日本山海名産図会 第二巻 捕熊(くまをとる) / 第二巻~了
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像を三枚をトリミングして、纏めて前に出した。キャプションは一枚目が「※弩捕二熊一(おううて、くまをとる)」[やぶちゃん注:「※」=「陞」の「升」を「在」に代えた字体。]。二枚目「捕二洞中熊一(とうちうのくまをとる)」。三枚目「以ㇾ斧擊二熊手一(おのをもつてくまのてをうつ)」。孰れも残酷な印象を与え、本書の蔀関月の挿絵で、私は初めて、生理的に厭な感じを持った。そうして、私は実は私が熊が好きだということに、この年になって初めて気づいたのである。]
○捕熊(くまをとる) 熊の一名「子路」
熊は、必ず、大樹の洞(ほら)の中(うち)に住みて、よく眠る物なれば、丸木を、藤かづらにて、格子のごとく結ひたるを以つて、洞口(どうこう)を閉塞し、さて、木の枝を切りて、其の洞中へ多く入るれば、熊、其の枝を、引き入れ、引き入れて、洞中を埋(うつ)み、終に、おのれと、洞口にあらはるを待ちて、美濃の國にては、竹鎗、因幡に鎗、肥後には鐵鉋、北國にては「なたき」といへる薙刀(なきなた)のごとき物にて、或ひは切り、或ひは突きころす。何れも、月の輪の少し上を急所とす。又、石見國の山中(さんちう)には、昔、多く炭燒きし古穴(ふるあな)に住めり。是れを捕るに、鎗・鐵炮にて頓(すみやか)にうちては、膽、甚だ小さし、とて、飽くまで苦しめ、憤怒(いか)らせて打ち取るなり。○又、一法には、落としにて捕るなり。是れを豫洲にて「天井釣(てんじやうつり)」と云ふ【又、「ヲソ」とも云。】。阿州にて「おす」といふ【「ヲス」は「ヲシ」にて、古語也。】。其の樣、圖にて知るべし。長さ二間[やぶちゃん注:約三・六四メートル。]余(よ)の竹筏(いかだ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])のごとき下に、鹿(しか)の肉を、火に燻べたるを、餌(え)とす。又、柏の實、シヤシヤキ實(み)なども蒔く也。上には大石(おほいし)二十荷(か)[やぶちゃん注:大人一人が肩に担えるだけの物の量を単位として数えるのにいう助数詞。]ばかり置く【又、阿州にて七十五荷置くといふなり。】。もの、きよれば、落つる時の音、雷(らい)のごとく、落ちて、尚、下より、機(おし)を動かすこと、三日ばかり、其の止む時を見て、石を除き、機(おし)をあぐれば、熊は、立ちながら、足は、土中に一尺許り、踏み入りて死すること、みな、しかり。○又、一法に、「陷(おと)し穴」あれども、機(おし)の制(せい)に似たり。中にも飛騨・加賀・越の國には、大身(おほみ)、鎗を以つて、追ひ𢌞しても、捕れり。逃ることの甚しければ、「歸せ。」と、一聲、あぐれば、熊、立ちかへりて、人にむかふ。此の時、又、「月の輪。」といふ一聲に、恐るゝ躰(てい)あるに、忽ち、つけいりて、突き留(とゞ)めり。これ、獵師の剛勇、且つ、手練(しゆれん)・早業(はやわざ)にあらざれば、却つて、危きことも、多し。
○又、一法に、駿州府中に捕るには、熊の巢穴の左右に、両人、大ひなる斧を振り擧げ持ちて、待ちかけ、外(ほか)に一兩人の人して、樹の枝ながきをもつて、窠穴(すあな)の中(うち)を突き探ぐれば、熊、其の樹を巢中(すちう)へ、ひきいれんと、手をかけて引くに、橫たはりて、任(まか)せ、されば、尚、枝の爰かしこに、手をかくるをうかゞひて、かの両方より、斧にて、兩手を打ち落とす。熊は、手に力多き物なれば、是れに、勢ひ、つきて、終に獲る。かくて、膽(きも)を取り、皮を出だすこと、奧刕に多し。津輕にては、脚(あし)の肉を食ふて、貴人(きにん)の膳にも、是れを加ふ。○熊、常に食とするものは、山蟻(やまあり)・笋(たけのこ)・ズカニ。凡そ、木(こ)の實(み)は、甘きを好めり。獸肉も喰らはぬにあらず。蝦夷には、人の乳(ちゝ)にて養ひ置くとも云へり。
○ 取膽(きもをとる)
熊の膽(ゐ)は加賀を上品とす。越後・越中・出羽に出づる物、これに亞(つ)ぐ。其の余(よ)、四國・因幡・肥後・信濃・美濃・紀州、其の外、所々(ところところ)より出(いた)す。松前。蝦夷に出たす物、下品、多し。されども、加賀、必す、上品にもあらず。松前、かならず、下品にもあらず。其の性(しやう)、其の時節、其の屠(さは)く者の、手練(しゆれん)・工拙(こうせつ)にも有りて 一概には論じがたし。加賀に上品とするもの、三種、「黑樣(くろて)」・「豆粉樣(まめのこで)」・「琥珀樣(こはくで)」、是れなり。中にも、「琥珀樣」、尤とも勝(まさ)れり。是れは、「夏膽(なつのゐ)」・「冬膽(ふゆのゐ)」といひ、取る時節によりて、名を異(こと)にす。夏の物は、皮、厚く、膽汁(たんじう)、少なし。下品とす。八月以後を「冬膽(ふゆのい)」とす。是れ、皮、薄く、膽汁、滿てり。上品とす。されども、「琥珀樣」は「夏膽」なれども、冬の膽に勝(まさ)る。黄赤色(わうしやくしよく)にて、透き明(とほ)り、「黑樣」は、さにあらず、黑色(こくしよく)、光りあるは、是れ、世に多し。
○試眞僞法(にせをこゝろみるはう)
和漢ともに、僞物多きものと見へて、「本草綱目」にも試みの法を載せたり。膽(ゐ)を、米粒許り、水面に黙[やぶちゃん注:ママ。「㸃」の誤字であろう。以下同じ。]ずるに、塵(ちり)を避けて、運轉し(うんてん/きりきりまわり[やぶちゃん注:右/左のルビ。])し、一道(ひとすぢ)に水底へ線(いと)のごとくに引く物を「眞なり」と云〻。按ずるに、是れ、古質(こしつ)の法にして、未だ、つくさぬに似たり。凡て、獸(けもの)の膽(きも)、何(いづ)れの物たりとも、水面に運轉(めく)ること、熊膽(くまのい)に限るべからず。或ひは獸肉を屠(ほふ)り、或ひは煮𤎅(しやがう)などせし家の煤(すゝ)を、是れ亦、水面に運轉(うんてん)すること、試みて、しれり。されども、素人業(しろとわざ)に試みるには、此の方の外、なし。若(も)し、止むことを不得(ゑず)、水に黙[やぶちゃん注:ママ。「㸃」の誤刻であろう。]して水底(すいてい)に線(いと)を引くを試みるならば、運轉(めくること)、飛ぶがごとく、疾(はや)く、其の線(いと)、至つて細くして、尤も疾勢物(をとるときのもの)を、よしとす。運轉(めくること)遲き物、又、舒(しつか)にめぐりて止(とゞ)まる物は、皆、よろしからず。又、運轉(めくること)速きといへとも、盡(ことごと)く消へざる物も、佳(よ)からず。不佳物(よからさるもの)は、おのづから、勢ひ、碎(くだ)け、線(いと)、進疾(すみやか)ならず。又、粉(こ)のごとき物の落ちるも、下品とすべし。又、水底(すいてい)にて、黄赤色(わうしやくしよく)なるは、上品にて、褐色(ちやいろ)なるは、極めて、僞物(ぎぶつ)なり。作業者(くろうとぶん)は、香味の有無を以つて分別す。およそ、眞物(しんぶつ)にして、其の上品なる物は、舌上(ぜつしやう)にありて、俄かに濃き苦味を、あらはす。彼(か)の苦甘(くかん)、口に入りて、黏(むちや)つかず、苦味(くみ)、侵潤(しだひ)に增さり、口中(こうちう)、分然(ふんぜん/さつはり[やぶちゃん注:右/左のルビ。])として淸潔(きよ)し[やぶちゃん注:二字へのルビ。]。たゞ、苦味(くみ)のみある物は僞物(ぎぶつ)なり。苦甘(くみ)の物を良しとす。また、羶臭(なまくさ)き香味の物は、良らずといへども、是れは、肉に養はれし熊の性(せい)にして、必ず僞物(ぎぶつ)とも定めがたし。其の中(うち)、初め、甘く、後(のち)、苦(にが)き物は、劣れり。又、焦氣(こげくさき)物は、良品なり。是の試法(しはう)、教へて教ゆべからず。必ず、年来(ねんらい)の練(れん)、妙たりとも、眞僞(しんき)は辨(へん)じやすくして、美𢙣(びあく)は辨(べん)じがたし。
○制僞膽法(にせをせいするほう)
黄柏(わうばく)・山梔子(さんしし[やぶちゃん注:ママ。])・毛黄蓮(けわうれん)の三味(み)を、極(ご)く、細末とし、山梔子(さんしし)を、少し、𤎅りて、其の香(か)を除き、三味、合せて、水を和して、煎(せん)し詰(つ)むれば、黒色(こくしよく)光澤(ひかり)、乾はきて、眞物(しんふつ)のごとし。是れを裏むに、美濃紙二枚を合はせ、水仙花(すいせんくわ)の根の汁をひきて、乾かせば、裏(うゝ)みて、物を洩らすこと、なし。包みて、絞り、板に挾みて、陰乾(かげぼし)とすれは、紙の皺(しわ)、又、藥汁(やくこう[やぶちゃん注:ママ。「やくじる」の誤刻であろう。])の潤(うるほ)ひ入(し)みて、實(じつ)の膽皮(たんひ)のごとし。尤も冬月(ふゆ)に制すれば、暑中に至りて、爛潤(たゝれ)やすし。故に、必ず、夏の日(ひ)に製す。是れは、備後邊(へん)の製にして、他國も、大抵、かくのごとし。他方(たはう)、悉くは知りがたし。○又、俗說には、『「こねり柿(かき)」といふ物、味、苦し。是れを、古傘の紙につゝむもあり。』と云へり。或ひは眞(しん)の膽皮(たんひ)に、僞物を納(い)れし物も、まゝありて、是れ、大ひに、人を惑はすの甚だしき也。
附記
熊は黒き物(もの)故(ゆへ)に「クマ」といふとは云へども、さだかには、定めがたし。是れ、全く朝鮮の方言なるべし。「熊川」を「コモガイ」といふは、即ち、「クマカハ」の轉(てん)したるなり。今も朝鮮の俗、熊を「コム」といへり。
日本山海名產圖會巻二終
[やぶちゃん注:本邦に棲息するのは、
食肉目クマ科クマ属ツキノワグマ亜種ニホンツキノワグマ Ursus thibetanus japonicus(本州及び四国。九州では絶滅(最後の九州での捕獲は一九五七年で、二〇一二年に九州の絶滅危惧リストからも抹消されている。二〇一五年に二件の目撃例があったが、アナグマ或いはイノシシの誤認かとされる)
及び、北海道の、
クマ属ヒグマ亜種エゾヒグマ Ursus arctos yesoensis
である。本文で「蝦夷」の熊も語られてあるので、後者も含まれる。「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 熊(くま) (ツキノワグマ・ヒグマ)」を参照されたい。
『熊の一名「子路」』私の好きな暴虎馮河の気骨の人で義を重んじて最後には塩漬けにされえ食われてしまった子路を異名とするのは、いかにも尤もだ、などと勝手に一人ごちたのだが、サイト「Yoshimi Arts」の上出惠悟氏の「熊について」に、熊をテーマとして作品を発表された理由について(平成二八(二〇一六)年の記事)、
《引用開始》
私は昨年から突如として熊のことが気にかかり彼らのことを頻繁に考えるようになりました。しかし思い出してみますと私が熊に興味をもった発端は、たまたま「子路(しろ)」という熊の異称を知った時のことだったように思われます。陶淵明による六朝 時代の志怪小説集「捜神後記(続捜神記)」の中に、「熊無穴有居大樹孔中者 東土呼熊子路」という記述があり、また江戸時代の獣肉屋でも子路と書いて「くま」と読ませていたことを知りまし た(寺門静軒著「江戸繁盛記」)。論語に詳しい方はご存知と思いますが、子路とは孔門十哲の一人仲由のことで、子路という異称の由来は、熊が住処とした樹の「孔」と孔子の「孔」をもじった言葉遊びからの洒落です。子路のことなら中島敦の小説「弟子」(昭和十八年発表)で主人公として描かれており、私はこの小説を幾度と読み感動しています。子路は子供がそのまま大人になった 様な直情径行な性格から度々孔子に叱られます。激越でしかし素直な子路はまこと獣のように美しく、これを読むと熊と子路を結びつけた人の気持ちが腹に落ちるように理解できます。物語の最後、子路は主君を救う為に反逆者のいる広庭へと単身跳び込み、気高くも無残に殺されてしまいます。孔門の後輩、子羔[やぶちゃん注:「しこう」。]と共にその場から遁れることも出来た子路が子羔に声を荒げた「何の為に難を避ける?」という言葉が私の心の中で何度も反復されました。「何の為に難を避ける?」。里に現れる熊は一体どのような気持ちで里に降りて行くのだろう。私の中でその熊と子路の姿が妙に重なり始めました。日常生活でも植木を熊と見間違えたり、車のヘッドライトの影に熊を見たり、空に浮かぶ雲を見て熊を思ったり、実際に会えないかと山へ行ってみたり、北海道を旅したりと熊の痕跡をっています[やぶちゃん注:ママ。「追っています」「辿っています」か。]。結局のところ私はなぜ熊なのかと自分でも判らないまま熊を心に宿してしまったのです。
《引用終了》
元は字遊びか。ちょっと残念。「搜神後記」(續搜神記:陶淵明の作とされるが、後世の偽作)のそれは、第十一卷補遺の以下。
*
熊居樹孔
熊無穴、居大樹孔中。東土呼熊爲子路。以物擊樹云、「子路可起。」。於是便下。不呼、則不動也。
*
で、寺門静軒(寛政八(一七九六)年~慶応四(一八六八)年:幕末の儒学者)の「江戶繁盛記」(天保二(一八三一)年より執筆・板行。但し、天保六(一八三五)年三月、青表紙本検閲の最終責任を負う昌平坂学問所林述斎の助言を受けた江戸南町奉行筒井伊賀守の命により、本書の初篇と二篇は「敗俗の書」として出版差留の処分を受けた。しかし、その申し渡しを無視して第三篇以降の刊行を継続、天保十三年には悪名高い江戸南町奉行鳥居甲斐守(鳥居耀蔵)に召喚され、第五篇まで書いていた本書は『風俗俚談を漢文に書き綴り鄙淫猥雑を極めその間に聖賢の語を引證」、『聖賢の道を穢し』たとされ、「武家奉公御構」(奉公禁止)という処分を受けた。この際、鳥居は、「儒学者の旨とするところは何か」と問い、静軒が「孔孟の道に拠って己を正し、人を正すところにある」と答えると、すかさず本書を突きつけ、「この書のどこに孔孟の道が説かれているか答えよ」と迫り、返す答えのない静軒は罪に服したという。ここはウィキの「寺門静軒」に拠った)、早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらで原本の当該部(「山鯨」(猪肉のこと)の条の一節)を見ることが出来る(右頁三行目に「子路(クマ)」とある)。
「なたき」不詳。
「おす」「ヲス」「ヲシ」最初のそれは歴史的仮名遣から、「押す」「壓す」でああろう。後者二つはその訛りであろう。
「柏の實」ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属 Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata の実。クヌギ(コナラ属クヌギ Quercus acutissima )に似て丸く、殻斗は先がとがって反り返る包が密生する。アク抜きすれば、人も食することが出来る。
「シヤシヤキ實(み)」「シャシャキ」はツツジ目モッコク科ヒサカキ属ヒサカキ Eurya japonica の異名。漢字は「柃」「姫榊」。他に「ビシャコ」「ビシャ」「ヘンダラ」「ササキ」などの別名がある。その実は五ミリメートルほどで、黒い。染料に利用されることもあるという。
「機(おし)」やはり「押し」「壓し」で、広く罠の一つ。知らずに踏むと、「おもし」が人や動物を打ち、圧死させる仕掛けを言う。ただ、そうした構造の仕掛け(機械)としての当て字かとも思われる「機」だが、第一図を見て貰うと判る通り、この字を当てたのは、その様態が「機(はたおり)」のそれに似ているからのように思われる。
「越の國」越前・越中(殆んどが実質的には加賀藩)・越後。
『「月の輪。」といふ一聲に、恐るゝ躰(てい)ある』相手の名を名指して呼称すると、相手を支配できるという古い呪術的な言上(ことあ)げである。
「駿州府中」現在の静岡市葵区相当(グーグル・マップ・データ航空写真)。南部の静岡市街を除いて大半は山間である。
「脚(あし)の肉」四肢の謂いであるが、前肢の、所謂、「熊の手」であろう。
「山蟻(やまあり)」膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目スズメバチ上科アリ科ヤマアリ亜科ヤマアリ属クロヤマアリ亜属クロヤマアリ Formica japonica 。
「ズカニ」短尾下目イワガニ科モクズガニ属モクズガニ Eriocheir japonica 。「大和本草卷之十四 水蟲 介類 津蟹(モクズガニ)」を参照されたい。
「蝦夷には、人の乳(ちゝ)にて養ひ置くとも云へり」イオマンテの儀式で知られる通り、アイヌの人々にとってエゾヒグマはカムイ(神)の変じたものとして尊崇される。
「屠(さは)く」「捌(さば)く」。
「三種」「黑樣(くろて)」・「豆粉樣(まめのこで)」・「琥珀樣(こはくで)」は、胆嚢の外見上の色による分類のようである。「豆粉樣」は黄色の強いものか。
『「本草綱目」にも試みの法を載せたり』巻五十一上の「獸之二」の「熊」の項の「膽」に以下のようにある(囲み字は太字に代えた)。
*
膽 頌曰はく、「熊膽(ようたん)は隂乾しして用ゆ。然れども、僞せ者、多し。但(ただ)、一粟(いちぞく)許りを取り、水中に滴らして、一道、線のごとく散らざる者を眞と爲す」と。時珍曰はく、「按ずるに、錢乙が云はく、『熊膽の佳なる者の通明(つうめい)[やぶちゃん注:明るい光を通すこと。]する每(たび)に、米粒[やぶちゃん注:ほどの大きさの意であろう。]を以つて、水中に㸃じて、運轉して、飛ぶがごとき者の良なり。餘の膽、亦、轉じて、但(ただ)、緩(ゆる)きのみ。』と。周宻齊が「東埜語」に云はく、『熊の膽、善く塵(ちり)を辟(さ)く。之れを試みるに、浄水一器を以つて、塵、其の上を幕(おほ)ひ、膽の米許りを投ずるときは、則ち、塵、凝りて、豁然として開くなり。』と。
*
「古質(こしつ)の法にして、未だ、つくさぬに似たり」古びた判別法であって、未だ、それで決定的とは思われない。
「煮𤎅(しやがう)」煮たり、炒ったりすること。
「疾勢物(をとるときのもの)」「をとる」は「劣る」であろう。ゆっくりとしか動かないもの。
「舒(しつか)に」「靜かに」。「舒」には「緩やか」の意がある。
「作業者(くろうとぶん)」「玄人分」。実際の「熊の胆」を扱う専門の職人。薬種屋なども含まれる。
「黏(むちや)つかず」「ねちゃつかず」(ねちゃねちゃと粘(ねば)らず)の意であろう。
「侵潤(しだひ)に」「次第に」。
「苦味(くみ)」「苦甘(くみ)」この後者は読みの誤刻(「くかん」或いは「にがあまし」)が疑われる。
「羶臭(なまくさ)き」「腥(なまぐさ)き」に同じ。
「教へて教ゆべからず」「(こうして書いたものの)実際には非常に微妙なもので、教えて判るレベルのものではない」というのである。
「年来(ねんらい)の練(れん)、妙たりとも」長年、熊の胆に関わった専門家で業師(わざし)であっても。
「美𢙣(びあく)は辨(べん)じがたし」本物の熊の胆の良し悪しは弁別し難い。
「黄柏(わうばく)」落葉高木アジア東北部の山地に自生し、日本全土にも植生する、ムクロジ目ミカン科キハダ属キハダ Phellodendron amurense の樹皮から製した生薬。薬用名は通常は「黄檗(オウバク)」が知られ、「黄柏」とも書く。ウィキの「キハダ」によれば、『樹皮をコルク質から剥ぎ取り、コルク質・外樹皮を取り除いて乾燥させると』、『生薬の黄柏となる。黄柏にはベルベリンを始めとする薬用成分が含まれ、強い抗菌作用を持つといわれる。チフス、コレラ、赤痢などの病原菌に対して効能がある。主に健胃整腸剤として用いられ、陀羅尼助、百草などの薬に配合されている。また強い苦味のため、眠気覚ましとしても用いられたといわれているほか、中皮を粉末にし』、『酢と練って』、『打撲や腰痛等の患部に貼』り、『また』、『黄連解毒湯、加味解毒湯などの漢方方剤に含まれる。日本薬局方においては、本種と同属植物を黄柏の基原植物としている』。『アイヌは、熟した果実を香辛料として用いている』とある。
「山梔子(さんしし)」「さんざし」で、リンドウ目アカネ科サンタンカ亜科クチナシ連クチナシ属クチナシ Gardenia jasminoides の異名。その強い芳香は邪気を除けるともされ、庭の鬼門方向に植えるとよいともされ、「くちなし」は「祟りなし」の語呂を連想をさせるからとも言う。真言密教系の修法では、供物として捧げる「五木」(梔子・木犀・松・梅花・榧(かや:裸子植物門マツ綱マツ目イチイ科カヤ属カヤ Torreya nucifera )の五種の一つ。
「毛黄蓮(けわうれん)」キンポウゲ目メギ科タツタソウ(竜田草)属 Jeffersonia dubia 。現行では園芸品種として知られる。『NHK出版「趣味の園芸」』のこちらを参照されたい。
「水仙花(すいせんくわ)の根」単子葉植物綱キジカクシ目ヒガンバナ科ヒガンバナ亜科スイセン連スイセン属スイセン変種ニホンズイセン Narcissus tazetta var. chinensis 。全草有毒で死亡例もある。但し、ウィキの「スイセン属」によれば、『民間療法で、乳腺炎、乳房炎、咳が出るときの腫れに、鱗茎を掘り上げて黒褐色の外皮を除き、白い部分をすりおろしてガーゼに包んで外用薬として患部に当てておくと、消炎や鎮咳に役立つと言われている』。『身体にむくみがあるときも同様に、足裏の土踏まずに冷湿布すると方法が知られている』とある。
「こねり柿(かき)」「木練り柿」で、枝になったままで甘く熟する柿のこと。味はともかく、形状は腑に落ちる。
『熊は黒き物(もの)故(ゆへ)に「クマ」といふとは云へども、さだかには、定めがたし。是れ、全く朝鮮の方言なるべし。「熊川」を「コモガイ」といふは、即ち、「クマカハ」の轉(てん)したるなり。今も朝鮮の俗、熊を「コム」といへり』関岡東生氏のブログ「川場の森林(やま)づくり」の「熊の名の由来」に、加納喜光著「動物の漢字語源辞典」(二〇〇七年東京堂出版刊)から、以下のように『同書よりかいつまんで紹介』されておられる(行空けは詰めた)。
《引用開始》
“熊”の文字は、見たままに“能”と“火”が組み合わされてできている。
“能”の下に位置する四つの点は、“連火(れんが)”という部首名が付けられているとおり“火”を表すのだ。
“能”は、粘り強い力があるという意味の文字で、ここから“能力”などという言葉も生み出されたという。
クマが食べ物とても強い執着をみせることなどを考えると、とても説得力があるではないか。
さらに、“連火”が合わせられることによって、火のように勢いがあり、強い様を表すのだという。
つまり、“熊”は、粘り強くそして火のような勢いがある動物であるというわけである。
また、同書では、“くま”という音(読み)については、“隈(くま)”が語源となっているとも説明している。
“目に隈(くま)ができる”といえば、目の下が窪んで見える様を指すし、“隈”は云うまでもなく、“すみ”とも読む字であるが、こちらは“すみっこ”の“隈(すみ)”である。
クマが穴に入って冬眠することから、「奥まったところに棲む動物」という意味で、この音が与えられたのだという。
《引用終了》
朝鮮語で熊は「곰(コム)」。「熊川」は「こもがい」と読むが、これは作者の言うように、朝鮮語で「高麗 (こうらい) 茶碗の一種」を指す。口縁が反り返り、高台が大きく、見込みの底に「鏡」と呼ばれる円形の窪みがある。「真熊川 (まこもがい)」・「鬼熊川(きこもがい)」などに分けられる。朝鮮半島南東部の港、熊川から積み出されたための称と言われる。これを知ると、作者の朝鮮語由来説もそれらしくは聴こえる。]
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