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2021/08/02

只野真葛 むかしばなし (32)

 

〇父樣御弟子は元長・元察・元丹・元隨・其外御弟子と名の付(つき)し人數(にんず)しらねど、ことごとくは、かゝず。

 其内、元長は、ぢゞ樣のゆづり弟子。

 元察は、まことの御取たての御弟子なりし。一さかりは、新橋の門家敷(かどやしき)にりつぱに普請をして、目だちたる町醫なりしが、妻をなくし、火事に逢、子どもは、なし、老母、長命にて工面あしくや、末、をとろへて有し。

 元隨といひしは、仙臺者にて有しが、大人役(おとなやく)の人、無(なき)時にて、玄關しまりに中間(ちゆうげん)に寢(いね)たりしに、夜中、枕もとを、ひそかに、さがすもの有しを、其頃は、かごのもの、手人(てびと)なりし故、下人多かりしかば、ふと聞付て、

『たしかに。中元どもの、うちかきて、はした錢をさがしとなるべし。とらへて、「泥棒」とよばはりて、たわむれん。』

と、せしを、はづして、机の下へ、かくれたり。

「よし。おもしろし。」

と、

「ひた」

と、おさへて、

「どろぽう、どろぼう。」

と、聲たてしかば、にわかに、ふしたる男ども、五、六人、

「ばらばら」

と、かけおりる。家内、目をさまして、あかしもちいでゝ見たれば、まことの盜人にて有し。一向、平氣にて、かゝりし故、ことなく、組(くみ)とめしなり。脇坂の家中の人足にて、よほど、ことかうじたる盜人(ぬすびと)なりしとぞ。上へ達して、番人など付(つけ)て二夜ばかり有しが、脇坂へわたしたりし。

「是れを組(くみ)とめし弟子は、いかなる人か、見たきもの。」

と、いひしとぞ【長庵二、ワ、六の年なりし。】[やぶちゃん注:底本に以上は『原頭註』とある。]。父樣にも、餘りむかふみずの仕方と御しかり被ㇾ成しに、

「はじめより泥棒と存じて、いたせしことには、あらず。『内のものゝうちならん』と心にきわめし故、たわむれにと、存(ぞんじ)たること。」

とて、みづから、おそれて有りしなり。仕合(しあはせ)に、刄物、持(もた)ざりしことなり。外(ほか)にて、脇差をぬすみ、とぎにやりて、置(おき)し、となり。

「それなどあらば、おめおめと、からめられじ。」

といひしを聞て、猶、おそろしくなりしとぞ。かやうのたぐひ、有ことなり。

 むかふ、築地、桂川の弟子に「甫(ほ)ちん」といひし人は名代(なだい)の「かべゑ」なり【「おどけゑ」を、よく書(かき)て、名を取(とり)し人。】[やぶちゃん注:底本に以上は『原頭註』とある。]。近目(ちかめ)にて有しが、

「桂川の門前通(もんぜんどほり)のまがり角へ、おひおどしが出る、出る。」

と、大評判のこと、有し。甫ちん、夜更(よふけ)て外より歸りしが、折ふし、雨ふり、しづかなる夜、小提燈(こぢやうちん)をさげて、門前ちかくへ來りし時、二人づれの男、ぬき身をさげて居(をり)たりしを、ちか目にて、はやく見付(みつけ)ず、一間ばかり、ちかよりし時、ぬき身を、

「ひらり」

と、鼻の先へだしてみせしを、

『内の者どもが、此頃の評判のまねをして、ちか目を笑(わらは)んと、はかりしこと。』

と心得て、

「おつと、ふるし、ふるし。」

とて、小提燈を、鼻の先へ、さし出(いだ)したれば、二人とも、にげうせたり。

「さてこそ。勝《かち》を、とりし。うれしや。この雨ふりに夜中、とんだあそびをすること。」

と、心おかしくおもひながら、うちに入(いり)て見しに、寢しづまりて、みな、うちの人は、そろひて有し、とぞ。

『さては。今のは誠(まこと)のおひをどしか。』

と思ひしかば、夜着《よぎ》かづくに、膝、ふるひし、といふ、はなしなり。

 

[やぶちゃん注:「新橋の門家敷」江戸切絵図を見ると、仙台藩上屋敷の東北隣りの龍野藩上屋敷の東北の、汐留橋(蓬萊橋)の南詰に「三角屋敷」と呼ぶ町屋地がある。ここであろう。「古地図 with MapFan」で確認されたい(現在の新橋駅の東直近である)。

「大人役(おとなやく)の人」正式に医師助手として認められていた一人前の者のことか。

「玄關しまり」玄関の用心の見張り役のことであろう。

「中間(ちゆうげん)」長屋門の中間部屋か。

「かごのもの、手人(てびと)なりし故」往診などに用いる駕籠舁き人足さえも、専従の手下として雇っていたほどであったから、の意か。

『たしかに。中元どもの、うちかきて、はした錢をさがしとなるべし。とらへて、「泥棒」とよばはりて、たわむれん。』「きっとこうだぞ。――中間どもが、中間部屋の中を手探りして、部屋に落ちている鐚銭(びたせん)なんぞをあら捜ししているのに違いない。とっ捕まえて、『泥棒!』と呼ばわって、戯れてやろうじゃないか!」。

「はづして」その相手の体の一部を元随が摑んだのだが、そやつがそれを外して。

「脇坂」当時の実務担当であった幕府の目付の姓か。決裁は若年寄であるが、若年寄一覧には脇坂姓はない。私邸とは言え、藩医の屋敷に侵入したのであるから、仙台藩が処断していいわけだが、仙台藩の上位の家臣の中に脇坂姓はないようである。

「ワ、六の年なりし」珍しく時制が確認出来る。真葛は宝暦十三年(一七六三年)生まれであるから、これは明和五年(一七六八年)ということになる。

「むかふ、築地、桂川」只野の私邸の向いの築地の桂川(かつらがわ)という医師、の意であろう。この時はまだ、十七歳ほどであるが、後の医師で蘭学者として知られる第四代当主桂川甫周(かつらがわほしゅう 宝暦元(一七五一)年~文化六(一八〇九)年)がいる(彼の弟は蘭学者で戯作者でもあった森島中良である)。彼は第三代当主桂川甫三の長男で、この時制内の当主は甫三である。桂川家は第六代将軍徳川家宣の侍医を務めた桂川甫筑(本名は森島邦教)以来、代々、将軍家に仕えた幕府奥医師であり、特に外科の最高の地位である法眼を務め、そのため、蘭学書を自由に読むことが許されていた。甫筑は大和国山辺郡蟹幡に生まれ、平戸藩医嵐山甫安にオランダ外科を学び、甫安より桂川の姓を受け、甲府藩主徳川綱豊(後の家宣)の侍医を経て、幕府医官から法眼に上り詰めた。ここでの当主桂川甫三は前野良沢・杉田玄白と友人であり、「解体新書」は、実に、この甫三の推挙により、将軍に内献されている。息子の桂川甫周は、二十一歳の時、その「解体新書」の翻訳作業に参加するとともに、後にツンベルクについて外科術を学び、やはり、江戸幕府の医官となった。桂川の屋敷は現在の東京都中央区築地一丁目十番地(グーグル・マップ・データ)内にあったから、まさに只野の屋敷の向いに当たる(位置特定はサイト「Tripadvisor」のこちらの中央区教育委員会の解説版画像に拠った)。

「かべゑ」「壁繪」で寺社などの壁画を描くことか。

「おどけゑ」「戯(おど)け繪」か。滑稽な絵か。

「近目(ちかめ)」近視。

「おひおどし」「追ひ脅し」で「追ひ剝ぎ」に同じ。通行人を脅し、金品や衣類を奪い取ること。

「一間」約一・八二メートル。

「ふるし。」「ちゃらかしてやることにしちゃあ、いかにも旧式だぜ。」。

「二人とも、にげうせたり」お「追ひ脅し」の二人は、とんだ手練れの者と勘違いして、恐れて、逸足出して、逆に逃げてしまったのである。この話、実に面白い!]

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