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2021/07/12

伽婢子卷之七 中有魂形化契

 

Oyamadakinai

 

[やぶちゃん注:挿絵は底本の昭和二(一九二七)年刊の日本名著全集刊行會編第一期「江戶文藝之部」第十巻「怪談名作集」をトリミング清拭して使用した。「新日本古典文学大系」版脚注で絵を解説して、『小山内記内のもとを飯尾新七の娘の幽霊が訪れ、物縫いに精出す場面。麻(お)を績(う)む女』(め)『の童』(わらわ)。『膝元にあるの円形の器は麻を入れておく麻笥(おけ)。髷は唐輪風』(唐輪(からわ)は日本髪の一種。男女ともに結んだ。男性の唐輪は、鎌倉時代に武家の若者や寺院の稚児などが結った髪形で、その形は後世における稚児髷に類似している。その結び方は、髪のもとを取り揃えて百会(ひゃくえ:脳天)に上げ、そこで一結びしてから二分し、額の上に丸く輪とした。一方、女性の唐輪は、下げ髪が仕事の際に不便なので、根で一結びしてから輪に作り、その余りを根に巻き付けたもので、安土桃山時代の天正年間(一五七三年~一五九二年)から行われた)。『中央が飯尾の娘。立膝で糸針を使う』。『家は屋根石を置いた取葺』(とりぶき:屋根に削(そ)ぎ板を並べ、風で飛ばないように石・丸太・竹などで押さえたもの)『の粗末な造り』であるとある。なお、標題は「中有(ちゆうう)の魂(たましひ)、形(かたち)、化(け)して契る」である。]

 

 

 ○中有魂形化契

 

 尾州淸洲(きよす)といふ所に、小山田記内(おやまだきない)といふ者あり。

 或る夕暮に、門に立〔たち〕て外(そと)を見居たりければ、年の程、十七、八と見ゆる女、顏かたち、世の常ならず美しく、なべての人とも覺えざるに、只獨り、西の方(かた)より、東に行く。

 明〔あく〕る日の暮方(くれかた)、門に出〔いで〕しかば、又、かの女、西より東に打ち過〔すぐ〕る。

 記内も又、近きあたりにては、美男の聞えあり。

 女、つらつら、記内を顧みて、心ありげながら、打〔うち〕通る。

 斯くて、四、五度に至りて、又、夕暮に、門に立〔たち〕たりしかば、女、則ち、來〔きた〕る。

 記内、立ちよりて、女の手をとり、戲(たはふ)れて、

「君は、いづくの人なれば、日暮每(ごと)にこゝを打ち通り、いづ方に行給ふ。」

と問へば、女、さしも驚く色なく、打わらひ、

「みづからが家は、是れより、西の方(かた)にあり。所用の事ありて、東の村に行〔ゆく〕なり。」

といふ。

 記内、こゝろみに、手を取り、内に引入れんとすれば、更に否とも云はず。

 やがて、親しみつゝ、その夜〔よ〕は、そこに泊りて、わりなく契りつつ、夜の明方(〔あけ〕かた)に暇乞しつゝ、立〔たち〕歸る。

「又、いつか、來まさん。」

と云へば、女は、

「人目を忍ぶ身の、其び日をさして、必ず、とは、契り難し。」

とて、

 なほざりに契りおきてや中々に

   人の心のまことをも見む

と云ひしかば、記内は、『歌までやは』と思ふに、かく聞ゆるにぞ、いとゞわりなく覺えて、返し、

 いひそめて心かはらば中々に

   契らぬさきぞ戀しかるべき

かくて、きぬぎぬの別れの袖、又、朝露にぬれそめて、なごりぞ、いとゞ殘りける。

 四、五日の後(のち)、夕暮に、又、來りぬ。

 今は互ひに打ちとくる、其の下紐(したひも)のわりなくも、結ぶ契りの色深く、よひよひごとの關守も、恨めしきこゝちして、後には、夜ごとに來りけり。

 記内、いふやう、

「かほどにわりなく契る中〔なか〕に、なにか苦しき事のあらん。君が家、こゝもとに近くば、我、又、君がもとに行通ひ侍らんものを。」

といふ。

 女、答へけるは、

「みづからが家は、甚だ狹(せば)くして、いと見ぐるし。如何にして人を待〔まち〕うけ、一夜〔ひとよ〕を明かすべき用意も、なし。其の上、みづからが兄は、今は、なき人となり、その妻、やもめにて、内にあり。此〔この〕あによめの目を忍べば、中々、心苦しく侍べり。」

といふ。

 記内、きゝて、『げにも』と思ひ、いよいよ、人にも語らず、深くしのびて、契りぬ。

 此女は、又、たぐいなき縫張(ぬいはり)に手きゝなり。

 夕暮ごとに來て、夜もすがら、記内が小袖やうの物、洗ひすゝぎ、縫いたてゝ着せ、或ひは、麻績(をうみ)つむぎて、美しく細き布(ぬの)、おり立〔たて〕て着せければ、見る人、

「是れは。世の常の布にあらず。『筑紫(つくし)の波の花』、『越後の雪曝(〔ゆき〕さらし)』といふとも、是れ程には、よもあらじ。」

と、譽めぬ人は、なし。

 後には、見めよき女(め)の童(わらは)一人を召しつれて、通ひ來り、是れも又、手きゝ也。

 かくて、半年ばかりの後は、晝もとゞまりて、女の童とおなじく、絹を織り、縫い立〔たて〕て、記内に着せ、家の中〔うち〕、よろづ、甲斐々々しく取りまかなひけり。

 記内、云やう、

「夜(よる)さへ忍ぶ身の、晝だに歸り給はずは、もし、嫂(あによめ)の思ひ咎(とが)むる事、有るべし。」

といふ。

 女のいふやう、

「いつまで、强ひて、人の家の事、さのみに、忍び、はたさむ。君の心も又、如何ならん。末賴み難けれ共、ひたすら、我が身を君にすてゝ、かく、爰(こゝ)には通ひ來〔きた〕る也。」

といふに、記内、いとゞ、嬉しさ、限りなく、めで、まどひけるも、ことわり也。

  或る夜、女、來りて、いつに替はり、愁へ歎きたる色みえて、そゞろに淚を流して、泣きけり。

 記内、問ひければ、

「されば、今迄は君に思はれ參らせ、みづからも、わりなく賴みし中〔なか〕なれども、別れ離(はな)るべき事、出來〔いでき〕て、其の悲しさに淚の落つる。」

といふ。

 記内、大〔おほき〕におどろき、

「君とわれ、千とせを過〔すぐ〕るとも、心ざしは、露、替はらじ、とこそ、ちぎりけれ。如何成る故に、別れ離るべき。」

といへば、女は、

「今は、何をか、包み參らすべき。みづからは飯尾(いひを)新七がむすめ也。年十七にて、病〔やまひ〕によりて、むなしくなり、明日は、已に、第三年に、當れり。死して中有〔ちゆうう〕にとゞまる事、三年〔みとせ〕を、限りとす。三年過〔すぎ〕ぬれば、その業因〔ごういん〕に任せて、何(いづ)かたになりとも、生〔しやう〕を引〔ひき〕て、赴く。今宵限りの別れと思へば、悲しくこそ、侍べれ。」

とて、頻りに泣き悲しみければ、記内は幽靈と聞〔きき〕ながらも、此の程の情〔なさけ〕を思ふに、怖ろしげはなく、只、悲しき事、限りなし。

 夜もすがら、寢(いね)もせず、女房は白銀〔しろがね〕の盃(さかづき)ひとつ、玉をちりばめたる花瓶(〔はな〕かめ)の小さきにとりそへて、

「君、もし、忘れ給はずは、是れを形見に見給へ。」

とて、

 面影のかはらぬ月に思ひいでよ

   契りは雲のよそになるとも

とて、なくなく渡しければ、記内も、色よき小袖に、白き帶、取り添へて、女に與へつゝ、

 待いづる月の夜な夜な其のまゝに

   ちぎり絕すなわがのちの世に

と、かきくどき、泣きあかし、鐘の聲、遠く響き、鳥の音(ね)、はや、打ちしきれば、起き別れゆく袂をひかへて、

「さるにても、無き影の、埋(うづ)もれ給ひし所は、いづく。」

と、たづねしかば、

「甚目寺(じんもくじ)のわたり也。」

と、答へて、立出〔たちいづ〕ると見えし、跡方なく、うせにけり。

 記内、あまりに堪へかね、甚目寺のほとりにいたりけれども、そこと、知るべき塚も、なし。

『今すこし、その所、よく、とふべきものを。』

と、思へど、悔むに甲斐なくて、

 たのめこしその塚野邊は夏ふかし

   いづこなるらむもずのくさぐき

と、うち詠じ、なくなく、日暮がた、家に立歸り、其の面影を思ふに、悲しさ、限りなく、終〔つひ〕に病〔やまひ〕となり、日をかさねて、藥をも、のまず、

「只、とく、死して、此〔この〕人に、めぐりあはん。」

と、のみいひて、程なく、身まかりぬ。

[やぶちゃん注:「中有」は仏教用語で、衆生が死んでから次の縁を得るまでの間を指す「四有(しう)」の一つである。通常は、輪廻に於いて、無限に生死を繰り返す生存の状態を四つに分け、衆生の生を受ける瞬間を「生有(しょうう)」、死の刹那を「死有(しう)」、「生有」と「死有」の生まれてから死ぬまでの身を「本有(ほんう)」とする。「中有(ちゅうう)」は「中陰」とも呼ぶ。この七七日(しちしちにち・なななぬか:四十九日に同じい)がその「中有」に当てられ、中国で作られた偽経に基づく「十王信仰」(具体な諸地獄の区分・様態と亡者の徹底した審判制度。但し、後者は寧ろ総ての亡者を救いとるための多審制度として評価出来る)では、この中陰の期間中に閻魔王他の十王による審判を受け、生前の罪が悉く裁かれるとされた。罪が重ければ、相当の地獄に落とされるが、遺族が中陰法要を七日目ごとに行って、追善の功徳を故人に廻向すると、微罪は赦されるとされ、これは本邦でも最も広く多くの宗派で受け入れられた思想である。

「尾州淸洲(きよす)」現在の愛知県清須市(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。最後に「甚目寺」が出、これは愛知県あま市甚目寺東門前にある真言宗鳳凰山甚目寺(じもくじ)で清須市の南西直近である。

「小山田記内(おやまだきない)」特にモデルがあるとは思われない。

「なほざりに契りおきてや中々に人の心のまことをも見む」「新日本古典文学大系」版脚注によれば、山科言緒(ときお 天正五(一五七七)年~元和六(一六二〇)年:公家)編の歌学書(部立アンソロジー)「和歌題林愚抄」(安土桃山から江戸前期の成立)の「戀一」の「契戀」にある十楽院宮の一首とする(「永徳百首」所収)。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同書の影印本のこちらPDF)の16コマ目の左頁四行目で確認、異同なし。

「いひそめて心かはらば中々に契らぬさきぞ戀しかるべき」同前で、「和歌題林愚抄」の「戀一」の「初契戀」の前大納言為世の一首で、前の十楽院宮の二首後にある。確認、異同なし。なお、この一首は「新千載和歌集」の「戀一」に『初契戀とへる事を』という前書で所収する。

「下紐(したひも)の」枕詞として知られるが、ものとは古代からの恋愛風俗。男女が逢瀬の後に別れる際、互いに下紐を結び合い、再会して解き合うまで、その紐を解かないという習俗に基づくもの。

「わりなくも」前の相思相愛の状態が一通りでないことを言う。

 

「よひよひごとの關守も、恨めしきこゝちして」二人の逢瀬を妨げんとする者でさえ、逆に恨めしく思うほどに、女は何度もやってくるし、記内もそれを心待ちにしていることの仲睦まじい様子の表現。

「縫張(ぬいはり)」裁縫と洗い張り。

「手きゝ」名人。

「麻績(をうみ)つむぎて」苧(からむし:イラクサ目イラクサ科カラムシ属ナンバンカラムシ変種カラムシ Boehmeria nivea var. nipononivea )の繊維を撚り合わせて糸にすることを言う。ウィキの「カラムシ」によれば、『茎の皮から採れる靭皮繊維は麻などと同じく』、『非常に丈夫である。績(う)んで取り出した繊維を、紡いで糸とするほかに、糾綯(あざな)って紐や縄にし、また荒く組んで網や漁網に用い、経(たていと)と緯(よこいと)を機(お)って布にすれば』、『衣類や紙としても幅広く利用できる。分布域では自生種のほかに』六千『年前から』、『ヒトの手により』、『栽培されてきた』古代からの長い利用の歴史がある。なお、同ウィキによれば、カラムシの花言葉は「あなたが命を断つまで」「ずっとあなたのそばに」』そして、『他にも「絶対に許さない」がある』とある。最後のそれはもう、病的に執拗(しゅうね)きものである。

「筑紫(つくし)の波の花」「新日本古典文学大系」版脚注に、『塩のように真っ白な布の意か。「波の花」は塩の女房詞』とある。

「越後の雪曝(〔ゆき〕さらし)」「新日本古典文学大系」版脚注に、『雪で漂白した越後特産の麻織物』とある。私の「日本山海名産図会 第五巻 織布」も是非、見られたい。

「いつまで、强ひて、人の家の事、さのみに、忍び、はたさむ。君の心も又、如何ならん。末賴み難けれ共、ひたすら、我が身を君にすてゝ、かく、爰(こゝ)には通ひ來〔きた〕る也。」「何時までも、こうした外(そと)に逢瀬をするお相手がいることは、これ、強いて隠し通すことなど、到底、出来はしません。今の今まで、あなたさまは、そうした妾(わらわ)の思いを、どうお考えになっておられたのかしら? これから後のこと……それはもう……頼みにすることなど……出来はしない……ですけれど……妾は、身をあなたさまのために捨てて、こうして、ここに通って来ているのです。」。

「飯尾(いひを)新七」「新日本古典文学大系」版脚注に、『飯尾氏は、織田信長・信雄』(のぶかつ/のぶお:信長の次男)『に仕えた家臣。本話の年代は未詳であるが、永禄三年(一五六〇)に戦死した近江守定宗(信長公記・首巻)や、その子息で、後、信雄に仕えた隠岐守尚清』『ら存する』ものの、『新七は未詳』とある。

「死して中有〔ちゆうう〕にとゞまる事、三年〔みとせ〕を、限りとす」「新日本古典文学大系」版脚注に、既に冒頭で述べた通り、『仏教に中有を四十九日とするが、ここは儒教に』、『いわゆる』、『服喪三年に依るものか』とある。そうであろう。

「面影のかはらぬ月に思ひいでよ契りは雲のよそになるとも」「新日本古典文学大系」版脚注に、同じく「和歌題林愚抄」の「戀一」の「月前契戀」にある権大納言三位の一首とする(「永徳二十五夜内裏五首」所収)。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同書の影印本のこちらPDF)の17コマ目の右頁の後ろから四行目で確認、異同なし。

「待いづる月の夜な夜な其のまゝにちぎり絕すなわがのちの世に」同前で、「和歌題林愚抄」の「戀一」の「月前契戀」に、隆朝卿の一首として、

 待いつる月のゆふへのそのまゝにちきりたかふな人のことのは

と、前と同じ17コマ目の左頁の五行目に出る。整序すると、

 待ち出づる月の夕べのそのままに契り違ふな人の言の葉

であろう。この歌は記内の焦がれ死にを伏線する不吉な伏線と言える。

「鳥」鷄(にわとり)。

「無き影」亡骸(なきがら)。

「甚目寺(じんもくじ)」ここでこの寺或いはこの一帯の地名を出したことには、何か意味があるように思われるのだが、不明。「新日本古典文学大系」版脚注も特に触れていない。

「たのめこしその塚野邊は夏ふかしいづこなるらむもずのくさぐき」同前で、「和歌題林愚抄」の「戀一」の「契後隱戀」に、俊成の一首として、

 たのめこしのへの道しは夏ふかしいつこなるらむもすのくさくき

と、前と同じ17コマ目の右頁の十行目に出る。整序すると、

 賴め來し野邊の道柴夏深しいづなるらむ百舌の草潛(くさぐき)

である。「百舌の草潛」とは、モズ(私の好きな鳥。博物誌は「和漢三才圖會第四十三 林禽類 鵙(もず) (モズ)」を参照されたい)が、春になると、人里近くに姿を見せなくなることを、「草の中に潜り込む」と言ったもの。既に「万葉集」に使用が認められる。]

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