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2021/07/14

日本山海名産図会 第二巻 芝(さいはいたけ)(=霊芝=レイシ)・胡孫眼(さるのこしかけ)

 

  ○芝(さいはいたけ)【俗に「靈芝(れいし)」といふ。一名「科名草(くわめいさう)」・「不死草(ふしさう)」・「福草(ふくさう)」◦和訓「ヌカトデタケ」◦「サキクサ」。】

「本草」に「五色芝(ごしきだけ)」といふ仙藥なり。商山(せうさん)の四皓(しこう)、芝(し)を採り、茄(くら)ふてより、群仙の服食(ふくしよく)とす。又、五色の外に「紫芝(しし)」あり。以上、六芝(ろくし)に分かつ。中にも「紫芝」は多し。地上に生じて、沙石中或ひは松樹下(せうじゆか)などに一度(ひとたび)生ずれば、幾年も同所に生ず。初生、黄色にて、日を經て、赤色を帶び、長じて、紫褐色(むらさきちやいろ)。莖、黑(くろ)ふして、光澤あり。笠の裏、きれず、滑らかなり。味(あちは)ひ、五色に五味を備ふ。是れ、一歲(いつさい)に三度(たび)花さくの瑞草(ずいさう)にて、日本、「延喜式」にも「祥瑞(しやうすい)」の部に見たり。「瑞命禮(すいめいれい)」に、『王者、仁慈なれば、芝草(しさう)、生ず。』といふは、是れなり。○其の形、一本(ひともと)離れて生ふるあり。また、叢(むらか)り生ずるもあり。また、一莖(けい)に重なり生(せう)して、「マヒタケ」のごとき物あり。また、莖枝(くきえだ)を生して、傘あるもあり。また、かさなく、莖のみ生して、長(たけ)三尺ばかりに、枝を生じ、鹿の角のごときもあり。これ、「鹿角芝(ろくかくし)」といふ竒品にして、先年、伊勢の山中に出だす。凡て、芝(し)の品類、六百種斗り。尚、奇品の物、「本草綱目」に委(くわ)し。○丹波にては、首途(かどて)を祝ひて、これを贈る。伊勢にて「萬年たけ」といひて、正月の辛盤(ほうらい)に飾り、江戶には「ネコジヤクシ」といひ、仙臺にては「マゴジヤクシ」といひて、痘瘡(とうそう)を搔(か)くなり。

 

胡孫眼(さるのこしかけ) 是れ、芝(たけ)の種類也。木に生じて、莖、なし。大(おほ)なるもの、四、五尺にも及ぶ也。

 

[やぶちゃん注:「芝(さいはいたけ)」『俗に「靈芝(れいし)」といふ。一名「科名草(くわめいさう)」・「不死草(ふしさう)」・「福草(ふくさう)」◦和訓、又、「カトデタケ」◦「サキクサ」』担子菌門真正担子菌綱タマチョレイタケ目マンネンタケ科マンネンタケ属レイシ Ganoderma lucidum当該ウィキによれば、『一年生』で『形態は系統により様々に変化する。肉質はコルク質様で表面はニスがかけられた様な光沢がある。別名』に

「万年茸(まんねんたけ)」

「霊芝草(れいしそう)」

があるとし、『霊芝は一般的にマンネンタケ科』Ganodermataceaeka の万年茸(まんねんたけ)類を『指し、他に』

「門出茸(かどでたけ)」

「仙草(せんそう)」

「吉祥茸(きっしょうだけ)」

「霊芝草(れいしそう)」

「赤芝(せきし)」

等の『呼称で呼ばれている。古名には』

「三秀(さんしゅう)」(「楚辞」)

「芝(し)」(「爾雅」)

がある。色の異なる

「紫芝(しし)」

「黒芝(こくし)」

「青芝(せいし)」

「白芝(はくし)」

「黄芝(こうし)」

もあるが、「紫芝」は近縁種であるGanoderma japonicumとされ(この学名は古い資料では和名を「マンネンタケ」とする)、他の四色は二種の『いずれかに属する』個体を指している『ことが多い。成長し乾燥させたものを霊芝として用いるが、子実体は木質で直接の食用には適さず、適当な大きさに切り、熱水で煎じて抽出液を服用するほか、薬用酒とする。後漢時代(二五年~二二〇年)に纏められた「神農本草経」に『命を養う延命の霊薬として記載されて以来、中国ではさまざまな目的で薬用に用いられてきた。日本でも民間で同様に用いられてきたが、伝統的な漢方には霊芝を含む処方はない。子実体はさまざまな多糖類(β-グルカンなど)やテルペノイドを含』み、『抗腫瘍作用の報告は多い』ものの、『ほとんどは試験管や動物実験で、ヒトでの臨床報告は限られている』とある。なお、「青空文庫」の牧野富太郎の「植物一日一題」(昭和二八(一九五三)年東洋書館刊「随筆 植物一日一題」を親本とする一九九八年博品社刊「植物一日一題」底本)に、「万年芝」があり、そこには冒頭に、『今日はかつて昭和九年』(一九三四)『六月発行の雑誌『本草』第二十二号に発表せる左の拙文「万年芝の一瞥」を図とともに転載するために筆をとった』として、以下の語りがある。

   *

   万年芝の一瞥

 マンネンタケはいわゆる芝すなわち霊芝(レイシ)の一つで、菌類中担子菌門の多孔菌科に属し Fomes japonica Fr. [やぶちゃん注:底本のそれは斜体になっていないが(昭和九年当時は現行の表記規約は通用していなかった)、斜体に直した。]の学名を有するものである。これはその菌蓋(カサ)普通はその柄がその蓋の一方辺縁の所に着いているが、その多数の中にはその柄が菌蓋の裏面正中に着いて正しい楯形を呈するものが珍らしくない。そしてこの楯形品と普通品との間にはその中間型のものを見ることけっして珍らしい現われではない。私は今このような種々の型の標品を所蔵しているが、これはかつて常州の筑波山の売店で多数これを買いこんで来たものである。また私は幾年か前にこの楯形型のものを播州で得たこともあった。

 マンネンタケには別にサイハイタケ、カドイデダケ、カドデダケ、キッショウダケ、レイシなどの芽出度い名もあれば、またマゴジャクシ、ネコジャクシ、ヤマノカミノシャクシなどの形から来た名もある。

 中国の説では芝には五色の品があるということだ。この五色芝は小野蘭山は「仙薬ニシテ尋常ノ品ニ非ズ其説ク所尤モ怪シク信ズベカラズ」と書いているが、それはまさにその通りであろうと思う。

 我国の学者は上のマンネンタケを霊芝の中の紫芝にあてている。これは『本草綱目』に芝に五品あるとしてこれを青芝、赤芝、黄芝(金芝)、白芝(一名玉芝、素芝)、紫芝(一名木芝)に別っており、その紫芝をマンネンタケにあてたものである。

 中国の書物の『秘伝花鏡(ひでんかきょう)』の霊芝の文を左に紹介しよう、なかなか面白く書いてある。[やぶちゃん注:以下、この二箇所の引用に限っては、歴史的仮名遣が用いられているので、恣意的に漢字を正字化して、原拠に近づけた。引用元で表示不能字となっているそれも正字体で示した。]

靈芝、一名ハ三秀、王者ノ德仁ナレバ則チ生ズ、市食ノ菌ニ非ラズシテ、乃チ瑞草ナリ、種類同ジカラズ、惟黃紫二色ノ者、山中常ニアリ、其形チ鹿角ノ如ク或ハ繖蓋ノ如シ、皆堅實芳香、之レヲ叩ケバ聲アリ、服食家多ク採テ歸リ、籮ヲ以テ盛リ飯甑ノ上ニ置キ、蒸シ熟シ晒シ乾セバ、藏スルコト久フシテ壞レズ、備テ道糧ト作ス、又芝草ハ一年ニ三タビ花サク、之レヲ食ヘバ人ヲシテ長生セシム、然レドモ芝ハ山川ノ靈異ヲ稟テ生ズト雖ドモ、亦種植スベシ、道家之レヲ植ル法、每ニ糯米飯ヲ以テ搗爛シ、雄黃鹿頭血ヲ加ヘ、曝乾ノ冬笋ヲ包ミ、冬至ノ日ヲ候テ、土中ニ埋メバ自ラ出ヅ、或ハ藥ヲ灌イデ老樹腐爛ノ處ニ入レバ、來年雷雨ノ後、卽チ各色ノ靈芝ヲ得ベシ、雅人取テ盆松ノ下、蘭薰ノ中ニ置ケバ、甚ダ逸致アリ、且能ク久シキニ耐テ壞レズ、(漢文)

であって、これに付けて五色芝、木芝、草芝、石芝、肉芝の諸品が挙げられ、そのあとに下の文章がある。

芝ハ原ト仙品、其形色變幻、端倪スベキナシ、故ニ靈芝ノ稱アリ、惟有緣ノ者之レニ遇フコトヲ得ルノミ、採芝圖所載ノ名目ニ據ルニ、數百種アリ、茲ニ止ダ其十分ノ三ヲ錄シ、以テ山林高隱ノ士、服食ヲ爲ス參巧ノ一助ニ備フルナリ、(漢文)

 唐画中によく霊芝が描いてあるが、いつもその菌蓋上面に太い鬚線が描き足してあるのを見る。これは多分その蓋面へ松の葉が墜ちているに擬したものであろうか。これは画工であればよくそのワケを知っているであろう。

 芝の字はもとは之の字であって、これは篆文(てんぶん)に草が地上に生ずる形に象っての字である。しかるに後の人がこの字を借りてこれを語辞としたので止むを得ず、ついに艸をその字上に加えてこれを別つようにしたとのことであると見えている。

 芝について李時珍はその著『本草綱目』の芝の「集解(しっかい)」にこれを述べているが、その文中に[やぶちゃん注:同前の処理を施した。]「芝ノ類甚ダ多シ亦花實アル者アリ、本草ニ惟六芝ヲ以テ名ヲ標ハス然レドモ其種屬ヲ識ラズンバアルベカラズ、神農經ニ云ク、山川雲雨四時五行陰陽晝夜ノ精以テ五色ノ神芝ヲ生ジ聖王ノ休祥ト爲ル、瑞應圖ニ云ク、芝草ハ常ニ六月ヲ以テ生ズ春靑ク夏紫ニ秋白ク冬黑シト、葛洪ガ抱朴子ニ云ク、芝ニ石芝木芝肉芝菌芝アリテ凡ソ數百種ナリ云々」(漢文)の語がある。

 按ずるに中国で芝と唱えるものはその範囲がすこぶる広く、中には無論マンネンタケのような菌類もあるが、なお他の異形の菌類もある。また海にある珊瑚礁の一種であるキクメイ石の如きものも含まれているようである。また玉(ギョク)のような石もあり、また方解石(ホウゲセキ)のようなものもありはせぬかと思われる。また菌形を呈した寄生植物などもあるようである。[やぶちゃん注:以下略。]

   *

ここで牧野は広義の霊芝類を「まんねんたけ」と称し、それらの異名として

「さいはいたけ」(形状のミミクリーから采配茸であろう)

「かどいでだけ」(門出茸)

「かどでだけ」

「きっしょうだけ」(吉祥茸)

を挙げ、また、形から命名したという異名の、

「まごじゃくし」(孫杓子)

「ねこじゃくし」(猫杓子)

「やまのかみのしゃくし」(山の神の杓子)

なども出している。但し、この後の「形状から」とするものは、レイシとは同属の近縁種である、

マゴジャクシ Ganoderma neo-japonicum (シノニム:Polyporus (Amaurodermus) residens

であって(形状がレイシとは全く異なる)、牧野が「マンネンタケ」の学名として示した Fomes japonica Fr. というのも、実はこのマゴジャクシのシノニムである(「生存圏研究所データベース」のこちらを参照)。

『「本草」に「五色芝(ごしきだけ)」といふ仙藥なり』『商山(せうさん)の四皓(しこう)』(歴史的仮名遣は誤り)『「芝(し)」を採り、茄(くら)ふてより、群仙の服食(ふくしよく)とす』「本草綱目」の巻二十八の「菜之五」の「芝栭(しじ)類」(「芝」は霊芝などに代表される「きのこ」、「栭」はキクラゲ類を指す)の「芝」の項に出る。その「釋名」最後で時珍は、

   *

昔、四皓(しかう)、芝を采り、羣仙、服食すれば、則ち、芝も亦、菌の屬にして食ふべき者なり。故に移して「菜部」に入れり。

   *

と述べているのを受けたものであろう。また、時珍は「五色芝」というのは、五行に配された性質を持つとし、特に「青芝」でそれを説明している。その直後にしかし、ここで示すように五色に加えて「紫芝」を出して、後の最後に「紫芝」の項と、「附方」に「紫芝丸」を出すという、いかにも判りにくい解説をしている。

「商山(せうさん)の四皓(しこう)」歴史的仮名遣は「商山四皓(しやうざんしかう)」が正しい。秦代末期に乱世を避け、陝西省の商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・甪里(ろくり)の四人の隠士で、皆、鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく:真っ白)の老人であったので、かく称する。

『「延喜式」にも「祥瑞(しやうすい)」の部に見たり』「祥瑞」(しょうずい)は王者に徳があった場合に天がそれを賞して徴(しるし)を現わすとする思想に基づくもので、その品目が確かに「延喜式」巻二十一の「治部省」の「祥瑞」に列挙記載されている。そこには特異な動植物や、普通ではないと判断された自然現象、及び、実際には存在しない想像上の幻獣や、超常現象も含まれている。それらを現認し、捕獲・取得・目撃した場合は、朝廷へ上納・報告する義務があったのである。

『「瑞命禮(すいめいれい)」に、『王者、仁慈なれば、芝草(しさう)、生ず。』』グーグルブックスの「新雅堂寄耦展彙」という清代の漢籍のここに、当該文字列を見出せたが(画像)、「瑞命禮」(ずいめいれい)も「新雅堂寄耦展彙」も、まるで判らん。

「マヒタケ」タマチョレイタケ目トンビマイタケ科マイタケ属マイタケ Grifola frondosa

「マゴジヤクシ」「孫の手」に似ていて、しかも霊薬なれば、「孫や老人の痘瘡を搔く」というのは類感呪術的用法として頗る腑に落ちる。

「胡孫眼(さるのこしかけ)」菌蕈綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科 Polyporaceae のサルノコシカケ類。先のマイタケは本科であるが、通常、本科の種は「きのこ狩り」の対象にはならない。但し、漢方薬や民間薬として古くから用いられてはいる。この漢名については、こちらの個人記事に、『胡孫は猿のことである。眼とは傘の裏の管孔を意味しているのだろうか』とあった。]

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