芥川龍之介「震災の文藝に與ふる影響」(正字正仮名版)――「芥川龍之介書簡抄」の大正一二(一九二三)年の狭間に(6)――
[やぶちゃん注:作成意図や凡例は『芥川龍之介「大震雜記」(正字正仮名版)――「芥川龍之介書簡抄」の大正一二(一九二三)年の狭間に(1)――』の冒頭注を参照されたい。]
震災の文藝に與ふる影響
大地震の災害は戰爭や何かのやうに、必然に人間のうみ出したものではない。ただ大地の動いた結果、火事が起つたり、人が死んだりしたのにすぎない。それだけに震災の我我作家に與へる影響はさほど根深くはないであらう。すくなくとも、作家の人生觀を一變することなどはないであらう。もし、何か影響があるとすれば、かういふことはいはれるかも知れぬ。
災害の大きかつただけにこんどの大地震は、我我作家の心にも大きな動搖を與へた。我我ははげしい愛や、憎しみや、憐みや、不安を經驗した。在來、我我のとりあつかつた人間の心理は、どちらかといへばデリケエトなものである。それへ今度はもつと線の太い感情の曲線をゑがいたものが新に加はるやうになるかも知れない。勿論もちろんその感情の波を起伏させる段取りには大地震や火事を使ふのである。事實はどうなるかわからぬが、さういふ可能性はありさうである。
また大地震後の東京は、よし復興するにせよ、さしあたり殺風景をきはめるだらう。そのために我我は在來のやうに、外界に興味を求めがたい。すると我我自身の内部に、何か樂みを求めるだらう。すくなくとも、さういふ傾向の人は更にそれを强めるであらう。つまり、亂世に出合つた支那の詩人などの隱棲の風流を樂しんだと似たことが起りさうに思ふのである。これも事實として豫言は出來ぬが、可能性はずゐぶんありさうに思ふ。
前の傾向は多數へ訴へる小說をうむことになりさうだし、後の傾向は少數に訴へる小說をうむことになる筈である。卽ち兩者の傾向は相反してゐるけれども、どちらも起らぬと斷言しがたい。
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