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2021/08/02

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (11) 靑砥藤綱の「裁判」に對する態度

 

      靑砥藤綱の「裁判」に對する態度

 

 摸稜案の卷頭に『靑砥左衞門尉藤綱傳』が物されてあることは既に述べたが、この中に作者馬琴は、藤綱の性格を述べると同時に、藤綱の裁判時に於ける態度を記して居る。その態度は裁判心理學の立場から見て、極めて合理的であるから左に原文の儘引用しようと思ふ。

[やぶちゃん注:以下の引用は底本では、全体が一字下げ。前に示した国立国会図書館デジタルコレクションの活字本ではここから(厳密にはこの前のページの末尾から)。読みはそれを参考に補った。]

『……されば藤綱は、訴陣《うつたへのには》に臨みて、理非を沙汰する每に、始終眼《まなこ》を閉《とぢ》て、訴人の面《おもて》を觀ることなし、人みなその意をしらず、ある人言《こと》の序に、その故を問しかば、藤綱答ヘて、さればとよ、人の容止《かほかたち》と心とは似ざるものにて、はじめ、うち見るより、いと憎さげなるあり、又あはれらしきあり、信《まこと》らしきあり、頑《かたま》しきあり、その品《しな》多くして、いくばくといふ數《かず》を知らず見るところの眞《まこと》らしきと思ふ人のいふことは何事も實《まこと》と聞え、頑しと見ゆる人のいふ事は、何事も僞りと見ゆ、又哀らしき人の訴は誣《しひ》られたる事ある如く思はれ、憎さげなる人の爭ふは、巧《たくみ》ていひなすならんと見ゆ、これらの類《たぐひ》は、わが見る所に心も移されて、彼此《かれこれ》いまだ言葉を出さゞる先に、はやわが心のうちに、彼は邪《よこしま》ならん、此は正しからん、是《よか》らん、非《わる》からんと、わが心を師として思ひ定むる程に、訟《うつたへ》の言藥を聽くに至りてはわが思ふ方に引れて、聞誤つこと多かり、訴陣に臨みては、哀らしきに憎むべきものもあり、憎さげなるに憐むべきことあり、眞らしきに僞りあり、頑しきに直《すなほ》なるあり、此さかひ特に多し、人の心の知り難き、形貌《かたち》をもて定むこと稱《かな》ふべからず、古の訴《うつたへ》を聽ものは、氣色《けしき》によりて聽ことあるよし、物には見えたれど、それは聊も覆《おほは》るゝなき賢人のうへにこそ、藤綱が如きは、常に覆るとこと多し、この故に、始終眼を閉て、訴人の面を見ず、只そのいふ所を聞わかちて、埋非を定むるのみ、むかし、八幡殿(義家)を評して至極の惡人なりといひしとぞ、げに義家朝臣は、弦《ゆづる》を鳴らして、物の怪を消伏《せうぶく》したる勇將にをはせしかば、武備面に見《あらは》れつゝ、いと逞しくこそありつらめ、婦幼《をんなわらべ》の目をもてこれを見ば、惡人とも見えたるなるべし、色好みなる心より、惡人ならんと見られたる、義家の氣性、媚《こび》ず、へつらはず、武をもて朝廷のおん衞《まもり》となり給へる、その人となり、思ひやらるゝかし、又、訴陣に出るもの、誰《たれ》かおそろしと思はざらん、しかるを、まうす事の理《り》にたがへりとて、頭人《とうにん》[やぶちゃん注:鎌倉幕府にあって所領関係の訟訴を管轄した「引付(ひきつけ)衆」の長官。]いたく、彼を罵り懲《こら》すときは、そのものますます戰慄《ふるひをののき》て、逡に情を得《え》述《のべ》ず、その情を得述べざるときは、理にして非とせらるゝもあるべし、又、心しぶとく、言を巧《たくみ》て、まうし掠《かす》めんとするものをば、いかばかり罵懲《ののしりこら》すとも、姑《しばら》くは口をもつぐめ、眞實に歸伏《きふく》するは稀なり、こゝをもて、藤綱訴陣に理非をわかつ每に、威をもて懲すことをせず、只理を推《おし》て彼にその非を知《しら》せんと思ふのみ、辭《ことば》を安寧《やすらか》にして、民を安《やすん》ぜよと、曲禮《きよくらい》にも本文《ほんもん》あるにあらずや、といひしかば、問者《とふもの》坐《すずろ》に感淚を流して退《しりぞ》きけり。』[やぶちゃん注:「曲禮」「礼記」(らいき)の冒頭にある編名で、その巻頭「曲禮上」の最初に『「曲禮」曰、「毋不敬、儼若思、安定辭。」。安民哉。』とある。]

 更に藤綱は、最明寺時賴の諾國行脚を難じて[やぶちゃん注:前文にほぼ続いて出る。国立国会図書館デジタルコレクションのここ(右ページ一行目から)。]『むかし最明寺段の諸國を行脚したまひしは、只その目を賴み耳を憑《たの》み給ふ、おん誤《あやまち》とこそ思ひ候へ、凡そ人の目は物として見えざることなけれども、紙一重隔つれば絕て見えず、耳は聲として聞ざることなけれども、數町の外は聞えず、よしや國々を遍歷し給ふとも、見る所と聞く所に限りあり』と斷言し、なほ『只目に見、耳に聞く所をもて、政《まつりごと》を天下に有んと思召すは、管《くだ》もて蒼天《あをぞら》を窺ふより猶疎(おろそか)なるべし』と建言して居る。

 これ等の言葉は今の裁判官にとつても甚だ尊い敎訓である。『人相によつてある程度までその人の心を窺ひ知ることは出來るが、それは賢人のことで、自分ごときものは、却つて人相のために誤解を生じやすいから、法廷では眼をふさぐ』とは、實に心得たものである。グロースの『犯罪心理學』の中にも誤斷に陷り易い條件として五つをあげ、そのうちの第一にこの自然的先入見 Natural prejudice を數へて居る。而もかやうな先入見は極めて去りにくいものであつて、ハルトマンも『感覺から生ずる偏見といふものは、之を消すことが至難であつて、例へば地上に出かけた月も中天にある月も同じ大《おほき》さであると、何百遍注意をして見ても、依然として、地上に出かけた月は中天にある月よりも遙かに大きく見える。』と言つて居る。そしてかやうな偏見は裁判の際、裁判官に甚だ起り易いのである。前揭の文の中には、ある女が八幡太郞義家の顏を見て極惡人だと言つた話があげられてあるが、西洋でも誤認の例として、ある女が馬を見た話がよく引用されて居る。それは卽ち、ある百姓の女が長さ五六間[やぶちゃん注:約九メートル強から十一メートル弱。]ほどの厩の前の入口から一疋の馬が頭を出し、後ろの入口から他の馬が尻毛を出して居るのを見て、毛色が同じてあつたため、同一のもの頭と尻尾だと見誤り『なんて胴の長い馬だらう!』と叫んだといふ話である。これに類した誤認は百姓女ばかりでなく誰にもあり得る話である。だから、裁判官は偏入見に左右されないで、只管に理に從つて裁判を行はねばならないのである。[やぶちゃん注:「グロースの『犯罪心理學』」オーストリアの刑事法学者・犯罪学者で、現在の「犯罪プロファイリング」の創設者とされるハンス・グロース(Hanns Gross 一八四七年~一九一五年)が一八九八年に刊行した‘Criminalpsychologie ’。 因みに、彼はプラハ大学で教鞭を執ったが(法学部長となった)、その学生の一人にフランツ・カフカがいた。彼の「城」や「流刑地にて」に見られる法律的部分はその影響下にあるとされる(ドイツ語の彼のウィキに拠った)。「ハルトマン」ドイツの哲学者エドゥアルト・フォン・ハルトマン(Eduard von Hartmann 一八四二年~一九〇六年)か。最も知られた著作は一八六九年出版の「無意識の哲学」(Philosophie des Unbewußten )である。]

 摸稜案に書かれた藤綱はこの先入見を恐れると同時に、人間の威疊の賴みにならぬことをよく知つて、理智によつて、獄を斷じようとした人である。彼が如何に『道理』を愛したかは、嘗て夜分、川の中へ十文の錢を落したとき、五十文の松明を費して搜し出させたことでもわかる。ある人が彼のこの行爲をあざ笑ふと、藤綱は、川へ落ちた十文は捨てゝ置けば永久失はれてしまふが、自分の費した五十文の錢は商人の手に渡つて、永く使用されるから、つまりは天下の利益ではないかと反駁した。よく考へて見ると、少し變であるけれども、理窟はとほつて居る。又彼は極めて淸廉潔白な性質であつて、ある時最勝園寺殿貞時が鶴岡八幡宮へ通夜した曉の夢に、一人の老翁があらはれて、靑砥左衞門を重用せよと告げたので、近國の莊園八箇所を藤綱に與へようとすると、藤綱はそのいはれを聞いてそれでは夢に、藤綱の首を切れといふ御告げがあつたならば、罪のない私の首を御きりになりますか?』と詰《なぢ》つて、それを受けなかつた。

 かういふ調子で彼は數々の事件を取り扱つたのである。以下、私は摸稜案に收められた二三の物語の内容を紹介しようと思ふ。

 

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