曲亭馬琴「兎園小説」(正編) むじな・たぬき 猫虎相似附錄 猫虎相似の批評 / 第三集~了
[やぶちゃん注:底本標題は「むじなたぬき」で「・」はない。太字は底本では傍点「ヽ」。段落を成形し、直接話法を改行した。]
○むじな・たぬき 海棠庵 記
ある人のいふ、
「むじな・たぬきは、雌雄にて、雌をむじなといひ、雄をたぬきといふ。」
と、かたりき。
されど、さだかならぬことにて、いと心得がたく思ひしに、このごろ、羽州由利郡の農民與兵衞といふもの、來にけり。[やぶちゃん注:「由利郡」は「ゆりのこほり」。出羽国にあった郡。現在の由利本荘市、及び、にかほ市の全域と、秋田市の一部に相当する。この中央の南北附近(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。]
この與兵衞は、むかし、獵人[やぶちゃん注:「かりうど」。]にて、南部より出づるといふ免狀てふものまで所持して、をさをさ、巨魁なりしと、聞えければ、まねきよせて、むじな・たぬき・まみなど、問ひしに、答へていふ、[やぶちゃん注:「巨魁」「きよくわい(きょかい)」。荒々しい猟師集団の中でも頭目・親分格と畏敬された存在であったことを言っている。]
「むじな・たぬき・まみ、皆、よく似たるものなれど、各[やぶちゃん注:「おのおの」。]、別種にて、みな、雌雄あり。まみとむじなとは、毛いろも、肉の肥えたるも、わきがたきまで、よく、似たり。只、その別なるところは、まみは四足ともに、人の指の如く、方言に熊の『あらし子』【落胤といふが如し。】といふ。むじなは四足犬に類す。狸は、あくまで、瘦せて、胴のわたり、長し。やつがれ、十七歲より山がつの業になれて、はや、六十餘歲に及び、獸の事は、よく知り侍る。」
など、かたりぬ。
「和名鈔」にも、「狢」・「狸」・「猯」、おのおの、わかちあれば、
『「むじな」・「たぬき」、雌雄なり。』
といふ俗說は、固より、とるには足らねど、嚮に[やぶちゃん注:「さきに」。]曲亭ぬしの「まみ考」の因[やぶちゃん注:「ちなみ」。]もあれば、そゞろに聞きしまゝにしるすのみ。
[やぶちゃん注:以下の海棠庵の署名までは、底本では全体が二字下げ。]
彼[やぶちゃん注:「かの」。]與兵衞いふ、
「熊に『つきのわ』とて、咽喉の下に白き毛あり。形、月の輪の如くなれば、しかいふ。」となん。さるに、そのつきの輪に不同あり。圓なるあり、半輪あり、纖月[やぶちゃん注:「ほそきつき」と訓じておく。]のごときあり。また、『つきのわ』のなきあり。こは、その熊の生るゝ日、十五日なれば、輪圓なり。晦日なれば、輪、なし。餘は月の盈缺[やぶちゃん注:「みちかけ」。]によりて准知すべし。」[やぶちゃん注:「准知」(じゆんち(じゅんち))は「或る対象・状態を目安にして他のものを理解すること」を指す。]
といふ。一奇事なり。[やぶちゃん注:底本でもここは改行している。]
佛庵老人の云、
「日光鉢石町の人の話に、『黑猫にも、月の輪めきたるものありて、月の盈闕[やぶちゃん注:同前で読む。]によりて、あると、なきと、あり。』と、かたりしが、今、熊の事につきて思ひ出だしぬ。」
と、かたられき。[やぶちゃん注:「鉢石町」「はついしまち」と読んでおく。現在の栃木県日光市の中鉢石町(なかはついしまち)。日光東照宮参道前の大谷川右岸のメイン・ストリート周辺。]
乙酉三月 海 堂 庵
[やぶちゃん注:前の『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 「まみ穴」・「まみ」といふけだもの和名考 幷に 「ねこま」・「いたち」和名考・奇病 附錄 著作堂 (1)』及び「同(2)」を参照されたいが、そこでもはっきりと示した通り、私は、
本邦の「狸」は、
亜種ホンドタヌキ Nyctereutes procyonoides viverrinus で、本州・四国・九州に棲息している固有亜種(佐渡島・壱岐島・屋久島などの島に棲息する本亜種は人為的に移入された個体で、北海道の一部に棲息するエゾタヌキ Nyctereutes procyonides albus は地理的亜種である)
であり(「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 貍(たぬき) (タヌキ・ホンドダヌキ)」を参照)、
「狢(むじな)」と「猯」は、孰れも、
本邦固有種である食肉目イヌ型亜目クマ下目イタチ小目イタチ上科イタチ科アナグマ属ニホンアナグマ Meles anakuma
でよいと述べた。この見解は、「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 貉(むじな) (アナグマ)」、及び、「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 貒(み) (同じくアナグマ)」、更に、「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 獾(くわん) (同じくアナグマ)」もご覧になれば、お判り戴けると思うのだが、少なくとも、江戸前期から、殆んどの本草学者でさえも、これらをずっと、別個な生物種と誤認し続けてきたのである。いや、近代に至っても、大正一三(一九二四)年に栃木県上都賀郡東大芦村(現在の鹿沼市)で発生した狩猟法違反事件「たぬき・むじな事件」(リンク先は当該ウィキ)に見るように、専門の狩猟者でも、「タヌキ」と「ムジナ」は別種という弁別混乱(法律用語で「事実の錯誤」)が平然として「あった」のである。因みに、
私の以上の見解は、この事件の大審院判決(無罪)の「狸」=「貉」規定とは異なる
のである。何故か? 大審院の判定は「貉」が全国に於いて一律にタヌキの別名であったと認定しているのではなく、当該事件に於ける被告の個別認識に於ける錯誤を指摘するために持ち出した非民俗学的・非動物学的な個別事例判断に過ぎない、と考えているからである。私は、
近代以前の「狸」がイコール「貉」「狢」であったとは全く考えていない
のである。言おうなら、民俗学的には、
「小泉八雲の名編“ MUJINA ”を読んで、あなたはこの巧妙に人を化かした相手が「狸」=ホンドタヌキだと自信を持って名指して言えるか?」
と私は問いたいのである。則ち、
「貉」「狢」には、そうした妖獣としての得体の知れない仮想動物像が、非常に古くから有意にダブってしまっており、その正体を外延へと致命的に浸潤させてしまっている
と考えるのである。この場合、
「外延」とは、まさしく似て非なる動物であるニホンナマグマのことを私は指している
のである。さればこそ、グチャグチャ同義文字をクロスして指摘せずに、
『「狸」のみを真正のホンドタヌキとし、その他は総てニホンアナグマであると疑え。』
というのが、最も誤謬・誤認を起こしにくい言説(ディスクール)と心得ているからである。
「熊」「月の輪」食肉目クマ科クマ属ツキノワグマ亜種ニホンツキノワグマ Ursus thibetanus japonicus(本州及び四国。九州では絶滅(最後の九州での捕獲は一九五七年で、二〇一二年に九州の絶滅危惧リストからも抹消されている。二〇一五年に二件の目撃例があったが、アナグマ或いはイノシシの誤認かとされる)の胸部の三日月形、或いは。「V」字状の白い斑紋は、この斑紋が極薄くて有意な形に見えない場合や、全く斑紋がない個体さえもいるので、ここでの変異の話は、何ら驚くに値しない。因みに、北海道に棲息するクマ属ヒグマ亜種エゾヒグマ Ursus arctos yesoensis の頸部や前胸部に、長方形や縞状に白色帯がある個体がおり、現代でも、そのヒグマを「月の輪」と呼ぶことを知っている人は、それほど多くないと思うので、追記しておく。
「南無佛庵」書家中村仏庵。既出既注。
『「和名鈔」にも、「狢」・「狸」・「猯」、おのおの、わかちあれば』一部を既に出したが、別々に示すのが面倒なので、ここで一括して示す。源順の「和名類聚抄」(「鈔」とも書く)の巻十八の「毛群部第二十九」・毛群名第二百三十四に、先に、
*
狢(ムジナ) 「說文」に云はく、『狢【音「鶴」。「漢語抄」に云はく、『無之奈(むしな)』。】は、狐に似て、善く睡むる者なり。
*
があり、「野猪(クサヰナキ)」を挟んで、以下二つが並んで出る。
*
狸(タヌキ) 「兼名苑」に云はく、『狸【音「𨤲」。和名「太奴木(たぬき)」。】は、鳥を摶(うち)て粮(らう)と爲す者なり。
猯(ミ) 「唐韻」に云はく、『猯【音「端」。又、音「旦」。和名「美(み)」。】は、豕(いのこ)[やぶちゃん注:猪。]に似て肥えたる者なり。』と。「本草」に云はく、『一名「獾㹠(くわんとん)」【「歓」・「屯」二音。】』と。
*
以下は、目録では「猫虎相似附錄 好問堂」とするもの。]
美成云、右佛庵翁の黑猫と熊と似たる話、世人のかつてしらざる事にて、いと珍らし。又、猫と虎とは、形狀も、よく似て、歌にも猫を「手がひの虎」など、よめり。しかるに、その所爲も亦、おなじき事あり。「無寃錄」【卷下八十二丁。】云、『虎咬死』云々。『一云。月初咬二頭頂一。月中咬二腹脊一。月盡咬ㇾ足。猫咬ㇾ鼠亦然。』。これら、うきたることにあらず。奇といふべし。
[やぶちゃん注:「手がひの虎」「手飼ひの虎」。飼猫のこと。「古今六帖」の「第二 山」に、
あさぢふの
をののしのはら
いかなれば
てかひのとらの
ふしところみる
*
とある。
「無寃錄」(むゑんろく)は元の司獄官王与が一三〇八年に編述した法医学書。同系の専門書は既に南宋の理宗の撰述になる「洗冤録」(一二四七年)や、同時代の「平冤録」があったが、本邦ではこの「無冤録」が最も読まれた。特に元文元 (一七三六) 年に河合甚兵衛がこれを抄訳して「無冤録述」を著わし、これが明和五(一七六八)年に刊行されて以来、明治三四(一九〇一)年頃まで、再三、増刊され、死体検案などの実地面でのマニュアル的書物として広く活用された。「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」のこちらで、嘉永七(一八五四)年版の状態の非常にいいものが視認でき(67コマ目)、そこでは読み下してあるので、それを参考に以下に訓読しておく。因みに、「虎咬死」は標題で、「ココウシ」と読みが振られており、大陸には虎がいるので、それに咬まれて死んだ遺体検分が原書らしく、上記訳本では、「此方ニハ虎ハ無キモノナレ𪜈熊狼の類ノ猛獸ニ害セラレタ時ノ考ニモ成ベキモノナレハ此ニ譯ス」とある。則ち、虎が、人間のどの部分をいつ噛むかという末尾に附言した一説である。一部で字を補足・変更してある。
*
一つに云はく、「月の初めには、頭(かしら)・頂(いただき)を咬み、月の中比(なかごろ)には腹・脊を咬み、月の末には足を咬む。猫(ネコ)の人を咬むも、亦、然り。
*
以下は、目録では「猫虎相似の批評 著作堂」とするもの。]
解云、象と熊とは、その膽、四時にしたがひて、その在る所の異なるよしさへ、古人、辯じおきたれば、右の「月の輪」の說なども、ことわり、或は、さるよし、あらん。しかれども、猫と熊とは、おなじかるべくも、おぼえず。めのをんなの、わかゝりし時、好みて黑猫をかひしこと、年ごろをふるまゝに、その年々にうませし子も、多くは黑猫なるをもて、これらのうへは、予も、よく知れり。しかるに黑猫每に、胸のあたりに月の輪めきたるもの、あるにあらず。稀には、あるもあれど、そは黑白のぶちなれば、熊の月の輪に類すべからず。いかにとなれば、熊はすべて雜毛なく、猫には雜毛多ければなり。かゝれば、鉢石なる人の說も、ひたすらには、うけがたく、「無寃錄」に載せたる說も、必と、すべからず。虎は皇國になきものなれど、猫の事は知り易かり。大約、猫の鼠をとるに、必、先、その吭(ノドブエ)を拉きて[やぶちゃん注:「ひしきて」。ひしぎて。噛んで押し潰して。]半死半生ならしめつゝ、弄ぶこと、半時ばかり、既に啖はんとするにおよびて、必、鼠の頂より啖ひはじめて、扨、全身を盡くすものなり。或は巢たちせし雛鼠などをば、只一口にくらふこと、あり。或は、多くとり得し時、又は、大鼠にして、飽く時は、その
頭頂より啖ひはじめ、その足より啖ふことは、絕えてなし。こは予が、さかりなりし時、凡、はたとせあまりの程、いくたびとなく見し事なれば、遠く書をあさるに及ばず。もし、疑ふ人もあらば、ためし見て、予が言の誣へざる[やぶちゃん注:「しへざる」か。欺いていない。]を知りねかし。
[やぶちゃん注:以下の一段は底本では全体が一字下げ。]
附けていふ、猫の純黑なるものは、尤、得がたし。その純黑と見えたるも、その毛をわけてよく見れば、必、白き「さし毛」あり。よしや、「さし毛」なきものは、或は、その爪の白く、或は、あなうらの白きあり。かの藥劑に用ふといふ眞の純黑の得がたきこと、かもの如し[やぶちゃん注:「がもの(の)ごとし」。「求めても、まず、手に入らないから、意味がないので、同じように無意味ことだ。」の意か。]。かゝれば、黑猫の胸の白きは、偶然たる「ぶち」にして、熊の月の輪と異なり。
[やぶちゃん注:「象と熊とは、その膽、四時にしたがひて、その在る所の異なるよし」「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 象(ざう/きさ) (ゾウ)」に「象の膽〔(きも)〕【苦、寒。微毒。】目を明らかにし、疳を治す【其の膽、四時に隨ふ。春は前の左足に在り、夏は前の右足に在り、秋は後ろの左足に、冬は後ろの右足にあるなり。】。」とあり、また、「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 熊(くま) (ツキノワグマ・ヒグマ)」に「膽、春は首に近く、夏は腹に在り、秋は左足に在り、冬は右足に在る。」とある。
次の一行のみ行頭からで、後は全部が一字下げ。]
木村默老云ふ、
「熊膽、四時によりて、其在所をことにす。」と云へるは、聊、受けがたし。小子も初、「本草綱目」抔を見て、
「信なり。」
と存ぜしに、後に隣國阿波祖谷[やぶちゃん注:「いや」。]の深山中、久保と云ふ所の獵師八郞なる者、小子が宅ヘ一隻の熊を、一昨日、鐵砲にて打ちたるを、齎來て[やぶちゃん注:「もたらしきたりて」。]、安達了益と云ふ醫と、同時にて解體せしめて、膽をも獲たり。其時は秋なりしが、膽の在所、本草の如くには非ず。猶、右の八郞も疑問せしに、
「是迄、おのれ等が取りたる熊に、四時によりて、膽の在所かはることは、覺えず。」
と答へき。
且、其以前、是も祖谷より齎來りし熊を、高原通玄なる醫、解體せし事あり。是も、膽の在所、替はることなし。故人の說、いかゞにか。
[やぶちゃん注:正直、最後の木村氏の部分だけが正当で、私には他の前の記載は悉く、「どうでもええわ!」って感じやね。
「阿波祖谷の深山中、久保」現在の徳島県三好市東祖谷久保。]
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