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2021/07/11

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (2) 探偵小說としての三比事

 

      探偵小說としての三比事

 前章に私は、櫻陰、鎌倉、藤陰三比事の内容が、互に似通つたものであることを述べたが、物語そのものゝ性質からいふと、それぞれ多少の特色を持つて居るやうてある。尤も櫻陰比事と鎌倉比事は形式も内容も殆んど同じてあるといつてよいが、藤陰比事は、これ等とは少しちがつて居る。前にも示したとほり、その形式が地頭への訴狀によつて犯罪なり爭論なりの内容が示されてある點に於てちがふばかりでなく、ユーモアに富んだ話が比較的澤山集められて居る點に於てもちがつて居るのである。

 抑も探偵小說には、『推理』以外に、ミステリー(怪奇)と、ホーロウ(凄味)[やぶちゃん注:horror。ホラー。]と、ウイツト(機智)と、ユーモア(諧謔)のどれかゞなくてはならない。ところがこの三つの比事には、ミステリーとホーロウとは極めてうすく、ウイツトとユーモアと多少の『推理』とが認められるだけてある。その『推理』もどちらかといふと大したものではなく、『探偵』の任を兼ねて居る裁判官は、屢ば直觀によつて事を斷じて居る。で、殘るところはウイツトとユーモアだけであるが、そのうちユーモアは、櫻陰、鎌倉の二比事に乏しく、藤陰比事に於て比較的豐富である。だから、探偵小說としては藤陰比事が三つのうちで最も勝れて居るといつてよいかもしれない。私は左に藤陰比事中のユーモアに富んだ話の二三を紹介して見ようと思ふ。

 白石町に小細工屋の平内《へいない》といふものがあつた。ある日つらつら考へて見るに、京都のやうな大きな都會では每日死ぬ人の數が隨分澤山あつて從つて葬式の數も隨分澤山ある。ところが、昔からの習慣で葬式の際には、棺桶の中へ六道錢といつて鳥目を六文づつ入れて死人と共に葬る習慣になつて居るから、これを全體に計算して見ると、よほどの金錢の費えである。だからこの浪費をふせぐために、錢の形分したものを拵らへ、それをやすく買へるやうにして、六道錢の代りとしたならば世間の人も大に助かる譯である。そこでその六道錢代用のものを專買特許にして貰へば自分は大に助かる……かういふ蟲のよい計畫を立てゝ地頭のところへ願出た。

 地頭は早速平内を御召しになつて、徐ろに仰しやつた。『いかにも其方が申す通り、大切な寶を土に埋めたり火に燒いたりすることは國家のついえである。けれど、六道は地藏が管轄して居るといふことであるし、なほゑんま王の承諾を經なければ、六道錢の規則を變へることが出來ない。て、其方は早速冥土へ行つて地藏菩薩とゑんま王に對面してくるがよい。娑婆のいとまは卽時にとらせるから。』

 平内はぶるぶるつと身を顫はせて、夢中で我家へ走りかへつた。

『あらお前さんどうしたの、頭から血が流れて居るわよ!』と、女房は驚いてたづねた。この言葉にはつと我にかへると、平内は頭のてつぺんにはげしい痛みを覺えた。彼はあまりにあわてゝ走り出たゝめ、御門のくゞりで、したゝかその頭を打つたのである。

 この物語のおしまひのところは、探偵小說として相當の出來だと思ふ。[やぶちゃん注:以上は巻之一の掉尾にある「㊈世はさまさまの願がひ事」で「国文研データセット」のこちらの影印本の、ここと、ここである。]

 壷井町に辰巳屋藤兵衞といふ絹布商があつた。家族は先妻の子藤六と後妻との三人、外に手代小僧をつかつて、可なり盛大に暮して居たが、藤丘衞が病死するなり、後妻は繼子の藤六をうるさがり、手代と心を合せて、長崎へ遊學に出さうとした。そこで藤六は我家の將來をおもんぱかつて、地頭に向つてこの旨を訴へ出て繼母に意見をしてもらふやうに願つた。

 地頭は双方を呼び出して調べて見たところが、繼母の方が惡いので、今後は睦じく暮せと諭して歸した。後妻は澁い顏をして歸つたが、どうせ繼子との仲は圓滿に行く譯もないから、こんな家には見切りをつけて、その代り故人が平素大切にして居た寶刀を奪つて分れようと決心し、『家に居では煩惱の種てすから、出家致したいと思ひますについて、故人をしのぶために、故人り殘して行つた刀を形見として頂かせて貰ひたい。』と地頭に向つて言葉巧みに願ひ出た。すると地頭は尤もに思召され、藤六を呼んで繼母の希望を告げ、刀を讓るやうに承諾せしめた。

 この刀は故人が毎日、持佛堂へ看經する度毎に錦の囊から取り出して、『この刀の功德で七十までも生今ることが出來たのだ。』と禮拜したものであるから、彼女は、此家に傳はる第一の寶であると思ひこみ、少くと百兩や二百兩の値はするだらうと察して、形見分けけ[やぶちゃん注:ママ。]として目つけたのである。だから地頭の處置で、否、地頭をだましてまんまと讓り受けたことを彼女は内心大に誇りとした。

 ところが、愈よ緣を切つて、さてその刀を方々の刀屋へ見せると、鐚一文の値打もないといふことであつた。彼女は大に驚いて自分の見込ちがひを歎いたが、今更どうすることも出來ず、ひたすら、自分の奸計を呪はざるを得なかつた。それにしても故人は、何故にその刀をあれ程に大切にしたのであらうか。

 それは故人が若いときのことである。ある日稻荷祭を見物に行つて、一杯機嫌で附近の若いものと口論し、遂に脇差を拔いて先方を斬りつけたが、刀がなまくらてあつたゝめに先方はかすり疵だに受けず、そのうちに仲裁がはひつて、血を見ずに喧嘩は終つた。酒がさめてから藤兵衞はつくづく思つた。あゝよかつた。若しこの脇差がなまくらでなかつたなら、自分は必ず人殺しをして、自分の命を無くして居たかもしれない。して見ればこの刀は自分の命の恩人である。』かう思つて其後彼はこの刀を錦の囊に入れて、每日取今出しては感謝することにして居たのである。

 これも中々氣のきいた話だと思ふ。刀を大切にした理由など頗る面白く、取り扱ひやうによつては相當な探偵小說になると思ふ。[やぶちゃん注:これは巻之三の「㊀案に相違の寳物」である。同前で、ここここと、ここと、ここと(見開き挿絵のみ)、ここで読める。]

 このほか、附近の出火に際しである絹布屋が葛籠《つづら》を七つ運び出すと、いつの問にやらそのうち三つが、わさび俵とすりかへられて居たが、その実、盜まれた葛籠の中身は相場附けの書狀や反古や下男の着替であつて、之れに反して、山葵は、靑物町が燒けたゝめに高價に賣れ、却つて絹布屋が儲けた話[やぶちゃん注:これは巻之四の「㊂塊(つちぐれ)の葛籠(つゞら)黃金(こがね)の山葵」。ここと、ここ。]。鑓持の我左衞門《がざゑもん》といふ者が頓死して、寺で僧侶が引導を渡して居ると、急によみがへつて、僧侶たちに喰つてかゝつたので、僧侶が棒を持つてたゝき殺さうとすると、我左衞門が竹緣の丸太柱を引拔いて大立ちまはりを演じるといふ話[やぶちゃん注:これは巻之七の「㊃釣鬚(つりひげ)こそ發心(ほつしん)の種(たね)」。ここと、ここ。挿絵が前のここにある。なお、今回、別に板行不明の同書の別本を早稲田大学図書館「古典総合データベース」で発見した(第七巻PDF)が、そこでは、標題が「菩提の宥免に我を捨(すつ)る鑓持(やりもち)」と異なっている(1314コマ目。挿絵は11コマ目)後者の方が判り易い標題なので、後の再版の際に改題したものと思われる。]。むかで屋といふ代々評判の饅頭屋の隣りに新しく饅頭屋が出來、而も暖簾に同じく『むかで』の形を染投き赤前垂の女を澤山雇つて商賣したので、本家は急にさびれてしまひ、本家の主人が憤慨のあまり地頭に訴へ出ると、新らしく出來た饅頭屋は呼出されて『わたしの家の暖簾に染め拔いたのは、むかでではなくけじげじで御座います』といつた話[やぶちゃん注:巻之五の「㊃蜈(むかで)に似る蚰(げじげじ)屋」。ここと、ここ。]など、いづれもユーモアに富んで居ると思ふ。

 藤陰比事の中にはこの外にもまだユーモラスな話が相當にあつて、どちらかといふと、すべての話の底にユーモアがかくされてあるといつてもよい程である。之に反して、櫻陰鎌倉比事にはユーモアが乏しい。全然ないではないけれど、たまたまユーモラスな話だと思ふと、『醒睡笑』の模倣であつたりするのである。

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