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2021/07/23

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (8) 詐欺騙盜を取扱つた文學(晝夜用心記と世間用心記)

 

      詐欺騙盜を取扱つた文學(晝夜用心記と世間用心記)

 

 櫻陰、鎌倉、藤陰三比事が『探偵』の面白さを目的として書かれたといふよりも、むしろ教訓を目的として書かれたものであることは言ふ迄もないことであるが、それと同じくその時代に書かれた騙盜小說も、やはり、教訓小說の一種と見倣すべきである。私はこれから、三比事と同時代の騙盜小說として名高い『晝夜用心記』(寶永四年[やぶちゃん注:一七〇九年]刊行)と、『世間用心記』(寶永六年刊行、最初儻偶(てれん)用心記と言つた。)との二種に就て述へようと思ふが、『晝夜用心記』は、『櫻陰比事』の著者たる井原西鶴の弟子北條團水の著はす所であり、『世間用心記』は『鎌倉比事』の著者月尋堂の著はす所てあつて、團水も月尋堂ち、共に數多くの敎訓小說の作者である。例へば團水には、『武述張合大鑑』『日本新永代藏』などの述作があり、月尋堂には『今樣二十四孝』、『子孫大黑柱』などの述作があつて、これ等の小說は、いづれも『敎訓』を主として居るのである。[やぶちゃん注:「儻偶」は仲間内で上手く相手を騙す「手練手管」を弄する集団の意であろう。]

 すてに、書名となつて居る『用心』といふ言葉そのものからでも敎訓の意味は察し得られるが、兩書の序文を見ればなほ一層明かである。卽ち『晝夜用心記』には、湖西繁平《こにししげへい》といふ人が、[やぶちゃん注:以下、底本では引用は全体が一字下げ。]

『此晝夜用心記全部六册は、鳳城團粹居士醉中の戯れに書捨てられしを撮萃《とりあつ》めて一帙と成せり、大槪《おほよそ》世間に謀計子《かたり》といふ者、僞をたくみ辯舌もつて人を誑《たぶら》かし、金銀を掠め奪ひし方便《てだて》、古今の間語り傳へしを、三十六種に書きつらねたり。這裏《このうち》虛あり實あるべし、只民家用心の爲に記して、眞僞覺悟の種に編める者也』[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションで大正四(一九一五)年珍書会刊の活字本が読める。「序」はここ。]と序し、『世間用心記』には、定延といふ人が、

 『儻偶(てれん)とは頭のことか、それは天邊《てへん》ぞや、何のことぞ、答へて申しける、凡《およそ》こと葉は折からの童謠にて、ふしは替れど事の道理はちがはず、古き神の代も、慮《はか》りに計りゐましける、釋迦も方便に脇腹から生れ、孔子も斯く事なかれと敎へ、大和歌には二《ふた》おもてを、なら坂の兒手《このて》がしはにたとへ時雨にくらべし僞り名を、末《すゑ》の諺《ことわざ》にだますといへり、かたられしといへり、うつむけにしやるのといひ、一ぱいくはした、ちやかしたと申す、其名儀(めうぎ)の飜譯かぞへるに盡きずちかき此頃よろはちらてんといへば、てれんと中略し、いふも聞くも、てれんの心は通ひぬ、かならず大鼓のひゞきにあらず、また三味線《さみせん》かぶる鼠《ねづみ》にあらず、あたまの黑い儻偶子《たばかり/てれん》に用心し御座せとや。』[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで江戸中期の板行本が読め、ここからが序である。「飜譯」は原本を見ると(右頁一行目)、「飜釈」とあり、しかも読みが「おんしよく」と読める。当て訓で、私には腑に落ちる。まさに当て読みして、掟破りにいろいろと呼び方が変わってきたことを言っているのだから、激しく腑に落ちるのである。最後の「儻偶子《たばかり/てれん》」も原本の左右の読みを添えたものである。]

と序して居る。

 然し乍ら、こゝでいふ『敎訓』といふ言葉は必ずしも勸善懲惡の意義を有しては居ない。何となれば、詐欺を取り扱つた小說の大部分は、詐欺の方法そのものが興味の中心となつて居て、詐欺師は逮捕されもしなければまた罰せられもしないからである。この取扱ひ方は、現今の探偵小說にもその儘應用せられ、詐欺小說の讀者は、詐欺の方法が巧妙であればある程痛快を感じ、詐欺にかけられた方の人に同情するものはめつたに無いのである。だからうつかりすると、詐欺小說を讀んだものは、自分も同じやうな方法を實地に試みて見ようかここといふ惡心を起さぬとも限らず、敎訓小說が却つて『惡』を鼓醉[やぶちゃん注:ママ。「鼓吹」の誤り。]する役をつとめる場合がなきにしもあらずである。この點に於て詐欺を取扱つたこれ等の小說は、探偵小說として、より現代的であるといふことが出來るのである。たとへば、兩用心記の中の物語をその儘現代語に飜譯しても探偵小說として相當なものが出來、又、歐米の現代の騙盜小說の中には、兩用心記の物語の内容と頗る似て居るものがある。それ故、櫻陰、鎌倉、藤陰の三比事が、探偵小說として頗る幼椎なものであるに反して、兩用心記は、探偵小說としては比較的優れた價値を持つて居るのである。

 

      兩用心記の比較

 

 櫻陰、鎌倉、藤陰の三比事が、支那の棠陰比事の影響を受けて居ることは既に述べたところであるが、晝夜、世間兩用心記もまた、支那の騙盜小說、『杜編新書』、『騙術奇談』などと、その趣を同じうして居るのである。晝夜用心記には總計三十六の物語があり、世問用心記には總計三十の物語があつて、その書き方は大たいに於て似寄つたものであるが、取扱はれて居る材料には多少の差異がないでもない。一口に言ふと晝夜用心記の物語は、殆ど皆、金錢又は物品を詐取する話であるが、世間用心記には、金錢又は物品を詐取する話以外に、所謂手練手管を取り扱つた人情話が澤山あつて、中には殺人などを取り扱つた探偵小說まではひつて居るのである。

 文章の巧拙に至つては、私にはよくわからぬけれど、世間用心記が頗る凝つた筆の運び方をして居て、よく味つて見てはじめてその意味がわかるに反して、晝夜用心記の方はすらすらとした筆の運び方で、すぐその意味がわかる。今左に兩者の文章を比較するために短い物語を一つ宛引用して見ようと思ふ。

[やぶちゃん注:以下、底本では全体が一行下げ。国立国会図書館デジタルコレクションの画像ではここから。]

 

        御祈禱申せば大吉院(晝夜用心記)

『本石町に唐津屋とて、虎の生膽、白象の鼻油《はなぶら》、蠟虎《らつこ》の毛貫袋《けぬきぶくろ》、天龍の涎《よだれ》、一切の珍物、阿蘭陀、東京《とんきん》、三韓の藥種、此店に無いものはどこにもなし。ある時若黨草履とり挾箱持《はさみばこもち》めしつれたる侍、此見世に腰かけて、朝鮮人參極上々を見たきよし、吟味のうへ、當年は殊の外り高直は合點にて此店にある程の高、髭折《ひげをれ》七十三兩[やぶちゃん注:二キロ七百三十五グラム。「髭折」は髭根を綺麗に除去したものを指すか。]、所々見合はする中、是よきに極まれば、皆召さるべし。代金は念のため一往旦那へ披露の上相渡すべし。則ち亭主の弟八之丞同道して、挾箱に入れさせ、屋敷へあゆみける其比目黑臺座町《だいざまち》の裏店《うらだな》に、大吉院とてかくれもなき祈禱者、うせ物、待人、相性、門出、今晴明《いませいめい》と大看板をかけて、萬《よろづ》見通しの大法印あり。此行者《ぎやうじや》へ八之丞をともなひ、法印に對面して、きのふ物がたりいたしたる氣違、只今めしつれ參りたり。約束のごとく先づ一七日御留置き、加持祈念賴み申したし。當座の御初尾《おはつを》として銀貳枚さしだしさて病人まゐれといへば、かの八之丞をつれて出るとき、興さめ顏になつて申すやう私事病氣の覺えなし、人參の代銀取りにまゐりたれば、御渡しなされよといふに、此侍すこしも驚く氣色なく、此四五日人參人參と、晝夜口はしり候といへば、法印つくづくうちながめ、此亂氣上性《じやうしやう》より起ると見えたり。氣違ひは力つよくものぞ。林學坊、不動坊、愛染坊と手をたゝけば、かけ出《で》のあら山伏四五人出て、右左よりすがり、すこしもはたらかせず、先づ護摩の壇をかざらせて、佛眼金輪五壇《ぶつげんこんりんごだん》の法、五大虛空藏八字《ごだいこくうざうはちじ》の法、金剛童子繫縛《こんがうどうじけばく》の法、たとへいかなる生靈死靈《いきりやう しりやう》、狐狸の障碍なりとも、急々に去れ去れと、鈴錫杖《れいしやくじやう》をおつとり、飛びあがり踊りあがり、既に祈禱はじまれば、侍は皆々御大儀《おたいぎ》賴み存ずと暇乞して歸りける。かくて二夜三日汗水になつて祈りけれども、さらにしるし無かりければ、法印をはじめ各《おのおの》退屈して、一休みこそ休みけれ。時に八之丞淚をはらはらとながし、まことの氣違よと、いづれもかたりにあらはれたり。此上は法印も同類の訴人仕るべしと、かけ出すを引きとゞめ、段々樣子を聞き屆け、かの藥種屋へうかゞひけるに、一昨日より弟歸らざるにより只今公儀へ罷出る所へ此仕合《しあひ》。法印は相盜《あひすり》のいひわけは立ちぬれどもその侍の行方《ゆくへ》たしかならざるを、わづかなる賄《まひなひ》にふけり、理不盡の仕方、數珠袈裟頭巾までを人參代に賣立て、唐津屋へ晦日ばらひ。』

 餘談ではあるが、昨年五月八日發行の‘The Detective Magazine’に R.  Ajayezといふ人が、『一時的發狂』と題して、全くこれと同じ趣向の探偵小說を發表して居る。ある美しい婦人が醫師をたづねて、私の良人はダイヤモンド商であるが、近頃大損したゝめに、少し氣が觸れて、ダイヤモンドのことばかり言つて居ますので、明日連れて來るからどうか診てやつて頂たいといふ。翌日その女は約東の時間よろ少し早く醫師をたづねて應接室に待つて居ると、一人の男がはひつて來て、御注文のダイヤモンドの頸飾を持つて來ましたといつて渡す。女はそれを受取つて代は主人が拂ふからといつて診察室へ行き、醫師に向つて良人をつれて來たから診てやつてくれといつて男を案内する。醫師は、大うくうなづいて男に向つて色々質問する――その問答の場面が頗る滑稽である。遂に二人が女の詐欺にかゝつたことを發見したときには女はもはや逃げた跡である。卽ち彼女は醫師の妻として頸飾を寶石商なるその男に註文し、醫師に向つては寶石商の妻だといつて、まんまと頸飾を詐取したのである。この物語の作者は、恐らく、二百年も前の日本の物語に同じ趣向のものがあるとは氣附かなかつたのであらう。いや、或は何かゝら傳へきいて飜案したのかも知れない。[やぶちゃん注:以下、前と同じく底本では全体が一字下げ。以下は早稲田大学図書館「古典総合データベース」の方の巻二にある。PDF14コマ目から。]

 

       身は祝ひがら宵待戎(世間用心記)

『世になき物は野郞の脇差に小づか、はかまきた坊主、名の立たぬ若後家、女はどれも同じ事を、かみきりと言へばこのもしがる、氣のまへな人心《いとごころ》、しがや辻のまるぎんちやくとて、終によめ入りもせで、一そくがみの細元《ほそもと》ゆひ、仕出しごかしの、つられ女、大豆板御用ならば、仰せつかはさるべし、こゝに天外町二丁目、八まんや矢右衞門後家、夫にはなれて跡しき大ぶんの身代、いかな。少しもくつろがせず、金銀は飴に似たり、細う長う延びる棚おろし、ことしは七𢌞忌、梅月佳春信士のため御代官所へ、御ことわりを申し、當所仕合橋《しあはせばし》、福德ばし、よひまつ橋、右三ヶ所のはし板、ふしの拔穴を見つくろひ、あやうきを取換へ申したきおもむき、是いく萬人枚の行來《ゆきき》も心やすく、よろこぶ功德、大きなる追善なり、しかし右の橋いづれも、八年このかたに、上より丈夫にかけ渡され、さのみ破損に及ぶまじ、同じくは、よの橋の大破を見立て、造作仕れとの上意。かへし申すもはゞかり乍ら、橋は勢至菩薩の御背中、ふみ行くあしのおそれ、覺えぬ人のつみとがや、夫存生のとき、あさゆふ此三つの橋を、見つくろひ、二まい目の板を兩むかひながら、取りかへける、此後家の兄、大佛師しうけい方へ、六まいの板を取りこみて、細工手ぎはを見せて仕合戎《えびす》、福德戎、宵待戎、と橋の名をよび付に取つて、しかも十月二十日に賣出しける時節の持ちこみよく、商人前後を爭ひ買ひもとめける、是れ名は祝ひがら、人は氣のまへに迷ふをつもつて、目出度い橋の名の、板きれにて、戎を作りて、賣出すために、七年忌までを取りこして、手れんのたねとなしぬ、後は六枚の橋えびすを、皆賣りしまひてあらぬ木の、えびすもそれなりけりに賣つて、とほる人檢《あらた》むるべきしるしもなく、知らぬが佛、正直のかうべに、いたゞく人によろこび來り、賣物はずゐぶん利をとれば、何よりの事。』

 これなどは、むしろ、人をだまして金を儲ける方法を敎へるやうなものである。その當時は勿論のことであるが、現今でも、これに似た方法を講じたならば、きつと成功すること請合である。

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