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2021/07/22

芥川龍之介書簡抄103 / 大正九(一九二〇)年(八) 五通(知られた河童図書簡を含む)

 

大正九(一九二〇)年十月二十一日・田端発信・本鄕區東片町百三十六 小穴隆一樣・十月二十一日 市外田端四三五 芥川龍之介(速達印有り)

 

Kappazu2

 

           田端之河童

 

     二十二日ハ出ラレマセン

     ドウカオユルシヲネガヒマス

     二十五日スギナラ

     又御一シヨニ

     屁子玉ヲトリニマイリマセウ

     ドウカ入谷ノ兄貴ニヨロシク

 

 

 ヘン

 イクヂノナイヤラウダナ

 

本鄕之河童

 

[やぶちゃん注:太字は御覧の通り、書簡原本では囲み字であるのを代えたもので、台詞は吹き出しの中にある。台詞内容を考えて改行して示した。画像は今までと同じく、「もうひとりの芥川龍之介展」の冊子「もうひとりの芥川龍之介」(一九九二年産經新聞社発行)にあるものをトリミングした(なお、同冊子は末尾に「禁無断転載」とするが、パブリック・ドメインの作品を単に平面的に撮影したものに著作権は発生しないというのが文化庁の正式見解である)。

「屁子玉」河童の「尻子玉(しりこだま)」はよく知られている。「しりごだま」とも呼び、肛門の所にあると想像された玉で、河童が好んで引き抜くとされた。思うに、これは水死人の腐敗膨張が進み、肛門が開いて、直腸が露出したのを、見間違えたものと私は思っている。ただ、「屁子玉」(へのこだま)はついぞ知らない。筑摩全集類聚版脚注では、『あるいはこれ』(尻子玉)『に「へのこ」(きんたま)をつきまぜて、きんたまの意を含ませたか』という卓抜な注を附してある。座布団二枚!

「入谷の兄貴」小澤碧童。既出既注。

「二十二日ハ出ラレマセン」「入谷ノ兄貴ニヨロシク」と言っているところからは、この日に句会を設けて、小穴が龍之介を誘ったものか。実は、難産で延び延びにしていた「お律と子等」を漸くこの十月二十三日に分割した後半を脱稿しているので(但し、未完)、この頃には尻に火がついて可能性が高い。

「二十五日」年譜では、この日の記載はない。]

 

 

大正九(一九二〇)年十月二十四日・田端発信・小澤忠兵衞宛(葉書)

 

肅啓傘の御歌格段に結構と存じますあれは何度讀んでもうれしくなりますさて親戚に病人あり日曜はそちらへ參ります萬一御來駕を得ると恐縮ですからこの端書きを差上げます

    爐の灰にこぼるゝ榾の木の葉かな

と云ふのは落第ですか?

 

[やぶちゃん注:「小澤忠兵衞」小澤碧童の本名。

「傘の御歌」筑摩全集類聚版脚注に『不詳』とある。

「榾」は「ほた」或いは「ほだ」で、炉や竃で焚く薪(たきぎ)のこと。それに小枝と葉がついていたのである。佳句である。龍之介も少し自信があったことが、類型句を龍之介は幾つか作っていることから判る。「やぶちゃん版芥川龍之介句集 二 発句拾遺」及び「やぶちゃん版芥川龍之介句集 三 書簡俳句 (明治四十三年~大正十一年迄)」で「榾」で検索されたい。]

 

 

大正九(一九二〇)年十月二十四日・消印十月二十四日・本鄕區東片町百三十六 小穴隆一樣(速達印)・あくた川龍のすけ(葉書)

 

鴉瓜よろし百舌の句も惡しからず 章魚に似たるの蜘珠、感じは通ずれど最も劣るべし

    小說の出來そくなふ日天が下の百舌もとんびも落ちよとぞ思ふ

 

[やぶちゃん注:この十月二十四日は日曜で龍之介の決めた面会日であったのだが、ここにある通り、親戚に病人があってそれを見舞いに行って留守にするという。新全集の宮坂覺年譜には、この親族見舞いが誰であったのかは『詳細未詳』と附記する。どうも、芥川龍之介の怪しい行動をさんざん知ってしまった私などは、こんな謎の一日も気になってくるのである。前文は小穴の句に対する龍之介の評。後の芥川龍之介と小穴の二人句集「鄰の笛」(大正一四(一九二五)年九月一日発行の雑誌『改造』に「芥川龍之介」の署名の龍之介の発句五十句と小穴一游亭隆一の発句五十句から成るものとして発表されたもの)私のブログ版「鄰の笛 (芥川龍之介・小穴隆一二人句集推定復元版)」を参照されたい)に、

百舌鳥(もず)なくや聲(こゑ)かれがれの空曇(そらぐも)り

  雨日

熟(う)れおつる蔓(つる)のほぐれて烏瓜(からすうり)

という二句が載るのが、それ(或いは改作決定稿)であろう。]

 

 

大正九(一九二〇)年十月二十七日・田端発信・小島政二郞宛

 

啓 碧童氏の歌を御めにかけます字も出來がよろしい龍字の印は碧童氏自用のもの僕とは關係も何もありません僕も咋日のたくりました 頓首

   生きの身のあはれを求(と)むるわれなれば五錢の踊り今日も見に來し

   舞姬の一人はかなし錢を乞ふ手のおしろいも剝げてゐにけり

               我 鬼 生

   古 瓦 軒 主 人 御床下

 

[やぶちゃん注:間違えぬように断っておくが、これは芥川龍之介の短歌ではなく、俳人小澤碧童の二首である。「五錢の踊り」筑摩全集類聚版脚注に『不詳』とする。女の門付け芸のそれか。

「古瓦軒」碧童の別号か。確認は出来ない。

「龍字の印」不詳。小澤書簡の写真を封入したとも思われぬ。]

 

 

大正九(一九二〇)年十月二十七日・田端発信(推定)・空谷先生 梧右・十月廿七日・芥川龍之介

 

合掌

御旅先よりの御はがき並に今日は御手紙の外結構なる品頂きありがたく存じそろ 井月翁の材料も御集まりの由御同慶の至に存じそろ その後賣文糊口の匇忙たる日を送り居り候へどもたまたま興を得川童の歌少し作り候閒御めにかけ候 御笑ひ下され度そろ

   川郞のすみけむ川に芦は生ひその芦の葉のゆらぎやまずも

   赤らひく肌もふれつゝ河郞の妹脊はいまだ眠りて居らむ

   わすらえぬ丹(ニ)の穗(ホ)の面輪見まくほり川べぞ行きし河郞われは

   人間の女(メ)をこひしかばこの川の河郞の子は殺されにけり

   いななめの波たつなべに河郞は目蓋冷たくなりにけらしも

   川庭の光消えたれ河郞は水(ミ)こもり草に眼をひらくらし

   水底の小夜ふけぬらし河郞のあたまの皿に月さし來る

   岩根まき命(イノチ)終りし河郞のかなしき瞳をおもふにたへめや

                  頓首

    廿七日朝        我   鬼

   空 谷 先 生

 

[やぶちゃん注:既注であるが、芥川家の主治医で俳人でもあった下島勳は、芥川も愛した俳人で「乞食井月」の異名で呼ばれる井上井月(文政五(一八二二)年?~明治二〇(一八八七)年:信州伊那谷を中心に活動し、放浪と漂泊を主題とした俳句を詠み続けた)の研究家としてもよく知られ、下島の井月の句集の出版を龍之介は後押しもしている。ウィキの「井上井月」によれば、『井月は自身の句集は残さなかったが、伊那谷の各地に発句の書き付けを残していた。伊那谷出身の医師であり、自らも年少時に井月を見知っていた下島勲(俳号:空谷)は、井月作品の収集を思い立ち、伊那谷に居住していた実弟の下島五老に調査を依頼。そして』、この翌大正一〇(一九二一)年に「井月の句集」を出版している。『本書の巻頭には、高浜虚子から贈られた「丈高き男なりけん木枯らしに」の一句が添えられて』おり、『この句が松尾芭蕉』の「野ざらし紀行」の発句「狂句木枯の身は竹齋に似たる哉」を『踏まえている点から、虚子が井月を芭蕉と比較していたことが分かる』とあり、『また、下島が芥川龍之介の主治医であった縁から』、「井月の句集」の『跋文』ここのために先程、急遽、ブログで電子化した『は芥川が執筆している。芥川は「井月は時代に曳きずられながらも古俳句の大道は忘れなかつた」と井月を賞賛している』但し、芥川が『井月の最高傑作と称揚している』「咲いたのは動いてゐるや蓮の花」の句は、『皮肉にも』、『井月の俳友であった橋爪山洲の作品であることが、芥川の没後に判明した』ともある。さらに、昭和五(一九三〇)年十月には、『下島勲・高津才次郎編集による』「井月全集」が出版され、「井月の句集」に『掲載された虚子らの「井月賛」俳句と、芥川の序文はこの全集にも再掲され、井月の評価を高める役割を果たした。また、本全集には、井月が残した日記も収録されている』とある。同ウィキには下島が描いた井上井月の肖像(大正一〇(一九二一)年作)の画像も載る。

「赤らひく」「赤ら引く」は万葉以来の枕詞で、「明るく照り映える」の意から「日」「朝」に、また、「赤みを帯びる」の意から「色」「肌」に掛かる。ここは後者。

「丹(ニ)の穗(ホ)」赤く実った美しい稲穂。赤い顔をしているともされる河童、その雌河童の顔を言ったものか。或いは次の一首の「人間の女(メ)をこひしかば」を考えると、紅を塗った人間の女の唇の色を言ったものかも知れない。

「いななめの」「いなのめの」の誤りであろう。万葉以来の枕詞で「夜が明く」の「明く」に掛かる。小学館「日本国語大辞典」によれば、「補注」に『語源およびかかり方については諸説ある。(イ)「いな(寝)のめ(目)」が朝方に開くから「(夜が)明く」にかかる。(ロ)「いなのめ」は「しののめ」(暁方の意)と同義で』『あるところからとする。(ハ)「いな(稲)のめ(目)」(稲の穂の出始める意)を夜明けにたとえるところからとする。(ニ)「イナ(鯔)のめ(眼)」が赤いところから「赤」と同音の「明」にかかる。(ホ)採光、通風のために、稲藁を粗く編んだむしろのすきま(稲の目)から明け方の光がさし込むところから、など』とある。龍之介は同義の「しののめ」辺りから、うっかり、かく表記したのかも知れない。

「まく」「枕にする」の意。「万葉集」に「まくらとまく」 =「枕(まくら)と枕(ま)く」として「枕にして寝る」の用法がある。]

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