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2021/07/27

「南方隨筆」版 南方熊楠「詛言に就て」 オリジナル注附 (8) / 「詛言に就て」~了

 

 グリンムの獨逸童話篇に父が水汲みに往つた子供の歸り遲きを憤り、皆鴉に成れと詛ふと、七人悉く忽ち鴉と成て飛び去つたと有り。Kirby, ‘The Hero of Esthonia,’ 1895, vol.ii, p. 45  seqq. に、エストニアの勇士カレヴヰデ醉て鍛工の子を殺し、鍛工恨んで前刻カレヴヰデに與へた名刀を援(ひい)て彼を詛ふと、後年果して其刀に兩膝以下を截られて此の世を去つたと出づ。羅馬法皇ジヤン廿一世の時、サキソン國の不信心の輩、一法師の持る尊像を禮せず。法師之を詛ひしより彼輩一年の間踊りて少しも輟得なんだ[やぶちゃん注:「やめえなんだ」。](Henri Estienne, ‘Apologie pour Hérodote,’ n. e., Paris, 1879, tom. ii, p. 79)。北ウエールスのデムビシヤヤーのエリアン尊者の井近く尼樣の女住む。人を詛わんと欲する者少しの金を捧げると、其女被詛者の名を簿に注し、其名を呼乍ら留針一本井に落すと詛ひが利(きい)た。(Gomme, ‘Ethnologiy in Folklore,’ 1892, p. 87)。リグヴヱダには梟痛く鳴くを聞く者死と死の神を詛ふべしと有り、ラーマーヤナムには、梵授王肉と魚を瞿曇仙人[やぶちゃん注:「くどんせんにん」。]に捧げ、仙人瞋つて王を詛ひ鵰(ヴルチユール)と化す譚有り、以上の諸例を稽へて[やぶちゃん注:「かんがえへて」。]、昔重大だつた呪詛術が今日輕々しく發する詛言と成たと知るべし。

  (大正四年四月、人類第三〇卷)  

[やぶちゃん注:「グリンムの獨逸童話篇に父が水汲みに往つた子供の歸り遲きを憤り、皆鴉に成れと詛ふと、七人悉く忽ち鴉と成て飛び去つたと有り」「七羽のカラス」。多言語の対訳が載る「グリム童話」の卓抜なサイト「grimmstories.com」のこちらで読める。

「Kirby, ‘The Hero of Esthonia,’ 1895」イギリスの昆虫学者でフィンランドの民族叙事詩カレワラや北欧の神話・民話の翻訳紹介も行ったウィリアム・フォーセル・カービー(William Forsell Kirby 一八四四年~一九一二年)の同年出版の著作。「エストニア」はバルト三国では最も北にある現在のエストニア共和国(グーグル・マップ・データ)。当該ウィキによれば、『現在のエストニアの地に元々居住していたエストニア族(ウラル語族)と、外から来た東スラヴ人、ノルマン人などとの混血の過程を経て』、十『世紀までには現在のエストニア民族が形成されていった』。十三『世紀以降、デンマークとドイツ騎士団がこの地に進出して以降、エストニアはその影響力を得て、タリンがハンザ同盟に加盟し』、『海上交易で栄えた』。但し、『その後もスウェーデン、ロシア帝国と外国勢力に支配されてきた』とある。一九〇五年版の原本をざっと見たが、どうも見当たらない。但し、以上の話に出るは、エストニアの巨人の英雄カルヴィデ(英語:Kalevide)である。英文ウィキの彼の「Kalevipoeg」を見ると、その「Synopsis」の条に、

   *

   Kalevipoeg travels to Finland in search of his kidnapped mother. During his travel he purchases a sword but kills the blacksmith's eldest son in an argument. The blacksmith places a curse on the sword and is thrown in the river. On returning to Estonia Kalevipoeg becomes king after defeating his brothers in a stone hurling competition. He constructs towns and forts and tills the land in Estonia. Kalevipoeg then journeys to the ends of the earth to expand his knowledge. He defeats Satan in a trial of strength and rescues three maidens from hell. War breaks out and destruction visits Estonia. Kalevipoeg's faithful comrades are killed, after which he hands the kingship to his brother Olev and withdraws to the forest, depressed. Crossing a river, the sword cursed by the Blacksmith and previously thrown in the river attacks and cuts off his legs. Kalevipoeg dies and goes to heaven. Taara, in consultation with the other gods, reanimates Kalevipoeg, places his legless body on a white steed, and sends him down to the gates of hell where he is ordered to strike the rock with his fist, thus entrapping it in the rock. So Kalevipoeg remains to guard the gates of hell.

   *

とあって、ここに記した話は含まれており、死んだ後に、神々によって蘇生させられ、足のない体を白い馬に乗せて、「地獄の門」に送られ、岩に閉じ込められたまま、今も彼はは「地獄の門」を守っている、とある。

「羅馬法皇ジヤン廿一世の時」「廿一世」を称するローマ教皇はヨハネスXXI世(Ioannes XXI 一二一五年~一二七七年:本名はペドロ・ジュリアォン(Pedro Julião))しかいない。しかも彼の教皇在位は一二七六年ペドロ九月十三日から亡くなった一二七七年五月二十日で、僅か八ヶ月であった。当該ウィキによれば、彼は『ヴィテルボにある別荘に新たな翼を付けさせた』が、『それは手抜き工事で』あっため、『彼が就寝していると』、『屋根が崩れ落ち、重傷を負った。そして、事故から』八『日後』『に死んだ。恐らく、偶発的な事故で死んだ教皇は』彼が『唯一』人『である』とあり、さらに『死後、「ヨハネス」XXI『世は魔法使いであったのだ」と噂が広まった』とある。また、『ダンテ・アリギエーリは』「神曲」の『中で、偉大なる宗教学者の魂と共に太陽の天空で』彼と『面会した話を書い』ているとある。まあ、ここでは彼が主人公なわけではないが。

「サキソン國」グレートブリテン島にあったサクソン人の王国群。

「Henri Estienne, ‘Apologie pour Hérodote,’ n. e., Paris, 1879」アンリ・エティエンヌ(Henri Estienne 一五二八年~一五九八年:パリ生まれの古典学者・印刷業者。ラテン語名ヘンリクス・ステファヌス(Henricus Stephanus)としても知られる。一五七八年に彼が出版した「プラトン全集」は、現在でも「ステファヌス版」として標準的底本となっている。以上は当該ウィキに拠った)の「ヘロドトスの謝罪」。当該書の当該部はここだが、そんなことは書いてないように思われる。ページ数が違うか。

「北ウエールスのデムビシヤヤー」現在、ウェールズ北東部にデンビーシャー(英語:Denbighshire)州があるが、旧デンビーシャー地区の境界域とはかなり異なっている。

「エリアン尊者」不詳。

「Gomme, ‘Ethnologiy in Folklore,’ 1892」イギリスの民俗学者ジョージ・ローレンス・ゴム(George Laurence Gomme 一八五三年~一九一六年)の「民間伝承の民族学」。

「リグヴヱダ」「リグ・ヴェーダ」(英語:Rigveda)は古代インドの聖典であるヴェーダの一つ。サンスクリットの古形であるヴェーダ語で書かれている。全十巻で千二十八篇の讃歌(内十一篇は補遺)から成る。

「梟痛く鳴くを聞く者死と死の神を詛ふべしと有り」フクロウ目 Strigiformes(メンフクロウ科 Tytonidae(二属十八種・本邦には棲息しない)及びフクロウ科 Strigidae(二十五属二百二種)の二科二十七属二百二十種が現生)、或いはそのフクロウ科 Strigidae に属する種群、或いは種としてフクロウ属フクロウ Strix uralensis がいる。まず、「ミネルヴァのフクロウ」のように総体が智や学問の象徴とされても、その鳴き声自体は汎世界的に不吉なものとされることが多いから、腑に落ちる。博物誌は私の「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鴞(ふくろふ) (フクロウ類)」を見られたい。

「ラーマーヤナム」「ラーマーヤナ」。「ラーマ王の物語」の意。インドの大叙事詩。全七編、二万四千頌(しょう)の詩句から成る。詩人バールミキの作。成立は二世紀末とされる。英雄ラーマが猿の勇士ハヌマンらと協力して魔王ラーバナと戦い、誘拐された妻シータを取り戻す物語。

「梵授王」梵天王(ブラフマー)から王位を正当に授かった国の王の意であろう。

「瞿曇仙人」「瞿曇」は釈迦の出家する前の本姓として知られるが、ここは同じ名で別人(「ゴータマ」の漢音写。サンスクリット語で「最上の牛」の意)。古いインドに於いて暦法を考えた人とされる。但し、完訳本を所持しないので、本シークエンスが「ラーマーヤナ」どこに書かれているのかは知らない。ウィキのラーマーヤナ」や、「ラーマーヤナの登場人物一覧」などを見、梗概を日本語訳した本もざっと見たが、判らない。悪しからず。

「鵰(ヴルチユール)」この漢字(音「チョウ」)は新顎上目タカ目 Accipitriformesタカ科 Accipitridae の鳥の中でも大形の個体や種群を指す漢字である。私の「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鵰(わし) (鷲(ワシ)類)」を参照されたい。私は熊楠がこの漢字に何故このルビを附したのかよく判らないが、この「ヴルチユール」は直ちに「ヴァルキューレ」(ドイツ語:Walküre)或いは「ヴァルキュリャ」(古ノルド語:valkyrja:「戦死者を選ぶも者」の意)を想起させ、北欧神話に於いて、戦場で生きる者と死ぬ者を定める女性、およびその軍団のそれ(この部分はウィキの「ワルキューレ」に拠った)を音写したものかと思う。但し、ドイツ語の Walküre には上記の意味だけで、いかにもかと思った「鷲」などの転訛した意味はない。なお本邦では「地獄の黙示録」以降、「ワルキューレ」の読みが跋扈しているが、ドイツ語では決してこうは発音しないそうである。]

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