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2021/08/22

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 風神圖說

 

[やぶちゃん注:標題はない(上記のそれは目録から)。最後にある通り、好問堂の発表。段落を成形した。短歌と漢詩は引き上げ、漢詩は二段組を一段組にした。]

 

Huujinzu

 

[やぶちゃん注:底本よりトリミング補正した。キャプションは、

 風神圖 一名「片輪車」とも云ふといへり。

である。]

 

 寬保[やぶちゃん注:一七四一年~一七四四年。]のころ、あやしきものを見たり。

 その形は、人にして、年の頃、廿あまりなるが、髮の結ひやう、首の際より、まげの末まで、壹尺五、六寸、伊達もやうの下着、袖口より、五、六寸計長く、羽織は、地を引くばかりに、五尺あまりの紐を附けたり。黑塗の下駄をはきたりしが、羽織の紐、ときどき、足駄の齒にからみて、是を、はづさんとすれば、髮のまげ木の枝にかゝり、袴は、下駄の齒のかくるゝばかりなりければ、行きなやみたる風情なり。

 脇指は、二尺五、六寸もあらんと覺ゆるに、刀のやうなるものを、わきばさみたれども、立てざまに差したれば、柄は脇の下にかくれて、見えず、棒やらん、刀やらん、おぼつかなし。

 手には、八尺あまりの煙管を持ちたり。そのあやしさ、いはんかたなし。家にかへりてこれを圖して、

「是は、何といふものぞ。」

と、人にとへども、さらにしる人、なし。

 異國の人か、化物か。鳥獸蟲魚の類ならば、「本草綱目」にやあらんと、醫師にとへども、

「斯る者は知らず。」

と答ふ。「三才圖繪」にやあらんと、普く尋ねもとむれども、似たるもの、更になし。

 或人、

「是は、世に云ふ『風の神』ならん。その故は、近年、「文金風」、あるひは「豐後節風」などいふ。前々よりも「辰松風」・「助六風」など、みな「風」の字を氏にして、「釆王」・「大王の風」・「庶人の風」と、いひし。庶人の中にも、至りて惡き風なり。若し、これに逢ふもの、風を引き、煩ふのみならず、心の臟に入りて、狂氣のやうになり。身を亡し、家を破る。」

と、なり。

 偖は[やぶちゃん注:「さては」。]、道にてあはんをさへ心うきに、家の内へ來らんことは、いと、心うかるべし。『かやうのあやしきものは、和歌にて鎭む。』と云ふこと、むかしより聞き傳へ侍りければ、一首の歌を詠じて、これをまじなひける。

道しらぬ友にひかるゝ小車のこれも片輪のたぐひなるらん

あはれぞと見るさへうしや小車のかたわとて世に引く人もなし

有レ人告ㇾ予曰。近時有風塵先生者。其容見ㇾ人矣。畫工圖ㇾ之以示於世。足下稍似ㇾ之。豈爲ㇾ士者之風俗乎。予聞此言。不ㇾ忍默止。賦以解ㇾ嘲。   無名人

枯楊蕭寂不ㇾ生ㇾ春

莫ㇾ道娼家對ㇾ酒人

縱有秋來俠名士

淸操豈得ㇾ混風塵

[やぶちゃん注:我流で訓読しておく。

人、有りて、予に告げて曰はく、「近時、『風塵先生』なる者、有り。其の容(かたち)、人に見えず。畫工、之れを圖し、以つて、世に示す。足下、稍(やや)、之れに似たり。豈に士たる者の風俗か。」と。予、此の言を聞くに、默止(もだ)すに忍びず、以つて賦して、嘲りを解く。

枯れし楊 蕭寂として 春に生ぜず

道(い)ふ莫かれ 娼家 酒に對せる人

縱(たと)ひ 秋來つて 俠名の士 有れども

淸操 豈に風塵を混ずるを得んや

か。]

 この一條は、よしなきことながら、當時の手ぶりをまのあたり見る心地にて、うつし出でぬ。その中、「文金風」・「辰松風」などいへるは、いづれもみな、髮の結ひやうを、いへるものなり。「文金風」といふは、元文元年[やぶちゃん注:一七三六年。]より、上方、上るりの大夫の髮の風を學び、油にて、かため、毛筋、われめなく、元結、少し卷き、入れ髮をいれ、「宮古路風」ともいへり。又、「辰松風」といへるは、享保[やぶちゃん注:]のころ、辰松八郞兵衞と云ふ人形遣、この風にゆふをもてなりとぞ。

 いでや、何ごとにまれ、今よりして古を見る時は、ことたらはぬことのみなりけり、と疑はるゝもの、多かり。

 むかし、蠟燭のながれを、油にとき、ゆるめ、文七元結もなくて、こよりにて、結びたりしことも、なほ、なき世の人は、飛蓬[やぶちゃん注:「ひほう」。髪が乱れたさまの喩え。]の如くにやありけん。此後、「伽羅の油」[やぶちゃん注:「きやら(きゃら)のあぶら」は近世初期に京都室町の「髭(ひげ)の久吉」が売り始めた鬢付け油の一種。胡麻油に生蝋蠟(きろう)・丁子(ちょうじ)を加えて練ったもの。]といふもの、いできたりしより、髮結わざも、おのがさまざまになり行くめり。婦人の髮は、そのゆひざまの異なれば、おのおの、其名のわかるゝも、ことわりなれど、男子の髮は、もろこしの「斷髮束之」といひけんごとく、いかにもせんやう、なかるべきに、「蟬折」・「なましめ」・「をし鳥」・「本田」・「いてう」・「引出し」・「二つをり」・「まるまげ」など、くさぐさの名目ありと、きけり。あな、ことわざしげき世にてぞある。

  文政八年四月朔     好問主人謾書

[やぶちゃん注:正直、絵を見た瞬間、「これって、平賀源内でしょ?」って思ったが、彼は享保一三(一七二八)年生まれで(讃岐国)、江戸に来たのは宝暦六(一七五六)年だから、植木等の「お呼びでナイ!」というわけ。にしても、「風神」と言い、「片輪車」と言うも、私のよ~うく知っておる妖怪「片輪車」とは、これまた、全く話にならないくらい全然全く一致しない(私の電子化した怪奇談には多く見られるが、「一昨日きやがれ!」って感じで、話にならないほど違う。絵姿も如何にも洒落たつもりが、ドン臭いありさまで、「即刻退場!」でしょ? 注を附する気にもならんわ! 当世、傾奇者(かぶきもの)ってか? 上方の義太夫が嘗てしていた髪型まで言い及んで、古い髪型尽くし、これはもう、明らかに、馬琴への挑戦、見え見えでんな! 「古い御仁は、基本、新しい文化・知識は想像だに及ばぬでしょう?」という嫌味もあるか?(美成は馬琴より二十九も年下である) 或いは、この条全体が、とんでもない何物(馬琴自身か或いは幕府の政策等)かへの壮大なカリカチャアを含んででもいるものか? 私には判りまへんわ!]

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