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2021/08/13

芥川龍之介書簡抄118 / 大正一三(一九二四)年(一) 正宗白鳥宛

 

[やぶちゃん注:新全集の宮坂年譜によれば、この年の一月十日頃、『大阪毎日新聞社とトラブルが生じ(入社後、目立った仕事がないことに不満が生じたか)、社』(系列新聞の東京日日新聞社であろう)『を訪れ、事情を説明する』とあるが、参考資料として同月十八日附『よみうり抄』の引用で、『芥川龍之介氏 「大阪毎日新聞」嘱託であつたが解任になつた』とある。また、同年一月十一日(年次推定)の小穴隆一(宛名「一游亭先生」)宛書簡の中で数日前の外出して不在だったことを弁解して、『僕の馘職事件が起つた爲ちよいと社へ行く用もあつた』と述べているから、この十一日から十八日の間で――芥川龍之介は大阪毎日新聞社社友を社側によって解職となった――というニュースが流れたのは確かである。但し、年譜本文には解職されたとする明記はない。また、一九九二年河出書房新社刊・鷺只雄編著「年表 作家読本 芥川龍之介」には『大阪毎日新聞社で「芥川の馘職事件」(詳細は不明。恐らく病気を口実に大毎には余り執筆しないが、他誌には小説を書いていることに対する不満が社内に高まった結果と思われる)があり、そのため』、龍之介自身が日日新聞社に『赴き』、『事情説明をし、いちおう収まる』とある。その後も『サンデー毎日』・『東京日日新聞』・『大阪每日新聞』に芥川龍之介は作品を発表しており、馘首・解任はされなかったと考えてよい。]

 

 

大正一三(一九二四)年二月十二日・田端発信・正宗白鳥宛

 

冠省文藝春秋の御批評を拜見しました御厚意難有く存じました十年前夏目先生に褒められた時以來最も嬉しく感じましたそれから泉のほとりの中にある往生畫卷の御批評も拜見しましたあの話は今昔物語に出てゐる所によると五位の入道が枯木の梢から阿彌陀佛よやおういおういと呼ぶと海の中からも是に在りと云ふ聲の聞えるのですわたしはヒステリツクの尼か何かならば兎に角逞ましい五位の入道は到底現身に佛を拜することはなかつたらうと思ひますから(ヒステリイにさへかからなければ何びとも佛を見ないうちに枯木梢上の往生をすると思ひますから)この一段だけは省きましたしかし口裏の白蓮華は今でも後代の人の目には見えはしないかと思つてゐます 最後に國粹などに出た小品まで讀んで頂いたことを難有く存じます往生繪卷抔は雜誌に載つた時以來一度も云々されたことはありません 頓首

   二月十二日       芥川龍之介

  正 宗 白 鳥 樣 侍史

 

[やぶちゃん注:「文藝春秋の御批評」岩波文庫石割透編「芥川竜之介書簡集」(二〇〇九年刊)の注に、『『文芸春秋』二月号掲載の正宗白鳥「郷里にて」』であるされ、『「一塊の土』(『新潮』一月号発表)『につき、芥川の作品の中で「これほど、力の籠もった、無駄のない、気取りの気のない、奇想や美辞を弄した跡のない小説を私は一度も読んだことがない」と賞賛した』とある。白鳥は芥川龍之介の自死に際して昭和二(一九二七)年十月号『中央公論』に「芥川龍之介氏の文学を論ず」を発表しており(後に「芥川龍之介」と改題して「現代文芸評論」(昭和四(一九二九)年)及び「作家論(二)」(昭和一七(一九三二)年)に所収)、私は古くにサイトでそれを公開しているのであるが、その中でも、『作家の好みはさまざまである。お染久松を「松染情史」として書かうとも、自己の生活の直寫をしないで、平安朝物や切支丹物に於て人間を書かうとも、それは作者の自由である。しかし、芥川氏は、現代の寫實に於ても、可成りに傑れた技倆を現はしてゐる。「秋」には若い姉妹の心の動搖が巧みに描かれてゐる。ことに「一塊の土」はいい。「地獄變」と相並んで、この作者の全作中で、最高位に立つものである。お民といふ田舍女の忍苦の生活には、作者自身の心が動いてゐる。そして、自然主義系統の作家の作品に比べると、秩序整然として冗談がない。……私は數年前「新潮」に掲げられたこの小說を、故鄕で讀んだ時、芥川君もこんなに現代の寫實に巧みであるのかと感歎して、直ちに讀後感を書いて「文藝春秋」に寄稿したことがあつた。……しかし、この小說以後の芥川君の作品には殆んど一つも感心しなかつた』と述べている。但し、冒頭注で出した鷺只雄氏は前掲書のコラムで、まさに、この白鳥の「芥川龍之介氏の文学を論ず」の「一塊の土」の賞賛部を引かれた上で、『しかし、この作品は白鳥の賞讃が見当違いのものであったことを示していはしないか。農村を舞台に農婦の生涯を描いている点で従来と違った素材の新しさ、時流の動きはある。しかしここにはどんな「現代の写実の巧み」さがあるか、土の臭いや労働の実態があるであろうか。舞台は変っても、作品の眼目はエゴの剔抉にあるわけで、本質的には何も変ってはいない』と批判しておられる。私は――鷺氏の意見に賛同する。「一塊の土」は農村農民を描いたリアリズム小説ではなく、今まで通りの、龍之介の冷徹な人間のエゴイズムを抉り出すことを主眼とした物語であると、今も昔も捉えている。

「往生畫卷の御批評」「往生繪卷」は大正十年四月『國粹』発表。既出既注。同前の石割氏の注に、『正宗白鳥『泉のほとり(一九二四年一月、新潮社刊)収録の「ある日の観想」(初出、『国粋』一九二一年六月号)』がそれであるとされ、『白鳥はここで「往生絵巻」を寸分の間隙もない傑れた小品』と評価しながら、最後の蓮花の箇所は「芸術家の小細工」と評した』と記しておられる。白鳥は、前掲の「芥川龍之介氏の文学を論ず」の「二」で(太字はそちらでは傍点「ヽ」)、

   *

 小品「往生繪卷」も「孤獨地獄」と同じやうな意味で私には面白かつた。……五位の入道は、狩りの歸りに、或講師の説法を聽聞して、如何なる破戒の罪人でも、阿彌陀佛に知遇し奉れば、淨土に往かれると知つて、全身の血が一度に燃え立つたかと思ふほどに、急に阿彌陀佛が戀しくなつて、直ちに刀を引き拔いて、講師の胸さきへつきつけながら、阿彌陀佛の在所を責め問うた。そして、西へ行けと敎へられたので、彼れは「阿彌陀佛よや。おおい。おおい」と物狂はしく連呼しながら、西へくと馳せてゐたが、やがて、彼れは波打際へ出て、渡るにも舟がなかつた。「阿彌陀佛の住まれる國は、あの波の向うにあるかも知れぬ。もし身共が鵜の鳥ならば、すぐそこへ渡るのぢやが、しかし、あの講師も、阿彌陀佛には、廣大無邊の慈悲があると云ふた。して見れば、身共が大聲に、御佛の名前を呼び續けたら、答へ位はなされぬ事もあるまい。さすれば呼び死に、死ぬまでぢや。幸ひ此處に松の枯木が、二股に枝を伸ばしてゐる。まづこの松に登るとしようか」と、彼れは單純に決心した。そして松の上で、息のある限り、生命の續く限り「阿彌陀佛よや。おおい、おおい」と叫んで止まなかつた。……彼れはその梢の上でつひに橫死したのであつたが、その屍骸の口には、まつ白な蓮華が開いてゐて、あたりに異香が漂うてゐたさうである。

 この小品の材料は、この作者が好んで題材を取つて來た今昔物語とか宇治拾遺とか云ふやうな古い傳說集に收められてゐるのであらう。その傳說が作者の主觀でどれだけ色づけられてゐるのか分らないが、私はこの小品を「國粹」といふ雜誌で讀んだ時に、非常に興味を感じた。ことに「孤獨地獄」と對照すると、藝術としての巧拙は問題外として、私には作者の心境が面白かつた。孤獨地獄に苦しめられてゐるある人間が、全身の血を湧き立たせて阿彌陀佛を追掛けてゐると思ふと、そこに私の最も親しみを覺える人間が現出するのであつた。しかし、これ等を取扱つてゐる芥川氏の態度や筆致が、まだ微溫的で徹底を缺き、机上の空影に類した感じがあつたので、私は龍之介禮讚の熱意を感じるほどには至らなかつた。

 私は、この小品の現はれた當時、その讀後感をある雜誌に寄稿した雜文の中に書き込んだ……五位の入道の屍骸の口に白蓮が咲いてゐたといふのは、小說の結末を面白くするための思附きであつて、本當の人生では阿彌陀佛を追掛けた信仰の人五位の入道の屍骸は、惡臭紛々として鴉の餌食になつてゐたのではあるまいか。古傳說の記者はかく信じてかく書きしるしてゐるのかも知らないが、現代の藝術家芥川氏が衷心からかく信じてかく書いたであらうかと私は疑つてゐた。藝術の上だけの面白づくの遊びではあるまいかと私は思つてゐた。

 かういふ私の批評を讀んだ芥川氏は、私に宛てて、自己の感想を述べた手紙を寄越した。私が氏の書信に接したのは、これが最初であり最後でもあつたが、私はその手跡の巧みなのと、内容に價値があるらしいのに惹かれて、この一通は、常例に反して保存することにした。今手許にはないので、直接に引用することは出來ないが、氏は白蓮華を期待し得られるらしく云つてゐた。「求めよ、さらば與へられん」と云つた西方の人の聖語を五位の入道が講師の言葉を信じて疑はなかつたと同樣に、氏は信じて疑はなかつたのであらうか。

 私はさうは思はない。氏は、あの頃「孤獨地獄」の苦をさほど痛切に感じてゐた人でなかつたと同樣に、專心阿彌陀佛を追掛けてゐる人でもなかつたらしい。芥川氏は生れながらに聽明な學者肌の人であつたに違ひない。禪超や五位の入道の心境に對して理解もあり、同情をも寄せてゐたのに關はらず、彼等ほどに一向きに徹する力は缺いてゐた。

   *

と批評している。因みにここに出る龍之介の「孤獨地獄」は私の偏愛する一篇であり、先般、正字正仮名・草稿附きのオリジナル注附き縦書PDFを公開してある。サイト横書版や、ブログ版もあるので、お好みに合わせて見られたい。而して、このエンディングを白鳥の言うような死臭の満ちたリアリズムで演出したら、レーゼ・ドラマの読者たちは、仮想の芝居小屋から直ちに鼻を押さえ、反吐を吐きながら退散してしまうであろう。芥川龍之介は冷厳な自然主義作家や悲惨描出に拠ってプロパガンダするプロレタリア作家ではない。人間の持つ存在悪をフラットに語りかけてくるストリー・テラーに他ならないのである。

「今昔物語に出てゐる所によると」既に、こちらで原拠原文を注で示してある。]

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