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2021/08/08

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 百姓幸助身代り如來の事 / 第一集~了

 

[やぶちゃん注:読み易さを考えて、段落を成形した。]

 

   ○百姓幸助身代り如來の事

       信濃國水内郡久保寺村

        淸助事 百姓 幸助 申四十二歲

 この幸助が【幸助は太田氏なり。その淸助といひしは、文化中、江戶の高家につかへし時の名なり。よりて江戶にては淸肋とよべり。】叔父なりけるものゝ世にありし程、

『同村正覺院月輪寺【號紫慶山。善光寺の行願所なり。】へ「大般若經」を寄進せん。』

と思ひおこしつゝ、あちこちと券緣したれども、田舍の事なれば、事ゆかず、纔に、六、七卷を寄進せし程に、その身はまかりたり。[やぶちゃん注:「券緣」こんな熟語は聞いたことがない。原本を見られないのではっきりとは言い難いが、これは「募緣」の誤判読ではないか? 「募緣」は自社に対する財貨の寄付行為を指す(一般には寺社側の必要要請を受けて施行されることが多く、「勧進」「感化」「奉加」の呼称で呼ばれもする)。但し、江戸幕府はどうも寺社側の自主的な募縁は原則的に禁じていたようで、寺社外の個人や集団を含めて、行う場合には寺社奉行の許可を必要とした。その分、本来的には藩や幕府が修復費用などを援助したのである。]

 これにより、幸肋は、叔父の遣志を繼ぎて、彼經を券緣せん爲に、今、茲文政七年の秋、江戶に出でゝ、白壁町金八店[やぶちゃん注:「きんぱちだな」。]紙商人安兵衞といふものゝ家を旅宿にしつゝ、逗留、數日におよびけり。その故鄕を去るときに、善光寺へ參詣して如來を、をがみけり。

『某、云々の宿願あるにより、こたび江戶におもむかんとす。わが母は、齡、既に八十にあまれり。ねがふは、宿願成就してかへり來ん日まで、母のつゝがなからん事を守らせ給へ。』

と念じつゝ、すなはち、阿彌陀の畫像一幅を買ひとりたり。かくして、江戶に至りて、旅宿の棚に件の佛像かけ奉りつゝ、日每にをがみ、朝暮に燈明を揚げなどするに、その身、他にゆきて、かへりの遲き日は、

「必、御あかしをまゐらせ給へ。」

と、旅宿のあるじにたのみしかば、そのこゝろを得て、しかしてけり。

 かゝりし程に、九月晦日になりぬ。幸助はこの日、日本橋なる須原屋許(ガリ)赳きて、買ひとりたりける「大般若經」十卷ばかりを脊おひつゝ、なほ、

「元三大師の遷座を、をがまん。」

とて、東叡山に參る程に、はや申[やぶちゃん注:午後四時前後。]の時ばかりなりければ、參詣の郡集、みち、さりあへず、辛うじて、をがみ果てたるかへさに、雪踏[やぶちゃん注:「せつた」。雪駄に同じ。]の尻をふまれて、うつぶしに倒るゝ折、わがあとなりける武士の彼も、人におしたふされて臥したるうへに、まろばんとする程に、脇ざしの刀、鞘はしりぬけ出でゝ、幸助が肩のあたりへ、ひらめき飛びて、落ちたりけり。

 さりけれども、幸に身を傷けらるゝに至らずして、只、經卷をつゝみたる風呂敷の、左の肩にあたりたる所は切れたり。

『いと危かりき。』

と思ふものから、身に恙なかりしかば、ふかく恐れ、つゝしむまでもなく、又、そのかへさに、あちこちと、しる人がり立ちよりて、日くれて、宿に歸りにけり。

 その黃昏に、宿なるあるじは、彼幸助が阿彌陀の佛像に、御あかしをまゐらするとて、不圖、仰ぎ見つるに、佛像のかけもの、おのづからに、まろびおちて、橫たはりければ、いぶかりながら、いそぎ、あげ見るに、かけ物は、なかば斫られて[やぶちゃん注:「きられて」。]、佛の肩より、血、流れたり。

「こは。いかに。」

と、ばかりに、驚き怪むこと、限なし。

 さてあるべきにあらざれば、隣れる人々にも、つげしらせて、うちかたらふに、

「こは、幸助がうへに凶事ありけんを、御佛の示させ給ふならん。さればとて、迎の人をつかはさんにも、さして、ゆくへは、定かならぬを、いかゞはせん。なほも利益をねがふこそよかめれ。」

とて、ちかきほとりにをる法師を招きて、「阿彌陀經」を、よませなどする程に、幸助、かへり來にければ、人みな、その無異を祝して、

「云々。」

と告げ知らするに、幸助、聞きて、且、おどろき、且、たふとみて、感淚を拭ひあへず。

「けふ、上野にてありつる事、云々なり。」

と說き示せば、

「扨は。この御佛の、身がはりに立ち給ひしなり。」

とて、人々、はじめて、靈驗利益の合期したるを、さとりきとぞ。[やぶちゃん注:次は底本でも改行されてある。]

 いぬる十月十一日、神田平永町なる本屋山崎平八、あはたゞしく、わが隱居に來て、

「文化中、やつがれが手代なりける淸助といふもの、こたみ、信濃より來にたるに、一奇談、侍るなり。その故は云々なり。」

とて、上にしるしゝ趣を物がたりして、

「けふなん、彼御佛を、人々に、をがません。」

とて、淸助を招きよせたり。いざ、ゆきて見給へ。」

といふ。しかれども、おのれは、まことゝも思はざりしかば、まづ、こゝろみに、老婆と下女とを遣して、見せ、次にせがれをつかはしたるに、

「相違あらず。」

と、いへり。よりて、最後にゆきて見たるに、畫像は處々の俗家にある印行の佛像にて、三尊の彌陀なり、左右に觀音・勢至、下には月海長者夫婦の侍るもの、こは善光寺にて、三、四十文に賣り與ふといふ、田舍表具のかけ物なり。

 さてよく見るに、むかひて、右のかた、表具のはづれより、船護毫をかけて、阿彌陀の肩さきまで、よく切るゝ刃ものもて、切りたるごとく、はすに切れて、佛の肩より血のしたゝりし事、一寸弱、橫、三、四分なるべし。

 おのれが見つるときは、はや、十日ばかり經たれば、その血に、くろみあり。いかに見ても、血しほに紛れなし。奇なりといふべし。件のかけ物は、幸助が曩[やぶちゃん注:「さきに」。]に善光寺にて、三十六銅にて受けて、もて來ぬるものなれば、いと新らしく見えたり。幽冥の事は、得て[やぶちゃん注:「特に取り立てて~する」という代動詞的な意か。]論ずべくもあらぬを、かゝる奇特あるをおもふに、これ孝感[やぶちゃん注:孝行の徳が神人を感動させること。]のいたすところ歟。

 この事、彼此[やぶちゃん注:「ひし」。あちらこちら。]に聞えしかば、日每にもてあるきて、をがます程に、一日の賽錢、三、四貫文づゝあり。これによりて、「大般若經」のたやすく成就すべきいきほひなるに、なほ、十卷、二十卷の施主たらんといふもの、あまたあり。十一月に至りては、はや、三百卷あまり、買ひ得たりといふ。かゝれば、程なく全部すべし。彼幸助は、今なほ、江戶にあり。逗留、春をむかふといふ。うたがふものあらば、渠が[やぶちゃん注:「かれが」。]旅宿にゆきて、問ふべし。

  文政七年甲申十一月十五日燈下識 神田老逸 隱譽簑笠居士

[やぶちゃん注:以下は、底本では全体が二字下げ。]

幸助は甲申の冬より、旅宿を轉じて、神田鍛冶町繪の具あき人大坂屋庄八といふものに寓居す。又、はじめに「大般若經」劵緣の事を發起せし幸助が叔父を淨泉坊といふ。原是[やぶちゃん注:「もと、これ」。]、久保寺村正覺院の沙彌なりしとぞ。正覺院の現住を廣淐[やぶちゃん注:「こうしやう」。]いふなり。

[やぶちゃん注:「久保寺村」長野県の旧上水内(かみみのち)郡内に確かに久保寺町があったが、位置は不明。寺でも確認出来なかった。

「白壁町」現在の千代田区鍛冶町二丁目附近(グーグル・マップ・データ)。

「月海長者夫婦」不詳。

「船護毫」掛物或いは表具の部位の名称らしいが、不詳。]

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