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2021/08/10

芥川龍之介「大震日錄」(正字正仮名版)――「芥川龍之介書簡抄」の大正一二(一九二三)年の狭間に(2)――

 

[やぶちゃん注:作成意図や凡例は『芥川龍之介「大震雜記」(正字正仮名版)――「芥川龍之介書簡抄」の大正一二(一九二三)年の狭間に(1)――』の冒頭注を参照されたい。]

 

 大 震 日 錄

 

 八月二十五日。

 一游亭と鎌倉より歸る。久米、田中、菅、成瀨、武川など停車場へ見送りに來る。一時ごろ新橋着。直ちに一游亭とタクシイを驅り、聖路加病院に入院中の遠藤古原草を見舞ふ。古原草は病殆ど癒え、油畫具など弄び居たり。風間直得[やぶちゃん注:「かざまなほえ」明治301897)年生まれで没年不詳。東京出身の俳人。本名は山本直得。河東碧梧桐門下で「ルビ俳句」の提唱者として知られる。]と落ち合ふ。聖路加病院は病室の設備、看護婦の服裝等、淸楚甚だ愛すべきものあり。一時間の後のち、再びタクシイを驅りて一游亭を送り、三時ごろやつと田端へ歸る。

 八月二十九日

 暑氣甚だし。再び鐮倉に遊ばんかなどとも思ふ。薄暮より惡寒。檢溫器を用ふれば八度六分の熱あり。下島先生の來診を乞ふ。流行性感冒のよし。母、伯母、妻、兒等、皆多少風邪の氣味あり。

 八月三十一日。

 病聊か快きを覺ゆ。床上「澀江抽齋」を讀む。嘗て小說「芋粥」を艸さうせし時、「殆ど全く」なる語を用ひ、久米に笑はれたる記憶あり。今「抽齋」を讀めば、鷗外先生も亦また「殆ど全く」の語を用ふ。一笑を禁ずる能はず。

 九月一日。

 午ごろ茶の間にパンと牛乳を喫し了り、將に茶を飮まんとすれば、忽ち大震の來るあり。母と共に屋外に出づ。妻は二階に眠れる多加志を救ひに去り、伯母は又梯子段のもとに立ちつつ、妻と多加志とを呼んでやまず、既にして妻と伯母と多加志を抱いて屋外に出づれば、更に又父と比呂志とのあらざるを知る。婢しづを、再び屋内に入り、倉皇[やぶちゃん注:「さうくわう」。慌ただしく。]比呂志を抱いて出づ。父亦庭を囘つて出づ。この間家大いに動き、步行甚だ自由ならず。屋瓦の亂墜するもの十餘。大震漸く靜まれば、風あり、面を吹いて過ぐ。土臭殆ど噎ばん[やぶちゃん注:「むせばん」。]と欲す。父と屋をの内外を見れば、被害は屋瓦の墜ちたると石燈籠の倒れたるのみ。

 圓月堂、見舞ひに來きたる。泰然自若じじやくたる如き顏をしてゐれども、多少は驚いたのに違ひなし。病を力つとめて圓月堂[やぶちゃん注:不詳。後で芥川家の親戚回りなども頼んでいるから龍之介御用達の使い勝手のよい人物らしく、最後には龍之介の代わりに自警団の徹宵警戒の役もかって出ている。]と近隣に住する諸君を見舞ふ。途上、神明町の狹斜を過ぐれば、人家の倒壞せるもの數軒を數ふ。また月見橋のほとりに立ち、遙かに東京の天を望めば、天、泥土の色を帶び、焔煙の四方に飛騰する見る。歸宅後、電燈の點じ難く、食糧の乏しきを告げんことを惧れ、蠟燭米穀蔬菜罐詰の類を買ひ集めしむ。

 夜また圓月堂の月見橋のほとりに至れば、東京の火災愈猛に、一望大いなる熔鑛爐を見るが如し。田端、日暮里、渡邊町等の人人、路上に椅子を据ゑ疊を敷き、屋外に眠らとするもの少からず。歸宅後、大震の再び至らざるべきを說き、家人を皆屋内に眠らしむ。電燈、瓦斯共に用をなさず、時に二階の戶を開けば、天色常に燃ゆるが如く紅なり。

 この日、下島先生の夫人、單身大震中の藥局に入り、藥劑の棚の倒れんとするを支ふ。爲めに出火の患ひなきを得たり。膽勇、僕などの及ぶところにあらず。夫人は渋江抽斎の夫人いほ女の生れ變りか何かなるべし。[やぶちゃん注:「いほ女」は「澀江抽齋」の最後の四人目の妻五百(いほ)。抽斎が襲われそうになった折り、湯に浸かっていた五百は腰巻一つ身に著つけただけの裸体で、口に懐剣を銜えて夫の前に立ち、三人の狼藉者を追い払った賢婦烈女であった。「青空文庫」の「渋江抽斎」の「その六十」と「その六十一」を読まれたい。]

 九月二日。

 東京の天、未だ煙に蔽はれ、灰燼の時に庭前に墜つるを見る。圓月堂に請ひ、牛込、芝等の親戚を見舞はしむ。東京全滅の報あり。又橫濱竝びに湘南地方全滅の報あり。鎌倉に止まれる知友を思ひ、心頻りに安からず。薄暮圓月堂の歸り報ずるを聞けば、牛込は無事、芝、焦土と化せりと云ふ。姉の家、弟の家、共に全燒し去れるならん。彼等の生死だに明らかならざるを憂ふ。

 この日、避難民の田端を經へて飛鳥山に向ふもの、陸續として絕えず。田端も亦延燒せんことを惧れ、妻は兒等の衣をバスケツトに收め、僕は漱石先生の書一軸を風呂敷に包む。家具家財の荷づくりをなすも、運び難からんことを察すればなり。人慾素より窮まりなしとは云へ、存外又あきらめることも容易なるが如し。夜に入りて發熱三十九度。時に○○○○○○○○あり[やぶちゃん注:筑摩全集類聚版脚注は、『不逞』『鮮人暴動の噂か』とする。]。僕は頭重うして立つ能はず。圓月堂、僕の代りに徹宵警戒の任に當る。脇差を橫たへ、木刀を提さげ[やぶちゃん注:「ひつさげ」。]たる狀、彼自身宛然たる○○○○なり[やぶちゃん注:筑摩全集類聚版脚注は、『不逞鮮人か』とする。]。

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