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2021/08/29

伽婢子卷之八 歌を媒として契る

 

[やぶちゃん注:挿絵は、状態のよい、岩波文庫高田衛編・校注「江戸怪談集(中)」(一九八九年刊)をトリミング補正(原画の汚損、及び、読み取り時に不要な影が写り込んでしまったため、清拭をしたが、そのために一部の枠や雲形の一部を恣意的に除去してある)して用い、私が適切と判断した箇所に挿入した。]

 

   ○歌を媒(なかだち)として契(ちぎ)

 

 永谷(ながだに)兵部少輔といふ人あり。一條戾橋(もどりはし)のほとりに居住す。年廿一歲、極めて美男のほまれあり。色好みの名を取り、才智、人に越え、常に學問を嗜み、三條坊門の南萬里小路(まてのこうぢ)の東に、北畠昌雪(きたはたけしやうせつ)法印とかや儒學に長ぜし人の許(もと)に行通ふて、學業を勤め、講筵につらなる。

 神祇官のわたりに、富裕の家あり。其かみは、山名が一族なりしに、武門を出て、都に居を占め、名を隱して、密かに身を修め、すべて、大名高家に通路を致さず。

 娘、たゞ一人、持ちたり。牧子(まきこ)と名づく。年、十六、七ばかり、顏かたち、世にたぐひなく、繪書き・花結び・たちぬふことに、手、きゝて、しかも、よろしかねども、哥の道に心を懸け、情の色、深く、花にめで、月にあくがれ、紅葉の秋、雪の夕べ、折にふれ、事によそへて、哥よみ、嘯(うそふ)きて、心を痛ましむ。

 ある時、兵部、書を懷ろにして、萬里小路に、まうでける。

 

Makiko1

 

 道のついで、牧子が家のつい地のもとに休みて、少しくづれたる所より、内を覗きければ、時しも春のころ、柳の糸、枝たれて、櫻の花、綻(ほころ)び、ひわ・こがら、爭ひ囀づり、其の傍らに、座敷、しつらひ、簾(すだれ)掛けたるを、半ば、まきあげ、ひとりの女、はし近く居て、小袖縫ひけるが、針をとゞめ、打ち傾(かたふ)きて、

 ほころびてさく花ちらば靑柳の

   糸よりかけてつなぎとゞめよ

兵部、其姿を見て、此歌をきくに、限りなくめで惑ひ、心も空になり、足元、たどたどしく、思ひの色、深く染みて、堪へかねたるあまり、暫し、立休らひて、覗き居たりければ、牧子は、是れをも知らず、庭に下りたちて、つい地のもとにめぐり來て、兵部と目を見合せしかば、又なく、あてやかなる美男なり。

 牧子、是れを見るに、心移りて、此人にあらずは、誰にか、枕を並びの岡、時雨に染(そむ)る紅葉《もみぢ》ばの、色に出つゝ、かくぞ、云ひける。

 我が門のそともにさける卯の花を

   かざしのために折るよしもがな

兵部、いよいよ堪へかね、聞書(きゝかき)のため、もちたる矢立、取出し、哥二首を雜紙(ざつし)に書つけ、小石につなぎ添へて、投け入れ侍べり。

  いのちさへ身の終(をはり)にやなりぬらむ

   けふくらすべき心地こそせね

 入《いり》そむる戀路はすゑやとほからむ

   かねてくるしき我かこゝろかな

牧子、これを取りあげ、二返し、三返し、詠みて、いつしか、心あこがれ、短册(たんざく)取出し、哥を書き、石につなぎて、投げ出し侍べり。

 あぢきなし誰もはかなき命もて

   たのべばけふの暮れをたのめよ

兵部、これを取りて、家に歸り、其の夕ぐれを待けるぞ、久しけれ。

 夜にいりて、かの方に赴き、つい地をめぐりて見れば、櫻の枝一つ、つい地より、外にさし出て、花田の打ち帶一筋、繩のやうなるを、懸け置きたり。

 兵部、心得て、これを手(た)ぐり、築地を越えて、下り立《たち》ければ、春の物とやおぼろの月、東の山の端(はし)に出て、花の影、庭にうつり、そら薰(だき)の匂ひにあわせて、いとど、しめやかなり。

『是は、そも、人間世(にんげんせい)の外(ほか)、三(みつ)の嶋、十(とを)の洲(くに)に來にけるか。』

と、怪しみながら、忍ぶ夜の習ひ、身の毛よだちて、凄(すさま)じくも覺ゆ。

 女は、宵より、木のもとに待ち侘び、兵部を見て、

 うつゝともおもひ定めぬあふ事を

   夢にまがへて人にかたるな

兵部、とりあへず、

 また後(のち)の契りはしらず新まくら

   たゞ今宵こそかぎりなるらめ

と、いひければ、牧子、打ち恨みて、

「『君と契り初(そ)め侍べらんには、千歲(ちとせ)ののち、こん世も、同じ契り、絕ゆまじ。』とこそ思ひ侍べれ。如何に、かく賴みなくは、おぼす。みづから、命かけて、心を餘所(よそ)に移すことは、夢、あるまじきを、親のいさめて、みづからを責め給ふとも、君ゆゑ、死なば、恨みは、あらじ。

 たのまづばしかまのかちの色を見よ

   あひそめてこそふかくなるなれ

と、俊成卿の詠み給ひけん歌の心を、思ひ給へ。」

といふ。

 

Makiko2

 

[やぶちゃん注:庭にあるのは蘇鉄か。]

 

 宮仕への女(め)わらはに仰せて、酒、取りよせて、兵部にすゝめたり。

 巳に、夜、更け、人、靜まりて、物音も聞えず。

 兵部、密かに、

「こゝの家は、誰人《たれひと》にておはする。」

と、問ふ。

 女、物語しけるは、

「二人の親は山名の支族にて侍べり。久しく武門を離れて、財賽、ゆたか也。一族の中、大名多く侍べれ共、交りちなむ事も、なし。只、身を修め、名を隱して、世を打ち過し給ふ。みづから、たゞ一人娘にて、又、兄弟、なし。甚だ、いとほしみ深く、別(へち)に、この花園をこしらへ、部屋をしつらひ、春の花、秋の月に、心を慰め給ふ。親のおはする所は、少し隔りて侍べり。」

など、いふに、兵部、少し、心、寬(ゆる)やかに覺ゆ。

 世にもれむ後の浮名を歎くこそ

   逢ふ夜も絕えぬおもひなりけれ

女、返し、

 ながれては人のためうき名取川

   よしや我か身はしづみはつとも

かやうに語らひつゝ、かたしく袖の新枕(にゐまくら)、交はすほどだに有明の、つきぬ言の葉とりどりに、はや、告げ渡る鐘の聲、うちしきる鳥の音(ね)に、起き別れゆく露淚(《つゆ》なみだ)、雲となり、雨となる、陽臺(やうたい)のもとぞ、思はるゝ。

 兵部、

 ちぎりおくのちを待つべき命かは

   つらき限りの今朝のわかれぢ

女、返し、

 くらべては我か身の方や勝るべき

   おなじわかれの袖ななみだは

 兵部は、櫻の枝を傳ふて、朝まだきに、家路に歸りても、心そゞろに、學道も身にしまず、暮《くる》るを「おそし」と出て、夜每に通ふ。

 或日、兵部が父、問ひけるやう、

「汝は、學文(がくもん)に、物憂き心の付き侍べるかや。朝(あした)に家を出て、暮(ゆふべ)に歸り來る事は、是れ、學文を勤めて、其道を行はむ爲なり。然るを、汝、此頃は、日暮になれば、家を出て、曉方(あかつき《がた》)に立歸る。是れ、何事ぞや。必ず、輕薄濫行(けいはくらんぎやう)のたぐひを求めて、人の壁(かべ)をこぼち、墻(かき)を踰(こ)して、正(まさ)なき拳動(ふるまひ)するか、と覺ゆ。その事、顯れ侍べらば、身は、生きながら、泥淤(どろどぶ)に沈み、名は、それながら、塵芥(ちりあくた)に汚がされ、世になし者と、なり果つべし。若(も)し、又、語らふ女、定めて、高家の娘ならば、必ず、汝が爲に門戶(もんこ)を汚され、其の身、淺間(あさま)しくすたれ給はんのみならず、罪科(ざいくわ)は、定めて、我が門族(もんぞく)に及ばむ。其事、極めて大事也。今日よりして、門より外に出《いづ》べからず。」

とて、一間(《ひと》ま)の所に押し籠めて、殊の外に戒めたり。

 女は、ゆふべ、ゆうべ、花苑(《はな》ぞの)に出て待けれ共、廿日餘り、更に、音づれなし。

 女、思ふやう、

『飛鳥川(あすか《がは》)の淵・瀨(せ)さだめず、變り易きは、人の心なれば、又、ゆきかよふかた有て、我をば、思ひ捨てたるにや。又は、病に臥して、いたはりつゝ侍べるやらむ。』

と、童(わらは)を遣はして、密かに聞(きか)せしかば、

「かうかう、押し籠められ侍べりて、出入《いでいる》ともがらも、こととひかはす事、かなはず。」

といふ。

 女、聞きて、歎きに沈み、重き病ひになりつゝ、思ひの床(ゆか)に起き臥し、湯水をだに聞入れず、時々は思ひ亂れし言葉(ことば)の末、物狂(《もの》ぐる)はしきこともあり。

 肌へ、かじけ、色、衰へて、物悲しく、只、淚をのみ、流す。

 さまざま、藥を求め、神佛(かみほとけ)に祈れども、露ばかりも、しるし、なし。

 今はこの世の賴みもなく見えしかば、ふたりの親、歎きて、

「思ふ事、ありけるや。」

と、問へども、定かに答へも、せず。

 箱の底に、兵部が哥、ありけるを見出して、大きに驚き、童(わらは)を近づけて、問ければ、有りのまゝに語る。

 

Makiko3

 

[やぶちゃん注:上記のシークエンス。縁にいるのが牧子お付きの女の童で、座敷内の男が牧子の父、その左に右を立膝(これが当時の中世の正式な女性の座り方)した女性が母。彼女の頭部に白っぽいものがあるのは、真綿を広げて作った被り物で、主に防寒用であった置き綿帽子である。「被 (かず) き綿」「額 (ひたい) 綿」とも呼び、これが後に新婦の角隠しとなったともされる。]

 

 親、きゝて、

「たとひ、如何なる人にもあれかし、いとおしき娘の、思ひ懸けたらむには、何か苦しかるべき。」

とて、やがて、なかだちを以つて、

「かうかう。」

と、いはせければ、兵部が父のいふやうは、

「我子、已に、器用(きよう)あり。學を勤めて、官(くはん)につかへ、親の跡をつがすべき者也。妻、求めて、身を、くづをらすべきや。其の事は、いまだ、遲からず。」

といふ。

 牧子が親、重ねて云ひ遣はすやう、

「日比に聞及ぶ兵部少輔は、今、わづかに潜み隱るゝ共、終に、これ、池にあるべきたぐひならず。されば、我が一人娘に緣(えん)を結ばれんには、我が家、又、誰か、その跡を望まん。殘りなく、讓りて、兵部を、子とせむ。」

とて、はや、吉日を選びて、兵部を呼びて、聟とす。

 娘、心地、をどり立ちて、惱み、已に、怠りぬ。

 兵部、

 いのちあればまたも逢瀨にめぐりきて

   ふたゝびかはす君が手まくら

女、限りなく嬉しくて、

 初月(みかづき)のわれて見し夜も面かげを

   有明までになりにけるかな

  かくて、比翼のかたらひ、今は忍ぶる關守の恨みもなかりし所に、細川・山名の兩家、權(けん)を爭ひて、應仁の兵亂、起こり、京都の大家・小家、皆、燒け亡び、諸國の武士、都に集まり、亂妨・捕り物・狼藉、いふばかりなし。

 女をば、藥師寺の與一が手に捕り物にして、その顏かたちの美しきを以つて、犯し汚さんとす。

 牧子、大に呼ばゝりけるは、

「みづから死すとも、田舍人(ゐなかうど)の穢(きたな)き者には、なびくまじ。たゞ、殺せよ。」

といふに、軍兵(ぐんびやう)等、怒りて、女をば、刺し殺しぬ。

 兵部は、兎角して、逃(のが)れ隱れ、其の年の冬、暫く、京都、靜まりければ、都に歸り來れば、家は、やけて、跡、なし。

 妻が家に行て見れば、人も、なし。

 父は、山名が手に屬(しよく)して討ち死し、母は、盜賊に、はがれて、殺さる。

 兵部たゞ一人、牧子が部屋にたゝずみ、淚にくれて居たりしに、その夜、夢の如く、牧子、歸り來る。

「是れは。如何に。」

とて、手を取り組み、淚を流す。

 女、いふやう、

「みづから、君と別れ、ちりぢりになり、武士(ものゝふ)の手にかゝり、あへなく、殺され、尸(かばね)を道のほとりに曝し、『憐れ』と見る人も、なし。みづから、貞節の義に死せし事を、天帝、憐れみ給ひ、君が心ざしに引かれて、今、現れ參りたり。」

といふに、兵部、悲しき中に、なき人に逢ふ事の嬉しさを取り加へて、淚は、雨の降るが如し。

 夜もすがら、語らふ。

 曉方(あかつきかた)になりければ、兵部、なくなく、

 思はずよまためぐりあふ月かげに

   かはるちぎりをなげくべしとは

女、返しとおぼしくて、

 行末をちぎりしよりぞ恨みまし

   かゝるべしともかねて知りせば

そゞろに泣き焦(こが)れて、別《わかれ》をとり、影の如くになりて、うせにけり。

 兵部は、是れより、發心して、東山の寺に籠り、幾程なく、病ひに取ち結びて、終に、はかなくなりぬ。

 人みな、聞傳へて、『憐れにも奇特(きどく)の事』に思へり。

 

[やぶちゃん注:作品内時制は「応仁の乱」(応仁元(一四六七)年勃発)の勃発直前から直後。

「永谷(ながだに)兵部少輔」岩波文庫高田衛編・校注「江戸怪談集(中)」(一九八九年刊)の脚注には、『不詳。架空の人だが、西洞院兵部少輔あたりがモデルか』とある。「西洞院兵部少輔」というのはよく判らないが、「応仁の乱」以前に亡くなっている、西洞院に邸宅を持っていた赤松兵部少輔左京大夫満祐(弘和元/永徳元(一三八一)年~嘉吉元(一四四一)年)のことか。

「一條戾橋(もどりはし)」ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。嘗て安倍晴明が式神を塒とさせていたことで知られる心霊スポット。

「三條坊門の南萬里小路(まてのこうぢ)の東」この附近

「北畠昌雪(きたはたけしやうせつ)法印」不詳。

「神祇官」前掲書注に、現在の『中京区西洞院通りに、神祇官官舎があった(『京雀』)』とあり、「新日本古典文学大系」版脚注では、推定比定地として『中京区西洞院通丸太上ル夷川町』に狭めてある。ここ

「山名」「応仁の乱」の足利義尚を奉じた西軍の大将山名宗全(応永一一(一四〇四)年~文明五(一四七三)年)。名は持豊。宗全は法名。同乱の陣中で病死した。

「通路を致さず」一切の交流を持たずにいた。

「花結び」「伽婢子卷之二 狐の妖怪」で既出既注

「たちぬふこと」「裁ち縫ふ事」。裁縫。

「よろしかねども」下手乍らも。

「萬里小路に、まうでける」師である北畠昌雪法印のもとに行くので敬語「詣づ」を用いた。

「つい地」「築地」。

「ひわ」「鶸」。スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科ヒワ亜科 Carduelinae のヒワ類(ヒワという種はいない)の総称。本邦の種は私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 鶸(ひわどり) (カワラヒワ・マヒワ)」の注を見られたい。

「こがら」「小雀」。スズメ目スズメ亜目シジュウカラ科コガラ属コガラ亜種コガラ Poecile montanus restrictus 。同じく「和漢三才圖會第四十三 林禽類 小雀(こがら) (コガラ)」を参照されたい。

「ほころびてさく花ちらば靑柳の糸よりかけてつなぎとゞめよ」前掲書の高田氏の注に、『「ほころびて」は、開花と小袖をかけたことば。花の散るのを惜しみ、自己の小袖縫いのわざに託して、この春の美景が少しでもながく続くことを望んだ歌』とある。「新日本古典文学大系」版脚注では、「古今和歌集」の巻第一の「春歌上」の紀貫之の一首(二六番)、

 靑柳の糸よりかくる春しもぞ

   みだれて花のほころびにける

に基づくとし、『「花ほころぶ」とい』ひますが、『衣ならば』、『ほころびを針でもってつぎを当てもし』ましょうが、『桜の花の場合は散らないように青柳の糸をよってつなぎとめるのがよいでしょう』と訳しておられる。

「枕を並びの岡」高田氏注に、現在の『右京区御室にある丘陵』双岡(ならびがおか)の『地名と「枕を並べ」のかけことばとして用いた』とある。

「我が門のそともにさける卯の花をかざしのために折るよしもがな」高田氏注に、『「垣の外の卯の花を私のかざしにするために折りとる方法があるといいのだけれど」。外にいる男に思いをつたえる歌』とある。「新日本古典文学大系」版脚注では、『垣間見する美男の兵部を卯の花に喩える』とする。

「雜紙(ざつし)」雑記を記すためのメモ紙。

「いのちさへ身の終(をはり)にやなりぬらむけふくらすべき心地こそせね」「新日本古典文学大系」版脚注に、浅井が今までもしばしば原拠とした、『「題林愚抄・恋二・昼恋・隆信朝臣(六百歌合・昼恋)』とする。この歌集は安土桃山から江戸前期の成立で、早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらで後代の再板(寛政四(一七九二)板)であるが、原本に当たるが出来る。ここの「7」が「戀」の巻で、その第七巻(PDF)だと、「37」コマ目の右丁の終りから4行目で、異同はない。

「入《いり》そむる戀路はすゑやとほからむかねてくるしき我かこゝろかな」「新日本古典文学大系」版脚注に、やはり『「題林愚抄・恋一・初恋・後法性寺入道関白(続古今集・恋)』とする。同前で、その第七巻(PDF)だと、「5」コマ目の左丁の和歌提示の5首目で、異同はない。

「あぢきなし誰もはかなき命もてたのべばけふの暮れをたのめよ」全く同前で、『「題林愚抄・恋一・契恋・定家朝臣(六百歌合・契恋)』とする。同前で、その第七巻(PDFだと、「16」コマ目の右丁の後ろから2首目で、異同はない。

「花田の打ち帶」「花田」は「縹」で色名。高田氏注に、『薄い藍色の紐で編んだ帯』とある。

「春の物とやおぼろの月」「新日本古典文学大系」版脚注に、『春こそわが季節と我がもの顔の』朧月が、とある。

「三(みつ)の嶋」中国で不老不死の神仙が住むとされた想像上の三つの島。蓬萊・方丈(方壺)・瀛州(えいしゅう)で東方の三神山とされ、渤海湾に面した山東半島の遙か東方の海上にあるとされた。徐福伝説を記した司馬遷の「史記」の巻百十八「淮南衡山列傳」にも記されてある。

「十(とを)の洲(くに)」漢の武帝が西王母から教えられたとされる、八方巨海の中にある同じく仙人の住むとされる十の大きな想像上の大陸。祖洲・滅洲・玄洲・炎洲・長洲・元洲・流洲・生洲・鳳麟洲・聚窟洲を数える。

「うつゝともおもひ定めぬあふ事を夢にまがへて人にかたるな」同前で、『「題林愚抄・恋二・忍逢恋・前大僧正聖兼(新後撰集・恋三・忍遇恋を)』とする。同前で、その第七(PDFだと、「22」コマ目の右丁の4首目で、異同はない。「まがへて」は「鈖へて」で「夢だと思い違いになって」の意。

「また後(のち)の契りはしらず新まくらたゞ今宵こそかぎりなるらめ」「伽婢子卷之三 牡丹燈籠」で萩原の歌として使用済みの一首の使い回し。そちらの「また後のちぎりまでやは新枕(にひまくら)たゞ今宵こそかぎりなるらめ」の私の注を参照。同じく「題林愚抄」「恋二」の「初遇恋」の国冬の歌。

「みづから」自称の一人称代名詞。

「たのまづばしかまのかちの色を見よあひそめてこそふかくなるなれ」高田氏の注によれば、これは「新續古今和歌集」の巻十三に載る藤原俊成の一首とする。

 初逢戀の心を賴まずは

    飾磨(しかま)の褐(かち)の

   色を見よ

      あひそめてこそ

            深くなりぬれ

で、「新日本古典文学大系」版脚注では、『「しかまのかち」は、播磨国名産の褐色染』(かちいろぞ)めのことで、『「飾磨のかちん」とも』呼び、『墨色に下染めしてから』、『藍染め』をし、『深い色になる』ものを指す旨の記載がある(飾磨は地名。姫路市南部の飾磨区として現存する)。また、一首について、『この恋の行末に不安があるなら』、『飾磨の褐を見てみるがよい。藍染めにすると深い色となるように、恋もまず』、『逢ってみれば、次第に情が深まろうというものよ』と訳しておられる。因みに、これも『「題林愚抄・恋二・初遇恋・俊成(新続古今集・恋三)』からの孫引であるとする。同前で、その第七(PDFだと、「21」コマ目の左丁の4首目である。

「宮仕への女(め)わらは」この「宮仕へ」は、単なる身分の高い人にお仕えする者の意で、年少の侍女。

「別(べち)に」別荘として。

「世にもれむ後の浮名を歎くこそ逢ふ夜も絕えぬおもひなりけれ」同じく『「題林愚抄・恋二・忍逢恋・瓊子内親王(新千載集・恋三・忍逢恋といふ事を)』とある。同前で、第七(PDF)だと、「22」コマ目の右丁の5首目で、異同はない。

「ながれては人のためうき名取川よしや我か身はしづみはつとも」同じく『「題林愚抄・恋一・惜人名恋・式部卿久明親王(新千載集・恋一・惜人名恋といへ心を)』とある。同前で、その第七(PDF)だと、「13」コマ目の右丁の一首分削除の白枠の後で、異同はない。

「雲となり、雨となる」男女の仲が睦まじいことの喩え。「手を翻せば、雲となり、手を覆せば、雨となる」が原拠。楚の懐王が、昼寝の夢の中で、神女と契りを結び、別れ際に彼女が、「朝には雲となり、夕暮れには雨となってお慕いします」と言ったという故事による。次の注も参照。

「陽臺(やうたい)」「やうだい」は現在の四川省巫山県の城内の北の角にある山。巫山の女神がこの山の上に住んでいたと伝えられる。「文選」の宋玉の「高唐賦」の「序」の中に書かれているのが前注の話。サイト「今日の四字熟語・故事成語」の「朝朝暮暮」を読まれたい。

「ちぎりおくのちを待つべき命かはつらき限りの今朝のわかれぢ」同じく『「題林愚抄・恋二・契別恋・平清時(続拾遺集・恋三・契別恋といふことを)』とある。同前で、その第七(PDF)だと、「24」コマ目の右丁の7首目であるが、

 ちきりおくのちを待へき命かはつらきかきりのけさのわかれに

と末尾が異なる。

「くらべては我か身の方や勝るべきおなじわかれの袖ななみだは」原拠は不詳か、浅井のオリジナルか。

「泥淤(どろどぶ)」泥水。「淤」は「溝(どぶ)」・「澱(おり)」の意。

「世になし者」世に無用な者。

「飛鳥川(あすか《がは》)の淵・瀨(せ)さだめず」「古今和歌集」の巻第十八の「雜歌下」巻頭にある、読み人知らずの一首(番)、

   題知らず

 世の中はなにか常なるあすか川

   きのふのふちぞけふはせになる

を受けたもの。

「出入《いでいる》ともがらも、こととひかはす事、かなはず。」「家中に出入りを許された知れる者たちでも、会話をすることさえ、許されておらぬとのことです。」。

「湯水をだに聞入れず」食べ物は勿論、湯水さえも受けつけようとはしない

「肌へ、かじけ」「悴(かじ)く」は、第一義は「手足が凍えて自由に動かなくなる・かじかむ」であるが、ここは「瘦せ細る」或いは「衰え弱る」の意。

「なかだち」正式な仲人。

「器用(きよう)」心身ともに優れた技量。

「遲からず。」「急ぐ必要などない!」。

「池にあるべきたぐひならず」前掲書の高田氏の注に、『池から出る昇竜のごとく必ず立身するだろう』とある。

「娘、心地、をどり立ちて」ここは底本は「娘心地を取立ちて」とあるが、表記は元禄版を用いて表記した。高田先生の岩波文庫版は後者を採り、「新日本古典文学大系」版脚注は「をどりたちて」と総て平仮名表記としており、注もない。私はここは「踊り立ちて」として、劇的採り、さればこそ「惱み、已に、怠」(おこた)「りぬ」(「を」は歴史的仮名遣の誤り。「怠る」には「病気がよくなる・快方に向かう」の意がある)と続くのである。無論、「心地を」正常な状態に「取り立ちて」で、「娘は、そこで、一気に正気を取り戻して」の意で採ることは出来るものの、それでは、読んでいて、インパクトに大いに欠けるので、私は採らない。

「いのちあればまたも逢瀨にめぐりきてふたゝびかはす君が手まくら」岩波文庫の高田氏の注に、「続後拾遺和歌集」の巻十四所収の、

 命あれば又も逢ふ夜にめぐり來てふたたび鳥の音をぞ恨むる

に依るとされる。「新日本古典文学大系」版脚注はこれを挙げない。

「初月(みかづき)のわれて見し夜も面かげを有明までになりにけるかな」「新日本古典文学大系」版脚注によれば、『激しく恋こがれた末にあなたに逢えたのは三日月のころ、その面影を再び確かめることができた今夜、月はもう有明にまで押し移っていました』と通釈され、またしても原拠は『「題林愚抄・恋二・日比隔恋・為家(玉葉集・恋二)』からとある。同前で、その第七巻(PDF)だと、「30」コマ目の左丁の後ろから二行目であるが、

 みる月のわれてあひみし面影の有明まてになりにけるかな」

である。

「細川」管領細川勝元。

「亂妨・捕り物・狼藉」物資の強奪、婦女の凌辱目的の掠奪、暴力や殺人行為諸々。

「藥師寺の與一」細川京兆家の重臣で後に摂津国守護代となった薬師寺元長(?~文亀元(一五〇二)年)。細川勝元に仕えて、その偏諱を賜り、元長と名乗った。通称は与一。「応仁の乱」では東軍の首魁勝元に従って摂津を転戦し、丹波国の西軍と戦った。その功績で摂津守護代に任命され、勝元の死後は政元に仕えた。政元のもとでも細川家の重鎮として摂津の統治を任されており、細川家に反抗的な摂津国人の茨木氏や吹田時通らの追討で功績を挙げている。その後、正式なものではなかったが、実弟の薬師寺長盛に権限の一部を分け与え、長盛は「奥郡守護代」とも称せられた(当該ウィキに拠った)。

「はがれて、殺さる」衣服を剝がれて丸裸にされた上(凌辱を受け)、殺されていた。

「思はずよまためぐりあふ月かげにかはるちぎりをなげくべしとは」同じく原拠は『「題林愚抄・恋二・寄月絶恋・後醍醐院(新千載集・恋五)』からとある。同前で、その第七巻(PDF)だと、「30」コマ目の左丁の後ろから四行目であるが、

 おもはすよ又めくりあふ月をみてかはる契をかこつへしとは

で、第三句・第五句に変更が加えられてある。

「行末をちぎりしよりぞ恨みましかゝるべしともかねて知りせば」同じく原拠は『「題林愚抄・恋二・恨恋・前関白太政大臣』(二条兼基)『(新後撰集・恋)』からとある。同前で、その第七巻(PDF)だと、「31」コマ目の右丁の四行目。

「奇特(きどく)の事」不思議な出来事。]

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