芥川龍之介「東京人」(正字正仮名版)――「芥川龍之介書簡抄」の大正一二(一九二三)年の狭間に(4)――
[やぶちゃん注:作成意図や凡例は『芥川龍之介「大震雜記」(正字正仮名版)――「芥川龍之介書簡抄」の大正一二(一九二三)年の狭間に(1)――』の冒頭注を参照されたい。]
東 京 人
東京に生まれ、東京に育ち、東京に住んでゐる僕は未だ嘗て愛鄕心なるものに同情を感じた覺えはない。又同情を感じないことを得意としてゐたのも確かである。
元來愛鄕心なるものは、縣人會の世話にもならず、舊藩主の厄介にもならない限り、云はば無用の長物である。東京を愛するのもこの例に洩れない。兎角東京東京と難有さうに騷ぎまはるのはまだ東京の珍らしい田舍者ものに限つたことである。――さう僕は確信してゐた。
すると大地震のあつた翌日、大彥[やぶちゃん注:「だいひこ」。「芥川龍之介書簡抄115 / 大正一二(一九二三)年(一) 四通」で既出既注。]の野口君に遇つた時である。僕は一本のサイダアを中に、野口君といろいろ話をした。一本のサイダアを中になどと云ふと、或は氣樂さうに聞えるかも知れない。しかし東京の大火の煙は田端の空さへ濁らせてゐる。野口君もけふは元祿袖の紗の羽織などは着用してゐない。何だか火事頭巾の如きものに雲龍の刺つ子[やぶちゃん注:「さしつこ」。刺し子に同じ。厚手の綿布を重ね合わせて、一面に細かく刺し縫いをしたもの。消防服・柔道・剣道の稽古着などに用いる。]と云ふ出立ちである。僕はその時話の次手にもう續續罹災民は東京を去つてゐると云ふ話をした。
「そりやあなた、お國者はみんな歸つてしまふでせう。――」
野口君は言下にかう云つた。
「その代りに江戶つ兒だけは殘りますよ。」
僕はこの言葉を聞いた時に、ちよいと或心强さを感じた。それは君の服裝の爲か、空を濁らせた煙の爲か、或は又僕自身も大地震に悸えてゐた爲か、その邊の消息ははつきりしない。しかし兎に角その瞬間、僕も何か愛鄕心に似た、勇ましい氣のしたのは事實である。やはり僕の心の底には幾分か僕の輕蔑してゐた江戶つ兒の感情が殘つてゐるらしい。
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