譚海 卷之四 下總國行德德願寺住持入定の事
○下總國行德に德願寺といふ有。其住持年﨟つもり念佛の功能いちじるしき事廿年あまりに及び、都下の貴賤男女常に參詣し群をなせしが、今年天明二年二月十八日、住持八十餘にして入定せられぬ、哀にとふとき事也。
[やぶちゃん注:「下總國行德德願寺」現在の千葉県市川市本行徳にある浄土宗海蔵山普光院徳願寺(グーグル・マップ・データ)。
「年﨟」(ねんらふ(ねんろう))は「年臘」とも書く。仏語で、生年と戒﨟(出家受戒してからの年数)。則ち、生まれてからの年数と、受戒して僧となってからの年数であるが、転じて僧侶の年齢を指す語となった。
「今年天明二年」(一七八二年)「二月十八日、住持八十餘にして入定せられぬ」この住持の生年は元禄一四(一七〇一)年以前となる。なお、「譚海」は安永五(一七七七)年から寛政七(一七九六)年の凡そ二十年間に亙る見聞奇譚集であるが、珍しく巻四のこの条の執筆時制が天明二年二月十八日以降であったことが判明する特異点である。]
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