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2021/08/07

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 吉兆

 

   ○吉兆       輪  池  堂

小田原候は、むかしより吉事ある每に、必、城の櫓に、鯛一打、すゑてあり。今の侯に至りて、あるとき、五、六寸の鯛二枚、あがりてあり。家臣、これを見て、「例の吉瑞なり」とて、とりおろして侯にたてまつりしかば、料理せしめてめしけるに、はたして、「めし狀」到來して、顯職を得給ひき。「是、人間わざにあらず。かの人の所爲ならん。」といへり。又、御先手頭山本原八郞は、家の紋、「鳥居に鳩」なり。吉事あらん前には、鳩の來集まるとあり。もとは新御番にてありしが、鳩一羽、家の内に飛び入りし事、有り。『いかなることにか』と思ひあやしみける程に、やがて組頭になりけり。そのゝち、又、五、六羽、庭上にゐたることあり。「吉兆なるべし。」と、いひあヘる程に、西丸小十人頭にすゝみたり。去年の冬、御先手になる前には、二十あまり來つゝ馴れたりといヘり。これをおもふに、「白澤圖」に、『野鳥入ㇾ屋、鬼名「不穴」【一作「白窟」。】』と見えて、怪とせしも、一槪には信じがたし。予は、はじめ、國鏡の手傳に出でし時は、母の忌日に、「めし狀」到來し、御加增のときも、母の忌日に、めしけるなり。この母は、予が十歲の時、身まかりしが、その遺言を守りて、日夜、觀ずをるゆゑ、相感ずる所ありしにや。この事を記しゝ文を、故(モト)の吉田候、見させ給ひて、感心のよし仰せ下されし。「されば、親の守りは、現世のみならず、なき後までも、かくあれば、おろかにな思ひそ。」と、わかき人に常にいひきかすことなり。

  文政八年正月十四日   弘 賢 識

 

[やぶちゃん注:「小田原侯」この文政八(一八二五)年当時の小田原藩藩主は大久保忠真(ただざね)。彼は文政元(一八一八)年に老中となっており、これはその直前の出来事考えられる。

「白澤圖」「白澤」(はくたく)は聖獣の名。人語を操り、森羅万象に精通する。麒麟・鳳凰同様、有徳の君子ある時のみ姿を現わすという。一般には、牛若しくは獅子のような獣体で、人面にして顎髭を蓄え、顔に三個、胴体に六個の眼、頭部に二本、胴体に四本の角を持つとする。三皇五帝の一人、医薬の祖とされる黄帝が東方巡行した折り、白澤に遭遇、白澤は黄帝に「精気が凝って物体化し、遊離した魂が変成したものは、この世に一万千五百二十種ある」と教え、その妖異鬼神について詳述、黄帝がこれと白澤の姿を部下に書き取らせたものを「白澤圖」という。因みに、本邦では、江戸時代、この白澤の図像なるものが、旅行者の護符やコロリ(コレラ)等の疫病退散の呪いとして、甚だ流行した

「國鏡の手傳」幕府御家人で右筆でもあった国学者屋代弘賢(やしろひろかた)は、他の学者や絵師などとともに、幕府によって各地に派遣され、古墳や遺跡・寺社などから出土・保管されていた古い銅鏡の調査を行っている。]

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