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2021/07/26

「南方隨筆」版 南方熊楠「詛言に就て」 オリジナル注附 (5)

 

 印度のトダ人水牛の牧場を移す式に司僧(パロール)の助手童(カルトモク)を詛ひ次に忽其詛を除く事有り。一寸爰に述べ得ぬから、Rivers, ‘The Todas,’ 1906, p. 140 に就いて讀め。同書一九四―六頁に、クヲテンの妻パールデンと通じ夫を愛せぬ故、クヲテン怒つて奸夫を殺さんとて逐ひ廻るを見て、クヲテンの母パールデン荊棘に鈎けられて留まれと詛ふと、果たして棘に留められたところをクヲテンが殺した。パールデンと同村の住民クヲテンを懼れ、皆立退き老夫婦一對のみ殘る。クヲテン襲ひ來るを見て詛ふと、クヲテンは蜂に螫殺され、其從類は石と成たと有る。スマトラのバツタス族は、子を生まぬのは他人に詛はれた故と信じ、所謂詛ひを飛去しむる式を行ふ。先づ子無き女「ばつた」三疋牛頭と水牛頭と馬頭に見ゆるものを神として牲を献じ、扨燕一羽を放つと同時に、詛ひが其燕に移つて鳥と共に飛去しめよと祈るのだ。(Frazer, ‘The Golden Bough,’ 1890, vol. ii, p. 150)

[やぶちゃん注:底本では、ここでは、改行が施されてある。

「トダ人」Toda。トダ族。インド南西部カルナータカ州のマイアル川とバワニ川に挟まれたニルギリ丘陵(グーグル・マップ・データ)に住む少数民族。ドラビダ語系の言語を話すが、形質的には北方インド系で、皮膚は暗褐色、背が高く、がっしりしている。水牛と牛の放牧をして、粗放な酪農を行う。文化的にはきわめて保守的で、周辺民族と往来しながらも、同化されず、古来の習俗を保っている。彼らの社会は二つの内婚的集団から成り、各々が幾つかの外婚的父系氏族に分れる。幼児結婚が普通であり、一妻多夫婚がみられ、数人の男性、普通は兄弟が一人の妻を共有する。妻が妊娠すると、夫たちの一人が彼女に玩具の弓と矢を贈る。これが生れてくる子の父親の公示である。宗教は、水牛酪農の行事を中心とする特殊な儀礼を持っている。古くはイラン高原付近に居住したが、インド北部を経て、現住地へ移入してきたという説もある(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。一時は人口が数百人に減少したが、文化政策で、現在は千七百人ほどに増加した。

「司僧(パロール)」原文 oalol (斜体表示)。

「助手童(カルトモク)」原文 kaltmokh (同前)。

「Rivers, ‘The Todas,’ 1906」イギリスの人類学者・民族学者・神経内科及び精神科医であったウィリアム・ホールス(ハルセ)・リヴァース(William Halse Rivers 一八六四年~一九二二年)が書いたトダ族の民族誌。彼は一九〇一年から二〇〇二年にかけて六ヶ月ほど、トダ族と交流し、彼らの儀式的社会的生活に関する驚くべき事実を調べ上げ、本書はインド民族誌の中でも傑出したものと評価され、専門家からも人類学的な「フィールド・ワークの守護聖人」と称讃された(英文の彼のウィキに拠った)。Internet archiveで原本が読め、ここが「140」ページで、呪いの話は「143」まで続いている。しかし、当該原文を読んでも、原著者自身がこの呪詛をかけて、指定された小屋に禁足され、而してそれを解く理由は十全には理解されていないように読め、すぐ南方熊楠が具体に示すのを略したのはそのためかと思われる。私は一種の、古いこの地の生贄の習慣の名残、或いは、精霊を確かに呼び出すための方便(依代としてのそれ。助手の童子カルトモクというのはまさに親和性の強さを感じる)としての呪いのようには思われる。

「同書一九四―六頁」ここから。詛言部分の事実は眉唾だが、これはトダ族の一妻多夫制の中で生じる、男の嫉妬による「ペイバック」的な、半意識的な母子による殺人としての現実的興味の方にそそられるものが、私にはある。

「スマトラのバツタス族」現在の表記はBatak で、バタック族。但し、引用元のフレーザーの「金枝篇」では、Battasと綴ってある。インドネシアのスマトラ島北部のトバ湖周辺の高地に住むプロト・マレー系先住民。人口約 三百十万と推定される。バタック語はオーストロネシア語族の西インドネシア語派に属する。水稲・陸稲・ヤムイモ・サツマイモなどを作る農耕民で、水牛・牛・馬も飼育し、また、湖で漁労にも従事する。十九世紀までは比較的孤立していたが、まず、イスラム教が、次いでキリスト教が伝えられた。しかし、古くからインド文化の影響を受けてきたことは明らかである。バタック族は、現在、幾つかの下位集団(トバ・アンコラ・カロ・マンダイリン・パクパク・シマルングンなど)に分れており、アンコラ・マンダイリン・シマルングンにはイスラム教が普及しているが、トバ・カロ・パクパクでは十九世紀以降、キリスト教が信仰されてきている。以前は、トバの村は一つの外婚制父系親族集団から成立していた。母の兄弟の娘との婚姻が優先され、妻与者側と妻受者側の各リニージ(lineage:出自集団の一種で、成員間の系譜関係が相互に明確な場合のみを言う語)間に贈り物と祭宴が交換される。このような親族体系は、二元的世界観と結びついており、相続は父から息子になされ、長子と末子が優先される。祖先崇拝も行われ、女のシャーマンや男の呪医・祭司がいる(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。

「スマトラのバツタス族は、子を生まぬのは他人に詛はれた故と信じ……」南方熊楠の示す当該年の「金枝篇」第二巻の同年版原本がInternet archiveで見つからないため、所持する岩波文庫の一九六七年改版の永橋卓介訳「金枝篇」の第四冊目から引用する。

   《引用開始》

 スマトラのバタク族は、「飛び去らせる呪詛」という一つの儀式を行なう。女に子が生まれない場合には、牛の頭、水牛の頭、馬の頭になぞらえて、三匹のキリギリスを供犠して[やぶちゃん注:形態相似の類感呪術であるとともに貴重な家畜を代替する意味があろう。]神々に供える。それから呪詛が島の上に落ちて一緒に飛び去るようにという祈禱と共に、一羽の燕を放してやるのである。ふつう人間の住まいに入って来てすまうことを求めない動物が、家の中へ入って来ることは凶兆だとマレー人は考えている。野鳥が人家へ飛びこんで来た時には、ていねいにそれを捕えて油を塗ってやり、ある言葉を繰り返しながら空へ放ってやらねばならぬとされているが、繰り返される言葉の中で家主の一切の不運と災厄を負うて飛び去れと命じるのである。古代ギリシアでも、女たちは家の中で捕えた燕を同様に取り扱ったらしい。すなわちそれに油を灌いで飛ばせてやるのであったが、明らかにその家庭から不幸を取り去るのが目的であった。カルパチアのフズル人[やぶちゃん注:ヨーロッパ東部のチェコ東端及びスロバキア北部から弧状に湾曲して、ルーマニア中部に至るカルパチア山脈に住む一族らしい。]は、湧き水で顔を洗いながら、「燕よ、燕よ。私のソバカスをとって健康な色の頰にしておくれ」と言えば、その春になって見る最初の燕にソバカスを移すことが出米ると信じている。

   《引用終了》]

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