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2021/07/11

芥川龍之介書簡抄95 / 大正八(一九一九)年(七) 二通

 

大正八(一九一九)年十一月二十六日・本鄕區湯島天神前陽明舘内 瀧井折柴樣・十一月廿六日朝 芥川龍之介

 

江の句水蘆の方遙に句品上なる如し あれは貰つて僕の句にするよ 水芦と來ると打ち透かすも活きて來るのだ

夏山の句未考 その内あれも改作してものにする その時も亦氣がついたら手傳つてくれ給ヘ

小穴君からはがきが來た 君たちは皆揃ひも揃つて同じやうな字を書くね まさか腹の中から拓本にくるまれて生まれ來た譯でもあるまいに

これは惡まれ口[やぶちゃん注:「にくまれぐち」。]だ

小穴君の作品はまだ讀まない この間はあの人が來てくれたのでいろいろ面白かつた

昨夜往來で句を得た

   稻むらの上や夜寒の星垂るる

    十一月二十六日      我 鬼

   折 柴 先 生

 

[やぶちゃん注:「江の句」採用していないが、十一月二十三日の佐々木茂索宛書簡に出る、芥川龍之介自身の句、

 江の空や拳程なる夏の山

であろう。提供されていない前の瀧井書簡にもその句を書いていたものと思われる。

「水蘆の方」筑摩全集類聚版脚注に、『瀧井が芥川の作品』(俳句)『を批評した句中の讃辞か。のちに「水蘆や虹打ち透かす五六尺」の句を作っている』とある。十二月二十五日 龍村平蔵(明治九(一八七六)年~昭和三七(一九六二)年: 初代。染織研究家。名前は累代に亙って襲名されており、初代から四代までいる。各人ともに法隆寺・正倉院に伝わる古代裂など伝統的な織物の研究に尽力した。大阪博労町(現・大阪市中央区)の両替商平野屋の平野屋平兵衛の孫として生まれ、幼時から茶道・華道・謡・仕舞・俳諧と文芸美術の豊かな環境の中で育った。十六歳の時、祖父が死去し、これ以降、家業が傾き始めたことから、彼は通っていた大阪商業学校を退学、西陣で呉服商の道へと進んだ。当初は販売に従事していたものの、徐々に織物の技術研究に没頭するようになり、明治二七(一八九四)年、十八歳で織元として独立、商売も順調に拡大し、三十代の若さで「高浪織」や「纐纈(こうけち)織」など数々の特許を取得して、周囲に衝撃を与えた。以上は当該ウィキに拠った)宛で、

 水蘆や虹打ち透かす五六尺

と披露し、句の直前手紙文末尾に『二伸 數日前私の所で運座』(十二月中旬に自宅で開いた)『をしましたその時の句を御披露しますから御笑ひ下さい寒中ことさら夏の題を選んだのです』とあるだけでなく、雑誌『文藝俱樂部』の「文壇眞珠抄」に掲載された句にこの句が混じっている。それだけでなく、

 水蘆や虹打ち透かす五六尺   (大正八年)

 濡れ蘆の亂れゆゝしや虹五尺  (同)

 虹ふくや亂れ伏したる川の蘆  (同)

 濡れ蘆や虹を拂つて五六尺   (同)

 濡れ蘆や虹を拂つて五六尺   (大正九年一月)

以上の句の出典は私の「やぶちゃん版芥川龍之介句集 二 発句拾遺」を見られたい。折柴の原型を知らないが、これはもう盗作の部類ではあるまいか。芥川龍之介は俳句は言うに及ばず、「トロツコ」(私の古い電子テクスト)などのように、力石平蔵の書いたものを倍近くに書き変えたもの発表しておいて、平然と自作としている辺りは、確かに「トロツコ」は大人の童話として優れているものの、ちょっと厭な感じが私には、ある(「芥川龍之介 手帳3―41~45」の冒頭の私の注を参照されたい)。

「夏山の句」同じく採用していないが、この直前の十二月二十二日の折柴宛で、

 夏山や峯も空なる月明り

と披露している句。これも後に種々の改造をしている。私が厭なのは、彼の詩歌が感性のアウフヘーベンなどではなく、忌まわしい「改造」だからである。

「小穴君」「小穴君の作品はまだ讀まない」「この間はあの人が來てくれたのでいろいろ面白かつた」芥川龍之介の後期の盟友で、終生、異常なまでに信頼をおいていた洋画家の小穴隆一(おあなりゅういち 明治二七(一八九四)年十一月二十八日~昭和四一(一九六六)年:龍之介より二歳年下)については、二つの繪   小穴隆一   附やぶちゃん注  「龍之介先生」』の私の冒頭注を参照されたい。既に述べたが、小穴はこの三日前の十一月二十三日日曜日に、瀧井孝作(折柴)に伴われて、芥川龍之介を自宅に訪ねて、始めて逢っている。「小穴君の作品」というのは、小穴の書いた短編小説のことで、次に示した書簡でその批評を述べている。彼は「一游亭」と号して俳句も嗜み、後の大正一四(一九二五)年九月一日発行の雑誌『改造』には、「芥川龍之介」の署名の龍之介の発句五十句と、小穴一游亭隆一の発句五十句から成る二人句集「鄰の笛」を発表してもいる。私はその推定復元版をブログで電子化している。]

 

 

大正八(一九一九)年十一月二十七日・田端発信・本鄕區東片町百三四 小穴隆一樣・十一月廿七日朝 市外田端四三五 芥川龍之介

 

原稿拜見しました左に遠慮のない所を申し上げます

話の方は槪して言ふと材料そのものの面白みが勝つてゐてあなたでなくては書けないと言ふやうな趣が乏しい 成程讀んで面白いのは事實だがそれは木地のまゝ素材を抛り出した面白さだと心得ますその難が一番少いのは囘想記ですそこであなたの話が何故材料の面白さ以上に出ないのだらうと考へると第一にはさう言ふ材料をとり扱ふあなたの主觀の力が十分中まで浸透してゐないせゐではないでせうか「悲しき誕生日」などは殊にその爲に折角の材料が活きなかつたやうな氣さへしますそれから書き方ですな あなたの文章は荒削りで力があつて甚氣持ちが好いが餘りあなたの獨合點だけでどしどし書いてしまふから讀者は時々話の中で途方に暮れる事があります たとへば「志一さんの話」の中で「母は誰だらうと思つて戶を開けると云々」と突然あなたの阿母さん[やぶちゃん注:「おかあさん」。]を點出するが讀者にはちよいとあれが誰の阿母さんだか判然しない――さう云ふ所が可成ありますこの二點が滿足に出來たらあなたの話は皆立派なコントになるでせう そこで元へ返りますがあなたの話は材料の面白さが勝つてゐる 逆に言へば表現が十分でない その表現の中でも人間を書くのに行爲から心理を書く場合(外で内を說明する場合)は心理を心理として書く場合より遙にうまい宮島先生を見ても先生が「さうであつたか」と急に柔しくなる[やぶちゃん注:「やさしくなる」。]所はまづいが末段の「一月ばかりたつての朝云々」の所は淡々としてゐても成功してゐます 最後に作品の出來を云へばやはり第一は囘想記でせう あれはほんたうの哀情があつて文章も中々面白い。私のやうな摺れつからしの人間には書けないものです(唯 father などと云ふ英語はどうも嫌味です」あれだけのものが書ける人は海紅同人にも多くはないのでせう 折柴など感心しなければ折柴の方が惡いのです 詩は「われ唯一度きみを欺けり」だけ面白く讀みました「斷章」は最も辟易します 序でなから[やぶちゃん注:ママ。「ながら」か。或いは「なからで」(半ばで)の誤記か。]あの中の鷄の畫を愉快に眺めました 但腹の所の三筆ばかりの線は甚好きません

以上は私の出放題な批評です勿論私自身の事は大抵棚へ上げた批評と御思ひ下さい

忘れたが馬のつるむ話は最も素材だけ抛り出したものです つるみそくなつた馬の爲にも もう少し親切に書いておやりたさい

もう一つ忘れたが大島風景小品畫會の文は好きですな偉らがつたり殊勝がつたりしないで甚心もちがよろしい 但しあれを讀んですぐ入會する氣になる程惑服するかどうかわかりません 妄言多罪

    十一月廿六日夜    芥川龍之介

   小穴隆一樣

 

[やぶちゃん注:芥川龍之介の小穴の作品への批評は、誠に核心を突いている。私は小穴の芥川龍之介の死後の龍之介について語った「二つの繪」と随筆集「鯨のお詣り」をブログ・カテゴリ「芥川龍之介盟友 小穴隆一」で電子化注しているが、龍之介がここで指摘している違和感(或時はまさに「辟易」と言うに相応しいものがあった)を私も甚だ強く感じた。未読の方は一度、読まれるとよい。

「海紅」(かいこう)は大正一四(一九二五)年に子規門下で新傾向俳句の河東碧梧桐が主宰した自由律俳句の結社。後に碧梧桐門下の中塚一碧楼が引き継ぎ、現在に至っている。編集の総責任者は一碧楼が務めたが、編集者として瀧井孝作(折柴)も加わった。龍之介も年上の友人で同人であった小沢碧童を通じて、一時、参加しており、その結果、芥川龍之介の俳句の中には明らかな自由律俳句が混じっている。当時の挿絵は小穴隆一も描いている。]

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