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2021/07/14

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (6) 三比事に書かれた特種の犯罪方法 一

 

      三比事に書かれた特種の犯罪方法

 

        

 

 櫻陰、鎌倉、藤陰三比事に描かれた犯罪方法に就て考へて見るに、これといふ珍らしいものはないけれど、中には多少奇拔なものがないわけでもない。奇拔なといつても西洋の探偵小說などを讀んだ眼から見れば何でもないけれど、兎に角、その當時では多少目新らしく思はれたにちがひない。尤も三比事の作者が實際にあつたことを物語としたか、或は、全く空想で拵らへあげたのかわからぬけれど、なるべく奇拔な謎を提出してそれに自然な、合理的な解決を與へようと欲したことは明かてあつて、このことは、今の探偵小說作家の態度と少しも變らないのである。

 さて、三比事を讀んで氣のつくことは、他人の迷信を應用する犯罪物語が、三比事のどれにも載せられてあることである。これはその昔實世界に於ても、極めて屢ば行はれた所であつて、現今に於ても盛んに行はれて居る。かの有名なロシアの怪僧ラスプーチンの犯罪はこの種のものに屬せしめてもよく、近ごろ日本ても和製ラスプーチンとか言つて騷いだことなどを考へ合せて見れば明かである。幽靈や八卦をだしにつかふ犯罪などは、人間の存在する限り、恐らくその跡を絕つまいと思はれる。私は左に三比事に描かれた三種の物語を紹介しよう。櫻陰比事に、『參詣は枯木に花の都人』と題して次の物語がある。[やぶちゃん注:「ラスプーチン」グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン(Григорий Ефимович Распутин/ラテン文字転写:Grigorii Efimovich Rasputin 一八七二~一九一六)はロシアの修道僧。ニコライⅡ世の皇后アレクサンドラの信頼を得て、宮廷内に絶大な権力をふるった。第一次大戦中に親独派と結んで講和を図ったとして、反対派の貴族に暗殺された。毒薬を盛られてもなかなか死ななかったり、所謂、怪僧のチャンピオンとも言うべき人物である。

「和製ラスプーチン」怪しい占い師飯野吉三郎(慶応三(一八六七)年~昭和一九(一九四四)年)は美濃国岩村藩士族出身の宗教家で、皇室や政界・軍人に取り入り、後に「日本のラスプーチン」と呼ばれた。当該ウィキによれば、若い頃に『父が病没し』、『早くに自立の必要に迫られたため』、二十『歳の時に上京した』。『その後、何を生業としていたかは不明であるが、しばらくしてから麹町に家を構え、占い師となった。元々大柄で独特の音声を発することから』、『話術に妙な説得力があり、占い師に向いていたという。やがて、同郷の』女子教育の先覚者で実践女子学園の基礎を築いたことで知られる『下田歌子』(嘉永七(一八五四)年~昭和一一(一九三六)年)『を頼り、その紹介で皇室や政界に食い込むようになる』。特に明治三七(一九〇四)年に「日露戦争」時の満州軍総参謀長『児玉源太郎の依頼に対し、日本海海戦での勝利を時間』・『場所まで正確に当てたことから、多数の貴顕の信任を得るようになる。それで得た金を』、実業家金原明善(きんぱらめいぜん)『と組んで満州へ投資し、これも当たったことから』、『莫大な財産を得る。それを元手にし、東京・穏田に』一千『坪の土地を購入し』、『ここに新興宗教団体「大日本精神団」を設立』した。『住居から「穏田の神様」「穏田の行者」ともいわれた』。しかし、大正一四(一九二五)年に「白木屋事件」や「旭事件」『などの詐欺事件に荷担していたとされ』、同年三月に『東京地検は飯野を起訴した』。『証拠不十分で不起訴となったものの』、『以前から乱行が噂されて』、『世間から見放されていたことも加わり、一気に信者が離れ、不遇な晩年を送った』。戦後になって、かの「大逆事件」の『でっち上げに関与していたことが明らかとなり』、『現在は「宗教家の名前を借りた香具師であった」というのが一般的な評価である。この事件とも関わりのある下田歌子とは愛人関係にあったという説もある』。『また、貞明皇后に取り入り、摂政皇太子(後の昭和天皇)の洋行を』「神からのお告げ」『として中止させようとしたという』。『飯野の持っていた人脈は外国人にとって魅力的であり、高宗』(朝鮮王朝第二十六代国王・後の大韓帝国初代皇帝)『や孫文』『も利用しようとしたことがある』とある。]

『昔、都の町より萬人信心して松の尾の奧山へ參詣《まふで》する事あり、旅僧《りよそう》こゝに庵を結び、諸病を一日の内に平癒いたさせけるとの取沙汰、次第に寵堂《こもりだう》建て續きてなほ奇瑞をあらはし、膝行《いざり》は立ちて歸る、啞《をし》は又ものいひ、聾《つんぼう》は人の言葉を通じさせ、之を藥師如來の如く申立て、晝夜《ちうや》人の山、谷は切草履《きれざうり》にして埋みぬ、其頃錢《ぜに》の相場のあがりしは毎日此所に散錢《さんせん》とまるゆゑぞ[やぶちゃん注:賽銭(さいせん)がここに溜まってしまうからだ。]と、兩替屋仲間に心をつける程なり、或時此法師のいへるは、我諸天に大願あり、これ皆衆生の爲なり、志《こころざし》成就するに就《おゐ》ては當山の諸木立枯《たちがれ》して、明《あけ》の春また原《もと》の葉色を顯すべしと語りぬ、此言葉に違《たが》はず、見え渡りたる梢自然《おのづから》枯木となれば、隨分賢き人もこれに疑《うたがひ》晴れて崇めければ、愚かなる人はなほ感淚を流しける、此坊主賣僧《まいす》にて最前の病人も仲間の慥《こしら》へもの、散錢取り込みよい程に立退く用意する時、山里は構はざりしに、麓の里人申しけるは此山の木にて海道筋の橋を先年より懸け來りたる所に、諸木立枯れして、末々の事心許《こころもと》なし、御法力にて舊《もと》の如くになし給へと、百姓多勢に催促せられ、俄かに立退く事も散錢のしまひ方なく、とやかく思案するうちに申上げられ、御前の沙汰になりて出家里人を召され、右の次第を御聞き屆け遊ばされ、それ草木《さいもく》も心ありて萬花《ばんくわ》の色を顯はし、梢蔓《はびこ》れば自然《しぜん》と國土の爲になるに、なんぞ若木を枯《から》す故なし、汝其以前は醫師の賣僧になれるなるべし、仔細は肉桂《につけい》[やぶちゃん注:双子葉植物綱クスノキ目クスノキ科ニッケイ属ニッケイ Cinnamomum sieboldii 。明治書院平成五(一九九三)年刊の「対訳西鶴全集」第十一巻「本朝櫻陰比事」の注に、『『本草綱目』に『呂氏春秋』・『雷公炮炙論』を引いて、肉柱はよく他木を害すとある』とある。]を立木の皮の中に籠らせ置けば、何によらず其の木の枯るゝといふ事を鍛鍊して[やぶちゃん注:習い覚えて。]、人の氣を取ること[やぶちゃん注:民草の人気を取ろうとした。]無用の企《たくみ》世の費《つひへ》なる曲者なり、世の仕置者なれども一度出家の形をいたせし身なれば、一命は助け置くなり、これより直ぐに丸裸になして五畿内を拂ふべし、散錢は少しも相違なく勘定を仕立て、これを九村として預け置き、永々道橋《みちはし》を懸け渡すべしと仰せ付けられける彼の法師御目がねに違はず、身を長羽織《ながばおり》[やぶちゃん注:当時の医師の服装。]になして伊勢の國山田にて朝脈《あさみやく》[やぶちゃん注:早朝に病人の家を回診すること。一般に主治医の代役が行った。]にまかりけるとなり。』[やぶちゃん注:原文は巻四の「參詣は枯木(かれき)に花の都人」で国立国会図書館デジタルコレクションのここで読める。]

 詐欺的奇蹟を應用して金錢を奪ふ犯罪は他人の迷信を應用する犯罪のうち最も普通なるものであるに拘はらず、現今に於ても依然として盛んに行はれて居るところを見ると、如何に人間といふものがあまく出來て居るかを知ることが出來る。『鎌倉比事』にも、『心を磨く寳珠の曇』と題し次の物語がある。[やぶちゃん注:以下の引用は底本では全体が一字下げになっている(一部ではそれがない)。国立国会図書館デジタルコレクションのそれでは、巻五の「㊁心(こゝろ)を磨(みがく)宝珠の曇(くもり)」である。]

『鎌倉藥師堂の谷《やつ》の邊《へん》に、淨密《じやうみつ》といふ獨り住みける僧あり。庵《いほり》の前に優曇華《うどんげ》の咲《さき》たりとて、近國在々所、聞つたへ聞きつたへ貴賤男女《なんによ》群集《ぐんしゆ》して是を見ること夥し。最明寺殿此よしを聞たまひ優曇華とやらは世に稀なる事にたとへたるに、今如何なるいはれによつて咲べしとも思はれずして、近弘《きんこう》上人を召して優曇華の事をたづねらる。上人申されけるは、抑《そもそ》も優曇華と申すは、此世界の人の壽《いのち》八萬歲の時にあたつて、轉輪聖王《てんりんしやうわう》とて須彌《しゆみ》の四州を領したまふ威德不思議の大王世に出給ふ。一千人の皇子《わうじ》を持ちたまひ七寶《しちはう》を身に帶し、不足なること一つもなし、國ゆたかに民賑ひ、風枝《かぜえだ》をならさず、雨つちくれを破らず、五穀は耕作せざるにおのづから地より生じて糠糟《ぬかかす》なし[やぶちゃん注:役に立たないものは一つもない。]。衣裳は枝にあらはれ裁縫といふふ事もなし輪王すなはち車に召されて須彌の四州をめぐりたまふに、大海の渚黃金の砂の上に三千年催して優曇華の開き出で、盛りは久しからず、干汐《ひしほ》に咲いて滿汐に散り候、かゝる仔細は人の知る事にあらずと言はれける時、扨そのうどんげは如何なる花の形にてか、木にて候や草にて候やと問れて此上人屹度とつまりて、それまでは覺えずとて御前を立てかへられたり。扨も麁末《そまつ》なる學者かなと笑ひたまひて、靑砥藤綱御會議[やぶちゃん注:原拠を見ると、『僉議(せんぎ)』の誤植である。]につかはされければ、芭蕉の花の咲きたるにて、今は大方散り果たりとぞ言上す。芭蕉の花の咲くことは珍らしければ、世の人是をうどんげといぴならはして、貴賤群集して見に來るも尤も之[やぶちゃん注:原拠を見るに、『也』の誤植。]とて何の御沙汰もなかりけり。爰に天水坊《てんすいばう》といふもの、都東山六道小野篁の夢想にさづかりし玉とて莊嚴《しやうごん》勿體《もつたい》よくこしらへ、此玉にむかひて一念のさんげし、念佛を唱へて目をひらきて、其身の玉にうつる姿を見れば、後世《ごぜ》の障《さはり》なき人は正しくうつる。又、未來の罪ふかき人は、其身逆《さかさま》にうつりて、現世において善惡の二つを見せしめたまふ。いよいよ極樂往生すべき人は報恩謝德の念佛を唱へ、罪ふかくして其身さかまさ[やぶちゃん注:ママ。「さかさま」の誤植。]にうつれる人は減罪生善《めつざいしやうぜん》のために念佛怠ることなかれ、かの地獄の主焰魔王の前にたておかるゝ淨破利《じやうはり》の鏡になぞらへ、善惡光明玉ともづけて、在々里々を經めぐりて老若男女ひとりづつかの玉に向ひて拜するに、始めをがみし人も逆樣にうつりしを後に拜みし人にかくし、後に拜せし人も逆さまになる事を始めの人にかくし、いづれも我ばかりこそ罪ふかくして逆さまにうつると、人は皆正《たて》にうつると、心から身を恥ぢて、かの僧に過分の布施を運び、滅罪の緣を結ぶ、かくすること一村に二日三日四日とは一所に居《ゐ》とまらず、その所を早く立のき、五里七里道をへだてたる在々所々へ立こえ、群集をさせても、所の守護よりとがめのない内に立さり、大分の金銀衣服を、ほしい顏もせずにむさぽり取る由、鎌倉へきこえて、武士をつかはし、この僧を召され、最明寺殿光明玉を御覽あるに、御形逆さまに見えければ、かの僧を强くいましめ給ひて仰せらるゝには、惣じて水晶の丸きにて人の形を見るときは逆さまにうつるもの也。畜生の形は眞正にうつる。これによつて狐狸の人に化たるには是をかゞみに見せて正すなり。皆よりて形を見よとて、御近習の衆御覽するに、いづれも形さかさまにうつり正にうつるは一人もなし、されば後生罪なき善人とて諸人を引導する僧の形を見せよとて、玉の前に引すゑさせ僧が顏を見るに、さかさまにぞみえにける。遂に由井ケ濱に引出し、首をはねられける。』[やぶちゃん注:「鎌倉藥師堂の谷」現在の覚園寺のある谷戸の旧名(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。覚園寺の前身である北条義時が私費を出して建立した大倉薬師堂があったことによる。なお、三人の僧が名で登場するが、聴いたことがない。皆、筆者の創作人物であろう。]

 水晶の丸きで人の形を見れば逆まに見え、狐狸の人に化たるを見ると正に見えるとんも最明寺殿の仰せは、もとより信を措くに足らぬけれども、例へば凹面鏡を『善惡光明玉』として使川するならば、前記天水坊のやつたやうな詐欺は出來る筈である。そして、この詐欺に於て、人間のデリケートな心理狀態、卽ち逆さまに映つたのを心が惡いからだと考ヘて、それを他人に語ることを欲せぬ性質が利用されて居るところは、頗る巧妙なものだと思ふ。若し詐欺方法を『上等、下等』て區別することが許されるならば、かういふ方法をこそ『上等詐欺』といふべきてあらう。詐欺については、後に詐欺を描いた文學を論ずる際に委しく述べるつもりであるから、こゝではこれ以上論じないが、いづれにしても、かうした犯罪は、今後の探偵小說の題材としても屢ば選ばるゝであらう。

 神佛の御告げと僞つて人に色々のことを言ひふらし、以て巧みに自己の貪欲を滿足せしめようとする犯罪も、迷信を應用した犯罪と見做して差支ないであろう。藤陰此事には『仙術を賣る志津山村の百姓』と題し次の物語がある。[やぶちゃん注:以下の引用は底本では、同じく全体が一字下げ。これは巻三の「㊄謀斗(ばうけい)の通(つう)を失ふ仙人」。ここと、ここと、ここと(見開き挿絵)、ここと、ここ。]

『乍恐言上仕候、私儀は志津山村《しづやまむら》の百姓良太夫と申者にて御座候、しかるに此志津山の麓の水海に、いつ頃よりか、ひらだぶねを浮べ、白髮なる老翁これに乘り、平生《へいぜい》釣を垂れ、詩歌をうたひたのしみ候體《てい》、さながら范蠡《はんれい》が五湖に竿さし風月に嘯《うそぶき》きたるも、かくやと奉存候たゞ人ならぬ有樣に、こゝろある百姓舟のほとりに近づき候へば、舟をはるかに退《しりぞ》け物言ひかはすもむづかしき風情に相見え候故、何人《なんぴと》と名を尋ぬるものなく候、推量仕るに仙人か神ほとけの變化《へんげ》かと存ずるばかりにうち過ぎ候所に、當村の百姓太郞兵衞と申す者、ある時酒をたづさへすゝめ候へば、こゝろよく酌《くみ》かはし、雜談常の人間にかはる事なく、それより折々かの舟にのりうつり、酒宴をもよほし、うちとけてかたり申され候は、某《それがし》は大和かつらぎ金峯山《きんぷせん》よし野大峯に年久しくこもり、神佛山道[やぶちゃん注:「山」は「仙」の誤植。]一致のさとりを開き、近年此湖水に逍遙す、されば此志津山の奧に楠《くす》の大木《たいぼく》の小影《こかげ》にほこら一つあり、これ此國の守《かみ》淺江備前守先祖靈屋《たまや》なり、一亂の後その子孫といへども知るものなし、過ぬる夜、此靈神《れいしん》形《かたち》をあらはして某に告げられしは、近き頃百五十年忌にあたりて、上天の果《くわ》ありといへども鬪諍《とうじやう》の餘執《よしふ》にひかれて、いまだ三熱《さんねつ》のくるしみをまねかれず、此たび神社を再興し、一宇の精舍を建立し、百石の田畠《でんぱた》を寄進し、永代法燈斷絕なく、すなはち某を開基の導師にたのむ由、子孫淺江備前に勸化《くわんげ》すべきよし、まのあたり告げられしなり、國の守もし違背あらば、淺江の家滅亡ちかきにありとかたり申され候を、右太郞兵衞承たるよし申候故、右の神社佛閣寺頷等、御寄進御建立仰せつけられ候はゞ、御國長久の瑞相《ずいさう》と奉ㇾ存候故、乍ㇾ恐御注進申上候以上

  月  日     志津村 十郞太夫判

 淺 江 大 守 樣

   御近習御披露

 大守聞し召し上られ、注進の所亦神妙なり、しかればその老人と太郞兵衞を召しつれまゐるべきよし、かしこまつて兩人を同道しけるに、老翁の體相《ていさう》いと殊勝に八字の眉霜ふり、縞衣《かうえ》に錫杖、かしらに雪つもり、役《えん》の優婆塞《うばそく》の木像いきてはたらくがごとく、寬々《くわんくわん》と[やぶちゃん注:いかにもゆったりと。]敷臺に安座す、大守仰出されけるは、其方は此淺江の家にいかなる筋目《すぢめ》ある人ぞと御たづねあれば、老人こたへて、お家に所緣《ゆかり》はあらずと申す、時に太守、然《しか》れば先祖の靈神《れいしん》、まさしく國の滅亡子孫斷絕せん事を告げんとならば、ゆかりある某を始め、譜代忠臣の者、血脈《けちみやく》相續の者にはいかなれば遠慮して、ゆかりなき其方に神社建立の望みをたのむベきや、さらに承引するにおぼつかなし、まづその方《はう》佛者ならば玄々微妙《げんげんみみやう》の道理を說《とく》べし、もし正法《しやうぼふ》は文字《もんじ》によらずといはゞ平話《へいわ》の一句を聞かん、若《もし》又仙人ならば雲に乘り地をくゞる通力《つうりき》を一見すべし、もし又神道不測《しんだうふそく》の奧義に達せば、その玄談《げんだん》を聞べし、さなくば形をつくり、愚者をたぶらかすの僞者《いつはりもの》たるべし、まつすぐに白狀せざるにおいては、水火の呵責にかけて問《とふ》べしと仰られければ、老翁俄にふるひ出し、夢物がたりをあれなる太郞兵衞に、ちよつといたし候ばかりにて御座候、もとより夢のことなれば、何かやくたい御座あるべし、わたくしは新言祕密護摩の灰のかしらなれば、首の儀は御たすけと申せば、大郞兵衞も取持たる同罪に、五ケ國追放せられけるとなり。』[やぶちゃん注:「志津山村」岐阜県揖斐郡揖斐川町志津山があるが、ここに出る「淺江備前守」というのは判らない。前者がモデル地であるとしても、揖斐川直近ではあるが、湖水は今は見当たらない。「ひらだぶね」「艜船」「平田船」「平駄船」は、上代から近世に至るまで、大型の川船(かわぶね)として貨客の輸送に重用された吃水の浅い細長い船。上代から中世までは複材刳船形式が用いられ、近世以降は比較的薄板で作った平底の構造船形式に発展し、特に利根川・荒川筋で使われた上州艜・川越艜が代表的。船型や大きさにより中艜船・似(にたり)艜船・茶船造艜船・修羅艜船などの呼称がある。但し、挿絵のそれはいかにもな小さな舟である。「三熱」仏語。熱風や熱砂で皮肉や骨髄を焼かれる苦、悪風が吹き起こって居所や衣飾などを失う苦、金翅鳥(こんじちょう)に子を食われるそれの三つの激しい苦しみ。]

 この外に、櫻陰比事に、『煙に移氣の人』と題し、山伏が奇蹟を示して人々を斯く犯罪があるが、以上の三つの例によつて、その當時に於ける迷信利用の詐欺がどんなものであつたかを略《ほ》ぼ知ることが出來ると思ふ。何となれば、たとひ作者の空想の所產であるとはいへ、小說はある程度迄、時代の反映と見て差支ないからである。[やぶちゃん注:「煙に移氣の人」は巻五の七。「けぶりにうつりぎのひと」と読む。国立国会図書館デジタルコレクションのここから読める。]

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