フォト

カテゴリー

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 僕の愛する「にゃん」
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の Pierre Bonnard に拠る全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

無料ブログはココログ

« 「南方隨筆」版 南方熊楠「詛言に就て」 オリジナル注附 (4) | トップページ | 「南方隨筆」版 南方熊楠「詛言に就て」 オリジナル注附 (5) »

2021/07/26

日本山海名産図会 第二巻 田獵品(かりのしな) 鷹

 

田獵品(かりのしな)

   ○鷹(たか)

 

Takatori

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングした。キャプションは「張切羅をもつて鷹を捕(はりきりあみをもつてたかをとる)」。本文に書かれた特殊な狩猟法である。ダミーの蛇形(へびがた)を糸で操作して、上の網の中央に杭で結い附けた生きた鵯鳥(ひよどり)を脅し、それを見た鷹が餌にせんと襲いかかったところを描いて(この絵はその瞬間を捉えたととる。ただ、上の網の底は暗くごちゃついていて、無論、鷹に搦めさせる漆塗りの針をつけた竹というのもどれやらわからぬ点は、遺憾で、後注するが、右の猟師の部分にも描き込みに不審がある)、非常に興味深いものである。なお、標題の「田獵」(たらふ)は、「田」は「田野」で、「野に出でて狩りをすること・その狩り・狩猟」の意。]

 

甲斐山中(やまなか)・日向・丹後・伊豫等(とう)に捕るもの、皆、小鷹(こたか)にして、大鷹は、奧州黒川・上黒川(かみくろかは)・大澤・冨澤(とみさは)・油田(あぶらた)・年遣(とつかひ)・大爪(おほつめ)・矢俣(やまた)等にて捕るなり。しのぶ郡(こほり)にて捕る者、凡て「しのぶ鷹」とはいへり。白鷹(おほたか)は朝鮮より來りて、鶴・雁(かん)を撃つ者、是れなり。鷹を養ふ事は、朝鮮を原(もと)として「鷹鶻方(ようこつはう)」と云ふ書、あり。故に本朝仁德天皇の御宇、依網屯倉(よあみみやけ)の阿珥(あひ)、古鷹を獻せしに、其の名さへ知り給はざりけるを、百濟の皇子(こうし)酒君(さけのきみ)、「是れは朝鮮にて『倶知(くち)』と云ふ鳥なり」とて、韋緡(ふくさ)・小鈴(こすゞ)を着けて得馴(ならしえ)て、百舌野遊猟(もすのゆうれう)に、多く雉子を捕る故に、時人(ときひと)、其の養鷹(やふかひ)せし處を号(なつ)けて、「鷹甘邑(たかいのやう)」と云ふて、今の住吉郡(すみよしこほり)鷹合村(たかあひむら)、是れなり。されば、我國に養ひ始めし事、朝鮮の法を傳へりと見へたり。○捕り養(か)ふ者は、凡そ、巢中(すちう)に獲りて、養ひ馴れしむ。其の中(なか)に伊豫國小山田(おやまた)には、羅(あみ)して捕れり。此の山は土佐・阿波三國に跨たがりたる大山(たいさん)なり。されば、鷹は、高山を目がけて、わたり來たるものなれば 必ず、此の山に在り。凡そ、七、八月の間、柚(ゆ)の實の色、付きかゝる折りを、渡り來(く)るの期(ご)とす。

○「羅ははり切羅」といひて、目の廣さ一寸、或、二寸、すが糸にても、苧(お)にても作る。竪(たて)、三、四尺、横二間[やぶちゃん注:約三・六五メートル。]許りなるを張りて、其の下に、「提灯羅(てうちんあみ)」とて、長三尺ばかり、周徑(わたり)一釈斗の、もめん糸の羅に、鵯(ひよとり)を入れ、杭に結い付、又、其の傍らに、木にて作りたる、蛇の形(なり)の、よく似たるを、竹の筒に入れて、糸をながく付けて、夜中(やちう)より仕かけ置き、早天(さうてん)に、鷹、木末(こすへ)を出でて、求食(あさる)を見かけ、「しかき」の内より、蛇の糸を引きて、鵯のかたを目かけ、動かせは、恐れて、騷立(さはた)つを見て、鷹、是れを捕らんと、飛び下(お)りて、羅にかゝる。両方に着けたる竹の釣(は[やぶちゃん注:ママ。「はり」の脱字か。])に、漆(うるし)をぬりて、能く走る樣に、しかけし物にて、鷹、觸るれば、自(おのづか)ら、縮(しゞ)まり寄りて、鷹の纏(まと)はるるを、捕ふなり。此の羅を張るに、窮所(きうしよ)ありて、是、又、庸易(ようい)のわざにはあらず、といへり。其の猟師、皆、惣髮(さうはつ)にして、男女(なんによ)分かちかたし。冬も麻を重ねて、着(ちやく)せり。○此(こゝ)に捕る鷹、多くは、鷂(はいたか)、又、ハシタカともいひて、兒鷂(このり)の䳄(めん)なり。逸物(いちもつ)は、鴨・鷺をとり、白鷹(おほたか)に似て小也。其の班(ふ)、色々、有り。○かく、捕り獲(え)て後、「山足緖(やまあしを)」・「山大緖(やまおほを)」を差すなり。何(いづ)れも、苧(お)を以つて作る。尤も足にあたる処は、揉皮(もみかわ)を用ひ、旋(もとをり)は、竹の管、又は、鹿の角にて制(つく)る。小鷹(こたか)は、紙にて、尾羽をはり、樊籠(ふせご)に入れて、里に售(ひさ)く。○他國、又、奧州の大鷹は「巢鷹(すたか)」と云ひて、巢より、捕らふあり。其の法、未詳(つまひらかならず)。○餌(え)は、餌板(えいた)に入れて、差し入れ、飼ふ。○大鷹は尾袋(おふくろ)・羽袋(はふくろ)を、和らかなる布にて、尾羽(おは)の筋(すし)に、一處(ひとどころ)、縫ひ附ける。其の寸法、尾羽の大小に隨がふ。

○以捕時異名(とるときによりて、なを、ことにす)

「赤毛」【一名「䋄掛(あうけ)」「初種(わかくさ)」「黄鷹(わかたか)」。是れ、夏の子を、秋、捕りたるを云也。】・「巢鷹(すたか)」【巢にあるを捕りたるなり。】・「巢𢌞(すまはり)」【五、六月、巢立ちたるを捕りたるなり。】・「野曝(のされ)鷹」【「山曝(やまされ)」「木曝(こされ)」とも云。十月、十一月に捕りたるなり。】・「里落鷹(さとおちたか)」【十二月に取る物の名なり。】・「新玉鷹(あらたまたか)」【正月に捕りたる也。】・「佐保姬鷹(さほひめてう)」【「乙女(をとめ)鷹」「小山鴘(こやまかへり)」とも云ふ。二、三月に取りたる也。】・鴘(かへり)【山野にて毛をかへたるを云ふ。「片かへり」とは、一度、かへたるを云ふ。二度、かへたるを、「諸(もろ)かへり」と云ふ。】。

○鷹懷(たかをなつける)

獲(ゑ)たるまゝなるを「打ちおろし」といふ。是れに人肌の湯を以て、尾羽・觜(はし)の𢌞り、餌(え)じみなどを、能く洗らひ、觜・爪を切り、足緖(あしを)をさして、「夜据(よすへ)」をするなり。「夜据」とは、「打おろし」の、稍(やゝ)、人に馴れたるを視候(うかゞ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])ひ、夜(よる)、塒(とや)を開き、燈(ともしび)を用ひず、手に据へて、山野を徘徊し、夜(よ)を經(ふ)るについて、燈を※(かすか)に見せ[やぶちゃん注:「※」=「凵」の中に「※」。「幽」の異体字。これ(グリフィスウィキ)。]、又、夜(よ)をかさねて、次㐧にちかくす。是れは、若始(としはじ)めに、火の光りに驚かせては、終(つひ)に癖となりて、後(のち)に、水に濡れたる羽(は)を、焚火(たきひ)に乾かすこと、成りがたき爲め也。其の外、數多(あまた)、害あり。さて、「夜据」、積りて、鷹、熟(くつろ)き、手、ふるひ、身、せゝりなどして、和らぎたるを見て、「朝据(あさすへ)」をするなり。是れは、未明より、次㐧に、朝を重ねて、後に、白昼に、野にも、出だせり。其の時、肉、よくなり、野鳥(のとり)を見て、目かくる心を察し、かねて貯へし小鳥を見せて、手𢌞りにて、是れを捕らせり。但し、其の小鳥の觜(はし)をきり、あるひは括(くゝ)る也。是れは、鷹を、啄(ついば)み、聲を立てさせさるが、爲めなり。若(も)し、聲立(こへたて)などして、鷹、おどろけば、終に癖となるを、厭へばなり。是れを「腰丸觜(こしまるはし)をまろばす」とは云へり。此の鳥、よく取り得たる時は、暖血(ぬくち)【肉のこと也。】を、少し飼ひて、多くは飼はず。多く飼へは、肉、ふとりて、惡(あ)しし。尚、生育に心を附けて、肥へる、瘦せる、又は、羽振(はふり)・顏貌(かんほう)などの善𢙣(せんあく)、或いは、大鷹は、眸(ひとみ)の小さくなるを、肉のよきとし、小鷹はこれに反し、又、屎(うち)の色をも考へ、能く調はせて【是れを、「肉をこしらへる」といふ也。】、「飛流(とびなかし)」の活鳥(いけとり)を飼ふ【「飛流し」とは、鳥の目を縫ひ、野に出でて、高く飛はせて、鷹に羽合(はあはせ)するなり。目をぬふは、高く一筋に飛ばさんが爲め也。】。是れを、手際よく取れは、夫(それ)より、山野に出でて、取り飼ふなり。

○巢鷹は、巢より取りて、籠のうちに艾葉(もくさ)・莵(うさぎ)の皮を敷きて、小鳥を、細かに切りて、あたへ、少しも、水を交じへず。○初生を「のり毛」「綿毛」共云。又、「村毛」・「つばな毛」と、生育の次㐧あり。尾の生(ふ)を以つて、成長の期(ご)として、一生(ひとふ)・二生(ふたふ)を見する、といふなり。三生(みふ)に及べば、籠中(こちう)に架(ほこ)をさすなり。初めより、籠に蚊帳をたれて、蚊の螫すを厭ふ。又、雄(お)を「兄鷹(せう)」といひ、雌(め)を「弟鷹(たい)」といひて、是れをわかつには、輕重をもつてす。輕きを「兄(せう)」とし、重きを「弟(たい)」とす。又、尾羽(おは)、延び揃ひかたまりたる後は、足緖(あしを)をさして、五日ばかり、架(ほこ)につなぎ、靜かに据へて、三日ばかり、㳀湯(ぬるゆ)[やぶちゃん注:「㳀」は「淺」の異体字。]を浴びするなり。若(も)し、浴びざれば、ふりかけて、度(と)を重(かさ)ぬ。縮(しゞま)りたる羽を伸ばし、尚、前法のごとく、活鳥(いけとり)をまろはして、後には、常のごとし。

○鷹品大概(たかのしなたいがい)

角鷹(おほたか)【「蒼鷹」「黄鷹」ともいふ。】・「波廝妙(はしたへ)」【「弟(たい)」とも「兄(せう)」とも見知りがたきを云。】・「鶻(はやぶさ)」【雄(お)なり。形。小也。】・「隼(は)」【雌(め)なり。形、大(おほい)なり。仕(つ)かふに用之(これをもちゆ)。】・「鷂(はいたか)」【雌(め)也。】・「兄鷹(このり)」【鷂の雄(お)也。】・「萑鷂(つみ)」【「𪄄」とも書きて、品(しな)、多し。「黑―」・「木葉―」・「通―」・「熊―」・「北山―」、いづれも同品なり府をもつて別かつ。】[やぶちゃん注:ダッシュは前掲字の省略。後も同じ。]・「萑𪀚(しつさい)」【「ツミ」より小也。】・「鵊鳩(さしば)」【「赤※(あかさしば)」[やぶちゃん注:「※」=(上)「治」或いは「冶」+(下)「鳥」。]。「靑―」・「底―」・「下―」・「裳濃(すそご)―」。】・鷲(わし)【全躰(せんたい)、黑し。年を經て、白き府(ふ)、種々に変ず。哥に「毛は黒く眼は靑し觜(はし)靑く脛(あし)に毛あるを鷲としるべし」。】・「鵰(くまたか)」【全躰、黒し。尾の府、年を經て、樣々に變ず。哥に「觜黑く靑ばし靑く足靑く脛に毛あるをくまたかとしれ」。】其の外、品類、多し。○任鳥(かふり)【「まくそつかみ」「くそつかみ」。】惰鳥(よたか)も種類なり。

[やぶちゃん注:以下、全体が底本では一字下げ。]

「大和本草」云、『「鷹鶻方(ようこつはう)」を案ずるに、鷹の類(るい)、三種あり。鶻(はやぶさ)・鷹・鷲なり。今、案ずるに、白鷹(おほたか)・鷂(はいたか)・角鷹(くまたか)は鷹なり。』。○隼(はやぶさ)・鵊鳩(さしは)は鶻(こつ)なり。○鷲・鳶等(とう)は鷲なり。鷹(よう)・鶻(こつ)の二類は、敎へて、鳥を取らしむ。鷲の類ひは敎しへて鳥を取らしめず。又、諸鳥は、雄(お)、大(おほ)いなり。唯、鷹は雌(めん)、大いなり。此の事、中華の書にも見たり。尚、詳かなることは、原本によりて見べし。此(こゝ)に略す。

 

[やぶちゃん注:「鷹」は新顎上目タカ目 Accipitriformesタカ科 Accipitridae に属する鳥の内で、比較的、大きさが小さめの種群を指す一般通称である。作者は、後半で明らかに現在のそれらの中の幾つかの種をも挙げている。さらに、同一種でも鷹飼いの過程の中での個体差や経年による異名も挙げており、なかなかに面白いのだが、それが、また、かなり圧縮された形で書かれてあるため、種を同定比定することは、これ、鳥類の素人である私などには、聊か難物である。ともかくも、私は思うに、作者は寺島良安の「和漢三才図会」の膨大な鷹類や鷲類の叙述を参考にしていることは間違いないと思われる。幸い、私は既にブログでそれらを総て電子化注してある。以下である。

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鷹(たか)

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鷂(はいたか・はしたか) (ハイタカ)

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 雀鷂(すすみだか・つみ) (ツミ)

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 隼(はやぶさ) (ハヤブサ・サシバ)

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 角鷹(くまたか) (クマタカ)

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鵰(わし) (鷲(ワシ)類)

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鶚(みさご) (ミサゴ/〔附録〕信天翁(アホウドリ))

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鳶(とび) (トビ)

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鷸子(つぶり・つぐり) (チョウヒ・ハイイイロチョウヒ)

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鵟(くそとび) (ノスリ或いはチョウゲンボウ)

但し、その総論部である最初に挙げた「鷹」だけでも、「まず、参照されたい」と言うのが気が引けるほど、異様に長いので、相応の覚悟をして貰わないと、途中でお挫け遊ばされるかも知れないということは、一言、言っておかねばなるまい。

「田獵」

「甲斐山中(やまなか)」山梨県南都留郡山中湖村山中附近ととっておく(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「奧州黑川」特定不能。一番大きな地域名なら、宮城県黒川郡がある。但し、黒川や上黒川の地名は現行では、ない。

「上黑川(かみくろかは)」特定不能。山形県酒田市上黒川はあるが、その西に下黒川はあっても、黒川は、ない。

「大澤」山形県最上郡真室川町大沢か。

「冨澤(とみさは)」山形県最上郡最上町富澤か。

「油田(あぶらた)」地名としては、非常に多数、存在し、特定不能。ウィキの「油田(曖昧さ回避)」を参照されたい。

「年遣(とつかひ)」不詳。

「大爪(おほつめ)」不詳。

「矢俣(やまた)」旧茨城県猿島郡八俣村(やまたむら)はここだが(今昔マップ)、ここかどうか不明。この前までは東北だとすれば、違う。

「しのぶ郡(こほり)」陸奥国・岩代国(現在の福島県)にあった古代からの郡名。現在の福島市の大部分が相当する。

「白鷹(おほたか)」タカ目タカ科ハイタカ属オオタカ Accipiter gentilis 。本邦における鷹類の代表的種で、古今、「鷹」や「鷹狩りの鷹」といえば、オオタカを指すことが多いから、ここでもメインのそれは本種を想定してよい。但し、本和名のもとは「大鷹」(タカ科では中型の種である)ではなく(現行はそう書くことが多いが)、「蒼鷹」が元で、羽の色が青みがかった灰色をした鷹を意味する「蒼鷹(あをたか)」が訛ったものである。また、作者は「朝鮮より來りて」などと言っているが、「日本書紀」の記載にかぶれたものであろう。北アフリカからユーラシア大陸及び北アメリカ大陸にかけて分布し、日本列島でも、南西諸島・南方諸島を除く全域にもともと分布している。但し、ウィキの「鷹狩」によれば、江戸時代、鷹狩用の鷹は、『奥羽諸藩、松前藩で捕らえられたもの、もしくは朝鮮半島で捕らえられたものが上物とされ、後者は朝鮮通信使や対馬藩を通じてもたらされた。近世初期の鷹の相場は』一据』(すゑ(すえ):鷹の序数詞)『十両』、『中期では』二十~三十『両に及び、松前藩では藩の収入の半分近くは鷹の売上によるものだった』とはある。

「鷹鶻方(ようこつはう)」高麗(九一八年~一三九二年)時代から李王朝(李氏朝鮮:一三九二年から一八九七年。大韓帝国として一九一〇年まで存続)時代に複数の異本が製作された鷹養(おうよう)の特殊実用書。「鶻」はタカの一種であるハヤブサやクマタカを指す漢字。国立国会図書館デジタルコレクションの画像で、訓点附きの「新增鷹鶻方」(李爓(りえん)編・寛永二〇(一六四三)年南輪書堂板行本)が読める。また、サイト「大阪大学学術情報庫」のこちらで、二本松泰子氏の手になる「韓国国立中央図書館蔵『鷹鶻方 全』全文翻刻」(『日本語・日本文化』二〇一三年三月発行)がPDFでダウン・ロード出来る。

「仁德天皇の御宇、依網屯倉(よあみみやけ)の阿珥(あひ)、古鷹を獻せしに……」「日本書紀」の仁徳天皇四十三年(三五五年)九月の条。

   *

四十三年秋九月庚子朔。依網屯倉阿弭古捕異鳥。獻於天皇曰。臣每張網捕鳥。未曾得是鳥之類。故奇而獻之。天皇召酒君示鳥曰。是何鳥矣。酒君對言。此鳥之類多在百濟。得馴而能從人。亦捷飛之掠諸鳥。百濟俗號此鳥曰倶知【是今時鷹也。】。乃授酒君令養馴。未幾時而得馴。酒君則以韋緡著其足。以小鈴著其尾。居腕上、獻于天皇。是日、幸百舌鳥野而遊獵。時雌雉多起。乃放鷹令捕。忽獲數十雉。是月。甫定鷹甘部。故時人號其養鷹之處。曰鷹甘邑也。

   *

 四十三年秋九月(ながつき)庚子(かのえね)朔(つきたち)、依網屯倉(よさみにみやけ)の阿弭古(あびこ)、異(あや)しき鳥を捕へて、天皇(すめらみこと)に獻(たてまつ)りて曰(のたま)はく、

「臣(やつかれ)、每(つね)に網を張りて鳥を捕へど。未だ曾つて是の鳥の類(たぐひ)を得ず。故(かれ)、奇(あや)しみて、之れを獻らむ。」

と。

 天皇、酒君(さけのきみ)を召したまひて、鳥を示して曰はく。

「是れ、何(いか)なる鳥ぞ。」

と。

 酒君、對(こた)へて言(まう)さく、

「此の鳥の類(るゐ)、多(さは)に百濟に在り。馴(なつ)け得ば、能く人に從ひて、亦、捷(と)く飛びて、諸鳥を掠(かす)む。百濟の俗(ひと)、此の鳥を號(な)づけて『倶知(くち)』と曰ふ【是れ、今の時の鷹なり。】。」

と。

 乃(すなは)ち、酒君に授けて、養ひ馴けしむ。

 未だ幾時(いくばく)ならずして、得馴くことを得しむ。

 酒君、則ち、韋(をしかは)・緡(あしを)を以つて、其の足に著け、小鈴を以つて、其の尾に著けて、腕(ただむき)の上(へ)に居(す)ゑて、天皇に獻る。

 是の日、百舌鳥野(もずの)に幸(いでま)して、獵り、遊ばす。

 時に、雌雉(めきぎす)、多く起(た)つ。乃ち、鷹を放ちて、捕へしむ。忽ち、數十(あまた)の雉を獲りつ。

 是の月。甫(はじめ)て鷹甘部(たかかひべ)を定む。故、時の人、其の、鷹を養(か)へる處を號(なづ)けて、鷹甘邑(たかかひむら)曰ふ。

   *

作者は「韋緡(ふくさ)」(「袱紗」?)と読んでおり、昭和六(一九三一)年岩波書店刊黒板勝美編「日本書紀  訓讀 中卷」では、「韋緡(をしかはのあしを)」と一語で読んでいるが、これは「韋(をしかは)」は「鞣(なめ)し革」で、「緡(あしを)」は「細くて見えにくい釣り糸」の意であろう、というサイト「古事記をそのまま読む」の「上代語で読む日本書紀〔仁徳天皇(1)〕」の注に従って訓じておいた。そこで、「依網屯倉(よさみにみやけ)の阿弭古(あびこ)」については、『「依網(よさみ)」が氏、「屯倉(みやけ)」が名で、「阿弭古(あびこ)」が姓』とされ、『「依網阿毘古」は』『摂津国・住吉郡・大羅【於保与佐美〔おほよさみ〕】』『が本貫か』と注されている。「酒君」は講談社「日本人名大辞典」によれば、百済の王族の一人で、この二年前の仁徳天皇四十一年に紀角(きのつの)が百済に遣わされた際、角に対して無礼をはたらいたために捕えられ、日本に護送されたものの、その後、罪を許されて、ここにあるように、鷹の飼育を命じられて、鷹甘部(たかかいべ)の始祖となったとある。「百舌鳥野(もずの)」は現在の伝仁徳天皇陵とされる大山陵古墳を含む百舌鳥(もず)古墳群のある一帯に比定される。「鷹甘部(たかかひべ)」大化前代からあった職業部。鷹養部とも書く。狩猟のための鷹と犬の飼育・調教及び放鷹に従事した。彼らの居地は大和・河内・摂津・近江にあったが、全体を統轄する伴造(とものみやつこ)は見当たらず,地域ごとの伴造に率いられたようである。近江の伴造は「鷹養君」という君(きみ)姓であった(平凡社「世界大百科事典」ニに拠る)。作者は「住吉郡(すみよしこほり)鷹合村(たかあひむら)」とする。これは現在の大阪府大阪市東住吉区鷹合(たかあい)附近であろう。

「伊豫國小山田(おやまた)」愛媛県松山市小山田。しかし、ここを出しておいて、突然、直後に「此の山は」として「土佐・阿波三國に跨たがりたる大山(たいさん)なり」(これはマクロな四国山地を指している)というのは掟破りも甚だしい謂い方である。

「柚(ゆ)」柚子。ムクロジ目ミカン科ミカン属ユズ Citrus junos の実が黄色く色づく秋である。

「すが糸」絓糸。縒りを掛けずに、そのまま一本で用いる生糸。白髪糸(しらがいと)。

「苧(お)」「お」は歴史的仮名遣の誤り。苧績紡(をうみつみ(おうみつみ))ぎの網。苧(からむし:イラクサ目イラクサ科カラムシ属ナンバンカラムシ変種カラムシ Boehmeria nivea var. nipononivea)の繊維を撚り合わせて網糸にしたもの。

「鵯(ひよとり)」スズメ目ヒヨドリ科ヒヨドリ属ヒヨドリ Hypsipetes amaurotis

「しかき」「鹿垣」で「しかぎ」或いは「しかぎ」と読み、鹿などが来るのを待つ猟師が、自分の身を隠すために、立ち木に横木を渡し、柴などを結びつけたもの。挿絵では、右の糸を操っていると思しい男の向こう側に、それらしい柴らしきものが見えるのだが、蔀関月にしては、珍しく遠近感を誤ってしまっていて、おかしい。頗る惜しい。

「惣髮(さうはつ)」歴史的仮名遣は「そうはつ」でよい。男の結髪の一つ。額の上の月代(さかやき)を剃らず、全体の髪を伸ばし、頂で束ねて結ったもの。また、後ろへ撫でつけて垂れ下げただけで、束ねないものもいう。江戸時代、医者・儒者・浪人・神官・山伏などが多く結った髪型。挿絵の男がほっかむりの後ろから、垂れ下がったそれが描かれてある。

「鷂(はいたか)」「ハシタカ」タカ目タカ科ハイタカ属ハイタカ Accipiter nisus 。「疾(はや)き鷹(たか)」が語源であり、それが転じて「はいたか」となった。嘗ては「はしたか」とも呼ばれていた。また、元来、「ハイタカ」とは「ハイタカ」の♀のことを指す名前で、♀とは体色が異なる♂は「コノリ」(ここで出る「兒鷂(このり)」)と呼ばれた。「大言海」によれば、「コノリ」の語源は「小鳥ニ乗リ懸クル意」であるという(当該ウィキに拠った)。個人的には好きな鷹の一種である。和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鷂(はいたか・はしたか) (ハイタカ)を参照されたい。

「䳄(めん)」雌鳥(めんどり)。

「逸物(いちもつ)」行動性能の優れた個体。

「班(ふ)」斑紋。

「山足緖(やまあしを)」「山大緖(やまおほを)」「足緖」は鷹狩りに使う鷹の足につける紐のこと。足革(あしかわ)とも言うから、後者はその厳重なものか。飼育係氏のサイト「フクロウのいる家」の「大緒(おおお)の製作_結びかた」を参照されたい。

「旋(もとをり)」前記リンク先から考えるに、紐を固定する大事な部分を指すか。

「紙にて、尾羽をはり」自ら、飛び立った際に、距離を延ばすことが出来ないようにするためか。

「樊籠(ふせご)」「樊」(音「ハン」)には「鳥籠」の意がある。

「餌板(えいた)」細い板の上に餌を置いて、駕籠を開けずに入れるための細い板状の餌やりの板か。

「尾袋(おふくろ)」鷹の尾を傷めないようにするために懸ける生絹(すずし)の袋。

「羽袋(はふくろ)」恐らくは、前注と同じく、損傷や逃走を防ぐための両主翼へ被せるそれであろう。

「赤毛」「䋄掛(あうけ)」「初種(わかくさ)」「黄鷹(わかたか)」若い鷹のことであろう。

「野曝(のされ)鷹」「山曝(やまされ)」「木曝(こされ)」「十月、十一月に捕りたるなり」生まれて三か月以内に捕らえた若鷹。一説に、秋を過ぎて冬に捕らえた鷹。「のざれの鷹」「のざらし」と、小学館「日本国語大辞典」にあるのに一致する。

「里落鷹(さとおちたか)」タカ科サシバ属サシバ Butastur indicus との親和性を少し感じる和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 隼(はやぶさ) (ハヤブサ・サシバ)を参照されたい。

「新玉鷹(あらたまたか)」これは種ではなく、言祝ぎとして広汎に使うものであろう。

「佐保姬鷹(さほひめてう)」「乙女(をとめ)鷹」、前の年の新春に生まれた若鷹を獲って、鷹養用に訓練した、その時の、或いはそれから修業をして一年目に達したものであろうか。春を司る処女の「佐保姫」に通じさせたものであろう。

「小山鴘(こやまかへり)」の「鴘」の音「ヘン」で、原義は「二歳の鷹」及び「二歳の鷹の持つ羽の色」の意。但し、「こやまかえり」(「小山帰」とも書く)は、鷹用語で、前年に生まれた若鷹が翌春になっても、羽毛がまだ完全に抜け変わらないこと。また、その若鷹のことを指す。

「鷹懷(たかをなつける)」「なつける」は「手馴づける」であろう。

「打ちおろし」鷹養用語で「訓練を始めたばかりの鷹」。後に転じて、「修行を始めたばかりの者」の意となった。

「餌(え)じみ」鷹の摂取した餌で汚れた染み。

「塒(とや)」鳥屋(とや)。塒(ねぐら)。ここは飼育小屋。

「肉、よくなり」体幹の肉付きが良くなって。

「目かくる」「目掛くる」。

「手𢌞りにて」鷹匠の手ずから。

「聲立(こへたて)などして」ここは「鷹匠自らが、餌をやるのに、声を発したりなどしてしまうと」の意であろう。

「腰丸觜(こしまるはし)をまろばす」不詳。識者の御教授を乞う。

「屎(うち)」読みの由来不詳だが、「くそ」「まり」で、鷹の体の内(うち)より出る排泄物の謂い。小学館「日本国語大辞典」にも、『鷹の糞(ふん)』とある。これは飼育上の大事な観察物である。鳥は大小便の排泄は分離せず、総排泄腔から総てが排出されるから、それを調べることは、鳥個体の体内の状態を知るに、最も重要なものとなる。先の二本松泰子氏の手になる「韓国国立中央図書館蔵『鷹鶻方 全』全文翻刻」(サイト「大阪大学学術情報庫」のこちらから入手出来る)にも(三〇ページ三行目。訓点に従って書き下した)、『鷹の鷹鶻の屎(うち)に長(なか)き虫(むし)あるは、狼牙(らうけ)草を以つて水に煎(せん)して灌(そゝ)き下す。或は細末して食に和(まつ)る』とある。「狼牙草」とは、恐らくバラ目バラ科バラ亜科キジムシロ属ミツモトソウ Potentilla cryptotaeniae (水元草:中文表記「狼牙委陵菜」。「本草経」に「狼牙」で載る)と思われる。

『「飛流(とびなかし)」の活鳥(いけとり)を飼ふ【「飛流し」とは、鳥の目を縫ひ、野に出でて、高く飛はせて、鷹に羽合(はあはせ)するなり。目をぬふは、高く一筋に飛ばさんが爲め也。】。是れを、手際よく取れは、夫(それ)より、山野に出でて、取り飼ふなり』「目を縫」うというのは、ちょっと残酷な感じだが、恐らくは、片方だけをそうしたのかも知れない。但し、さんざん探したが、ネットでは縫うという記載は見当たらない。ただ、遮眼するのは片目ではないか。立体視で視野が広がると、本能的に索敵・索餌のために下界を見渡して高く飛ばないのではなかろうか。「中森康之ブログ」の「羽合:人鷹一体」に、『鷹狩り用語に「羽合」(あはせ)というのがある』として、大塚紀子著「鷹匠の技とこころ-鷹狩文化と諏訪流放鷹術」(白水社刊)から以下を引用されておられる。『「羽合」は日本の鷹匠の独特な猟法の一つで、鷹に加速をつけてやるために、拳から鷹を獲物に向かって投げるように押し出すことをいう』とあり、さらに『鷹と鷹匠が呼吸を合わせて、これをうまく成功させたときの技の境地を「人鷹一体」といい、これが、鷹匠が追求する究極の感覚である。(略)カモ猟などで鷹匠が十分に寄せたのち、絶妙の頃合いで羽合が成功したとき、それはまるで自分の拳が伸びたかのように感じられ、鷹の動きが線を描くかのように明確に見えて一瞬で捕らえることができる場合がある。この時の感覚は「羽合拳」といわれる』とある。ちょっと私の推理とは異なるけれども。

「艾葉(もくさ)」ヨモギ属ヨモギ変種ヨモギ Artemisia indica var. maximowiczii

「のり毛」「糊毛」或いは「載り毛」か。ぺたっとしたそれか。

「村毛」「叢毛」であろう。

「つばな毛」さらに毛先が突き出始めて、「茅(ちがや)」(単子葉植物綱イネ目イネ科チガヤ属チガヤ Imperata cylindrica 。花期は初夏(五 ~六月)で、葉が伸びないうちに葉の間から花茎を伸ばして、赤褐色の花穂を出す。穂は細長い円柱形で、葉よりも花穂は高く伸び上がり、花茎の上部に葉は少なく、ほぼまっすぐに立つ。小穂は基部に白い毛がある。花は小さく、銀白色の絹糸のような長毛に包まれて花穂に群がり咲かせ、褐色の雄しべがよく目立つ。当該ウィキに拠る)の穂の綿毛のようになるということであろう。

「尾の生(ふ)」恐らくは、斑(ふ)で、翼のそれと区別するために言っているように思う。尾羽の先の方に目立つ縞状の斑点模様は、主翼のそれらよりも寧ろ目立つように思われる。

「架(ほこ)」太い止まり木。別に「鷹槊」と書いて「たかほこ」と読ませる。

『雄(お)を「兄鷹(せう)」といひ、雌(め)を「弟鷹(たい)」といひて、是れをわかつには、輕重をもつてす。輕きを「兄(せう)」とし、重きを「弟(たい)」とす』小学館「日本国語大辞典」の「しょう」(セウ)「兄鷹」と見出して、『小さい鷹。また、おすの鷹。しょうたか。⇔弟鷹(だい)』とあり、「和名類聚抄」に載るので、中古にはあった呼称である。補注があって、『鷹は、めすが大きく、おすが小さいので、おすの鷹を「小」といい、これに「兄」をあてたといわれるが、一方、「妹(いも)」に対する「兄(せ)」に関係づけて説明する説』『もある』とある。私はまさに一読、直ちに後者の説と同じ感じを持った。後の方にも出る通り、「鷹は雌(めん)、大いなり」で、タカ類は極端ではないがものの、種によって♀の方がやや大きい性的二型が多いことは事実である。

『「角鷹(おほたか)【蒼鷹」「黄鷹」ともいふ。】』既注。

『「波廝妙(はしたへ)」【「弟(たい)」とも「兄(せう)」とも見知りがたきを云。】』ハイタカ。既注。なお、辞書類を見ると、「箸鷹」(はしたか)があり、そこには、聖霊の箸を火に焼いて、その微かな火影(ほかげ)で鷹を鳥屋(とや)からり出したことを言うともあった。

『「鶻(はやぶさ)」【雄(お)なり。形。小也。】・「隼(は)」【雌(め)なり。形、大(おほい)なり。仕(つ)かふに用之(これをもちゆ)。】』ハヤブサ目ハヤブサ科ハヤブサ亜科ハヤブサ属ハヤブサ亜種ハヤブサ Falco peregrinus japonensis和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 隼(はやぶさ) (ハヤブサ・サシバ)を参照されたい。

『「鷂(はいたか)」【雌(め)也。】・「兄鷹(このり)」【鷂の雄(お)也。】』既注。

『「萑鷂(つみ)」【「𪄄」とも書きて、品(しな)、多し。「黑―」・「木葉―」・「通―」・「熊―」・「北山―」、いづれも同品なり府をもつて別かつ。】』これは、タカ目タカ科ハイタカ属ツミ Accipiter gularis 和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 雀鷂(すすみだか・つみ) (ツミ)を参照されたい。なお、「𪄄」(音「テウ(チョウ)」は「鵰」に同じで、タカ科の鳥の中でも、大形のものを指す。また、「鵰雞(ちょうけい)」はミサゴ(鶚)で、タカ目ミサゴ科ミサゴ属 Pandionの鳥、或いは、ミサゴ属ミサゴ Pandion haliaetus を指す(一種説と、亜種を立てる二種説がある。当該ウィキを見られたい)。和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鶚(みさご) (ミサゴ/〔附録〕信天翁(アホウドリ))を参照されたい。

『「萑𪀚(しつさい)」【「ツミ」より小也。】』これは、前注のタカ目タカ科ハイタカ属ツミ Accipiter gularis ♂のことと思われる。「悦哉・雀𪀚」(えっさい)という語があり、これはツミの♂の呼称だからである。同種は♂の全長が二十七センチメートル、♀が三十センチメートルと、♀の方が大きい性的二型で区別してもおかしくないのである。和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 雀鷂(すすみだか・つみ) (ツミ)も参照されたい。

「鷲(わし)」「全躰(せんたい)、黑し。年を經て、白き府(ふ)、種々に変ず」ウィキの「鷲」によれば、『鷲(わし)とは、タカ目タカ科』Accipitridae『に属する鳥のうち、オオワシ、オジロワシ、イヌワシ、ハクトウワシなど、比較的大き目のものを指す通称である。タカ科にて、比較的大きいものをワシ、小さめのものをタカ(鷹)と呼ぶが、明確な区別はなく、慣習に従って呼び分けているに過ぎない』とある。そこ上がった種は、

タカ科オジロワシ属オオワシ Haliaeetus pelagicus

オジロワシ属オジロワシ Haliaeetus albicilla

イヌワシ属イヌワシ Aquila chrysaetos

ウミワシ属ハクトウワシ Haliaeetus leucocephalus

で、前の三種は本邦に普通に分布し、最後のハクトウワシのみは、北アメリカ大陸(アラスカなど)の沿岸部に広範囲に分布するが、国後島・北海道で限定的に発見されている北方種である。

『哥に「毛は黒く眼は靑し觜(はし)靑く脛(あし)に毛あるを鷲としるべし」』出典未詳。識者の御教授を乞う。

「鵰(くまたか)」「全躰、黒し。尾の府、年を經て、樣々に變ず」タカ科クマタカ属クマタカ Nisaetus nipalensis和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 角鷹(くまたか) (クマタカ)を参照されたい。

『哥に「觜黑く靑ばし靑く足靑く脛に毛あるをくまたかとしれ」』同じく出典未詳。識者の御教授を乞う。前のも含め、これらは江戸時代の狂歌或いは俗謡のような気はする。

『任鳥(かふり)【「まくそつかみ」「くそつかみ」。】』声も姿も小さな時から私のお気に入りの「トンビ」、タカ目タカ科トビ亜科トビ属トビ亜種トビ Milvus migrans lineatus和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鳶(とび) (トビ)を参照されたい。但し、「くそとび」という語が古くからあるものの、それはトンビと区別されて使用されている可能性があり、「糞鳶」という蔑称は恐らくは「鷹狩り」に使えない鷲鷹類であったためかとも思われ、そうなると、タカ目タカ科ノスリ属ノスリ Buteo japonicus 及び、ハヤブサ目ハヤブサ科ハヤブサ属チョウゲンボウ Falco tinnunculus を指している可能性も排除は出来ない。和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鵟(くそとび) (ノスリ或いはチョウゲンボウ)も参照されたい。

「惰鳥(よたか)」ヨタカ目ヨタカ科ヨーロッパヨタカ(夜鷹)亜科ヨタカ属ヨタカ Caprimulgus indicus 。姿は確かにちょいと小さな鷹っぽくは見える。タスマニアに旅行した時に同属の幼鳥二羽を撮った写真がある。和漢三才圖會第四十一 水禽類 蚊母鳥 (ヨタカ)を参照されたい。

『「大和本草」云、『「鷹鶻方(ようこつはう)」を案ずるに、鷹の類(るい)、三種あり。鶻(はやぶさ)・鷹・鷲なり。今、案ずるに、白鷹(おほたか)・鷂(はいたか)・角鷹(くまたか)は鷹なり。』これは貝原益軒の「大和本草」の巻十五「山鳥」の冒頭に記された「鷹」の冒頭部分だが、引用は正確ではない。

   *

鷹 「鷹鶻方(ようこつはう)」を案ずるに、鷹の類(るゐ)、三種あり。「鶻(はやぶさ)」の類、「鷹」の類、鷲の類なり。今、案ずるに、「白鷹(おほたか)」・「鷂(はいたか)」・「角(くま)鷹」は鷹の類なり。

   *

である。この「鷹」の条はかなり長いので、電子化はしないが(面倒だかではなく、それをやりだすと、何時までもこの条を公開出来ないからである)、国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここから視認して戴くと判るが、実は作者の種本は「和漢三才図会」の他にこちらにも拠っていることが判る。

「隼(はやぶさ)」既注。

『「鵊鳩(さしは)」【「赤※(あかさしば)」[やぶちゃん注:「※」=(上)「治」或いは「冶」+(下)「鳥」。]。「靑―」・「底―」・「下―」・「裳濃(すそご)―」。】』」タカ科サシバ属サシバ Butastur indicus 。タカの一種で、トビより小さく、全長約五十センチメートル。背面は濃い褐色で腹面に白地に褐色の横斑がある。額と喉は白く、喉の中央に一本の黒い縦条があり、尾羽に四本の黒褐色の横帯がある。山麓や平野の森林にすみ、昆虫・小鳥・蛇などを捕食する。本州以南に普通に見られ、冬は大群をなして南方へ渡る。和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 隼(はやぶさ) (ハヤブサ・サシバ)も参照されたい。なお、異名の一つとする「裳濃鵊鳩(すすごさしは)」の「裳濃」は「裾濃」に同じで、同系色で、上方を淡くし、下方を次第に濃くしてゆく染め方や織り方を指す。また、甲冑の縅(おどし)では、上方を白、次を黄とし、次第に濃い色とするものを言う。

「諸鳥は、雄(お)、大(おほ)いなり」既に述べた通り、逆で、誤り。]

« 「南方隨筆」版 南方熊楠「詛言に就て」 オリジナル注附 (4) | トップページ | 「南方隨筆」版 南方熊楠「詛言に就て」 オリジナル注附 (5) »