曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 兩頭蛇 / 第二集~了
○兩頭蛇
[やぶちゃん注:図は底本よりトリミング補正した。キャプションは、訓読すると、
両頭蛇
背通リ、黒キ島に、筋、アリ。
一ツの頭ハ、余程、こぶりに御座候。
此の所、穴、之れ、有り。便道と相ひ見申し候。
鱗合せめ、此くの如し。
腹の筋目は、此の所、圖のごとし。
「鱗合め」は「うろこ」の「あはせめ」であろう。]
深川六間堀町淸兵衞店 源兵衞召仕 卯之助
當申【文政七年。】十一月廿四日夕七時頃、本所竪川通り町方掛り浚場所より、右卯之助、土船、乘、人足に罷出候處、一の橋より二十町程東之方、川内にて、土、浚上げ候節、鋤簾え、掛り、長さ三尺程、有之候、兩頭之蛇を引掛申候。名主・町役人、立合、見分之上、筒井伊賀守殿え、申立差出申候。
右者、數原淸庵、病用にて、本所竪川肝煎名主
關岡長兵衞方え、見舞、蛇一覽、書寫。
右ニケ條
乙酉仲春端八 海棠庵
[やぶちゃん注:しばしば発生する双頭型二重体奇形である。
「文政七年」一八二五年。
「深川六間堀町」例のサイト「江戸町巡り」のこちらによって、現在の江東区森下一丁目、及び、常盤一・二丁目、及び、新大橋二・三丁目であることが判った。この中央附近、隅田川左岸(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「本所竪川通り」現在の首都高速七号小松川線が上を通っているこの中央の川のことである。西で隅田川に注ぎ、東で大横川と交差する。現在は非常に見え難いが、「古地図 with MapFan」ですっきりと江戸切絵図に「竪川」と見える。
「土船」(つちぶね)河川・堀・濠の底の土砂を浚って運ぶ舟。
「一の橋」ここ。
「二十町」二・一八二キロメートル。この附近に相当する。「古地図 with MapFan」で見ると、江戸切絵図では「三ツ目之橋」とある、その東附近で、現在の錦糸町駅の南、東は亀井戸村で江戸の東の外れで、市街地ではないことが判る。
「鋤簾」(じよれん(じょれん))は土砂やごみなどを、搔き寄せるために使われる道具で、一般的な形は鍬に似ている。こちらに写真とともに解説が載る。
以下、底本では全体が二字下げ。海棠庵のクレジットと署名の後は、ここまで総ての曲亭馬琴の「兎園小說」第一集・第二集全体への跋文である。
「右者」「みぎは」。上申書と絵のこと。
「數原淸庵」「寛政重脩諸家譜」に數原宗信 (内藏助・宗安・淸庵・日實 ?~享保一八(一七七三)年)が載るらしい(ここに拠った)。時制が古いが、号も同じで、「病用」とあり、号がいかにも医師っぽいから、この人物の後裔であろう。]
予が藏弃せる、この壹・貳の合卷一册、いぬる壬癸の冬十二月より今年癸巳の春夏の間にや、紛失したり。さりとは思ひかけずして、ふ月なかばに、所要ありて、とりいださんとしつる折、あらずなりしに心づきて、家の内、いへば、さらなり、猶、あちこちと、あさりしかども、終に、是、あること、なし。予は書を愛すること、大かたならねば、貸進の折などには、そを、心じるしつけて、等閑にせざりしに、此ひとまきのうせたるは、あやしきまでにおもふものから、せんすべも、なかりしを、いぬるとし、默老翁に、この書をかして、かしこにて寫しとどめられしかば、そを、又、こゝへ、備へん、とて、謄寫すること、四日ばかり、やゝ足らざるを、補ひ得たり。【再云、この、一・二の卷のうせしを、甲午の春、ゆくりなく見いだしたれど、前本は寫し宜しからざるもあれば、これをもて、正本とす。この書、知音の者、一兩人の外は、見ることを、ゆるさず。まいて、謄寫をゆるしゝは、只、二度のみなりき。】[やぶちゃん注:頭書。]時に
天保四年秋七月二十八日 著作堂主人識
[やぶちゃん注:「藏弃」(ざうき(ぞうき))の「弃」は「棄」と同義であるから、ちゃんと整理せずに投げ出すように所蔵していることを言うのであろう。
「壬癸」十干二字はおかしな表記である。「癸巳」は最後のクレジットである天保四年の干支であるから、天保三年「壬辰」の誤りと考えられる。
「ふ月」文月。旧暦七月。
「默老翁」木村黙老(安永三(一七七四)年~安政三(一八五七)年)は讃岐高松藩家老。砂糖為替法の施行や塩田開発などで藩財政を再建したことで知られる。馬琴と非常に親しくした友人で、馬琴との交際は江戸勤番中の、天宝年間から始まり、江戸詰が終わって高松に帰ってからも親交が続いた。蔵書家として知られ、浄瑠璃・歌舞伎・読本・合巻などの戯作に精通し、自身も大著の随筆「聞まゝ記」、戯作者の小伝「戲作者考補遺」などを書いている(以上は三宅宏幸氏の論文「木村黙老の蔵書目録(一) ―多和文庫蔵『高松家老臣木村亘所蔵書籍目録残欠』(上)」(愛知県立大学『説林』愛知県立大学国文学会編 ・二〇一八年三月)に拠った。PDFでダウン・ロード可能)。
「甲午」天保五年甲午。
「ゆくりなく」思いがけなく。突然に。]
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