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2021/08/06

曲亭馬琴「兎園小説」(正編・「兎園小説外集」・「兎園小説別集」・「兎園小説余録」・「兎園小説拾遺」/全十二巻)正字正仮名電子化始動 / 大槻修二解説・「兎園小説」正編目録・第一集「文政六年夏の末、沼津駅和田氏女児の消息」

 

[やぶちゃん注:「兎園小説」は江戸後期の随筆。編者は瀧澤解(とく:曲亭馬琴の本名)。文政八(一八二五)年成立。同年、滝沢解・山崎美成を主導者として、屋代弘賢・関思亮・西原好和ら計十二名(以下の大槻氏に解説に簡単な事績とともに全員が紹介されてある)の好事家を本会員として、江戸や諸国の奇聞・怪奇談・珍説・噂話を持ち寄って発表する「兎園会」と称する会合が持たれた。その全記録総計三百話に近い談話を提供者の名を明らかにして書きとめたものである。ジャンルは好古考証から、現在の「アーバン・レジェンド」(都市伝説)相当の妖しい話まで、多岐に亙る。

 私は既に、高校国語教師時代のオリジナル古典教材として実際に授業したものの教案「やぶちゃんと行く江戸のトワイライト・ゾーン」でも、本編の第十一集の琴嶺舎の「うつろ舟の蛮女」(琴嶺舎は馬琴の息子瀧澤興継(おきつぐ)の号。松前候の医員(宗伯と号した)であったが、病弱で、天保六年(一八三五)に三十八歳で若死にしている(死因不明)。馬琴は彼を偏愛し、医師としての評判を上げてやるために、自作の作品の中で宣伝をしたりしている。実はこの「兎園小説」の彼の提供したとされる話の幾つかも、残された原稿の一部から、実は馬琴が彼のために代作したということが森銑三によって明らかにされている)及び第三集の文宝亭「あやしき少女の事」(文宝亭は江戸飯田町の薬種屋主人亀屋久右衛門の号)を本文・語注・解釈・現代語訳を附して紹介している。十五、六年前それをやらかして以来、本集をいつか電子化したい思いをずっと抱いていた。但し、私の節として、正字で電子化したいという一点は譲れない。ところが、正編を除く、続編群は国立国会図書館デジタルコレクションの「新燕石十種 第四巻」(国書刊行会編大正二(一九一三)年)で正字表記を確認出来るのだが、不思議なことに、本邦の如何なる電子データ・サイトを見ても、正編のそれが見当たらない。一つだけ、「国文国文学研究資料館」のデータベース内に愛媛県の大洲市立図書館蔵の写本を画像を見つけたのだが、これは管見して見ると、実は「兎園小説」正編の中の「第九集」「第十集」「第十一集」だけが写されているものであった。このことは、もう半年ほど前に判ったことであったのだが、そこで、ちょっと足踏みしてしまった。しかし、その後もグーグルブックスの画像を調べたり、海外サイト(時に本邦の有名な作家の書籍が全画像化されていることがある)も調べたりしたが、無駄であった。神田に出向けば、古書で手に入るとは思うが、この状況下では、それをやる気は全くない(私は週に一度、買い出しのために大船の町に行くばかりで、殆んど外出しない)。……しかし、腕組みして佇立していても始まらない――ここでブログ・カテゴリ「兎園小説」を始動することとした。ただ、最初の解説で大槻修二氏が言及している馬琴が実際に担当したものだけを抜粋した「曲亭雜記」の活字本(渥美正幹編・明治二三(一八九〇)年刊)が国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで確認が出来ることが判ったので、それも校合対象とすることとした。

 正編については、吉川弘文館随筆大成版(平成六(一九九四)年刊新装版。私は「兎園小説」は全編分を同新装版で所持している)を加工底本として、漢字を概ね恣意的に正字化して示すこととし、「第九集」「第十集」「第十一集」は上記の「国文国文学研究資料館」のそれと校合する。全篇は長いので、例の如く、私の神経症的な注を附していると、転生しても終わらないだろうからして、原則、私がどうにも意味が分からず、躓いて動けなくなった箇所にのみ限定して附すこととする。

 冒頭で実に要点を摑んで解説をされておられる大槻修二(弘化二(一八四五)年~昭和六(一九三一)年:修二は通称で、本名は清修。号の如電(じょでん/にょでん)が知られる)は学者・著述家。仙台藩儒者大槻磐渓の次男として江戸に生まれた。かの近代初の本格辞典「言海」の著者として知られる国語学者大槻文彦の兄である。家学から林家で漢学を学び、仙台藩藩校養賢堂では国学も学んだ。明治四(一八七一)年に海軍兵学寮の教官となり、後、文部省に勤務し、仙台藩から文部省に引き継がれた「新撰字書」編集事業に従事した。明治七(一八七四)年(年)、文部省を退官した後は、在野の学者として著述に専念し、明治八年には、家督を弟の文彦に譲っている。これは自由奔放な生き方をこととする自分よりは、弟に家を任せた方が適切だ、と考えたことによるという。和・漢・洋の学や文芸に通じ、多くの著作があり、また、祖父であった、かの大槻玄沢と親交のあった工藤平助(私が電子化している只野真葛の実父の医師)の小伝も著している。如電は多方面に才能を発する知識人であったが、特に舞踊・雅楽及び平曲から俗曲に至る本邦の伝統音楽に精通しており、「俗曲の由来」や、日本の雅楽研究の嚆矢となる「舞楽図説」を書いている。博識とともに、その奇行でも知られた(以上は当該ウィキに拠った)。没年からお判りの通り、彼の著作物はパブリック・ドメインである。同解説は明治二四(一八九一)年のクレジットであるから、当然の如く、本文同様に漢字を正字化した。

 目録部分の電子化は「国文国文学研究資料館」のそれを参考にした。大槻氏解説・目録・本文総てに於いて、句読点・記号は、一部、従わなかったり、追加したりした。頭書・割注等は【 】(判別のつくものはどちらであるか注した)で表記し、参考本に従わず、最も適切と思われる箇所に挿入した。踊り字「〱」「〲」は正字化した。【二〇二一年八月六日始動 藪野直史】]

 

   兎 園 小 說

 

「兎園小說」は、瀧澤馬琴、山崎北峯等の發意にて、文政八年[やぶちゃん注:一八二五年。]乙酉のとし、同好の諸子と謀り、每月一囘互に奇事異聞を書記し來りて披講し、是年正月、海棠庵の發會より、十二月著作堂の集會に終る。每會の記事を輯めて一部十二卷となせるものなり。「兎園册子」といへること、「五代史」に見え、『鄕校俚儒、敎田夫牧子之所ㇾ誦也』とあり。この書の題名も、此意より取れる者ならんか。會合諸子は左の如し。

著作堂  瀧澤馬琴、嘉永元年十一月歿、年八十二、略傳既に出でたり。

好問堂  山崎美成、字は文卿、通稱は新兵衞、北峯と號す。下谷長者町の藥商なり。是年十月、海案庵の例會に馬琴と文學上の口論をし、兩人の間、永く絕交したりとぞ。文久三年七月六十七にて歿す。

海棠庵  關思亮は源吾と稱し、東陽と號す。書家關其寧の孫なり。天保元年九月歿す。年三十六。

輪池堂  屋代弘賢、通稱は太郞、のち銓文と改む。幕府の小吏なり。俸祿十五俵御臺所人より起り、十二年間に御右筆格となり、後、本役となりて祿百石を賜はる。天保十二年五月、八十四歲にて歿す。博識にして藏書に富めるは、世の遍く知る所なり。

松蘿舘  西原好和、通稱は新右衞門、立花侯の留守居なり。是年三月、其藩柳河に赴きしかば、四月以後は此會に出でず。元來、好事家にて、且、當時、留守居役の風習として、驕奢遊蕩を競ひしが、文化十二年四月、幕府より風聞不宜國元蟄居の譴責を受けて歸國し、天保のはじめ歿せりといふ。

麻布學究 大鄕良川、字は伯儀、通稱は金藏、信齋と號す。越前鯖江藩士なり。林祭酒に學びて、松崎退藏(慊堂)、葛西謙藏(因是)、佐藤捨藏(一齋)等と林門五藏の稱あり(一藏は其人を忘る)。文化の初め、師命を以て、學舍を麻布の古川端に開く。因て城南讀書樓と稱す。弘化元年十月歿す。

龍珠館  桑山修理、慕府旗下の士なり。祿千二百石にて、屋舖は本所三つ目通り冨川町にあり。此人は耽奇會の發起人なり。

文寶堂  龜屋久右衞門、本姓實名共に詳ならず。飯田町に住みて藥種を商ふ。後に二代目蜀山人の號を襲げり。文政十二年三月歿す。年六十二歲。

蘐園   荻生維則、字は式卿、本姓は淺井氏なるが、物徂徠の孫鳳鳴の養子となり。年二十餘にして郡山藩の儒官を襲ぎ、家の通稱惣右衞門を稱す。文政十年正月、徂徠百年忌に、大に都下の文學雅藻の士を會せしといふ。歿年未詳。

[やぶちゃん注:「蘐園」は「けんゑん」と読む。]

遯齋   淸水正德は、通稱俊藏、號を赤城といふ。上野の人にして經學及び兵學に通曉せり。嘉永元年五月、八十三歲にて歿す。案ずるに、林門五藏の一人若くは此人か。

[やぶちゃん注:許斐遯斎(このみとんさい 天明元(一七八二)年~弘化元(一八四五)年)は儒者。本姓は中村、名は氏苗。筑前福岡藩士。竹田復斎・梧亭兄弟に学び、後に藩校修猷館で教えた。]

乾齋   中井豐民は、太田錦城の門人なりといふ。其出處經歷いまだ詳ならず。後考を待つ。

[やぶちゃん注:「乾齋」は「けんさい」と読む。江戸時代後期の儒者。大田錦城に学び、三河吉田藩に仕えた。渡辺崋山・鈴木春山らと交わった。嘉永三(一八五〇)年刊の「古今絶句所見集」「周易晰義(せきぎ)」「周易比例考補」など多くの著作がある。「豐民」は名で、別に隆益とも。]

琴嶺   瀧澤興繼は宗伯と稱す。馬琴の男なり。松前侯の醫員にて天保六年五月歿す。年三十八。

[やぶちゃん注:以上の人物紹介は、底本では、各人の解説が二行目以降で字下げとなっている。しかし、似たような配置にして公開すると、ブラウザ上での不具合を生じたので、改行・字下げをせずに示した。底本の字空け(号の表記)などは再現していない。これは基本、以下の本文でも同じで、いちいち注しない。]

 以上十二人を本員とす。

靑李庵  角鹿氏京師人    晃樹  西原氏柳河人

 以上二人は客員なり。角鹿氏は著作堂の紹介にて、西原氏は松蘿舘の親族なりとぞ。この「兎園小說」は、本篇十二卷に「外集」・「別集」・「餘錄」を幷せ、總て二十卷を全本とす。其本書は著作堂に傳へたりしが、天保十四年の歲末に臨み、故ありて伊勢の人小津柱窓に金五圓にて讓りたりしよし、馬琴が日記に見ゆ。余が藏本は疊翠軒藏書の朱印あり。この藏主は、幕府旗下の士石川左金吾(祿三千石、麻布古川町に邸あり。)にて、馬琴と交り、殊に親しく、「八犬傳」第九輯の序に、琴籟閑人とあるは、卽ち、この人なり。天保十二年六月卒すと聞けば、柱窓に讓らざる以前に於て、全部を寫し置きたる者なるべし。余の藏書となりて既に十餘年なり。さて、此書は、抄略の本、まゝ世に傳はりたれど、全本のもの、いと稀なるよし、伊勢の本は、今尙、小津の家に存せりや否や、さだかならず。家藏の完本なるは、殊に珍らしとて、年ごろ、朋友の中にもてはやされたり。前年馬琴の外孫なる渥美正幹子に借し與へたりしが、子は全くこれを寫したりとぞ。又、書中にて、馬琴の手記にかゝる者を抄出して、同子が編纂せる「曲亭雜記」にも載せたり。此度、吉川より「百家說林」の中に加へたしと乞はれければ、曾て篇中諸子の傳記をも、見聞に隨ひ、書き留め置けるもの、詳略のまゝ卷首に揭げ、且、此書の來歷をも附記して授けぬ。

  明治二十四年七月

       如電居士  大 槻 修 二 誌

 

 

[やぶちゃん注:以下、底本では「目次」とするもの。先の写本から「目錄」とした。発表者名は標題下方に揃えてあるが、ブラウザでは字空けが一致せず、がたがたするだけなので、総て標題から二字下げで繋げた。]

 

   目錄

 

第一集【文政八年乙酉春正月十四日於海案庵發會】

文政六年夏の末、沼津驛和田氏女兒の消息  海棠庵

禁裏萬歲之御式  好問堂

吉兆  輪池堂

伊香保の額論  松羅館

神主長屋惣八が事  文寶堂

ひやうし考辨に圖說  著作堂

百姓幸助身代り如來の事  同

 

第二集【乙酉春二月八日於海棠庵集會】

神靈  輪池堂

賢女  同

武州多摩郡貝取村揭出の古碑  好問堂

隱語  同

蚘蟲圖  同

[やぶちゃん注:「蚘蟲」「かいちゆう」と読んでいるか。「蚘」は漢音「カイ」・呉音「ユウ」で、所謂、「回虫」で「はらのむし」とも訓ずる場合もある。異体字に「蛔」もある。但し、我々の知っている人体に侵入する寄生虫(狭義には線形動物門双腺綱旋尾線虫亜綱回虫(カイチュウ)目回虫上科回虫科回虫亜科カイチュウ属ヒト回虫 Ascaris lumbricoides を代表とする、ヒトに寄生する(他の動物の寄生虫による日和見感染を含む)寄生虫類)とは異なることが、本文と奇体なその虫の図を見ると判る。そこで正体の考証はしてみる。]

好問質疑  同

「まみ穴」・「まみ」といふ獸の和名考に「ねこま」・「いたち」和名考奇病の評  著作堂

[やぶちゃん注:「に」の「に」が小さくないっていないのは底本のママ(後も同じ)。「附」は「つけたり」と読む。]

駿河町越後屋紋合印の事  文寶堂

銀河織女に似たる事  同

元文五年の曆のはし書  同

藤代村八歲の女子の子を產みし時の進達書  海棠庵

兩頭蛇辨圖  同

 

第三集【乙酉春三月朔於著作堂集會席上披講如例】

五馬 三馬 二馬  著作堂

於竹大日如來緣起の辯  好問堂

あやしき小女の事  文寶堂

[やぶちゃん注:冒頭注で述べた通り、教案「やぶちゃんと行く江戸のトワイライト・ゾーン」で採り上げた。 ]

安宅丸御船つくられし時の漆の事  同

[やぶちゃん注:「安宅丸」は「あたけまる」と読む。寛永九(一六三二)年に第三代将軍徳川家光(建造命令を発したのは先代徳川秀忠ともする)が向井将監に命じて新造した当時としては超弩級の軍船艤装に絢爛豪華な装飾を施した御座船。寛永一一(一六三四)年に伊豆伊東で完成進水し、江戸湾に回航され、翌年六月二日に品川沖で家光が試乗、その後は江戸深川に係留された。しかし、あまりに巨大であったため、推進力不足で、実用性が全くなく、殆んど機動されたことがなかったとされる。維持費用が嵩み、奢侈引締政策の影響もあって、ここで語られた百四十三年も前の天和二(一六八二)年に幕府によって解体されている。参照したウィキの「安宅丸」に十九世紀に描かれた想像図ならある。]

高松邸中厩失火の事  松蘿館

山王雲聖  輪池堂

染木正信  同

「むじな」・「たぬき」辯に熊の月の輪  海棠庵

猫・虎相似附錄  好問堂

猫・虎相似の批評  著作堂

 

第四集【乙酉夏四月朔於海棠庵集會席上披講如例】

七ふしぎ  著作堂

建治の古碑に武市兄弟  海棠庵

[やぶちゃん注:「武市」「たけち」と読む。]

身代觀音  輪池堂

[やぶちゃん注:「身代」は「みがはり」。]

耳の垢取  同

風神圖說  好問堂

虹霓 伊勢踊 琵琶笛 奇疾  乾齋

[やぶちゃん注:「虹霓」は音は「コウゲイ」だが、自然現象の虹についての記載であるから、「にじ」と当て訓している可能性が高い。「虹蜺」とも書く。古代中国に於いて、虹を龍の一種と考え、♂を「虹」、♀を「霓(蜺)」としたことに基づく。]

虛無僧定法  文寶堂

夢の朝顏  同

駒込富士來歷【一錢職分由緖草加屋安兵衞娘之事】  同

 

第五集【乙酉夏五月朔於好問堂集會各披講了】

古狸の筆跡  好問堂

老狸の書畫譚餘  著作堂

家相の談 小野小町の辯 間違草の事  乾齋

定吉稻荷  輪池堂

稻荷の正一位  同

神童石川爲藏詠歌の事  文寶堂

葺屋町なる歌舞伎座の梁折れし事  同

町火消人足和睦の話  海棠庵

佐倉の浮田 安永以來のはやり風  著作堂

兩國河の奇異 庚辰の猛風 美日の斷木  同

[やぶちゃん注:「美日」は「びじつ」で非常に天気が良い日の意。]

賀茂甲斐筆法の辯 著作堂客篇 京 靑李庵

花  同

松五郞が遺愛馬の考異  琴嶺舍

奧州平泉毛越寺路舞歌唐拍子  同

 

第六集【乙酉夏六月十三日於輪池堂集會席上各披講了】

土定の行者不死 土中出現の觀音  著作堂

[やぶちゃん注:「土定」「どぢやう(どじょう)」で地下に自らを封じて即身成仏して入定(にゅうじょう)すること。]

蛇化爲蛸  琴嶺舍

[やぶちゃん注:標題は本文に「蛇、化(け)して、蛸(たこ)と爲(な)る」とある。]

双頭蛇  同

奧州南部癸卯の荒餓  好問堂

身代り觀音補遺  同

狐孫右衞門が事  海棠庵

なら茸 乞兒の賢 羅城門の札  乾齋

新古原若松屋の掟  文寶堂

突といふ沙汰  同

松前の貞女  輪池堂

北里の烈女  同

 

第七集【乙酉秋七月朔於文寶堂集會各披講了】

古墳女鬼  文寶堂

金靈に鰹舟の事  同

[やぶちゃん注:「金靈」本文から「かねだま」と読んでいる。]

由利郡神靈  海棠庵

土中出現黃金佛  同

蛇崇  同

勝敗不ㇾ由多少之談  乾齋

腐儒唐樣を好みし事  同

養和帝遺事雨蛤竹筒  好問堂

[やぶちゃん注:「雨蛤」は音で「うがう(うごう)」か。「雨蛤」と名が書かれた(彫られた?)竹筒で出来た唐辛子入れ。]

自然齋和歌  輪池堂

野狐魅人  同

上野國山田郡吉澤村掘地所見石棺圖  同

石棺圖別錄  文寶堂

靈救水厄金像觀世音【ひやうし考再案附】  著作堂

松前大福米  琴嶺舍

平豐小說辯  著作堂

[やぶちゃん注:「平豐」は「へいほう」で本文から平清盛と豊臣秀吉のこと。]

 

第八集【乙酉秋八月朔於海棠庵集會各披講了】

鑿井出火  海棠庵

婦女產石像 貞享四年官令  同

變生男子  文寶堂

[やぶちゃん注:「へんじやうなんし」と読む。]

狐囑の幸  同

[やぶちゃん注:本文内容から「こしよくのさひはひ」と読んでおく。]

九姑課  好問堂

[やぶちゃん注:「九姑課」は「きゆうこか」で中国伝来の卜占術の名。]

夷言粉挽歌  輪池堂

物怪の濡衣  同

隅田河櫻餠  同

本所石原の石像  龍珠館

小右衞門火  同

天照太神を吳の太伯といふ辯  乾齋

獼猴與巨蛇鬪 客篇 京  靑李庵

[やぶちゃん注:標題は「獼猴(びこう)、巨蛇と鬪ふ」。「獼猴」は大猿(おおざる)。]

ほりこてふ  同

奇遇  琴嶺舍

根分の後の母子草  著作堂

[やぶちゃん注:標題は「ねわけののちのははこぐさ」で、孝子人情話の外題である。]

 

第九集【乙酉秋九月朔於乾齋集會各披講了】

蓮葉虛空に飜るの異  乾齋

藪に香の物の世諺  同

慶雲 彗星  好問堂

鍾馗  輪池堂

遊女高尾  同

奇夢  海棠庵

鼠の怪異  文寶堂

佛像腹籠の古書  同

[やぶちゃん注:「腹籠」「はらかご」。仏像の胎内が籠状になっており、そこから文書が出現したという話。]

窮鬼  琴嶺舍

双生合體  著作堂

一足の雞   同

双生合體追記  文寶堂

「ひなるべし」作者自序の辯 客篇  靑李庵

 

第十集【乙酉冬十月朔於輪池堂集會各披講了】

庫法門  好問堂

[やぶちゃん注:「くらほふもん」(仏教用語の「法」の歴史的仮名遣は「はふ」ではなく「ほふ」である)と読んでおく。浄土真宗の異端(異安心 (いあんじん)と呼ぶ) の一種で秘事法門の代表的なもの。御庫秘事(おくらひじ)・土蔵秘事・御庫門徒・布団被り・内証講・御杓子講・隠念仏 (かくしねんぶつ) などの異名がある。土蔵の中で弥陀の本身を拝し、「在野の宿善の信徒だけに、親鸞が、特に、その子善鸞に伝えたという深義を説く」とされ、尾張名古屋一帯を中心に関東でも行われた(「ブリタニカ国際大百科事典」)。]

立石村の立石  海棠庵

掘地得城壘【石地藏圖附】  同

人の天降りしといふ話  文寶堂

[やぶちゃん注:「天降り」「あまくだり」。]

素馨花  輪池堂

[やぶちゃん注:「素馨花」は「そけいくわ」で、双子葉植物綱シソ目モクセイ科ソケイ属ソケイ Jasminum grandiflorum 。花から採れる香油がお馴染みの「ジャスミン」である。]

濃州の仙女  同

鶴の稻供大人米考  同

[やぶちゃん注:「大人米」本文の引用が総て漢籍で、殆んどが仏典であるから、「だいじんべい」或いは「だいじんまい」と読んでおく。]

阿比乃麻村の瘞錢  琴嶺舍

[やぶちゃん注:早速、国立国会図書館デジタルコレクションの「曲亭雜記」が役立った。ここに「あひのまむらのうづめぜに」とルビされてある。]

中川喜雲京童の序の辯 客篇  靑李庵

謠曲中の小釋  同

眞葛のおうな  著作堂

[やぶちゃん注:私がブログ・カテゴリ「只野真葛」で電子化注しているその人のことである。]

 

第十一集【乙酉冬十月廿三日於海棠庵集會席上各披講了】

孫七天竺物語抄  好問堂

蝦夷靈龜  海棠庵

 蝦夷靈龜考異  著作堂

[やぶちゃん注:字下げはママ。]

佐久山自然石  海棠庵

狐の祐天  文寶堂

白猿賊をなす事  同

越後烈女  輪池堂

高須射猫  同

明善堂討論記  乾齋

其角が發句を辯ず  遯園

虛舟の蠻女  琴嶺舍

[やぶちゃん注:冒頭注で述べた通り、教案「やぶちゃんと行く江戸のトワイライト・ゾーン」で採り上げた。 ]

品河の巨女  同

天台靈空是談靈空 客篇  靑李庵

丙午丁未  著作堂

消夏自適天明荒凶記附錄  同

 

第十二集【乙酉冬十二月朔於著作堂集會席上各披講了】

助兼  龍珠館

[やぶちゃん注:標題は「すけかね」で「後三年の役」の侍の名。]

參考「太平記」年歷不合【若鷹考附】  同

漂流人歸國  乾齋

大酒大食の會  海棠庵

風流祭 海棠庵客編  西原見樹

邪慳の親  文寶堂

犬猫幸不幸【養老長壽附】  同

瞽婦殺賊  遯菴

[やぶちゃん注:「瞽婦」は「こふ」で「目の見えない婦人」の意であるが、本文を見ると、瞽女(ごぜ)であることが判るのでここも「ごぜ、ぞくを、さつす」と読んでいよう。]

いきの數【えぞ鳥圖考三十一字附】  輪池堂

[やぶちゃん注:とあるが、本文では、蝦夷の鳥の図についての考証附記は、次の「麻布の異石」の後にあって、分離されている。]

麻布の異石  麻布學究

丑時參詩歌 客篇  輪池堂

文政乙酉御幸記  同

騙兒悔非自新  琴嶺舍

[やぶちゃん注:本文を見るに、「騙兒(へんじ)、非(ひ)を悔ひて、自(おのづか)ら新たむ」ではないかと思われる。「騙」は「だますこと・詐欺をすること」の意。]

破風山の龜松が孝勇  同

瑞龍が女兒  同

賀茂村の坂迎 客篇  靑李庵

希有の物好【古代の呼名附】  同

蒲の花かたみの上  著作堂

[やぶちゃん注:掉尾を飾る長篇の蒲生某の物語の外題。思うに「蒲」は「をばな」と読んでいるのではないかと思う。]

 

 兎 園 小 說

 

              瀧澤馬琴等編

 

   ○文政六年の夏の末、駿州沼津驛

    和田傳兵衞といふものへ、娘より

    遣しゝふみの寫      海棠庵 錄

 豆州岩地村と申す所の獵師の子、齋藤重藏と中すもの、十四歲のとき、兄と共に、なりはひのため、家出いたし、しひたけを作り、其商賣にて處々ありき侯處、おもひ候やうにもなく、兄は、三、四年すぎて、弟をすてゝ國に歸り、ふた親ともに暮しをりしは、三十年ちかき前の年に御座候。然るに、去年豐後國岡【中川侯の城下。】と申す所より、私方名あてにて、「金子廿五兩、岩地へ遣され候樣に」と、たのみこし候。私方にては、一切、存ぜぬこと故、はるばると豐後より岩地へ、「いかなる緣ある人にや」と、早速、書狀を出だし、飛脚をよび、相渡し遣申候處、その人のはなしにて始めて相わかり、十四歲のとき、家出いたしゝ重藏のよし、岩地村にては、三十年ばかり便なき人より、かく書狀幷に金子まで贈りし事なれば、夢かとばかり悅び、披き見ると、豐後國にいたり、椎茸の製作をしらぬ所へ、つくりかたを敎へ、「國益なり」とて、御領主の御かゝえになり、年每に七拾兩の金を賜はり、「岡の嶽山」と云ふ所にて、大造に家を建て、追々仕合よく、三百餘人、召つかひのもの、有之、日々、しひたけをつくり、串にさし、やきて、大城に出だし、春と秋とに二萬兩餘もとりいる身上になりし事、書載御座候よし、當年五月上旬、亦復、豐後より當地ゆきの金子百兩、私方へたのみこし候。いはち村は、至りて、邊土にて、家も、やうやく廿軒ばかりゆゑ、村中、こぞりて稱譽いたし候よし、只今は、重藏・母ばかりに御座候。當六月、右重藏、妻と共に母にあひに參り、氏神へ唐木綿の大幟をあげ候よし、誠にめで度珍しき事ゆゑ、あらあら申上候。

[やぶちゃん注:以下、底本では、「和田たち」の署名まで、全体が二字下げ。]

かの重藏と申す人、當年四十三歲になり、只今にては、山の中へ家を建て、その家、つくりの大そう、三百餘の手人をつかひ、自身は日々椎茸を作り候所を見𢌞り候に、のりかけ馬にてあるき候よし、妻は阿州のものゝよし、領主より、苗字帶刀上下御免あり。まことに重藏、もとは獵師の子にて、細きけむりもたてかねし身の、わづかに二、三十年に、かくなり出で候事、天運にかなひ候ものに御座候。

              和 田 た ち

       せき御ふたかた樣

右傳聞、原本のまゝにしるしつ。

        乙酉孟春  關  思  亮

 

[やぶちゃん注:私が先日、電子化注した「日本山海名産図会 第二巻 香蕈(しいたけ)」の、サイト「旧特用林産研究室」の「シイタケの話(一)」を参照されたい。本話が紹介されてある。]

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