芥川龍之介「古書の燒失を惜しむ」(正字正仮名版)――「芥川龍之介書簡抄」の大正一二(一九二三)年の狭間に(7)――
[やぶちゃん注:作成意図や凡例は『芥川龍之介「大震雜記」(正字正仮名版)――「芥川龍之介書簡抄」の大正一二(一九二三)年の狭間に(1)――』の冒頭注を参照されたい。]
古書の燒失を惜しむ
今度の地震で古美術品と古書との滅びたのは非常に殘念に思ふ。表慶館に陳列されてゐた陶器類は殆ど破損したといふことであるが、その他にも損害は多いにちがひない。然し古美術品のことは暫らく措き古書のことを考へると黑川家の藏書も燒け、安田家の藏書も燒け大學の圖書館の藏書も燒けたのは取り返しのつかない損害だらう。商賣人でも村幸(むらかう)とか淺倉屋とか吉吉(よしきち)だとかいふのが燒けたからその方の罹害も多いにちがひない。個人の藏書は兎も角も大學圖書館の藏書の燒かれたことは何んといつても大學の手落ちである。圖書館の位置が火災の原因になりやすい醫科大學の藥品のあるところと接近してゐるのも宜敷くない。休日などには圖書館に小使位しか居ないのも宜しくない、(その爲めに今度のやうな火災にもどういふ本が貴重かがわからず、從つて貴重な本を出すことも出來なかつたらしい。)書庫そのものゝ構造のゾンザイなのも宜敷くない。それよりももつと突き詰めたことをいへば、大學が古書を高閣に束(つか)ねるばかりで古書の覆刻を盛んにしなかつたのも宜敷くない。徒らに材料を他に示すことを惜んで竟にその材料を烏有(ういう)に歸せしめた學者の罪は鼓(こ)を鳴らして攻むべきである。大野洒竹の一生の苦心に成つた洒竹文庫の燒け失うせた丈だけでも殘念で堪らぬ。「八九間雨柳(はつくけんやなぎ)」といふ士朗の編んだ俳書などは勝峯晋風(かつみねしんぷう)氏の文庫と天下に二册しかなかつたやうに記憶してゐるが、それも今は一册になつてしまつた譯だ。
« 芥川龍之介「震災の文藝に與ふる影響」(正字正仮名版)――「芥川龍之介書簡抄」の大正一二(一九二三)年の狭間に(6)―― | トップページ | 芥川龍之介「鸚鵡 ――大震覺え書の一つ―― 」(正字正仮名版)――「芥川龍之介書簡抄」の大正一二(一九二三)年の狭間に(8)――追加―― »