日本山海名産図会 第二巻 蜂蜜・蜜蝋(みつらう)・會津蝋(あいづらう)
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングした。キャプションは「熊野蜂蜜(くまのはちみつ)」。「蜜」の字は以下の本文でも、この(グリフィスウィキ)異体字である。ちょっと形が異様ではあるのだが、右上に三種の蜂の図を描いてあるのが、いい。また、絵の中の藁葺屋根の棟に猫が寝転んでいるのも、いい。絵師蔀関月のセンスはただものではない。]
○蜂蜜一名「百花精(ひやくくわせい)」・「百芲蕊(ひやくくわずゐ)」
○凡そ、蜜を釀(かも)する所、諸國、皆、有り。中にも紀刕熊野を第一とす。藝州、是れに亞(つ)ぐ。其外、勢州・尾州・圡州・石州・筑前・伊豫・丹波・丹後・出雲などに、昔より、出だせり。又、舶來の蜜あり、下品なり。是れは、砂糖、又、白砂糖にて製す。是れを試るに、和產の物は、煎(せん)ずれば、蜂、おのづから、聚(あつま)り、舶來の物は、聚まることなく、此れをもつて、知る。○蜜は、夏月(なつ)、蜂の脾(す)の中(うち)に貯へて、己(おの)が冬籠りの食物(しよくもつ)とせんがためなり。一種、人家に自然に脾を結び、其の中(なか)に貯はふ物を「山蜜(やまみつ)」といふ。又、大樹の洞中(たうちう)に脾を結び、貯はふを、「木蜜(きみつ)」といふ。以上、熊野にては「山蜜」といひて、上品とす。又、巖石間中(いわほのうち)に貯はふ物を「石蜜(せきみつ)」と云ふ。また、家に養(か)うて採る蜜は、毎年、脾を采り去る故に、氣味、薄く、これを「家蜜(かみつ)」といふ。脾を炎天に乾かし、下に器(うつは)を承(う)けて、解け流るる物を、「たれ蜜」といひて、上品なり。漢名「生蜜(せうみつ)」【一法、槽(おけ)に入れて、火を以つて、焚きて取るなり。但し、火氣の文武(ふんふ)の毫厘(かうり)の間(あひだ)を候(うかゞ)ふこと、大事あり。】。又、脾を取り潰し、蜂の子ともに、硏(す)り水を入れ、煎じて、絞り採るを、「絞り」といふ【漢名「熟蜜」。】。凡そ、蜜に、定まる色、なし。皆、方角の花の性(せい)によりて、數色(すしよく)に變ず。
○畜家蜂(いへにやしのふはち)【漢名「花賊(くはそく)」・「蜜宦(みつくわん)」・「王腰奴(わうようと)」・「花媒(くははい)」。】
家に畜(やしな)はんと欲(ほつ)すれば、先づ、桶にても、箱にても、作り、其の中に酒・砂糖・水などを沃(そゝ)ぎ、蓋(ふた)に孔(あな)を多くあけて、大樹の洞中(とうちう)に結びし窠(す)の傍(かたはら)に置けば、蜂、おのづから、其の中へ移るを、持ち歸りて蓋を更ためて、簷端(のき)、或ひは、牖下(まと)に懸け置くなり。此の箱・桶の大きさに、規矩あり。されども、諸刕、等しからず。先づ、九刕邉(へん)一家の法を聞くに、箱なれば、九寸四方・竪(たて)二尺九寸[やぶちゃん注:約八十九センチメートル。]にして、これを竪に掛くるなり。あるいは、斜横(ななめよこ)と、畜(やしな)ふ家の考へあり。その箱の材(き)は、香(か)のある物を忌みて、かならず、松の古木を用ひ、これまた、鋸(のこぎり)のみにて、鉋(かんな)に削ることを、忌む。板の厚さ、四步[やぶちゃん注:一・二センチメートル。]斗、両方の耳を、隨分、かたく造り、つよく縄をかけざれば、後には、甚だ重くなりて、おのづから落ち損ずることあり。戸は上下二枚にして、下の戶の上に、一步八厘[やぶちゃん注:五・四ミリメートル。]・横四寸ばかりの隙穴(ひまあな)を開(ひら)きて、蜂の出入りの口とす。若し、一、二厘も廣く開くれば、山蜂(やまはち)など、隙より窺ひて、大きに蜜蜂を擾亂す。又、大王の出づるにも、此の穴よりして、凡そ、小(ちい)さき物なり。箱の數(かず)は、家毎(いへごと)に、三、四を限りて、其の余(よ)は、隣家の軒を、往々、借りて畜なふ。
○造脾(すをつくる) 尋常(よのつね)の房(す)の鐘(つりかね)の如き物にあらず。穴も、下に向ふことなく、只、箱、一(いつ)はゐ[やぶちゃん注:いっぱい。]に造り、穴は横に向かふて、人家の鳩の家の如し。先づ、箱の内の上より、半月(はんげつ)のごとき物を造りはじめ、繼いで、下(した)一はひ・兩脇共に、盈(みた)しむ。其の厚さ、凡そ一寸八步、或いは、二寸ばかり。両面より、六角の孔、數多(あまた)を開き、柘榴(ざくろ)の膜(まく)に似て、孔、深き。八、九步、是くのごとき物を、幾重(いくえ)も製(つく)りて、其の脾と脾との間(あひだ)、纔か、人の指の通る程宛(ほどつゝ)の隙(ひま)あり。蜂、其の隙に入るには、下より潛(くゝる)なり。全躰、脾を、下迄は盈(みた)さずあればなり。脾の形或は、正面、或は、横斜(よこななめ)などにて、大抵、同じ其の孔には、子を生み、又、蜜を貯へ、又、子の食物の花を貯はふ。又、子、成育して飛んで出入(でいり)するに及べば、其の跡の孔へも、亦、蜜を貯はふ。凡そ、蜜、はじめは、甚だ、淡(あは)しき露(つゆ)なり。吐き積んで、日を經れば、甘芳(かんはう)、日毎に進むこと、實(まこと)に人の酒を釀(かも)するに等し。既に露(つゆ)、孔に盈(みつ)る時、其の表を閉ぢて、一滴一氣を漏らすことなく、蜂の數(かず)多ければ、氣味も厚し。
○蜂は、小なり。大きさ、五步(こふ)計り。マルハチに似て、黄に黑色(こくしよく)を帶ぶ。多く群(あつま)りて、花をとる物は、巢を造(つくら)ず、巢を造ものは花を採らず。時々、入れ替りて、其の役を、あらたむ。夫(そ)れが中に「蜂王(だいわう)」といひて、大きなる蜂一つあり。其王の居所(いどころ)は、黑蜂(くろはち)の巢の下(した)に一臺(いつたい)をかまふ。是を「臺(うてな)」といふ。その王の子は、世々(よゝ)繼きて王となりて、元より、花を採ることなく、毎日、群蜂(くんはう)、輪値(かはりはん)[やぶちゃん注:「替わり番」。かわりばんこ。]に、花を採りて、王に供(くう)す。是れ、一桶に一个(ひとつ)のみなるに、子を產むこと、雌雄ある物に同じ道理においては、希異(きい)なり。群蜂、是れに從侍(じうじ)すること、實(まこと)に玉體に向かふがごとし。又、黒蜂、十斗りありて、是れを「細工人(さいくにん)」と呼ぶ。孔口(あなくち)を守りて、衆蜂(しうはう)の出入(でいり)を檢(あら)ため、若し、花を持たずして孔に入らんとするものあれば、其の懈怠(けだい)を責めて敢へて入ることを許さず。若し、再三に怠る者は、遂に螫(さ)し殺して、軍令を行ふに異(こと)ならず。凡そ、家にあるも、野にあるも、儀(ぎ)においては同じ。
○頒脾(すをわかつ)[やぶちゃん注:所謂、彼自身の「分蜂」を見極めて、それを助けつつ、人工的に飼養領域内に人工分蜂する手法の記載である。] 大王の子、成育に至れば、飛んで、孔を出づるに、群蜂、半(なかば)、從がふて、恰(あたか)も、天子の行幸(みゆき)のごとく、擁衞(ようゑい)、甚だ、嚴重なり。其の飛び行くこと、大抵、五間[やぶちゃん注:九・〇九メートル。]より十間の程にして、木の枝に取り附けは、其の背、其の腹に、重なり、留りて、枝より垂たるごとく、一團に凝(こ)り集まり、大王、其の中(なか)に、楯(たて)のごとく、裏(つゝ)まる。畜なふ人、是れを逐(お)ふて、袋を群蜂の下に𣴎(う)けて 羽箒(はがばき)を以つて、枝の下を掃くがごとくに切り落せば、一團のまゝにて、其の袋中(たいちう)へ、おつる。其の音、至つて、重きがごとし【今、世、此の袋を籠にて作りて、衆蜂の気(き)を洩らさしむ。さなくては、蜂、死ること、多し。】。是れを用意の箱に移し、畜なふを、「脾わかれ」といふて、人の分家するに等し。若し、其の一團の袋へ落つるに、早く飛び放なる者ありて、大王の從行(じゆうぎやう)に洩れて、其の至る所を知らず。又、原(もと)の巢へ飛び歸る時は、衆蜂、敢へて孔に入ることを不許(ゆるさず)、爭ひ起こりて、是れを螫し殺し、其の不忠を正すに似たり。見る人、慙愧して歎淚(たんるい)を流せり。又。「八ツさはぎ」とて、晝八つ時には、衆蜂、不殘(のこらず)、桶の外に現はれて、稍(やゝ)羽根を鳴らすこと、あり。三月頃、蜂の分散する時、彼(か)の王、一群ごとの中(なか)に、必ず、一つ、あり。巢中(すちう)に、王、三つある時は、群飛(ぐんひ)も、三つにわかる。其の時、畜なふ人、水、沃ぎて、其の翅(つばさ)を濕(うるほ)せば、蜂、外へ、分散せず、皆、元の器中(きちう)へ還る故に、年々、畜なふ、といへり。
○割脾取蜜(しをきりてみつをとる) 是れを採るには、蕎麦(そは)の花の凋(しぼ)む時を、十分、甘芳(かんはう)の成熟とす。採らんと欲する時は、先づ、蓋を「ホトホト」叩けば、蜂、皆、脾の後に移る。其の巢の三分の二を切り採り、三分が一を殘せば、再び、其の巢を補ひ、原(もと)のごとし。かく採ること、幾度(いくたび)といふことなし。冬に至れば、脾ともに、煎じて、熟蜜とす。○一種、「圡蜂(ぢはち)」と云ひて、大(おゝき)さ五分ばかり、圡(つち)を深く穿ち、其の中(なか)に脾を結ぶ。是れにも蜜あり。南部、是れを「デツチスガリ」といふ。但し、スガリは蜜の古訓なり。「古今集」「離別」に、 ┌─すがるなく秋の萩原(をきはら)あさたちてたび行人(ゆくひと)をいつとかまたん 又、深山(みやま)崖石上(かいせきじやう)に自然のもの、數歲(すさい)を經て、已(すて)に熟する者あれば、圡人(としん)、長き竿をもつて、刺して、蜜を流し採る。或ひは、年を經ざるものも、板緣(ふちのふち)、取れり。凡そ、箱に畜なふもの、「絞り蜜」ともに、二十斤【百六十目一斤。】、蜜蝋(みつろう)二斤を得るなり。此二斤のあたひを以つて、桶・箱修造の費用に抵(あて)ゝ足(た)れり、とす。
○蜜蝋(みつらう) 一名「黄蜡(おうさく)」
是れ、黄蝋(わうろう)といふ物にて。即ち、蜂の脾(す)なり。其の脾を絞りたる滓(かす)なり。蜜より蝋を取るには、生蜜(たれみつ)を采(と)りたるに、後(のち)の巢を鍋に入れ、水にて煎じたる時、別の器に冷水を盛りて、其上に籃(いかき)を置き、かの煎じたるを移せば、滓(かす)は籃に留(とゞま)りて、蝋は、下の器の水面(すいめん)に浮かふ。夫を、又、陶器に入れて、重湯(ゆせん)とすれば、自然に結びて、「ろう」となるなり。又、熟蜜(なりみつ)をとる時、鍋にて沸せば、蜜は、上に浮かび、蝋は中に在り。脚(あし)は底にあり。是れを采り冷しても、自然に黄蝋に結ぶ。
○會津蝋(あいづらう)
「本草」、「蟲白蝋(ちうはくらう)」といひて、奧刕會津に採る蝋なり。是れはイボクラヒといふ虫を畜(やし)なふて、「水蝋樹(いぼた)」といふ木の上に放せば、自然に枝の間に蝋を生(せう)して、至つて、色白し。其の虫は、奧州にのみありて、他國になく、故に形を詳(つまび)らかにせず。今、他國に白蝋(はくらう)といふものは、𣾰(うるし)の樹などの蝋を暴(さら)したる白色なり。また、藥店(やくてん)にて、外療(くわいりやう)に用いる「白蝋」といふも、蜜蝋の暴したるにて、是れ又、眞(しん)にあらず。水蝋樹といふ木は、處々に多し。葉は忍冬(にんどう)に似て、小なり。夏は枝の末、ことに、小白花(せうはくくわ)を開らき、花(はな)の後(のち)、實(み)を生ず。熟して、色、黑く、鼡(ねづみ)の屎(くそ)のことく、冬は、葉、おつる。又、此の蝋を刀劔(たうけん)に塗れは、久しくして、鏽(さび)を生ぜず。又、疣(いぼ)に貼(つく)れば、自(おのづ)から落つる。故に「イホオトシ」の名あり。今、蝋屋(らうや)に售(う)る會津蝋といふ物、眞僞、おぼつかなし。
[やぶちゃん注:ここでの種は、昆虫綱膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目ミツバチ上科ミツバチ科ミツバチ亜科ミツバチ族ミツバチ属トウヨウミツバチ亜種ニホンミツバチ Apis cerana japonica である。私はこの「蜂蜜」パートについては、特に大仰な注を附す必然性を感じていない。それは、比較的近年の仕儀で、かなり注に拘った、
があるからである。他にも、
や、純粋な博物学的なものとしては、
もあるので、是非、先に目を通して戴ければ、幸いである。
「マルハチ」ミツバチ亜科或いはマルハナバチ亜科マルハナバチ族マルハナバチ属 Bombus のマルハナバチ類。当該ウィキを見ても、本邦在来種だけで二十二種を数える。なお、採取や採算に堪え得るかどうかは別として、基本的にはミツバチ科 Apidae の種群は蜜を作る。
「山蜂(やまはち)」細腰亜目スズメバチ上科スズメバチ科スズメバチ亜科 Vespinae の肉食性のスズメバチ類の総称。
「蜂王(だいわう)」以下の叙述を見るに、「一桶に一个(ひとつ)のみなるに、子を產むこと、雌雄ある物に同じ道理においては、希異(きい)なり」と言っていることから、この蜂の「大王」が♀であることを、作者は正しく認識していることが判る。
『又、黒蜂、十斗りありて、是れを「細工人(さいくにん)」と呼ぶ。孔口(あなくち)を守りて、衆蜂(しうはう)の出入(でいり)を檢(あら)ため、若し、花を持たずして孔に入らんとするものあれば、其の懈怠(けだい)を責めて敢へて入ることを許さず。若し、再三に怠る者は、遂に螫(さ)し殺して、軍令を行ふに異(こと)ならず』スズメバチ等の脅威を監視する役が「働き蜂」の中におり、警戒していることは古くから知られているが、直ぐに原資料を示すことが出来ないが、かなり新しい専門家の記事で、さらに「働き蜂」の中には、花蜜を持ってきたかのような振りをして、実は手ぶらで戻ってくる怠け者が実際にいることを読んだ。それが監視されているかどうかは、定かではないが(高度な社会性昆虫であるからにはそうしたシステムがあってもおかしくはない。しかし、スズメバチの脅威の方が遙かに甚大であるから、そのような怠け者を監視し処罰するというシステムは構築され難いように思われる。なお、ご存知と思うが、数少ない女王蜂と交尾する数少ない♂蜂は後尾終了と同時に内臓が引き出されて死んでしまうはずである。
「今、世、此の袋を籠にて作りて、衆蜂の気(き)を洩らさしむ。さなくては、蜂、死ること、多し」彼らはスズメバチなどに集団でとりついてスズメバチを中心に巨大な蜂球(ほうきゅう)を形成することで高熱を発生させ、自身ら諸共に熱死させる手法をとるから、人工的に蜂のある程度の有意な集団の動きを強制的に束縛して密閉してしまうと、蜂球と同じ現象が自動的に始まり、蜂が死んでしまうことを言っているように思われる。「原(もと)の巢へ飛び歸る時は、衆蜂、敢へて孔に入ることを不許(ゆるさず)、爭ひ起こりて、是れを螫し殺し、其の不忠を正すに似たり」確認は出来ないが、これは事実であろうと思われる。分蜂が厳密に守られなければ、双方に死滅の危機が生まれるからである。
『「八ツさはぎ」とて、晝八つ時には、衆蜂、不殘(のこらず)、桶の外に現はれて、稍(やゝ)羽根を鳴らすこと、あり』これは「記憶飛行」と呼ばれる行動である。「山田養蜂場」公式サイト内のこちらに、『働き蜂は、羽化してからすぐに外で仕事をすることはできません。掃除や子育て、巣作り、はちみつの仕上げ、警備と続く巣内の仕事が終わって初めて、はちみつや花粉を集める外の仕事につくことができるのです』。『初めての巣の外に出かけるときは、記憶飛行(オリエンテーションフライト)という訓練から始まります。暖かく晴れた日に、お昼から午後』三『時頃まで』(「八ツ」は定時法で午後二時頃から三時頃に当たる)、『何百匹もの若いミツバチは巣箱から一斉に出てきて、巣箱の位置や周辺の景色を覚えるために、飛行訓練を行うことがあります。養蜂家が昔から「時さわぎ」と呼んでいるのは、この記憶飛行のことです。その姿をお昼ごはんを食べながら眺めるのが、私は好きです』。『よく観察すると、ミツバチは顔を巣箱の方向に向けながら数秒間ホバリング(空中で同じ場所に定まったまま飛んでいる状態)して、それから数』キロメートル『先まで飛んで行き、巣に戻ってきます。そんなことを繰り返しながら飛び方を学んでいきます。また巣の入り口には、お尻を外側に向けて持ち上げ、羽を震わせている働き蜂がいます。若いミツバチが迷子にならないように、お尻のあたりからフェロモンを分泌し、その臭いを風にのせて巣の入り口を教えているのです。まだまだ世間を知らない若いミツバチは、こうして先輩ミツバチに助けられながら巣立ちの準備をしていくのです』。『内勤の仕事が終わり、やっと外の仕事についても、実は外に出始めると寿命は驚くほど短くなります。夏の働き蜂の寿命は平均して』四十『日にも満たないほどですが、外出できない雨の日を除けば、実際に外で仕事をしているのは』十『日ほどしかありません。ツバメなどの鳥に食べられたり、カエルが待ち構えていたり、突然の雨に打たれたり、と外の世界には危険がいっぱい。たくさんの天敵が待ち構えています。私たちが食べているはちみつやローヤルゼリー、プロポリスはミツバチが命をかけて採っているといってもよいでしょう』。『ミツバチは普通』二キロメートル『くらいを行動半径としていますので、その範囲内に蜜源となる花が豊富にあれば、ミツバチを飼うことができます。つまり、養蜂という仕事は「空間農業」、「空中農業」と言い換えることができます』。『しかし近年、ミツバチが安心して暮らすことができる場所は、どんどん減ってきています。ミツバチの天敵はたくさんいますが、本当の天敵は環境破壊を行う人間なのかもしれません。ミツバチにとって豊かで快適な環境こそ、私たち人間にとっても一番良い環境なのではないでしょうか』とある。心の籠った説明に心打たれた。
「圡蜂(ぢはち)」「地蜂」は現行ではスズメバチ亜科クロスズメバチ属クロスズメバチVespula flaviceps を指し、彼は蜜を作らない。他に「土蜂」としてツチバチ科 Scoliidae の昆虫の総称であるが、ご存知の通り、彼らは「狩り蜂」の原始的なタイプで、やはり蜜は作らないので、ここは不審である。
『南部、是れを「デツチスガリ」といふ』これでも前の不審は晴れない。これも「狩り蜂」の一種のジガバチ科ツチスガリ属 Cerceris の昆虫の総称であり、この名は「丁稚」ではなく「出地」或いは「出土」で例えば、同種のツチスガリ Cerceris hortivaga に親和性がある。或いは、その形状から、「出っ尻」の縮約の可能性もあるように私には思われる。さらに作者の「スガリは蜜の古訓なり」というのも大嘘である。「すがり」は広義には一般に仙台に於ける蜂全般の古名や、東北全般・長野県・山梨県で食用にした腰のくびれたクロスズメバチ類の地域名・地方名である。小学館「日本国語大辞典」によれば、「すがり」は「蜾蠃」で、『昆虫「はち(蜂)」の異名』としつつ、引用例三種は総て仙台を出元ととする。同「方言」のパートでは、①で『こしぼそばち(腰細蜂)』として南部・仙台を、『すがりばち』として隠岐を、『すがれ』として長野を挙げ、②で『じばち(地蜂)』として長野県諏訪郡、『すがれ』として長野県上伊那郡を、③で『つちばち(土蜂)』として秋田、『しがり』として青森・岩手を、④で『蜂の一種』として仙台・福島・山梨を、⑤で『蜂』として盛岡・仙台・岩手・宮城を、⑥で『蜂の一種。陰湿を好み色黒く人の肌を刺すもの』として鹿児島・長崎・壱岐を、⑧(⑦がない)では『蟻』として宮崎・福岡・佐賀・長崎・五島・熊本・天草・福岡を挙げた上で『すがり』として長崎・鹿児島の採取地を示す。どこにも蜂蜜を指すとは、ない。
「古今集」「離別」「すがるなく秋の萩原(をきはら)あさたちてたび行人(ゆくひと)をいつとかまたん」「古今和歌集」巻第六「離別歌」の詠み人知らずの二首目(三六六番)であるが、「荻原」ではなく、「萩原」である。
すがるなく秋の萩原(はぎはら)朝たちて
旅行く人をいつとか待たむ
しかし、この場合の「すがる」は女性的な腰のくびれた美しい色をした「じがばち」(似我蜂:細腰亜目アナバチ科ジガバチ亜科ジガバチ族 Ammophilini)とするのが定説である(既に「万葉集」に詠われている)が、中世の注では鹿の鳴き声とする。
――「すがる」の鳴く――その飛ぶ音がする――秋萩の茂る野を、朝に立って行かれる旅人を――『何時、お帰りになられるか』と、待つのでありまする……
なお、この歌は次(三六七番)の以下(無論、詠み人知らず)との相聞歌である。
かぎりなき雲井のよそにわかるとも
人を心におくらさむやは
――遙かなる雲居のあたり――そんな果てしなく遠く別な地へと別れるにしても――どうしてあなたを残して行くものか……私の心の中にしっかりと添わせて連れて行くよ……
である。相聞を分断する作者は、無風流なること、極まりない!
「二十斤【百六十目一斤。】」一斤は六百グラムであるから、「二十斤」は十二キログラム。一斤は「百六十」匁(もんめ)で、一匁は三・七五グラム。
「蜜蝋」はミツバチ(働きバチ)の巣を構成する蝋を精製したものを指す。蝋は働きバチの蝋分泌腺から分泌され、当初は透明であるが、巣を構成し、巣が使用されるにつれて花粉・プロポリス(propolis:ミツバチが木の芽・樹液・その他の植物源から集めた樹脂製混合物。「蜂(はち)ヤニ」とも呼ぶ。「プロポリス」という名は、もともとギリシャ語で、「プロ」は「前」や「守る(防御)」の意、「ポリス」は「都市」という意の合成語で、社会性昆虫である蜂が「都市(巣)を守る」という意味である。プロポリスは巣の隙間を埋める封止剤として使われている)・幼虫の繭、さらには排泄物などが付着していくため、蜜蝋以外のものが蜜蝋に混入することもある。精製法は太陽熱を利用する陽熱法と、加熱圧搾法とがあり、効率上は後者が優れる。融点は摂氏六十二~六十五度と高く、身近では化粧品の原料として用いられることが多い。色はミツバチが持ち運んだ花粉の色素の影響を受け、鮮黄色、乃至は黄土色を呈している。最大の用途はクリームや口紅などの原料で、パラフィン・ワックス製の蝋燭に融点を高める目的で混ぜられることも多い。パラフィン・ワックスが発明される以前の中世ヨーロッパでは、教会用蠟燭の原料として盛んに用いられた。養蜂業では、巣礎(そうそ)の材料とする。巣礎とはロウでできた板で、ミツバチはこの上に蜜蝋を盛り、巣房(ミツバチの巣を構成する六角形の小部屋)を構成してゆくのである。サラシミツロウ(white beeswax)は軟膏基剤や、整形外科手術などで切除した骨の断端に詰めるなどして医療用に使用される。また、花粉由来のビタミン類や鉄分・カルシウムなどのミネラル類、蜜蝋本来の脂溶性ビタミン類といった栄養成分が含まれているため、食用になり、洋菓子にも使用されている。かつてヨーロッパではバターが量産普及する以前、調理用油脂としても用いられた。また古くから中世にかけて蜂蜜の精製方法が普及されていない時期は、欧州・中東地域・中国周辺地域・アフリカ大陸・南北アメリカ大陸で、蜂蜜と巣を一緒に摂取するという形で常食されてきた。特にヨーロッパでは蜜蝋のままで高カロリーの飢救食物としても利用された(以上は主文を当該ウィキに拠った)。
「黄蜡(おうさく)」この「蜡」は「蠟(蝋)」に同じ。
「重湯(ゆせん)」湯煎(ゆせん)。
「脚(あし)」重い不純物の滓(おり)のことであろう。
「會津蝋(あいづらう)」福島県会津地方で産する蝋。イボタロウムシの分泌物が原料で上質。絵蠟燭を造るほか、医薬用・工業用とする。イボタロウムシは半翅(カメムシ)目同翅(ヨコバイ)亜目カイガラムシ上科イボタロウムシ Ericerus pela で、当該ウィキによれば、『北海道から沖縄県まで日本に広く分布するほか、朝鮮半島やヨーロッパにも生息する。冬眠中の雌成虫は体長』五『ミリメートルほどの楕円形で、成熟個体は直径』一『センチメートル程度の球形になる』。『日本の本州では』五『月下旬頃に産卵し』、六月から七月頃に『孵化する。幼虫はモクセイ科』Oleaceae『の樹木の枝に密集してロウ状の物質を分泌する。枝がロウ物質により白くなるため』、『落葉後に発見されることが多いが、樹木の生育への影響は小さい。ロウ物質は』嘗ては『薬用・工業用に用いられており、その採取を目的に養殖が行われたこともある』。古くは日本刀の手入れにも用いられた。『雄幼虫のロウ物質の構成成分を検査したところ、構成する成分はワックスエステルが』九十%『以上を占め、他に遊離高級アルコールや炭化水素が含まれていることが明らかになった。これはトリアシルグリセロール(中性脂肪)が』八十%『以上を占める幼虫本体の脂質とは大きく異なる組成を示している』とある。辞書には、イボタロウムシについて、♀の成虫は暗褐色の約一センチの丸い殻を作り、五月頃に産卵し、♂は七月頃からイボタノキ(キク亜綱ゴマノハグサ目モクセイ科イボタノキ属イボタノキ Ligustrum obtusifolium )・ネズミモチ(イボタノキ属ネズミモチ Ligustrum japonicum )などに寄生し、白色の蝋を分泌し、中でさなぎとなる。成虫は体長三ミリメートルほどで、透明な二枚の翅(はね)を有するとある。イボタノキは「疣取木」或いは「水蠟木」と漢字表記する。このイボタロウムシの蠟物質が、古来、「塗ると疣が取れる」とされたことによる。会津に行った時、買わんとして老舗に入ったが、私にはどうもあの絵柄と色が生理的に好きになれず、買わずにしてしまった。
「其の虫は、奧州にのみありて、他國になく」大嘘。イボタロウムシは北海道・本州・四国・九州・沖縄及び朝鮮からヨーロッパにまで広く分布する。
「忍冬(にんどう)」マツムシソウ目スイカズラ科スイカズラ属スイカズラ Lonicera japonica の異名。]
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