譚海 卷之四 房州きさらづ・丹後橋立の事
○房州きさらづ海中に井五箇所有。浦に近き所なれば常に汲(くみ)つかふ事也。潮の中ながら湧出(わきいづ)るゆゑ、淸水にして潮まじる事なしとぞ。又丹波國天のはしだてにも松原の際に井有、左右は海にして淸水潮の氣ある事なしとぞ。
[やぶちゃん注:「海中」はママ。不審に思いつつ調べたところ、やはり海中ではなく、海辺でもない、内陸である。「君津市」公式サイト内の『山本(やまもと)の「殿の下井戸」』に、この千葉県君津市の『山本には』、十四『町歩の水田を潤していた市の沢の水源不足対策と農業環境保全のために、昭和』六二(一九八七)『年掘削の自噴井戸が』五『カ所あります』。『かつてこの地には、現在の木更津市下郡』(☜:ここ。グーグル・マップ・データ。以下同じ)『字湯名谷とまたがり、里見氏の臣下、山本由那之丞の居城がありました』(「千葉懸誌」大正二(一九一三)年刊)。『今でも「東殿の下」「殿の下」などの小字名が残っており』、五『カ所の自噴井戸の内』、『「殿の下」にある』二『カ所の井戸は、「殿の下井戸」』(ここ)『と呼ばれています』。『この井戸は、完成後から』三『年ほどで生活用水として利用され始め、地元約』五十『戸の生活になくてはならないものとなりました。井戸は深いもので地下』六百『メートルもあり、水量は毎分』百五十『リットルから』四百『リットルで、無色無臭の豊富な地下水が』二十四『時間湧き出ています』。『現在、この井戸水は、地元の生活用水や農業用水に利用されているだけでなく、市内はもとより、遠くは東京都内からも汲みに来る人が増えています。また、最近ではゲンジボタルが確認できるほどに自然の再生がみられ、小・中学生のホタル狩の風情も垣間見ることもできます』、『自然の恵みに感謝する地元の人々の気持ちから、水天宮(水神様)の短柱が設置されている山本の「殿の下井戸」は、上総掘りによる「久留里の自噴井戸」と同じく本市の貴重な「水」の遺産です』とある。掘削は現代だが、恐らくは江戸時代には、その原型となるものがあったのであろう。
「丹波國天のはしだてにも松原の際に井有」「磯清水」として知られている。ここ。現在は引用不可で、私は手だけを洗った。]
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