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2021/07/17

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (6ー2) 三比事に書かれた特種の犯罪方法 二

 

        

 

 前にも述べたごとく、三比事の中には、これといふ目新らしい犯罪方法は描かれて居ないけれど、他人の迷信を利用する犯罪以外に多少注意すべきものもないではないから、二三その例をあげて置かうと思ふ。

 隱顯インキを利用して手形に署名し、その手形を無效ならしめることは、一寸考へると比較的新らしい犯罪のやうに考へられるが、櫻陰此事の中には、『手形は消えても、正直が立つ』と題して次の物語がある。[やぶちゃん注:以下、引用は、底本では全体が一字下げ。国立国会図書館デジタルコレクションの活字本ではここ。]

 『昔、都の町に北國《ほつこく》の買問屋《かひどひや》[やぶちゃん注:北陸方面の物産を専門に買いつける問屋。]して、六角通ひに手前宜《よろし》きあり、親の代よろり懇《ねんごろ》せし方へ銀子五貨貫目貸して預り手形取置かれ、年々斷りにまかせて八年相待ち、其《その》大節季[やぶちゃん注:大晦日。]に入用《いりよう》とて人遣はしけるに、手形持たせて御越しあるべし、銀子返進《へんしん》と申せば、右の手形箱を開けて内見するに、これ白紙となつて不思議晴れ難し、あまたり證文吟味いたせしに外の 別條なし、何とも思案に及ばず、潜かに此段を貸したる方へ申せしに、いづれ其銀子は濟《すま》したやうに覺えたり、何分にしても手形無くでは不埒と、其後はいよいよ相濟 したに極めて、結句貸方の人惡く沙汰せられて、世上に外分失ひ、爰に堪忍なり難く、銀子の損は格別、せめて我正直を知せたき願ひ、ありの儘に書付け申上ぐれば、兩方召出され、先づ町の者に兩人が身代のほどを御尋ね遊ばしける、財寶かけて八百貫目をさして相違御座なく候と申上ぐる、又借《かり》申す方は三十貫目ばかりと、見及びの程、ありていに申上ぐる、然《しか》れば此銀子は借りたには紛れ無し、譬ひ手形は白紙になるとも銀は屹度相濟《すま》すべく、おのれ恐ろしき所存《しよぞん》世の仕置きものなれども、相渡せば仔細なしと仰せ出されし時、何とも御返答あり雖く、銀子相立て申す御請合《》うけあひ申上ぐる、其後《そののち》貸方のものを近う召され、定めて此手形はあの者が宿より書調《かきととの》へ持參いたしたかと御意のありしに、仰せの通り私宅《したく》より認《したた》め參りし、印判は見覺え別條無く存ず[やぶちゃん注:「存じ」の誤り。]請取置き候段々申上ぐる、重ねては眼前にて書かせ商賣の事まで念を入るべし、都にもあの如くなる惡人あり、此度《このたび》の手形は豫《かね》て拵らへたるものなり、鳥賊《いか》の黑みに粉糊《このり》[やぶちゃん注:飯粒で作った糊。]を磨交《すりま》ぜて書けるものは、三年過ぐれば白紙になるといふ事本草に見えたり、まさしくこれなるべしと仰せけるとなり。』

 鳥賊の黑みが果してかやうな性質を持つて居るかどうかは、私自身實驗して見たことがないからわからねが、ヨードの極少量を糊汁にまぜた靑い液で文字を書けば、空氣中では、日ならずして消えてしまふ。數年前、ロンドンである男が競馬の賭にこの液を用ゐて逮捕された話がある。彼は紙片にこの液でものもを書いて先方へ渡し、それと同時に、書いた當座は見えないて、後になつてあらはれる液を以て別の馬の名を書いて置いたため、先方のものが日を經てその紙片を見ると、別のものもがあらはれ、賭金を詐取せられたといふのである。 quinoline blue の如き色素で書いた文字も、日光にさらせば消失するから、時折犯罪の目的に使用されるといはれて居る。[やぶちゃん注:「鳥賊《いか》の黑みに……」明治書院平成五(一九九三)年刊の「対訳西鶴全集」第十一巻「本朝櫻陰比事」の注に、『烏賊のくろみに粉のりを摺まぜて書置ば、三年以後には白紙になる物也。本草にみへたり。手形証文先より認〈したため〉きたらば、それをもちゆる事なかれ、おそるべし(男女御土産重宝記)』とある。同書は「なんにょおんみやげちょうほうき」(現代仮名遣)と読み、江戸中期に書かれた(作者未詳)生活マニュアル本の一つ。「イカ墨で文字を書くと消える」というのは都市伝説として古くからあり、今も信じている人が多いが、全くのデマである。「quinoline blue」キノリン・ブルー。シアニン(cyanine)とも呼び、ポリメチンに属する合成染料。初めて合成されたのは百年ほど前。]

 大岡政談を讀れた人は、『三方一兩損』といふ話を記憶して居られるだらうと思ふ。ある男が三兩の金を拾つて特主に返さうとすると、持主は、拾つたものはお前のものだから受取らぬといひ、拾ひ主は、金は持主のものだからどうしても受取れといふ。やがて、受取れ、いや受取らぬ、と爭ひ出して終に大岡越前守の裁判となり、越前守は自分で一兩を出して四兩となし、それを二分して二兩づつ二人に與へ、落し主もつまり一兩の損、拾ひ主も一兩の損、自分も一兩の損だと目出度くさばいたといふ話である。この話は多分、櫻陰比事の物語『落とし手あり拾ひ手あり』の話を燒き直したのだらうと思はれるが、櫻陰比事では、これが一種の犯罪の手段に用ゐられようとしてあるだけ、大岡政談よりも却つて一層面白いやうに思はれる。[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの「大岡政談」のそれはここ。まずはそれを読まれてからの方がいい。以下、底本では同じく全体が一字下げ。以下は、国立国会図書館デジタルコレクションのここ。]

『昔、都の町はづれより加茂川の岸傳ひに北山へ歸る老人あり、折ふし十二月二十八日の夕暮、世間は春の事ども取急ぎ心忙《せは》しき今日《けふ》も、御堂《みだう》下向の道芝《みちしば》[やぶちゃん注:帰り道にあった芝草。]に、紙包見えけるを拾ひ上ぐれば、小判三兩と書付けあり、いかなる人の節季をしまふ心當《こころあて》[やぶちゃん注:大晦日の支払いに用意した大事な頼りとするもの。]にもやと、跡先見しに往來もなく、遙かの松蔭に柴賣《しばうり》と見えし人の立休むに追付き、其方はこれを遺失《おと》しはせぬかといへば、いかにも我等遺失したれども、其方の手に入るからはそなたのものといふ、これは近頃迷惑なる申され分なり、たとひ此主《ぬし》の無きとて取つては歸らじ、況《ま》して主ある金子を取りて歸るべさかと、其者に渡せば、拾ひし者に返しぬ、投げ遣れぱ投付《はふり》け、暫時《しばらく》此論やむ事なし、後には黑木賣《くろきうり》、牛使ひ立どまりて、今の世には例《ためし》なき事ぞと、兩人の志《こころざし》を感じける、いよいよ互に道を立て[やぶちゃん注:互いの言い分を頑固に押し通そうとして。]、此小判納まり所無く、とかく此論、下《した》に濟み難く、兩人御前へ罷出て、右の段々申し上ぐれば、當番の役人衆聞給ひて前代に無き事、これは都の今聖人《いませいじん》なるべしと、此段御取決[やぶちゃん注:「取次」の誤植であろう。]申上げらる、折ふし、御前には御氣色惡く、前後に京中の醫者衆相詰められける、時に御名代の家老職を召され、知慧だめしに此裁判を仰付けられしに、ここをを大事と思案して、其拾ひし三兩の小判を出させ、御前の小判三兩合せて六兩を取りませ、三所に置きて、先づ遺失したるものに二兩渡して一兩の損なり、又拾ふたるもの二兩取ればこれも一兩の損なり、御前の金も一兩御失墜[やぶちゃん注:浪費。]なり、兩方ともに罷立てと申付けられけるを、いづれも發明なるさばきなりとこれを感じ、これを御耳に立つるになかなか御同心無く、其方どもが氣の着け所相違なり、此二人内談にて斯く取結びし作りものなり、其仔細は拾ひしもの其主と論に及ばず、捨てやうはさまざまありしに、こゝに出でける所第一の聞《きき》[やぶちゃん注:「聞き所」の脱字か。注意して聞くべき不審な部分。]なり、正直者と都に顏を見知らせ、末々人をかたりの巧みせしには違《ちが》ふまじ、其二人呼返せと又御前に召出だされ、右の段、仰せ渡され、ありの儘に白狀申さぬに於ては拷問と、嚴しく御詮議かゝれば、山家《やまが》のもの驚き、あの者に賴まれ、何心もなく言含め候通りに、拾ひ手に罷成り爭ひ候と申上ぐる、されば惡事は遺失手めが巧みなり、見分《けんぶん》[やぶちゃん注:見たところは。]家に杖つく年齡して無用の心根仕置にもすべきなれども、おのれが身の上ばかり他に障らぬ事なれば、洛外までも拂ふべし、又賴まれし者めは久しく住所の鞍馬に近き麓里《ふもと(の)さと》を拂ひ給けるとなり。』

 如何に正直てあつても、拾つたものを返す、受取らぬで裁判所にまで出るはをかしい、これは正直であるといふことを世間へ知らせる手段にちがひないと睨んだ『御前』の眼力は、大岡政談の中にあらはれる『越前守』のそれよりも遙かに鋭いといはねばならない。探偵小說として二つを比較して見ても、三方一兩損で結末をつけるより、將來の犯罪の手段だと解決した方が一層の興味があると思ふ。[やぶちゃん注:不木の見解を大いに支持する。大岡の「三方一両損」は、私はもともと胡散臭い話として嫌いだった。但し、明治書院版の注によれば、これにも原拠があり、「板倉政要」の七の十四「聖人公事例」であるとある。]

 この外、櫻陰比事には、『あぶないものは筆の命毛《いのちげ》』と題して、馴染の女郞を棺桶の中に入れ、取人《とりにん》[やぶちゃん注:遺体の引き取り人の意であろう。原話では大門の番人は廓内の老婆の死体と勘違いしている。]として嚴しい門番の眼をくらませて連れ出す話があり、鎌倉比事には、『智慧の左繩』と題して、人を毆打して過《あやま》つて殺した死體を、自ら縊死したやうに見せかける話があり、藤陰比事には、『不審を肩に知る木割《きわり》の木工平《もくへい》』と題し、他人の女房を盜むために、頓死した女の首を切り落して胴體だけを亭主の家に殘し置き、女房が何ものかに殺されたやうに見せかけ、女房を我家へかくまひ置く話があるが、いづれも、さほど奇拔なものではなく、ことに、この藤陰比事の物語は支那の棠陰比事の話を燒直したものらしい。

[やぶちゃん注:「隱顯」(いんけん)「インキ」「不可視インク」或いは「隠顕インク」とは塗った時点、若しくは少し時間をおいた後に見えなくなる物質を使ったインクで、時に特定の処理を施すことによって可視化されるものを言う。当該ウィキによれば、『ステガノグラフィー』(steganography。中国語「隠写術」。情報隠蔽技術の一つで、情報を他の情報に埋め込む技術のこと、或いはその研究を指す。暗号(cryptography)が平文の内容を読めなくする手段を提供するのに対して、ステガノグラフィーは存在自体を隠す点が異なる。ギリシア語で「無口」を意味する(ラテン文字転写:steganos)と、ラテン語の「画法・記述した物」の意の接尾辞 -graphia に由来する)『の一種としてスパイによっても利用されてきた。他にも情報の標識、再入場を防止する押印、製品の同定のための印などに用いられる』。『日本においては忍者が方法・術を記録に残しており』、「甲賀流武術秘伝」の中の『「白文文法」に、「大豆を細かく刻んで水に浸し、その汁で紙に書き、または酒で書いて、日に干し、読む時は鍋炭をふりかけ、炭が無い時は、水火灰の当座書にして、封せずして、主将より忍者に与う」、「水は鉄汁、火は灯芯、灰は大豆汁や唐荏の実」と記述されている』という。「関東古戦録」巻三の『「武州松山城の攻防」において』、永禄四(一五六一)年十二月『上旬に、敵が松山城付近に陣を置き、忍びでも抜けられない大軍で包囲したため、太田資正(原文は三楽斎)が訓練を積ませた』五『匹の足の速いイヌ(城から岩築までの』三十『里を往復させていた)に封を入れた竹筒を首に結び付け、夜に出した逸話があるが、この密書は「水に浸すと文字が浮き出る」仕組みになっていたと記述される』。『「不可視の文字」という点のみであれば、特殊な事例として』、「日本書紀」の』敏達天皇元(五七三)年五月の『条に、高麗国使がカラスの羽に上表文を書いたものを持ってきたが、黒くて読めなかったため、これを炊飯の湯気で蒸し、柔らかい上等な絹布に羽を押し付け、字を写し取った話が記述されており、史実かは別として、この逸話は後代にまで日本国内で伝えられ』、「続日本紀」の延暦九(七九〇)年七月十七日の条にも同『話の引用が見られる。この場合、墨と同じ色のものに書くことによって、不可視にしている』。『不可視インクは、万年筆、爪楊枝、綿棒などを使うか、あるいは指を浸してそのまま塗りつけるなどして使用される。塗布し、乾燥したあとは無色となって周りの質感と見分けがつかないようになる』。『単なる白紙では秘密のメッセージが隠されているのではないかという疑念を抱かせる可能性があるため、見えなくなった文を補うための文章を付けたす必要がある』。『可視化する方法は用いた不可視インクの種類によって異なるが、加熱、薬品による化学反応、紫外線などがある。このうち化学反応としては、一般的に青写真の製造過程と類似した酸塩基反応を用いる。展開液はスプレーを用いて吹き付けるが、フェノールフタレインインクを発色させるアンモニアのように、蒸気のものもある』とある。以下、現代のそれは略す。

「あぶないものは筆の命毛」は国立国会図書館デジタルコレクションのここから活字本が読める。

「鎌倉比事」「智慧の左繩」は国立国会図書館デジタルコレクションのここから影印本が読める。

「藤陰比事」「不審を肩に知る木割の木工平」は本書に先立つ小酒井不木の「趣味の探偵談」(大正一四(一九二五)年黎明社刊)の中に既に取り上げて、原文を活字化しており、幸いにして国立国会図書館デジタルコレクションに同書があったので、ここでは当該部箇所をリンクさせておく。

「この藤陰比事の物語は支那の棠陰比事の話を燒直したものらしい」上記リンク先の前に、「首無し死體」としてシノプシスが紹介されてあるのが、それ。「從事函首」である。「中國哲學書電子化計劃」のこちらから原文影印が読める。]

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