只野真葛 むかしばなし (33) オランダ渡りの調度品てんこ盛り!
父樣、外へ御出被ㇾ成て、珍らしく書のとゞきたることを御はなし被ㇾ成しを、ある紙問屋《といや》居合(ゐあはせ)て、殊の外、感じ聞て、
「鹽入になりし書は、くちて用立(ようだた)ぬものなり。おしき事なり。是は私共かたの極(ごく)祕傳のことに候へども、珍らしき事故、おしへ申べし。其書をときほごして、さ水に入(いれ)て、一ひらづゝ糸に懸(かけ)て、かわかし、又、水をあらたにして、入ては、かけ、かけ、かくする事、三べん、三べんめの水に澁(しぶ)を少々入て、洗(あらひ)かけて、干上(ほしあぐ)れば、用立(ようだつ)物なり。あなかしこ、あなかしこ。」
とて、おしへたりし故、其ごとく被ㇾ成しに、よくなりて有し。さて、とぢる段にいたりて、
「かほど、厚き物をとぢるには、かならず、かやうの金物なくてはならず。」
と、御くふうにて、金物、うたせて、とぢさせしが、其後、ヲランダ人、來りし時、書物のとぢやう、きゝしに、やはり、御くふうのやうな金物にてとぢる、と、いひしとなり。
其頃は、ヲランダ物、大はやりにて有し。
桂川甫周樣など、日ごとのやうに御こし、其書をかさねる時など、ヲランダの、一、二を見分など被ㇾ成し。
扨、幸作かたへ、其書の禮には、何をつかわされしや、しらず。是がヲランダものゝ、來始(きはじめ)にて、追々、珍らしき物、來りし。其次は毛織、國王の官服とて、三尺ばかり橫壱尺五寸ぐらい、高サ六、七寸の箱に入(いれ)て、上着と袴と、髮ざし・靴など一くだりのもの有し。靴は、上ぐつと、下ぐつも有し。上着、色は、すわう染(ぞめ)のやうなる赤地に、葉、靑く、花金にて、[やぶちゃん注:本文中に以下の挿絵。底本のそれをトリミング補正して使用した。底本では、文は、この絵を挟んで続いている。次も同じ。]
むかふ菊のごとくなる花なりし。ひしと、織たる物なり。地は、ぬめ[やぶちゃん注:「布目」か。]の樣にて、毛のたゝぬ物なりし。袴は、うこん地、花色と白の二分ぐらいの縱縞なり。ぬめの樣にて、糊なしの、地のよらぬ[やぶちゃん注:「縒らぬ」か。]、結構なる物なりし。後・前とも、さる布着(ぬのぎ)をくゝりしやうに、中に入(いれ)たる紐にて〆るものなり。其紐、きめうの物なりし。引(ひき)こきたる[やぶちゃん注:「扱(こ)く」か。]時は、三、四分ぐらいの巾(はば)にて、ひらきてみれば、五、六寸の巾にも成し。
兩はし赤、次、はな色、中は黃にて有し。
ひらきてみれば、たゞ、糸を引(ひき)かけたるばかりにて、つよきこと、毛も、たゝず、切(きれ)そうにも、なき物なりし。髮指は、金の唐はな、靴は、ことに念入(ねんいれ)て組(くみ)たる物なりし。金糸は、糸に、のべがねを卷(まき)たる物にて、手にあたれば、
「ひやひや」
と、したりし。其ほどは何のわきまへもなかりし故、ようもしらねば、今、おもへば、其官服はあきなひに、もて來りしを、
「逗留中に、かた、付(つき)かね候故、いか程、あたひなら、拂被レ下(はらひくださる)。」と、父樣へ、幸作のたのみて、行(ゆき)しものなるべし。小ぎれにして、のぞみ手のあれば、つかわされしが、そのあたへ、思しよりは、よく有(あり)しなるべし。
其次にはケルトルといふ物、來りし。ヲランダの酒盛道具なりし。是は勝(かつ)て、おもしろき物、前後に、聞しことも、見しことも、なき品なり。
「金百兩に拂たし。」
と、いひて、こしたりとぞ。上の一重は、盃と、肴入(さかないれ)品々、下は、酒、「角(かく)ふらすこ」に、一ぱい入(いれ)て有し。數、二十なり。「ふらすこ」のなかに、内を、「らしや」にてはる、肴入、金を、ほり付(つけ)て、光(ひかり)かがやくものなり。
酒は、名(な)有(あり)、ぶどう酒は、ことに黑かりし。「金あらき」の「ふらすこ」をふると、金のうごくさま、火の粉のとぶやうにて、見事なりし。盃と肴入をならべてみれば、是ほどのもの、此箱には入(いり)そうはないとおもわるゝやうなり。盃もさかな入(いれ)も、二づゝ、同形のものなりし。
[やぶちゃん注:以下、以上の渡来品の挿絵とキャプション。底本では挿絵の各個の図中にキャプションがあるが、底本ではその各個キャプションが活字にされてしまっているため、日本庶民生活史料集成の当該画像(原本のママ)をトリミング補正して使用し、改めて判読して添えた。]
[やぶちゃん注:最初の画像の左のキャプションは、「二重、明(あけ)たるかたち。」。二枚目の画像は左のフラスコ左横の箱の蓋の裏側部分に、「『ふた』と『み』に、噐(うつわ)だけの合口(あひくち)あり」とあり、下方の箱の内側に、「盃と肴入」、左外に、「ふたを取(とり)し所」と状況キャプションがある。中央の閉じた箱の前方の絵には、上蓋(奥)に「弐尺五寸斗(ばかり)」とあり、手前の下方角に「二尺斗」、正面取っ手下方に「前」とある。なお、底本では、この箱の後部の横部分外に箱の幅を『二尺斗』とあるが、この日本庶民生活史料集成にはそれがない。左手のそれは箱の後ろ部分を描いたもの。四箇所の二重蝶番が描かれ、その間の下方に「後」と記してある。]
[やぶちゃん注:以下は挿絵の解説キャプション。]
此中かくふらすこ廿(にじふ)入(いり)、みな、水晶ふき[やぶちゃん注:「葺き」。]、金物の所ばかり、「すゞ」なりし。金にて、もやう付(つけ)たり。内二(ふたつ)、すりかた[やぶちゃん注:「摺り型」か。]にて、模樣付(つけ)たるには、酒に、金を入れたり、こまかと、あらきと、二通(とおり)有し。
内は惣(そう)たい、「紺羅しや」にて、はりたり。具合・手ぎわのよき事、いふばかりなし。「びいどろ」、きつと[やぶちゃん注:しっかりと。]、入(いれ)て、少しも、うごくこと、なし。後(うしろ)は蝶番(てふつがひ)なり。前のかなもの、やわらかにして、すき、なし。箱にしたる木は、一枚板なりし。木目は「しゆろ」[やぶちゃん注:「棕櫚」。]に似たり。色はねずみいろなり。
聞(きき)つたいては、傳(つて)をもとめなどして、見に來る人、日ごとに、たへず、賑々(にぎにぎ)しきことなりし。ワ、九ツ十ヲばかりのことなりし。六ツ年、ぬす人とらへしことよりて、尾張町、藥みせ、出(いだ)しことなど、はきとおぼへたり。
しばらく有て、大名がたより、
「御望(おのぞみ)。」
とて、上りたりし。其かわりに百兩の極札(きはめふだ)付(つき)たる作の、三所(みつどころ)もの、つかはされし。
次にはびいどろの板にて、四方を張(はり)たる「かけあんどん」、來りし。是は、てもなきものなりし。中へ銀にて、[やぶちゃん注:本文中に以下の挿絵。底本のそれをトリミング補正して使用した。底本では、文は、この絵を挟んで続いている。]
此やうな形に、火とぽしを二(ふたつ)、俄に御あつらへ被ㇾ遊て、ともしたれば、壱《ひとつ》が十二ばかりに見へたりし。元來、四方共に「びいどろ」の板にて、後は「びいどろかゞみ」なる故、相(あひ)てらしてうつり合(あふ)故、いくらともなく見へしなり。吳服屋のみせのやうなりし。「千疊敷かけあんどん」と名をつけられし。
[やぶちゃん注:オランダ製製品の紹介で只野真葛の真骨頂という感じで、非常に興味深い。
「珍らしく書のとゞきたること」前記事に出た「ドニネウスコロイトフウク」のこと。
「鹽入になりし書」海水に浸かってしまった書物。以下、再生処理法が興味深い。
「桂川甫周」既出既注。
「其書をかさねる時」前の、再生したものを金物で重ねて綴じる際、の意であろう。
「すわう染(ぞめ)」「蘇芳染め」。
「花金」花模様を金糸で縫い出したものであろう。
「むかふ菊」挿絵から菊のような花(実際に菊かどうかは不明。多分、違う)を双生で縫いとりしてある模様を指している。
「ひしと」しっかりと。
「うこん地」鬱金(うこん)色の地布。
「糊なし」和服のような糊張りがなされていないことを言っていよう。
「髮指」不詳。「怒髮指冠」から、「毛羽立たせた箇所」の謂いか。
「唐はな」西洋花卉。
「金糸は、糸に、のべがねを卷(まき)たる物にて」金染めではなく、糸にごく薄く延ばした金を巻きつけたもので。恐るべし!
「ケルトル」不詳。英語の「ケットル」では薬缶だしなぁ。
「角(かく)ふらすこ」三角フラスコのことであろう。
「らしや」「羅紗」。
「金あらき」図のキャプションでは、「粗き」の意で用いているが、ここのそれは「金」粉入りの「アラック」のことではないか。「阿刺吉」「あらき」(オランダ語:Arak:アラック)で、オランダの火酒の一種である。そうなると、「あらき」には強烈なアルコール度の「荒き」の意も被る。私は北原白秋の「邪宗門」の一節から、直ちにそう連想したのである。私の『北原白秋 邪宗門 正規表現版 パート「古酒」』の頭に出て、注した経験からである。
「ワ、九ツ十ヲばかりのことなりし」またしても、珍しく時制が確認出来る。真葛は宝暦十三年(一七六三年)生まれであるから、これは明和八年(一七七一年)か翌明和九年(明和九年は十一月十六日(グレゴリオ暦一七七二年十二月十日)に安永に改元)ということになる。
「六ツ年、ぬす人とらへしことよりて、尾張町、藥みせ、出(いだ)しことなど」既出。
「はきとおぼへたり」「はっきりと覚えている」。
しばらく有て、大名がたより、
「三所(みつどころ)もの」刀装(拵(こしらえ))用の金具で、小柄(こづか)・笄(こうがい)・目貫(めぬき)の三種を指す。小柄は刀の鞘に差し添える小刀(こがたな)の柄で、笄は刀の鞘に挟む箆(へら)状の金具、目貫は柄につける飾り金物である。目貫は太刀(たち)につ附属させ、小柄・笄は太刀を佩用する際に腰に差した腰刀(こしがたな:鞘巻(さやまき))に附属させるが、太刀にかわって打刀(うちがたな)が一般化した室町期には、打刀にも附属させるようになった。江戸初期までは目貫・笄の二所物で、小柄は含まれなかったが、やがて三所同作の揃い物が武家で尊重されるようになった。主に後藤家(後藤祐乗(ゆうじょう))の代々の工人によって造られたものが、将軍や大名家で貴ばれた。
「かけあんどん」「掛け行燈」。家の入り口や店先、又は、柱・廊下などに掛ける行灯。
「てもなきもの」たいして複雑なからくりではないことを言っているようである。
「千疊敷かけあんどん」所謂、三面鏡を閉じぎみにして物を写すと、無限に投影されているように見えるあれである。
これらの物を、江戸で、見ている、満で八、九歳の少女真葛――何か、羨ましくも微笑ましくもなってくるではないか。]