曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 五馬 三馬 二馬の竒談(5)
〇又、一奇事あり。松前の藩中にて、しかるべき輩(ともがら)は、馬、一、二疋をもたぬは、なし。
しかるに、ともすれば、夜中(やちう)に、熊の厩(むまや)に入りて、馬を啖(くら)ふこと、あり。殊にすぐれし大熊は、まづ、その馬をくらひ殺して、おのが背(そびら)に引かけつゝ、走りて、山にもてゆく、とぞ。
これにより、おのもおのも、厩の戶鎖(とざし)を固くして、その害を防ぐこと、夜盜(よたう)を禦(ふせ)ぐに異ならねども、これらは、常の事なれば、彼の地の人は、何とも、おもはず。
それにも、まして、めづらかなりしは、文政五年壬午[やぶちゃん注:一八二二年。]の春のころ、松前の家臣何某(なにがし)が【その姓名をわすれたり。】、厩の馬、ある夜、頻りに狂ひ騷ぎて、いと苦しげに嘶(いなゝ)きたり。
あるじは、これに驚き寤(さめ)て、
「厩に、熊や、入りにけん。みな、とく起きよ。」
と呼び覺(さま)して、下部(しもべ)に紙燭(しそく)をとらせつゝ、出(いで)て、厩にゆきて見るに、戶ざしは元のまゝにして、物の入りたるやうにも、あらず。
戶を推(おし)ひらきて、内を見るに、目にさへぎるものも、なし。
されども、馬は苦しげに嘶くこと、はじめの如し。
こゝろ得がたく思ひしかば、紙燭を高くあげさせて、猶、あちこちを、つらつら見るに、あやしむべし、ひとつの鼬(いたち)、馬の項(うなぢ)にうちのぼりて、その鬣(たてがみ)を啖破(くひやぶ)りつゝ、血を吸ふてぞ、をれりける。
「さては。彼奴(かやつ)がわざなりけり。要こそ、あれ。」
と、持ちたる棒を取りなほさんとする程に、鼬は、はやく、飛下(とびくだ)り、袂(たもと)の下を潛ると見えしが、ゆくへもしらず、なりにけり。
げに、繫(つなが)れたる馬のうなぢを、鼬に啖れては、せん方なきも、ことわりなり。そのきずは、いと深くて、拳(こぶし)も入るべきばかりなるを、酒にて洗ひ、藥を傅(つけ)て、とりどり、すれども、久しく癒(いえ)ず。
凡、ニヶ月あまりにして、漸く、おこたり果てしかど、その處にのみ、鬣、なくて、疵物にこそ、なりにたれ。
「鼬の馬を啖ひし事は、松前にても珍らし。」
とて、人みな、舌を卷(まき)しとぞ。
この一條(ひとくだり)は、礪﨑(かきざき)生【字[やぶちゃん注:「あざな」。]は三七。】、その年文月の初めつかた、我庵を訪はれし日、云々(しかじか)と話せられたり。おのれ、是を打聞(うちきゝ)ておもふに、
『天智(てんぢ)の帝(みかど)の御宇、高倉の御時に、鼠が、馬の尾に憑(つき)て、巢(す)をくひけるは、事はふりにたり。新奇に走る今の世には、鼬が鼠に代るべく、亦、その尾にはつかずして、鬣をこそ、くひつらめ。』
と、あからさまに答へしかば、礪﨑生は、手をうちならして、ほとほと、笑評(ゑつぼ)に入りにけり【右、「五馬」之五。】。
[やぶちゃん注:「鼬」既出既注。ニホンイタチ(イタチ)Mustela itatsi(日本固有種。本州・四国・九州・南西諸島・北海道(偶発的移入によるもの))。博物誌は「和漢三才図会巻第三十九 鼠類 鼬(いたち) (イタチ)」を見られたい。
「礪﨑(かきざき)生【字は三七。】」松前藩家老で画家としても知られた蠣崎波響(宝暦一四(一七六四)年~文政九(一八二六)年)がいるが、流石に家老を「生」呼ばわりはすまい(いや、馬琴ならやりかねないか?)。その縁者か?
「天智(てんぢ)の帝(みかど)の御宇、高倉の御時に、鼠が、馬の尾に憑(つき)て、巢(す)をくひける」前者は日本書紀の天智天皇元(六六二)年四月の条に出る、鼠が馬の尾の中に子を産んだ事件。
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夏四月。鼠產於馬尾。釋道顯占曰。北國之人將附南國。蓋高麗破。而屬日本乎。
(夏四月、鼠、馬の尾にて產(こをう)む。釋(はうし)道顯(だうけん)占ひて曰はく、「北國の人、將に南國を附せむとす。蓋し、高麗、敗れ、日本に屬せむか。」と。)
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後者は「平家物語」巻第五にある「馬の尾に鼠巢食ふ事」(「物怪之沙汰」とも)の一節。清盛の馬の尾に鼠が巣を作った事件。
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また、舍人(とねり)あまたつけて、ひまなく撫で飼はれける馬(むま)の尾に、一夜がうちに、鼠、巢をくひ、子をぞ產みたりける。
「これ、ただごとにあらず。」
とて、七人の陰陽師に占はせられければ、
「重き御愼み。」
と申す。
この馬は、相摸の國の住人大庭(おほば)の三郞景親が、
「東(とう)八箇國一の馬。」
とて、入道相國に參まゐらせたりけり。黑き馬の、額の少し白かりければ、名を「望月」とぞつけられたりける。やがて、陰陽頭(おんやうのかみ)泰親(やすちか)にぞ賜はりける。
昔、天智天皇の御宇に、『寮の御馬の尾に、鼠、巢をくひ、子を產みたるには、異國の凶賊、蜂起したける。』とぞ、「日本記(につぽんぎ)」には記されたる。
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以下は「五馬」の馬琴による纏め。辛気臭いものである。]
すべてこの「五馬」の奇談は、いぬる文政二年より五年までの事にして、予が聞く所、かくの如し。されば、宇宙の廣大なる、かゝる事は、いくらもあらん。よりて竊(ひそか)に評すらく、
「かの箱﨑なる農家の馬は、神にして、且、義烈なるもの。又、簗川(やなかは)の近村なる農夫の飼(かへ)るは、『惡馬(あくば)』なり。これらは、上に論じたり。川越なるは、『靈馬』にして、高輪なるは、『狂馬』なり。又、松前の家臣の馬は、是を『痴馬(ちば)』ともいふべし。しかれども、身を絆(はん)【音「牟」。】に繫(つなが)れては、虎狼なりとも、いかゞはせん。譬(たとへ)ば、人の利祿(りろく)に繫れ、或は、妻子に繫がれつゝ、愛惜嗜慾(あいじやくぎよく[やぶちゃん注:「ざ」はママ。])[やぶちゃん注:「あいじやくしよく」が普通。ある対象や状態を大切にして手放したり、傷つけたりするのを惜しむことと、欲するままにある行動をしようと思う欲求。]に榮衛(えいえい)[やぶちゃん注:漢方用語だが、正常な生命体としての個体の維持の意で採ればよかろう。]を滅却せらるゝものに似たり。利祿・妻子は緣なり。愛惜嗜慾は鼬の如し。これを『火宅(くわたく)の煩惱』といふ。かゝれば、人の賢不肖・禍福・得失・寵辱(ちようじよく)・榮枯、皆、この『五馬』の中にあり。『莊子が一馬』、『禪家の十牛』、及(また)、『劉安が塞馬』の言(こと)も、よに、この外は、あらずかし。
[やぶちゃん注:「莊子が一馬」「莊子」(そうじ)の「斉物論第二」の一節。論理派のソフィストのチャンピオン公孫龍の「白馬非馬論」(「白い馬」とは「馬」ではないとする詭弁)を念頭に置いてそれを喝破したもの。
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以指指之非指。不若以非指喩指之非指也。以馬喩馬之非馬。不若以非馬喩馬之非馬也。天地一指也。萬物一馬也。
(指を以つて、指の指に非ざるを喩(さと)[やぶちゃん注:「諭」と同義。]すは、指に非ざるを以つて、指の指に非ざるを喩すに若(し)かざるなり。馬を以つて馬の馬に非ざるを喩すは、馬に非ざるを以つて馬の馬に非ざるを喩すに若かざるなり。天地は一指なり。萬物は一馬なり。)
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「禪家の十牛」禅宗の「十牛圖」(じゅうぎゅうず)のこと。悟りに至る階梯を十枚の絵図と詩で表したもの。「真の自己」を「牛」にシンボライズし、「真の自己」を求める「自己」は「牧人」の姿で表わされる。最初の作者は北宋の臨済宗楊岐派の禅僧廓庵(かくあん)とされる。詳しくは当該ウィキを読まれたい。
「劉安が塞馬」誰もが漢文でやった「塞翁が馬」のこと。同話は前漢の皇族で学者であった淮南王劉安(紀元前一七九年~紀元前一二二年)の「淮南子」(えなんじ)の「人間訓」に載る。]
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