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2021/07/10

梅崎春生 日記(恣意的正字歴史的仮名遣変更版)7 昭和二一(一九四六)年(全)

 

[やぶちゃん注:昭和二〇(一九四五)年分は二〇一六年一月十六日にこの年だけの日記をここと同じ仕儀でブログ公開したものが既にあるので、そちらを見られたい。今回、日記本文は、今一度、見直し、ブラッシュ・アップし、リンク先などの不具合なども補正したので、そちらを見られたい。本カテゴリ「梅崎春生日記」では一番最初(一番下の記事)に現われる。

 梅崎春生は桜島の海軍基地で終戦を迎えた。満三十歳であった。全集年譜と中井正義著『梅崎春生――「桜島」から「幻化」へ――』(昭和六一(一九八六)年沖積舎刊)の年譜によれば、敗戦の翌九月に上京して、出征の際に本を託していた友人波多江が南武線の稲田堤(稲田登戸)にいたのを訪ね、同居した(「波多江」は梅崎春生のエッセイ「日記のこと」に登場する五高以来の旧友。リンク先では新字新仮名でこの年の日記を電子化してある)。稲垣足穂を知り、また、十二月に「櫻島」(単行本短編集初版本(昭和二三(一九四八)年三月大地書房刊)を古本屋で見たが、表紙のそれは正字であった)を執筆、新生活に持ち込んだとある。この昭和二十一年二月には目黒区柿ノ木坂一五七松尾一光方(作家八匠衆一(大正六(一九一七)年~平成一六(二〇〇四)年:小説家。北海道旭川市生まれ。梅崎春生とは終生親しく、小説「風花の道」(昭和五九(一九八四)年は二人の関係を描いたものである)の本名)に鬼頭恭而と転居して三人で同宿生活を始めた。創造社に就職、総合雑誌『創造』の編集を手伝ったが、三月より赤坂書店編集部に勤務した(十二月馘首)。浅見淵から近く創刊する雑誌に三十枚ほどの小説を書いてみないかと慫慂され、急遽、新生社から原稿を取り戻し、九月に発行された『素直』創刊号に掲載されたのであった。

 なお、戦後であるが、歴史的仮名遣や正字を書いて居た人間が、かっきり新時代になって新字新仮名を使うとは私は全く思っていないから、本年と最後の翌昭和二十二年も同仕儀で電子化する。]

 

   昭和二一(一九四六)年

十月十四日

 辰野先生より來信。

 つまらぬ作品を注文者にわたすな。やせても朽(か)れても、片々たる作品を書くな、ということ。グラグラしてゐた氣持が、これでピンとスジガネ入る。

 行く道は一筋の外なし。此の自明のことが此の暫く判らなかつたのだ。

[やぶちゃん注:「辰野先生」不詳。フランス文学者で東京帝国大学教授(フランス文学主任教授)辰野隆(ゆたか 明治二一(一八八八)年~昭和三九(一九六四)年)か?]

 

十月二十九日

 「新生」の原稿「獨樂」三十六枚まで書いた。これで良いような氣もするし、またドダイ惡作で、かえされさうな氣もする。自信はない。

[やぶちゃん注:後の名篇「日の果て」(リンク先は「青空文庫」)の初稿。「私の創作体験」(昭和三〇(一九五五)年二月刊の岩波講座『文学の創造と鑑賞』第四巻初出)に詳しい。リンク先は私のブログ電子化注。]

 

十一月二十三日

 「崖」四十枚まで書く。

[やぶちゃん注:昭和二二(一九四七)年二・三月合併号『近代文学』に初出、後に単行本「桜島」(昭和二十三年三月大地書房刊)に再録された小説。私のブログのこちらで電子化注してある。]

 

十一月二十七日

 古田君より百圓うけとる。之が全財產。

 石鹸を買ふ。

 左は借金表。

[やぶちゃん注:底本ではここに、『このあとに借金の一覽表があげてある。(編集部)』とあってそれは省略されている。]

   

十二月十二日(木)

 ここには事實だけしかない。善惡はない。

 眞實は一つしかない。それは内奧の聲だ。

 自分のために生きるのが、眞實だ。爾餘(じよ)の行動は感傷にすぎない。

 

 皆が修羅である。

 獨樂(こま)のやうにひとりで𢌞り、そして𢌞りつくして倒れる他ない。

 

 勳章がより所である。

 

 俺は目の覺めるやうなものを見たかつたのだ。ただそれだけだ。

 

 自分が何を考えてゐるか判らなくなつた。

 おれは幽鬼のやうにさまよひ出たのだ。

[やぶちゃん注:「爾餘」それ以外。

「勳章」意味不明。辛酸を舐めた非人間的な海軍勤務体験を指すか。]

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