只野真葛 むかしばなし (31)
色々もの入(いり)して、御世話被ㇾ成しが、主なしにて藥もうれず、その店はつぶして、かすかに九尺口にしつらひて、繪草紙・たばこ入(いれ)など、うりて、お秀は、ゑびすやの仕立物などして、すごしてありし。
娘子はよき養子の口有てつかわすといふことなりしを、誠かと思ひしに、實は深川のむすめにうりしとなり。其時にげてお秀が所に來りしが、いかにかくれて有りしか、段々とわりもつきて後、切どほしの右近樣の奧へ御奉公に上(あが)りてより、今もおなじ所につとめて有。
順治は、どうしても、惡黨にて、筋あしきことばかりして、終に、こむそう寺へ入しと聞しが、後、しらず。半右衞門も前髮有時、養子にもらひたしといひし人有しが、侍をきらいて、ならず、町人にて有りしなり。
末子とら次郞は、門ならびのほてい屋といふ糸屋、其頃は、しごく富家にて有し故、たのもしくおもわれしを、不仕合のむかひしことは是非もなし、「鍋島樣」と、だまされて、用金を出し、返濟なき故、つぶれて、みせも人手に渡し、むすこ夫婦は、かすかの糸屋となり、親は鍋島より、扶持《ふち》給金を被ㇾ下、一生は、樂隱居のごとく、御長屋内にひとりずみして有りしが、とら次郞、幼年より、おもき恩をうけし人故、はなれかね、其隱居につきて、かんがくし、廿五、六まで居たりしが、隱居死後、かへつて見た所が、世わたりのわざ、何もしらず、大ぶら付(つき)ものなりしが、いかゞなりしや。
[やぶちゃん注:真葛のそれは、話が突然飛んで、よく意味が判らないところが多い。これも「お秀」という名からは、先の石井家に嫁いだ「お秀」としか読めない。とすると、お秀の夫石井宇右衛門の親は薬種屋を営んでいたものが、親が亡くなって、こうした顚末になったということになるのか。
「深川のむすめにうりし」深川芸者として売ったということであろう。
「わりもつきて」深川芸者置屋からの逃げた結果のごたごたに仲裁が入ったものか。
「切どほしの右近樣」不詳。「奥」への「御奉公」とあるから、大身の旗本か大名家か。
「順治」石井宇右衛門の先妻の長子。
『「鍋島樣」と、だまされて』「大身の鍋島藩だから、返済は安心してよい」と「だまされて」、金を都合したが、結局、返済されず、ということであろう。それを懐柔するために、親だけは、何がしかの扶持を与え、鍋島藩邸の使用人の長屋で楽隠居をさせたということか。
「かんがく」「勸學」。
「何もしらず、大ぶら付(つき)もの」世間知らずの、度を越した遊び人或いは不良か。]
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