芥川龍之介書簡抄112 / 大正一一(一九二二)年(三) 自筆のアストラカンの帽子を被った「我鬼先生散策図」
大正一一(一九二二)年二月二十三日(年次推定)・田端発信・佐佐木茂索宛(封筒に『田端御ぞんじより』とあると底本の岩波旧全集の書簡標題(「九九九」番書簡)に注されてある)
あすとらかんの帽子を買ひ散策する所この畫の如し御笑覽に呈すと云爾
二月二十三日 澄江堂主人
大 芸 居 御 主 人 座右
[やぶちゃん注:三種の画像を示した。
一番最初のかなりクリアーなそれは、筑摩全集類聚「芥川龍之介全集第七巻」(昭和四九(一九七四)年四刷)の書簡本文に中に組まれたものである。画素が粗いものの、最もはっきりと描かれた芥川龍之介が判る。但し、もとの絵筆のタッチは完全に失われている。頭部は完全に潰れてしまって、どこかの女将さんの頭のようにしか見えない。同書は紙の色がやや焼けかかっているので、かなり明るさの補正をした上で、清拭し、周囲を徹底的に白くしておいた。
二番目のものは、底本である岩波旧全集第十一巻(一九七八年刊)の「九九九」書簡の下に配されてあるそれで、薄いものの、服の部分の筆の流れるようなタッチが、かなりはっきりと見え、被っている「あすとらかんの帽子」の細部(曰く言い難いモニャモニャした紋様のようなもの。後述)も現認出来る。
三番目のものは、所持する「もうひとりの芥川龍之介展」の冊子「もうひとりの芥川龍之介」(一九九二年産經新聞社発行)のものをトリミングした(同冊子は末尾に「禁無断転載」とするが、パブリック・ドメインの作品を単に平面的に撮影したものに著作権は発生しないというのが文化庁の正式見解である)。これは左端に、
二月
□□
三日 澄江堂主人
大 芸 居 御 主 人
座右
の文字が読めるのであるが、絵との間に、明らかな縦の線が見え、これは、封入されていた書簡の上に絵を置いて撮ったもののように見受けられる。則ち、岩波の活字にしている以上の文は、この絵の下に隠れているように感じられる。展示会で現物を見た記憶があるように思うのだが、どうもそうした細部は思い出せない。
最後のものは、小穴隆一著「芥川龍之介遺墨」(初版は昭和三五(一九六〇)年四月刊。私の所持するのは昭和五三(一九七八)年九月の再版のもの)からトリミングしたものである。最も状態がいい。思うに、前の「もうひとりの芥川龍之介展」のそれは、このモノクローム写真を転写したものに過ぎぬのではないかという気がしている)。そこの小穴の解説には、『杖は紫檀かなにか細身の物に、鐺(こじり)の金屬をかぶせた物、この杖は確か佐佐木君の意匠のやうに思つてゐる』とあり、最後には『佐々木茂索氏藏』とある。
「アストラカン」は中央アジア原産のヒツジの品種「カラクール」或いは「カラク」と呼ばれる種(ウズベキスタン・ブハラ州の村の名前に由来し、「カラクール」とはテュルク系の言語で「黒い湖」を意味する)の生後間もない子羊の毛皮が「アストラカン」と呼ばれる。漆黒の高級毛皮として世界的に有名で、転じて広義の「羊の高級な毛皮」の通称にもなっている(ウィキの「カラクール」に拠った)。グーグル画像検索「アストラカン」を見るに、模様と言うより、毛が模様のような襞状に見える。
「云爾」「いふのみ」。]
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