「水筒」やそうしたジョイントの器具が必要であろうと考えた。そんな目で第二図を見ていると、何かそれらしい不思議な形のそれが見えるように私は感じた。

「水走(みつはしり)」これは所謂、筧のようなものか、或いは、厨の水場・シンク・洗い場のようなものかも知れない。第二図の左手手前の男の持つものが前者の筧らしく見え、右手の屋根付きの半開放型の作業場の中央の玄翁を振り上げた男の彫っているものが後者らしく見える。

「火爐(くはろ)」火を入れて暖を取るもの。ここは火鉢か。第二図の前注の男の前で、丁字の器具で削っているものが、一番、それらしく見える。

「一つ𥧄(へつひ)」コンパクトな小型の一つ竃(かまど)であろう。第二図の一番右手男が作っており、作業場の手前には既に完成品らしいものも見える。

「弥谷(いやたに)香川県三豊市三野町にある真言宗剣五山弥谷寺(いやだにじ)。弥谷山(標高三百八十二メートル)の中腹二百二十五メートル附近に本堂があり、その背後の岩盤には、創建時に千手佛が納められた岩穴が残り、山全体が霊山であるとの信仰があり、嘗ては日本三大霊場(他は恐山・臼杵磨崖仏)の一つに数えられたと伝えられる。四国八十八箇所霊場第七十一番札所。

「善通寺(せんつうじ)」香川県善通寺市善通寺町にある真言宗屏風浦五岳山誕生院善通寺(ぜんつうじ)。和歌山の高野山、京都の東寺とともに弘法大師三大霊場に数えられる。四国八十八箇所霊場第七十五番及び真言宗十八本山一番札所。弘法大師空海の誕生地ともされる。但し、窟らしきものは見当たらないんだけど?

「磊落(いしくづ)」本来は「石が多く集まること」であるが、ここは砕けた石屑の意のようである。

「麤(あら)き」「粗き」に同じ。

「塩飽(しあく)」塩飽(しわく/しあく)諸島(瀬戸内海の備讚(びさん)瀬戸の西部にある島々。現在は香川県に属する、広島・本島(ほんじま)・手島など、大小二十八の島から成る。瀬戸内海水運の要所で、中世には海賊・水軍の根拠地となった。ここ)に本拠地を置いた有力な一族に塩飽氏がおり、南北朝時代には南朝方海上勢力の一翼であった。ウィキの「塩飽諸島」によれば、『古代から海上交通の要衝で、潮流の速い西備讃瀬戸に浮かぶ塩飽諸島は、操船に長けた島民が住んだと考えられており、源平合戦における』「屋島の戦い」、「建武の新政」から離反し、『九州に逃れた足利尊氏の再上洛の戦い、倭寇などで活動したとする説があ』り、『戦国時代には塩飽水軍と呼ばれ、勢力を持っていたと考えられている』とし、『名の由来は「塩焼く」とも「潮湧く」とも言う』とある。

「塩飽石(しあくいし)」「文化遺産オンライン」のこちらによれば、現在、「塩飽本島(しわくほんじま)高無坊山石切丁場跡(たかんぼうやまいしきりちょうばあと)」が、史跡指定されている。『この史跡は本島町笠島の高無坊山』(ここ)『西部に位置し、尾根筋や谷筋には採石跡や残石が見られる。残石には作業組を表わす』五『種類の刻印があり、これらは種別ごとにまとまって分布している』とある。

「御留山(おとめやま)」江戸時代、林産物や動物を取ることを禁止された山。

「貝附(かひつき)」魚介類や珊瑚類などの化石の混入した粘板岩であろう。

「粹米(こゞめ)」砕けて粉のようになった米。

「捨石(すていし)」築庭に於いて、風致を添えるために、程よい場所に据えおく石。

「詮」「要点や眼目」或いは「効果」の意。

「碨(ゆが)み」底本のここ(左頁四行目)。この漢字が正しいとすれば、「石が平らでないさま」の意の熟語に使われているから、「歪む」といい意と親和性はある。他に広義の「石の様子」の意があるが、これでは何の意味も持たない。

「砢(くほ)み」この漢字は「蟠(わだかま)り結ぶ」の意があるが、「窪む」の意はない。不審。]

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