小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (9) 兩用心記に書かれた詐欺方法
兩用心記に書かれた詐欺方法
凡そ、他人の意志に反して、他人に屬するものを奪ふ方法に四種碩ある。第一は所謂强盜であつて、暴力を以て他人を無力にして奪ふ方法をいひ、第二は所謂窃盜であつて、他人の居ないところ、又は他人の意識の全然働かない時間を選んで奪ふ方法をいひ、第三は所謂掏摸《すり》であつて、他人の意誠にスキの出來たチヤンスをねらふか、或は他人が意識しない程の早業によつて奪ふ方法をいひ、第四は所謂騙盜詐欺であつて、他人に接し他人をだまして行ふ方法をいふのである。このうち强盜は尤も野蠻な方法であり、窃盜、掏摸、詐欺は段段進化した方法だといふことが出來る。何となれば掏摸は窃盜よりも腕の熟練を要し、詐欺は掏摸よりも頭の働き卽ち智慧を要するからである。
同じく詐欺のうちにも、亦、下等な方法と上等な方法がある。たとへば人をだまして、そのあげくに言ひがかりをしたり、先方の弱點に乘じて脅喝を行ふのは下等な方法であり、チヤンスを利用して詐欺を働くのも、比較的下等な方法であるが、之に反して、先方の慾心に乘じたり、迷信に乘じたりするのは比較的上等であり、こちらを十分信用させて然る後悠々として詐欺を働くものは最も上等な方法であるといつてよからうと思ふ。又、同じくチヤンスを利用する詐欺にも色色の階段があつて、例へば『杜騙新書』の中に、豚を四頭曳いて行く百姓に向ひ、その中の二頭を買ひたいと言つて、その豚を近づけて檢査する風をして、わざと手を放し、豚が逃げ出すのを百姓が追ひかけて居る隙に、殘りのうちの二頭をもつゝ放し、一頭を奪つて去るといふ話があるが、これなどは、掏摸とあまりちがはぬ方法である[やぶちゃん注:「第一類 脫剝騙」にある「明騙販豬」。「中國哲學書電子化計劃」のここから原本影印本で読める。]。然し、同じ書に、ある町で、澤山の兩替屋が椅子と机を出して換錢《かへせん》を行つて居たところ、そのうちの一人の机は頗る古びて、錢を入れた箱がこはれかけて居たが、その男が隣りの兩替屋に賴んで、晝支度をしに行つて居る留守に、一人の詐欺師が大工に化けてその兩替屋から修繕を依賴されたやうに裝ひ、机をかついで行つて、その中の錢を奪ふ話があるが、これなどは、同じくチヤンスをねらふ詐欺でも、前のよりは優れた方法であると言へる[やぶちゃん注:同じ「第一類 脫剝騙」にある「詐匠脩換銭虎厨」。「中國哲學書電子化計劃」のここから原本影印本で読める。]。
さて、晝夜、世間、兩用心記に記された詐欺方法に就て調べて見ると、詐欺手段の殆んど全體を網羅して居ると言つて差支へなく、そのうち最も多いのは、チヤンスをねらふ詐欺であるが、細かに分類すれば、一、先方の弱點に乘じて言ひがかりする詐欺、二、チヤンスをねらふ詐欺、三、共謀詐欺、四、迷信に乘ずる詐欺、五、先方の慾を利用する詐欺、六、こちらを充分信用させて後行ふ詐欺等にわけることが出來るのである。今左に、この一々の詐欺の例證を兩用心記から取り出して順次にならべて見ようと思ふ。
一、先方の弱點に乘じて言ひがかりする詐欺。晝夜用心記にこんな話がある。本町の現銀吳服店は頗るよくはやる店であつた。あるとき一人の侍が中間をつれて紅絹を買ひに來たが、店員の目を盜んで左の袖口から一疋懷へ入れた。店目付がこれを見つけて、その侍のそばに寄り先刻懷中された紅絹を御出しなさいときめつけた。侍はぞんな覺えはないといふ。彼此議論するうち、店の者が無理に侍の懷へ手を入れて取り出し、これさへ取戻せば用はないから御歸なさいと突き出した。すると侍は中間に命じて二丁目の絹布《けんぷ》屋和泉屋與助を呼ばしめ、受取證を出し、最前その方の家で買つた紅絹を懷へ入れて居たら、こちらのものを盜んだといふ話だから、鑑定してくれといつた。與助は檢印まで捺しましたから間違ひありませんといつて、見ると、いかにも檢印が捺してある。なるほどこちらの店でもよく調べて見ると紅絹は紛失して居ない。これは誠に相濟みませんとわびると、侍は盜人よばはりされた無念に、店員を殘らず斬つて自分も切腹しようと、たけり出した。そんなことをされてはたまらないと番頭は侍に五兩握らせたところ侍は案外にもにこりとして中間を連れて去つた。全く初めからたくらんだ仕事であるとはわかつても、店がふさがる損にかへられないので、番頭が氣轉[やぶちゃん注:ママ。]をきかせたのであつた[やぶちゃん注:不詳。国立国会図書館デジタルコレクションの同書は第四巻が欠損しているので、そこに入っているか。以下、見当たらない場合は注をしない。悪しからず。]。
次に世間用心記にこんな話がある。中ぬき町に堀江屋新四郞といふ小判市《こばんいち》のやりくり問屋が出來、大げざな賣買を始めた。ある夜寄手が大ぜい集つて、小判十萬兩の賣買をし、間金《あひだきん》[やぶちゃん注:小判の国内相場と輸出価格の差額。]貳百兩を預けて歸り、翌日の相場を案じて來て見ると、亭主が留守で、どこへ行つたか更にわからず、午後になつても歸つて來ぬので、これはてつきり、亭主が間金を持ち逃げしたにちがひないと、戶棚の錠をねぢきつてあけて見ると、二百兩たしかにあるので、扨は不思議と話し合つて居ると、ふらりと亭主が歸つた。戶棚の錠のねぢきつてあるのを見て大に驚き、自分は親戚に病人が出來たので見舞に行つたが誰が一たい戶棚をあけた? なに、みんなしてあけたと? これはしたり、みんなの間金の外に自分の持金を三百兩入れておいたが、それをどうして吳れた? 知らぬとは言はせぬぞ返してくれねば訴へるぞとおどかしたので、たうとうみんなが頭割にして金を出さねばならなかつた。
二、チヤンスをねらふ詐欺。晝夜用心記に凡て十種、世間用心記に五六種ある。先づ晝用心記から始めるならば、『世の中の婆といふ婆』では、三條の橋詰に居た乞食婆を、自分の母親だとあがめて宿へ迎へて來、よい着物を着せて吳服屋へ行き、澤山の品物を買ひ入れ、同役の氣のに見せたいから一寸借りて行く、その代り母親を殘して置くから、あとで、よい品柄でも見定めてもらつて下さいといつて、まんまと逃げてしまふ[やぶちゃん注:同書巻頭の一篇。国立国会図書館デジタルコレクションのここから。]。『萬《よろづ》見通しの御印《おしるし》』では、萬病をなほす祈禱をやるとふれて、ある富豪の女房の難病を水神の御とがめであると判定し、川の中へ壇を設けて、金拾兩御出しになれば七日の間に必ずなほす、若しなほらなければ必ず御返しするといつて、拾兩を身につけ、夜分祈禱最中に、どぶんと川の中へとびこんで、何處としなく逃げてしまふ[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションのここから。]。『松茸は平家の侍』では、あき家に陣取つて大盡暮しをし、諸方から色冷のものを選ばせ、潮時を見はらかつて、品物を持つて逃げてしまふ[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションのここから。]。『晝の白藏主』では、出家の風を裝つて弟子をつれ、扇屋や衣屋で澤山の品物を註文し、手代に持たせて來る途中て、手代を他の店へ使ひにやり、その間に、扇子や衣のはひつた箱を石や瓦をつめた箱と摺りかへ手代をまいて逃げてしまふ[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションのここから。]。『女護島とは爰』では、ある行商人の留守中、妻女が、辻井戶へ水を汲みに行つたあとへしのびこみ、手早く蒲團を裏返しにたゝんで背負ひ、玄關に立つて、妻女の歸つて來るのを見て、蒲團を買つてくれませんかといふ。妻女は見知らぬ男から蒲團を買つては氣味が惡いから、いらぬといつて斷る。すると、さやうならばと悠々と去つてしまふ[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションのここから。]。『嫁入前の染絹屋』では、一人の老婆が下女をつれて、吳服店に立寄り、姪が嫁入するからといつて澤山の品を買ひ、一應本人に見せたいので、橫町の宅まで手代衆に行つてもらひたいと、下女に手代を伴はせてつかはし、やがて二人はある家にはひる[やぶちゃん注:ママ。]。手代が入口に待つて居ると下女が出て來で、七十匁ほど負けてもらひたいとのことだから一走り行つてきいて來てくれといふ。程なく手代が返事をもつてかへつて來て、只今の女の人に逢はせてくれといふと、髭男が出て來て染絹を賣りに來た女ならもう歸つたといふ。さてはと店に戾つて待つて居る老婆をきめつけよう[やぶちゃん注:ママ。「とひつめよう」の誤植か?]とすると、最前、便所を借りたいといつて奧へ行つたまゝ戾らぬとの事、搜して見るともぬけの殼。その實、こやし取る男が來て、肥たごの中へ老婆を入れて去つたのである[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションのここから。]。『世界は一夜の乘合船』では、旅へ出た人の留守へ行き、飛脚を裝つて、御主人が途中で卒中を起されたからといつて告げ飛脚賃をかたる[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションのここから。]。『御緣日は淸水北野』では、天滿宮の祈禱所に多分の金を寄附して娘の安產の祈禱を賴み、明日御洗米を垣頂きにくると言つて歸り、扨翌に位置祈禱所にあがり込んで居ると、絹屋が註文の羽二重を持つて來る。今、取こみ中疑だから後程代金を取りに來てくれと手代をかへす。扨手代が後に祈禱所へ代金を取りに來ると、そんな品は註文した覺えがないといふ。扨は祈禱を賴みに來た男はかたりだつたか。『割附銀は長老迷惑』では、寺町通りの白蓮寺が破損修理の奉賀をすゝめて居ることをきいて、室町の某ですが、大門を私一人で寄附させて貰ひたいと申出る。住持は大に喜んで男を招じ入れると、男の連れて來た大工は門の測量にかゝつた。あくる日川原町の古木屋の人足が澤山來て門をこはしかけたので、驚いてきいて見ると、昨日檀家總代から門を買受け、代金まで支拂つたといふ。『思ひの外の御能筆』では、ある兩替屋へ西大名の使者男が供をつれてやつて來て、金子百兩を銀て買ひたいといつた。金子は大德寺ヘ施物にするのだから包みの上書を立派に書いてほしいとの事。手代たちが上書をしても中々うまく書けぬので、どうか御自分で御書きをとの事。筆を取つて書くと、中々の能筆。で、供の者に向つて銀の包を出せと命ずると、供は銀箱を取り出して包みを四つ五つ出したが、こりやいかぬ、この銀箱ではなかつた、間違つたから取り替へて來い。はいといつて、包みをもとにもどす拍子に、兩替屋の金を包んだのまで入れる。これ粗忽をしてはいけない、これは御店の金だよ。さうでしたかと供は頭をかいてかへす。かへす拍子に持つて來た包の方を出す。同じ男の上書だから、誰にも氣附かれない。さて取りかへに歸つた供は中々戾らぬので、使者男は、よろしく賴んで一先づ歸るが、兩替屋では二三日待つても音沙汰がないので、包を開くと中から出たのはにせ小判[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションのここから。]。『東山に於て無菜の食』では、東山へ遊山に來た人たちの留守へ、旦那から羽織を取つて來いでしたといつて、かたり取る詐欺が書かれてある。
次に世間用心記の物語から、チヤンスをねらふ詐欺を選ぶならば、『子供でねぶらした千年飴』では、福島屋の子太郞市が盾て逍遊んで居るのを見て、なれなれしく近寄つた一人の女が、太郞市に玩具を買つてやり乍ら、抱いて香具屋へ行き鼈甲の櫛を買ひ、福島屋のものですから、あとで代金を取りに來て下さいといふと、こちらでは太郞市を知つて居るので何氣なく渡す。それから女は、福島屋へ行き香具屋のものですが、坊ちやんが、遠あるきして居られたからつれて來ましたといつて置いて行く。あとで、香具屋の手代が代金を取りに來て、福島屋の内儀との間にとんちんかんな會話の初まつたことは言ふ迄もない[やぶちゃん注:同書巻頭の一篇。国立国会図書館デジタルコレクションの原本はここから。但し、国立国会図書館デジタルコレクションには、別に明四〇(一九〇七)年富山房刊の活字本(第一巻のみ)もあり、それはここから。]。『高蒔繪のさげ重』では、芝居小屋の雜沓に乘じ、荼屋の手代が客の棧敷に置いて行つたさげ重をすぐ後から、間違ヘたから取り替へて來ますと持つて行く[やぶちゃん注:同前で、国立国会図書館デジタルコレクションの原本はここから。富山房活字本はここから。]。『三の膳の祝言ぶるまひ』では、料理屋で集つて飮んで居る席へのこのこあがり込み、客の間を取り持ち、客には料理屋の手代と思はせ、料理屋に客の供人と思はせ、客のぬぎ捨てた羽織を盜む[やぶちゃん注:これは早稲田大学図書館「古典総合データベース」の巻之二(PDF)の「13」コマ目から原本が視認出来る。]。『悋氣《りんき》の藥ちがひで』は、夜半に醫者の家をどんどん叩いて急病だから來てくれと言つておびき出し、いゝ加減の場所へつれて行つて追剝をする[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの巻之三のここから。]。『衣の袖にくらべたる羽二重』では、質屋八右衞門方へ立寄つた坊さん、弟子二人をつれ、下町の吳服屋六右皆門方へ行くのだが、どうにも暑いから、小袖を脫ぐによつて一時預つてほしい、おつつけ割符を持つて吳服屋から取りによこすからといつて、法性寺と紙に書さ、半分にちぎつて一つは質屋の手代へ渡し、あとの一つは自分に懷中して、禮を言つて立ち出で、それから吳服屋へ行き、加賀絹をどつさり誂らへ、小袖に仕立てゝほしいから、手本をとりに、宿の質屋へ行つてほしいとて割符を出して先刻の小袖を取寄せ、さて、も一人の同役に相談したいから、この品を一時貸してほしい、代金は明日質屋へ取りに來てくれといつて、自分の小袖を殘し、吳服屋の品物を持つて、いざさらば[やぶちゃん注:これは早稲田大学図書館「古典総合データベース」の巻之四(PDF)の「7」コマ目から原本が視認出来る。]。
讀者は世間用心記よりも、晝夜用心記の方に、遙かに多くの珍趣向のあることを知られたであろうと思ふ。
三、共謀詐欺。晝夜用心記の中には、『金子貳兩と品玉』として、穴藏屋をかたる話がある。穴藏を作るとて、供を建れた中小姓が來て、手づけ金として二兩渡したのに喜んで、穴藏屋が御馳走すると、折しも吳服屋が表をとほつたので呼び入れ、澤山の品を註文して、相役のものに見せて置きたいからとて、供と吳服屋の手代とに品物を持たせて相役のところへ使ひにやる。あとで三人が酒をのんで居ると、中小姓は腹痛がするからといつて便所に行く。長い間經つても便所から歸らぬのに不審をいだいて居ると、吳服屋の手代が、品物をかたられたといつて飛んて來る。扨はと思つて便所へ行つて見ると侍は居ない。吳服屋は怒つて穴藏屋はきつと共謀にちがひないと攻めつけ、品物の代を出せとねだる。たうとう公儀へ訴へると、不思議にもその吳服屋をしばれとの事。果して吳服屋は中小姓と共謀になつて穴藏屋から金を奪ふつもりだつたと白狀した。『一盃喰うたる伊丹諸白』では、伊丹の酒家へ西國の旅人が伊勢參宮の途次立寄つて、酒をのんだところ、勘定の段になつて財布をすられたことに氣附さ、腰の物を預け、なほ三兩借りて、戾りに立寄るといつて去つた。主人がその腰のものを見ると、目もさめるばかりの拵らへ、なまやすいものではないと思つて居ると、本阿彌の何某が通つたので鑑定してもらふと千兩の値打はあるといふ。日ならずして先の旅人が立寄つたので、手放しともなかつたのを百兩で買ひ、さて京の本阿彌家へ見せに行くと百文の物でもないといふ。卽ち鑑定した男と、旅人との共謀詐欺であつた[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの活字本のここから。]。
世間用心記の中には、『疝氣のむしを頂いた五拾兩』と題してこんな話がある。須田町の酒屋に杉といふ下女があつた。よく働らいて、一粒の米もおろそかにせず、慈悲心深くて世間の評判となつた。ある日、羽黑山の山伏が二人すぎ樣に逢ひたいといつて酒屋へ來たので、主人が驚いてわけをたづねると、湯殿山で大日如來に願かけしたところ、滿願の日に、大日如來の仰せには、われを拜まうなら、須田町の酒屋のすぎといふ下女を拜めとの敎だつたから、拜みに來たとの事であつた。で、いやがる杉をつれて出ると二人は疊に頭をすりつけて拜んで出て行かうとしたので、湯殿山の話をきかせてくれといつてとめると、それではといつて山伏は色々話をし酒屋商賣は米を粗末にするから酒屋地獄へ落ちるが、あなたもたしかに地獄へ落ちる運命になつて居る。もし地獄へ落ちたくなければ千人の僧を供養なさい。五六十兩御出しになれば私たちが代つて供養してあげようと告げた。主人は喜んで早速五十兩を出すと二人は供養を引受けて歸つた。あとで主人は杉を呼び、『べおい杉うまく謀つたな。山伏の一人は兄で一人は良人だらう。顏見合せた時の眼付でわかつたよ。さあひまをやるからいそいで出て行つてくれ、今頃、二人の山伏は小判が溫石《おんじやく》となつて居るのに驚いて居ることだらう。それにしても酒屋地獄とはうまいことを言つたものだははゝゝゝ。』[やぶちゃん注:これは早稲田大学図書館「古典総合データベース」の巻之四(PDF)の「12」コマ目から原本が視認出来る。]。
四、迷信に乘ずる詐欺。晝夜用心記には、『駿河に沙汰ある娘』と題しこんな話がある。藪井笹右衞門といふ竹細工商の娘が十八で死んで、兩親の淚のうちに西空寺へ葬られた。四十九日に近い比、十六七の美男が來て、住持に向ひ娘と戀中てあつたことを語り、悲みの果、墓で自害しようとしたので、住持は墓を掘つて死骸の腐敗した有樣を見せたら戀もさめるであらうと思うて、下男に墓を掘らせると死骸にだきついてなげき、然し、自害はせずに歸つた。話變つて、藪井方では四十九日の法要をねんごろに營んで居ると一人の法師が來て、御宅の娘さんが夢にあらはれ、惡道に沈んで居るから、懇ろに供養してほしいとの事、目がさめて見ると枕もとに、この短刀があつたといつて見せると、笹右衞門は大に驚き、これは娘の死骸と共に葬つた國次の守刀、さては貴僧の仰せは尤もと、澤山の金を出して供養を賴むのであつた[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの活字本でここから。]。『仕出し菓子屋』では、ある菓子屋へ、時々惣髮の男が來て、菓子を買つては、錢を過分に置いて行く。亭主が不審に思つてある日手代に跡をつけさせると、男は稻荷山の奧の穴へはひつたが、穴の中には公家めいた四五人が喜んで菓子をたぺかけた。よく見るといづれにも尾がはへて居るので、手代はびつくりして歸り、このことを告げると、扨は幸福にも御稻荷さんに見つけられたんだ。早速、御まつりをするがよいと、燈明をあげたり、油揚をそなへたたりして居ると、果して五人が御いでになつたので大喜び、大御馳走を振舞ふと、何でもよいから望みを申せとの事。主人はかしこまつて、七百兩稼ぎためましたが早く千兩にしたう御座いますといふ。うむ、それは易いこと、その七百兩を出しなさい、千兩にしてあげるからと、亭主に七百兩を出させ、紙に包んで壇にならべ、祈禱をして歸つた。あとで包みを開いて見ると、七百兩はみんな僞金とすりかへられて居た[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの活字本でここから。]。
世間用心記には『去年からの清盲《あきめくら》』と題して、こんな話がある。善光寺の開帳の前にAといふ男が急に眼が見えなくなる。開帳のとき、供物をあつくして祈願すると不思議に眼が見えるやうになつた。これをきいたBといふ男は、いざりを連れて來て、澤山の供物をAに渡し、どうか一しよに祈願してくれといふ。Aは、自分が受取るべき筋ではないといつて拒んだが無理に押しつけて歸つたところ、不思議にもいざりの腰がたつた。これを傳へきいた世間の人々は、Aのところへ澤山の供物をもつて來て、病氣を祈つた。卽ちAとBといざりとは共謀だつたのである[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの原本でここから。]。
五、先方の慾を利用する詐欺。晝夜用心記には『妻子分別の種』と題して次の話がある。ある男が妻子を養はんために一儲けしようと思つて奸計をめぐらした結果、出入の豪家から黃金の香爐を借り受け、これをある有德人のところへ持つて行つて、この眞鍮の香爐は重代の寶物てすけれど、賣り拂ひたいと思ふがどでせうかといつて見せた。見ると黃金だから、つぶしにしても二百兩のものはある。多分持主は知らずに眞鍮だと思つて居るだらうから、七十五兩に賣れと言ひ出した。男は兎にも角にも承知して一且持つて歸り、御幸町の細工師のところで、色から形から、全く同じの眞鍮の香爐を二兩二步で作らせ、それを有德人へ屆け、原物は豪家へ歸した。後に有德人が眞鍮であることを發見して男を責めると、はじめから眞鍮だといったではありませんかと空嘯《うそぶ》[やぶちゃん注:二字で。]いて居た[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの活字本でここから。]。『始めの囁き後悔千萬』では、ある兩替屋へ度々來る男が本當の金を見せて、これは自分の作る贋金だといつて兩替屋をそゝのかし、兩替屋に澤山の資金を出させてそれを奪つてしまふ。兩替屋は訴へることもならず泣寢入になった[やぶちゃん注:同前でここから。]。
世間用心記には、先方の慾心を利用する詐欺物語の適當な例は見當らない。
六、こちらを充分信用させて後行ふ詐欺。これは兩用心記の中に三つばかづつあるがあまり長くなるから一つづ例を擧げることにする。晝夜用心記には『利易の金貸屋』[やぶちゃん注:「利安の金貸屋」の誤り。]としてこんな話がある。ひらた町に美津屋德四郞といふ町人があつた。細君は非常な美人であつたがその素性知れず、三年前にことし十一になる男の子を殘して死んだ。ある時、男の子が手代をつれて凧あげから歸ると、途中で、供をつれた立派な服裝をした男が、そばへ寄つて、この子の母の名はこれこれで三年前になくなったゞらう。どうも妹の顏そつくりだといつて、罌粟銀七八十粒を渡して去つた。手代が歸つて德四郞に告げると、德四郞は早速その男をたづね、それから段々懇意になり、近所に借家を見つけてやると、細君の兄といふその男は豪奢な生活をした。ある時その男が小聲で、實は自分は大阪の穢多村の吉六の金貸を賴まれて、五萬兩自分一手で引受けて居る、薄利で貸せるから借り手を周旋してほしいとの事。德四郞が之を言ひふらすと、兩替屋、萬問屋など凡そ七八十人爭つて申込んだ。で、何月何日、各々三ケ月分の利子を持つて來てほしいとの事に、當日、皆々が集ると、早朝來るべき金が晝過ぎになつても來ない。飛脚を出すと夕方には來るとの話、迎ひ旁々東山燈明庵で夕飯をあげたいからとて打連れ立つて行くと、酒宴半ばにその男の姿が見えない。扨はと皆々が、男の借家に歸つて見ると錠が下りて居る。つまりみんなが利子として持つて來た金を全部かたり取られたのである[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの活字本でここから。この話、全体に厭な感じがして、私は好かん!]。
世間用心記には、『樽《たる》肴《さかな》持つて急度《きつと》御禮』と題し、次の話がある。月代屋《つきしろや》秋右衞門といふ男が、金を拾つたから、落し主は自分のところへ申出て貰ひたいといふ高札を出したら、世間の人は正直な人もあるものだと感心した。その年の暮に、家主が秋右衞門をたづねると頗る當惑さうな顏をして居る。どうしたのかとたづねると、この暮に到著すべき國元の金が正月二十日頃でなくては手に入らぬことになつたので困つて居るのだと答へた。それならいつそ拾つた金を開いて一時借りて使つてはどうだといふと、いや、年の暮のことであるから落し主が來たら申し譯がない、でも、あなたが證人になつてくれるならつかつてもよい。では證人になつてやろう。それならばといつて開くと六十兩ばかり出たので、早速それをもつて諸方の支拂を濟すと、ひよつくり落し主が來てどうしても返してくれといふので、家主は證人になつた以上一時取りかへて、秋右衞門から落し主へ手渡した。後に家主から秋右衞門に返濟を請求してもいつかな返さない。返さないも道理、それは秋右衞門がはじめから企んだ仕事であつた[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの原本のここから。]。
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