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2021/08/18

芥川龍之介書簡抄121 / 大正一四(一九二四)年(二) 芥川文・芥川富貴宛/修善寺関連スケッチ三品

 

大正一四(一九二四)年四月二十二日・修善寺発信・芥川文 芥川富貴宛

 

改造の紀行、文藝講座、文藝春秋、女性、とこれだけ書いた。今文藝講座をもう一つ書いてゐる。まだその外に鶴田の爲に「平田先生の飜譯」と云ふものを書いた。根本(女性)と鶴田の所の男とつききりだつた。泉さんの奧さん曰「あなた、何の爲に湯治にいらしつたんです?」

二階の壁ぬりや庭も出來つつあるよし、おぢいさんいろいろお骨折りの事と存ず よろしく御禮を申されたし。八洲の所へ行つたのなら、八洲の事をもつと詳しく書け。あちらから甘栗を貰つた。原稿ぜめでまだお禮も出さない。これと一しよに出す。但し栗はみんな食つてしまつた。

それから今客がなくて閑靜故、をばさん、おばあさん二人でちよつと遊びに來ないか。汽車は十二時キツチリの明石行にのると四時三十九分に三島へつく。三島へついたらプラットフォームの向う側に修善寺行の輕鐡がついてゐる故、それへ乘れば六時には修善寺へつく。修善寺驛から新井までは乘合自働車、人力車何でもある。時間がわかれば僕が迎ひに出る。

切符は東京驛より修善寺迄買つた方がよし。(三島迄買ふと又買ふと又買はねばならぬから面倒臭い、東京驛で修善寺までのを賣つてゐる)

 

Misimaeki

 

[やぶちゃん注:画像以下の二枚も含めて、底本の岩波旧全集からトリミング補正した。ここのキャプションは、右上に(下方に煙を吐く機関車と車列)、

 明石行 ←―――

中央囲みホーム部分と、その下部の外に、

          プラツトフォオム 三島

左に(下方上部に軽便鉄道車列。掛線のパンタグラフを左端に描いているので判る通り、電化されていた。最後の大仁(おおひと)と修善寺間が開業したのは、この前年の大正一三(一九二四)年八月一日であった)、

 修善寺行←―――

 以下は、底本で挿絵の下に活字だけで示されてあるもの。なお、この「三島駅」は現在のそれとは違う「三島駅」で、東海旅客鉄道(JR東海)御殿場線の静岡県駿東郡長泉町(ちょうせんちょう)下土狩(しもとがり)にある下土狩駅=旧「三島駅」(現在の三島駅の西北西一・五四キロメートル位置にある)である。この修善寺までの路線も現在の伊豆箱根鉄道駿豆線ではなく、駿豆鉄道であった。

 

ツマリノリカヘハ

コノ□□[やぶちゃん注:底本は二字分の長方形。底本編者の判読不能字。]ヲ右カラ

左へ二三間[やぶちゃん注:三・六~五・五メートル。]步クダ

ケユヱ造作ナシ

 

來れば一しよに鎌倉まで歸る。修善寺も湯が昔から見ると、へつたよし。それでも唯今風景は中々よろしい。考えへてゐると億劫だが、汽車にのつて見れば訣なしだ。シヤ官や植木屋位文子にまかせておけばよろし。シヤ官はもうすんだらう

泉さんはあしたかへる。奧さん中々世話やきにて菓子を買つてくれたり、お菜を拵らへてくれたり、もう原稿はおよしなさいなどと云ふ。下齒が上齒よりも前へ出てゐるお婆さん也。泉さんは來て腹ばかり下してゐる。床をしきづめにしてごろごろねてばかりゐる。誰も來なければ月末にかへる。をばさん、おばあさん、ちよいと二三日お出でなさい。ここのお湯は

 

Yudono

 

[やぶちゃん注:ここにポイント落ちで『〔右下圖參照〕』とあり、この後の「この家も」の下にも『〔下圖參照〕』という割注があるが、これは恐らくは底本編者による挿入と私には思われるので、本文に入れなかった。こういうくだくだしいやり方は芥川龍之介はやらないわけではないが、好まなかったと思うからである。その代わりに、それぞれその絵を挟んでおいた。

 キャプション(反時計回りに。総て、指示線附き)。

コヒ[やぶちゃん注:鯉。]

ガラス窓
 [やぶちゃん注:何かを書きかけて、その一字分を潰した感じ。判読不能。]

ミシ[やぶちゃん注:「ミゾ」の誤字か。]

コレハ 湯]

 

言ふ風になつてゐて水族館みたいだ。これだけでも一見の價値あり。この家も

 

Niwatoike

[やぶちゃん注:キャプションは右側(上から下へ。以下同じ)に、

 ■霧[やぶちゃん注:意味不明。]

 水音ザアザア[やぶちゃん注:指示線附き。]

 木 沢山[やぶちゃん注:「たくさん」。]アリ

 月[やぶちゃん注:芥川龍之介が滞在している総室(棟)名。]

 玄関

中央に、

 山[やぶちゃん注:指示線附き。]

 池[やぶちゃん注:少し左。]

 島

 木 沢山アリ[やぶちゃん注:少し右。]

左に、

とある。]

と言ふ風に建つてゐる。僕は月の五番卽ち三階にゐる

 

[やぶちゃん注:「改造の紀行」後の六月一日発行の『改造』に発表された「北京日記抄」(リンク先は私の詳細オリジナル注附き一括版)。

「文藝講座」前年の九月から開始された菊池寛篇編になる講座叢書「文藝講座」の第一回配本分の「文藝一般論」の最終部の大正十四年四月二十五日発行分(「青空文庫」のこちらで新字正仮名なら読める)。

「文藝春秋」これは前の講座の発刊元を書いたものと考える。六月一日発行の『文藝春秋』の「尼提」(「青空文庫」のこちらで新字新仮名なら読める)があるが、それをこんなに早く脱稿するとは、とても思われない。

「女性」六月一日『女性』に発表された「溫泉だより」(「青空文庫」のこちらで新字新仮名なら読める)。

「文藝講座をもう一つ書いてゐる」同前の五月十五日発行分。

「鶴田」玄黄社及び国民文庫刊行会社主であった鶴田久作(明治七(千八百七十四)年~?)。筑摩全集類聚版脚注によれば、『平田禿木を中心に欧米の翻訳文学集たる国民文庫叢書を出していた』とある。

「平田先生の飜譯」恐らく現在まで初出誌未詳(新全集宮坂年譜も『未詳』とし、推定でこの年の四月の著作リストに入れてあるが、その根拠はこの書簡であろう)。筑摩全集類聚版脚注には、『大阪毎日新聞大正十四年三月に発表』とあるが、何かの間違いであろう。龍之介が修善寺に来たのは、四月十日であるし、所持する他の諸資料でも初出は全くの未詳である。

「根本(女性)」前の『女性』の原稿の居催促のために、出向いてきた同誌の編集者根本茂太郎。新全集の年譜では、十九日から来ていたように書かれてあり、原稿催促の電報がその十九日までに十本に及んだともある(と言っても、総て書簡根拠)。

「泉さん」泉鏡花。この四月二十日に鏡花は愛妻すずさんと一緒に修善寺を訪れ、同月三十日まで同宿した。龍之介は鏡花には深い敬意を持っており、鏡花も彼の理解者であった。龍之介の自死に際しての追悼文はまず素晴らしいものである。

「八洲」妻文の実弟塚本八洲。結核による喀血は注で既に述べた。

「一しよに鎌倉まで歸る」『何故、田端まででないのか?」って? だからね! 何度も言ってるでしょうが! 鎌倉の割烹旅館「小町園」に泊まって、愛する女将野々口豊と逢うためだっうの! 芥川龍之介は共時的に複数の人間へ強い恋愛感情を抱くタイプなのだ。それを否定したら、千年経っても、彼を理解することは出来ないぜ! 表向き「品行方正」な研究者さん、よ!

「月の五番」当時の新井旅館(三十年も前から行って泊まろうと思いながら、機会を逸している)の室号名。]

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