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2021/07/13

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (4) 三比事に書かれた探偵方法 二

 

         

 

 次は探偵が犯罪者に對して行ふトリツクである。三比事に犯罪者の心理を應用したトリツクの話が多い。

 櫻陰比事には、『惡事見え透く揃へ帷子《かたびら》』と題して次のやうな話がある。姉ケ小路の針屋に容貌の人にすぐれた一人娘があつた。ある大名へ奉公に出したところ、主人の寵愛一方ならず、その女でなけれぱ夜も日も明けぬといふ有樣てあつた。後にはたうとう『御前樣』とよばれる身分になり、侍女を多くつかふやうになつたが、ある日夕食を攝つたところ、どうした譯か俄かに腹痛を催ほし、手足がすくみ呼吸が困難になつたので、大騷ぎになつて醫師を招いたけれど手當の效なく絕命した。醫師が早速食物を吟味すると、味噌の色が怪しいと思はれたので、飼猫に食はせて見たところ、猫は果して、暫らくの間に死んだ。そこていよいよ毒殺であるとわかつたので、主人の大名は自分で犯人の詮議も出來かね、ある發明な人に探偵を依賴した。雇はれた探偵は犯人が女中のうちにあると睨み、總計十六人に絹の帷子を着せ、一つの座敷へ追込んで、『此度の犯人はこの中にあるから、明日拷問する』といつて、燈を消して外から戶に錠を下した。折しも夏のことてあつて、蚊は窓から遠慮なく飛込んで彼女たちを刺したので、皆々あばれまはり、騷ぎ合ひ、ふさげあつて[やぶちゃん注:ママ。]、やつと苦しい一夜を過した。朝になつて探偵は女たち一人一人呼び出して吟味したが、そのうちの二人の着た帷子に皺のよつて居ないのがあつたのでその女に向つて犯人はお前だらうときめつけると、顏色をかへて自白した。それによると以前この家に居た御妾に賴まれて『御前樣』を殺したのだと言つた。探偵がどうして犯人を見つけたかといふに、身に覺えないものは樂寢をして、衣服に皺がよるが、犯人は一夜中眠らないから衣服に皺がよらぬのだといふのである。鎌倉比事にも、『祕事は鎌のごとし』と題して次のやうに書かれて居る。[やぶちゃん注:「惡事見え透く揃へ帷子」は巻三の「一」。国立国会図書館デジタルコレクションのここから。「祕事は鎌のごとし」とあるが、これは「鎌倉比事」巻三の「㊀祕事は睫(まつげ)のごとし」の誤り国立国会図書館デジタルコレクションのここから読める。前振りが結構、ある。]

『……中にも西ケ谷《にしがやつ》の織殿やは、此度の御悅びに、絹布卷ものあまた賣り、金錢の山をなし、此いはひとて、其日は織ものやにも弟子どもをやすませ、おもての長のうれんをおろし、外よりの人の出入をやめて、よるひるのわかちなく酒宴をしてぞ遊びける。其夜に金子十兩包失せた心。いろいろ、詮議すれども無いに極りて後亭主ある人に此ぎんみを賴みけるに、此人新らしき三方に大神宮の御祓串《みいぐし》を弟子十七人の數ほどこしらへ置て、朝手水《てうず》をつかひて一本づつ取り、暮にまたひとりづつ持よるべしと弟子共に言ひ渡し、扨此人亭主に小聲になりて、弟子どもの聞くやうにきかぬやうに、されば此金子をねすみたるものには大神宮の御罰にて長き串をあたへたまふ是神道祕密の術なりと語り、さらぬ體にて歸りける。扨暮方になれば弟子共殘らず、取たる御祓串を持出るに、すぐれて短き串を持出る弟子あり、それをとらへて詮議しければ、いまだ金子の不足もなく出しぬ。心正直なるものはなんの事もなく取たる御祓串を其まゝ出す、心のわだかまりたるより、我にこそ神明の長きを與へ給はんとて、串を折りて出しける。其折たる程、餘《よ》の串よりは短くて、我と我身の科をあらはしけるとなん、おろかなりとも又神明の御罰おそるべし恐るべし。』[やぶちゃん注:「織殿や」織殿屋(おりどのや)。織り屋のことであるが、京阪地方での呼称であり、適当ではなく、筆者月尋堂が京阪の出身者であることを窺わせるものである。「西ケ谷《にしがやつ》」原本の読みは鎌倉の呼称としては正しい。ただ、「西ヶ谷」は頼朝が中尊寺の二階大堂・大長寿院を模して建立した永福寺跡の北翼の北にある谷戸名(グーグル・マップ・データ)で、ここに鎌倉時代前期(冒頭に第三代執権北条泰時の御不例と逝去が記され、第四代執権北条経時の名も出るから、泰時の没した仁治三年六月十五日(一二四二年七月十四日)以後の設定である)に、一介の豪商が住んでいたというのは無理がある。]

 以上二つは犯罪者の犯行後の心理を巧みに應用してトリツクを行つた例であるが、現今でもこれに似たトリツクは極めて有效であると見えて度々行はれるものらしい。

 この外にまた、櫻陰、鎌倉兩比事にはトリツクによつて犯罪者を自然にあらはれ出さしめる話がある。櫻陰比事の中に、賴母子講《たのもしこう》の懸金を盜んだものを詮議するために、懸金に集つた男たちのうちに犯人があると睨んて、その男たちの妻又は姉妹とその男たちとをそれぞれ一組にして、講の場に居合せた罰として毎日大きな太皷をかつがせて市中を𢌞らせ、その実その太皷の中に發明な小坊主をかくして置いて、夫婦又は兄妹の話を盜みきかせ、遂に、ある妻が不平を言ひ出したのを、夫が宥める言葉から、その男が犯人であることを知る話や、矢を射こまれて死んだ男の犯人をさがすために、ある夜その附近で、『泥棒、泥棒』と叫ばせ、弓をかゝへて走り出た男を犯人と見倣す話などがあるが、鎌倉比事には、『因果はめぐりあふ常陸帶』と題し、次のやうに書かれてある。[やぶちゃん注:前の「桜陰比事」のそれは、巻一の「四」の「太皷(たいこ)の中はしらぬが因果」である。国立国会図書館デジタルコレクションのここから読める。「賴母子講」民間の互助的金融組織。単に「頼母子」とも呼ぶ。発起人(親)と仲間(講衆)とからなり、「懸け銭(せん)」「懸け米(まい)」と呼ぶ所定の金品を出し合い、入札又は抽選によって講衆の一人に金品(「取足(とりあし)」と呼ぶ)を融通し、「取足」を得た者は以後、当選の権利がなくなり、全員が当選すれば、講は解散した。鎌倉中期から出現したと見られており,困窮者に無利息・無担保で金融したのが元とされる。後に取り逃げ防止のために担保利息をとったため、「無尽講」との区別がなくなった。目的により、「金頼母子」・「金講」のほか、物品を購入する「牛頼母子」・「布団頼母子」、また、物品のみならず労力も出し合う「萱(かや)講や、特別の寄付などを目的とする「宮(みや)講」・「学校講」などがあった。江戸時代に盛行し、京坂で「頼母子」、江戸では「無尽」とも言った。本来は極めて共済的なものであって、元金の返済を期待するものではなかった。「矢を射こまれて死んだ男の犯人をさがす……」というのは、巻二の「一」の「十夜(じふや)の半弓(はんきゆう)」。国立国会図書館デジタルコレクションのここから読める。]

 『鎌倉本町に定都《さだいち》といふ旅龍屋あり、毎年のぼる常陸商人、只一人とまりたり、其夜あるじの女房を何ものとも知れず殺しぬ、この商人のわざなりとて敵《かたき》に取られぬ。鎌倉中の取沙汰に最明寺殿には常にかはちて麁末なる成敗かなと諸人さゝやけども、それのみにて一とせと暮れ二とせと過ぎ、今は三年の後に、常陸商人の弟、鎌倉こそ兄の最後所と思ひ、せめてなき跡なりともとむらはんとて鎌倉へのぼる通《みち》すがら、先にたつて男二人行きけるが、物語るをきけば、それはもはや三とせになる、おもはずも無實をうけて常陸商人こそ殺されたり、おもへば不便のこと也。今は隱すべきにあらず、かの旅籠屋は盲目ゆゑ、女房に心をかけてたびたび言ひ寄ると雖も承引せず、あまつさへ夫に告げんといひける故恐ろしく一向身の難儀に及ばんよりとひそかにしのびこみ刺し殺したり。我故に科なきものを二人迄命をとりしとおもへば未來も覺束なしといふを、あとよりとくと聞すまし、其ものの這入たる家をよく見屆けて、すぐに言上しければ、最明寺殿、それ常陸のものを出牢させて、弟にあはせよと仰せられて、生きて二たび兄弟の對面をかぎりなく喜ぶうちに、かのまことの人殺しをからめ來り御成敗なされける。三年以前に殺されしものは外に成敗なさるべき科人を、常陸商人の小袖を着かへさせて常陸ものなりと御觸あつて御仕置になされける。誠に鵬鵠の心燕雀は知らずとは是なりとて諸人かんじにけり。』[やぶちゃん注:これは巻六の「㊆因果の𢌞會(めぐりあふ)常陸帶(ひたちおび)」で、国立国会図書館デジタルコレクションのここから読める。]

 この話は『大岡政談』の中の小間物屋彥兵衞に關する『皮剝獄門の件』と頗る似た所片がある[やぶちゃん注:行末で句点なし。]『大岡政談』の作者が果してこの話に依つて小間物屋彥兵衞の事什を潤色したかどうかはわからないけれども、兎に角、犯人を見出すには頗る巧妙なトリツクといふべきであらう。

[やぶちゃん注:「小間物屋彥兵衞に關する『皮剝獄門の件』」国立国会図書館デジタルコレクションの明四五(一九一二)念至誠堂刊大町桂月校「大岡政談 上卷」の当該部「小間物屋彥兵衞一件」(七編から成る)。ここでは皮剝ぎは出ないが、「三 彥兵衞死罪獄門となる事」の最後に附記して、『此彥兵衞牢内に居て煩ひ、暫時の内に面體(めんてい)腫脹(はれ)上り、忽ち相恰(さうがふ)變りて元の體(てい)は少しもなかりしとぞ。』とあるのが、本話のどんでん返しの伏線である。これを、顔の皮を剥いで獄門にしたという別本があるのであろう。]

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