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2021/07/10

芥川龍之介書簡抄94 / 大正八(一九一九)年(六) 三通

 

大正八(一九一九)年十一月五日・田端発信・江口渙宛

 

君の印象中「感銘は滅多にない」とありあれは「滅多に間違はない」の誤植なり君が年中石心鐡腸の無感銘人だと思はれさうで困つてゐる君の歌二首とも好い紫の花の比ぢやない僕は新年號にとりかかつたまだ講演は草稿も出來ない さやうなら

     唱和一首

   秋の日のほがらほがらに照るところ菊を買ひ持て行くなんぢはや

 

[やぶちゃん注:

「君の印象」芥川龍之介が『新潮』大正八年十一月号に書いた「江口渙氏の事」のこと。「青空文庫」のこちらで新字新仮名で読めるが、その中の第二段落目で(以下は岩波旧全集に拠った)、

   *

 それから江口の頭は批評家よりも、やはり創作家に出來上ってゐる。議論をしても、論理よりは直觀で押して行く方だ。だから江口の批評は、時によると脫線する事がないでもない。が、それは大抵受取つた感銘へ論理の裏打ちをする時に、脫線するのだ。感銘そのものの誤は滅多にはない。「技巧などは修辭學者にも分る。作の力、生命を摑むものが本當の批評家である。」と云ふ說があるが、それはほんたうらしい噓だ。作の力、生命などと云ふものは素人にもわかる。だからトルストイやドストエフスキイの飜譯が賣れるのだ。ほんたうの批評家にしか分らなければ、どこの新劇團でもストリンドベルクやイブセンをやりはしない。作の力、生命を摑むばかりでなく、技巧と内容との微妙な關係に一隻眼を有するものが、始めてほんたうの批評家になれるのだ。江口の批評家としての强味は、この微妙な關係を直覺出來る點に存してゐると思ふ。これは何でもない事のようだが、存外今の批評家に缺乏してゐる强味なのだ。

   *

と述べているのだが、岩波旧全集「後記」によれば、初出では、『感銘そのものの誤は滅多にはない。』の部分が、『感銘は滅多にはない。』となっている旨の記載がある。これはちょっと問題の大きい誤植である。

「紫の花の比ぢやない」「紫の花」は芥川龍之介の短歌であろうが、「車前草のうす紫の花ふみてものを思へば雲の影ゆく」があるが、これは大正二(一九一三)年の作で(「芥川龍之介書簡抄16 / 大正二(一九一三)年書簡より(3)」井川恭宛参照)、如何に龍之介が気に入っていた一首としても、五年前の作品を持ち出すのは、どうだろう? という気がしなくもない。それに、江口とは、この月の上旬に與謝野晶子の歌会に出席している(新全集宮坂年譜)から、或いはその時に龍之介が詠じた一種かも知れない。或いは、先の旧作を持ちこんだものかも知れない。龍之介は俳句では、よく旧作を改作して詠んでいる。なお、次の下島勳宛書簡も参照のこと。

「新年號にとりかかつた」大正九年新年号への龍之介の発表作は、実に十二作品に及ぶ。「魔術」(『赤い鳥』・脱稿は十一月十日)・「鼠小僧次郞吉」(『中央公論』・起筆は十一月二十四日で脱稿は十二月六日)・「有島生馬君に與ふ」(『新潮』・十二月四日脱稿)・「葱」(『新小説』・十二月十一日脱稿)・「舞踏會」(『新潮』・これ以降の作品は概ね十二月十七日脱稿か)・「尾生の信」(『中央文学』)・「動物園」(「象」から「日本犬」までで『サンエス』)・「山房の中」(『大阪毎日新聞』。後に「漱石山房の秋」に改題)・「私の生活(三)」(『文章倶楽部』)・「我鬼氏の座談のうちから」(『ホトトギス』)・「日記のつけ方」(『中央文学』)と、俳句「雜詠」(『ホトトギス』「雜詠」欄)である。

「まだ講演は草稿も出來ない」十一月八日土曜日午後一時に大手町大日本私立衛生会館で開催された第一回東京朝日新聞社主催の文芸講演会での「開會の辞に代へて」という題目での講演のそれを指す。]

 

 

大正八(一九一九)年十一月九日・田端発信(推定)・下島勳宛・空谷先生 侍史・十一月九日午 芥川龍之介

 

昨日はわざわざ講演御來聽下され難有くも恐縮に存候 壇上にては眼ちらつきよく分らざりしも菊池の演說を傍聽致せし節不圖[やぶちゃん注:「はからずも」。]も御出になる事を知りし次第に候 其折御挨拶申上ぐ可き所混雜中意に任かせず欠禮仕候 今夜にても參上致さんと思ひ居候へども日曜の面會日にていろいろな人間參る可く拜趨致し難かる可きやに知れず候間この手紙にて御礼旁御詫び申上候 小生の講演もう少ししやべる事も有之候へどあの演壇の暑さなみ大抵ならず且存外時間のかゝりしに當惑し尻切蜻蛉にして止め候 唯もつと氣が顚倒するかと存候所存外逆上せざるものと發明致候へば今度からはもう少し講演らしい講演致さる[やぶちゃん注:ママ。]可く候 草々頓首

    十一月九日      芥川龍之介

   空 谷 先 生 梧下

  二伸 先日晶子女史歌會へ參り候所小生の歌ちつとも拔けず漸く二点を得しのみに候 御一笑までに當日好評なりし歌と最も不評なりし小生の歌とを御らんに入る可く候

   戀に燃え反逆に燃え紅の火花を散らすわが心の臟     万造寺齊作

   入日さす草の家なれば麥飯にわが食すものは蝗麻呂かも  小生作

[やぶちゃん注:「下島勳」(いさをし(いさおし) 明治三(一八七〇)年~昭和二二(一九四七)年)は医師。日清・日露戦争の従軍経験を持ち、後に東京田端で開業後、芥川の主治医・友人として、その末期を看取った。芥川も愛した俳人井上井月の研究家としても知られ、自らも俳句をものし、「空谷」と号した。また、書画の造詣も深く、能書家でもあった。芥川龍之介の辞世とされる「水涕や鼻の先だけ暮れのこる」の末期の短冊は彼に託されたものであった。

「講演」前の江口渙宛書簡の私の注を参照。

「拜趨」(はいすう)は「出向くこと」を遜って言う語。急ぎお伺いすること。参上。

「万造寺齊」萬造寺齊(まんぞうじ ひとし 明治一九(一八八六)年~昭和三二(一九五七)年)は歌人・小説家・英文学者。当該ウィキによれば、『鹿児島県日置郡串木野町羽島(現在のいちき串木野市)の裕福な地主の家に生まれ』、『旧制川内』(せんだい)『中学から旧制第七高等学校を経て』、『東京帝国大学英文科卒業』。『東京で与謝野鉄幹に師事し』、『明星』・『スバル』に『参加、堀口大學から「短編実作者の第一人者」と評された』。『また』、『石川啄木、高村光太郎、北原白秋、森鷗外らと親交し、東大卒業後は愛媛県西条中学校などで教鞭をとった』。二十八『歳の時、加世田の私有地を売った資金で』、『我等』を『創刊するも』、『下宿の火事により原稿が消失、廃刊』した。『京都に移り住み』、『街道』を『発行して再起を図るも』、昭和一九(一九四四)年、『戦時統制による紙不足で』、またしても廃刊となり、『戦後は農地改革により』、『地主としての地位を失い、故郷に戻る願いも叶わず』、『京都で』七十で亡くなった。最期の『歌は「一生のあがきは終へぬ安らかに今はやすらへ吾がたましひ」であり、不遇により』、『中央歌壇における成功は』遂に『得られなかった』とある。

「食す」「をす」。

「蝗麻呂」(いなごまろ)は「稻子麿」で、中古にイナゴを擬人化していった語で、イナゴやバッタ類の総称古名となった。平安時代の延喜一八(九一八)年頃に深根輔仁(すけひと)が著した「本草和名」(ほんぞうわみょう)に既に出ている。]

 

 

大正八(一九一九)年十一月十一日・田端発信・小田壽雄宛

 

啓 君の手紙愉快に拜見僕に何故冷眼に世の中を見るかと云ふ質問も靑年の君としては如何にも發しさうなものと考へますが僕には現在僕の作品に出てゐる以上に世の中を愛する事は出來ないのだからやむを得ませんのみならず愛を呼號する人の作品は僕にとつて好い加滅な噓のやうな氣さへするのです僕は世の中の愚を指摘するけれどもその愚を攻擊しようとは思つてゐない僕もさう云ふ世の中の一人だから唯その愚(他人の愚であると共に自分の愚である所の)を笑つて見てゐるだけなのですそれ以上世の中を愛しても或は又惜んでも僕は僕自身を僞る事になるのです自ら僞る位なら小說は書きません要するに僕は世の中に pity を感ずるが love は感じてゐない同時に又 irony を加へるより以上に惜む氣にもなれないのですかう云ふ態度は今の君にとつて物足りないものかも知れませんけれども年齡は早晚君をそこまで導くでせう僕は敎師をやめてのびのびした學校生活は大嫌だつたのですだから生徒の事を今はよく覺えてゐない覺えてゐるのは一年の時から敎へた君の class だけ位です君の健康を祈ります 頓首

    十一月十一日     芥川龍之介

   小田壽雄樣

 

[やぶちゃん注:「小田壽雄」「おだとしお」と読むか。新全集「人名解説索引」に、『横須賀の海軍機関学校の生徒で』、『芥川が』二年四ヶ月、『英語を担当した教え子』とある。

「pity」哀れみ・同情。自分より劣っていたり、弱い立場にある人に対する哀れみの気持ちを表わすことが多い。

「irony」アイロニイ。皮肉。]

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