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2021/08/02

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (10) 曲亭馬琴の『靑砥藤綱摸稜案』

 

      曲亭馬琴の『靑砥藤綱摸稜案』

 

『靑砥藤綱摸稜案』は文化八年の冬から翌年にかけて出版されたものであるから、三比事の出版後凡そ百年を經過して居る。その間に文學の中心地は上方から江戶に移り、小說の形式も大《おほい》に變化した。從つて、同じく棠陰比事から材料を供給されたとはいへ、三比事と摸稜案とは、敍述の形式に於ても、材料の取扱ひ方に於ても全くその趣を異《こと》にして居るのである。三比事の物語が、殆んど皆、事件の簡單な說明であるに反して、摸稜案の物語は所謂『照應あり、波瀾あり』で、讀んで非常に面白く、こゝにも、物語作者としての馬琴の非凡な技倆を十分覗ふことが出來ると思ふ。

 摸稜案も三比事と同じく一種の裁判物語である。犯罪の顚末が先に述べられて、然る後事件の解決が裁判官によって行はれるといふ書き方は、三比事とその軌を一にして居るけれども、筋の立て方が極めて巧妙であるために、現今のこの種の歐米探偵小說に、頗る似通つた面白味がある。この書は前集と後集とに分たれ、前集には靑砥藤綱本傳の外に三つの中篇小說と三つの短篇小說とを收め、後集は一つの長篇小說から成つて居る。各篇を通じて、名判官靑砥藤綱の明快なる裁判振りが猫かれであるけれども、所所謂『事件探偵』の經路は比較的簡單に述べてあるばかりで、且つ又、『探偵』の要素として『偶然』がだいぷはひつて來て居る。

 この小說中の事件は、靑砥藤綱を出す關係上、鎌倉時代の出來事として描かれてあるけれども、その實、靑砥藤綱は江戶時代の名判官大岡越前守をモデルとしたものであつて從つて摸稜案の中には越前守の取り扱つた事件がかなり多く織り込まれてあるらしい。現に、後半に收められた長篇『蠶屋善吉の事件』は、大岡政談の中で、人口に膾炙されて居る『越後傳吉の事件』を書いたものである。靑砥藤綱はもとより實在の人物であつたけれども、その政談はあまり多く傳はつて居ない。だから、作者自身も、藤綱傳の終りに、

[やぶちゃん注:以下の引用は底本では、全体が一字下げ。]

『……藤綱が潔白淸廉なること、すべてかくの如し、されば時宗、貞時二代に仕へて、久しく評定衆の上坐にありといへども、理世安民の政道正しく、後には主君を稱し、惡をば身に負ひて、民をして北條ぬしの、仁惠をしらしめつゝ、努々《ゆめゆめ》主の非をあらはして、わが名を取らんとすることなければ、萬民ますますその德を慕うて、これを思ふこと赤子の母を慕ふがごとし、夫《それ》必ず人にすぐれたる所あらん、惜哉《おしいかな》談記者筆を絕《たつ》て、その全行を見るに足らず、今僅に、太平記、北條九代記、鎌倉志、この餘軍記雜籍に藏する所を抄錄し、更に街談巷說を編纂して、これを摸稜案と命《なづ》けたり、蓋し摸稜は、蘇味道が故事を取るにあらず、作者摸稜の手に成すのみ、姑《しばら》く虛實を問はざれ。』

 と書き加へて居る。摸稜とは事を明白にしないで曖昧にしえおくことであつて、馬琴もなかなかうまい題名を見つけたものである。然し、題名は摸稜であつても、靑砥藤綱(卽ち大岡越前守)の裁判は決して摸稜ではなかつた。大岡越前守は常識を巧みに應用して裁判を行つたといはれて居るが、摸稜案に描かれた藤綱の裁判にも、常識と理知とが鋭く働いて居る。私は最初に、馬琴の描いや藤綱の『裁判』に對する態度について述べて見よう。

[やぶちゃん注:不木は「靑砥藤綱はもとより實在の人物であつた」と言っているが、現在、彼は架空の人物とされている。実際に史料に彼の実在を示すものは、全くない。モデルとなった人物はいたであろうが、鎌倉時代中期の理想的な気骨ある廉直なる武士像を造形した架空の人物である。

「靑砥藤綱摸稜案」国立国会図書館デジタルコレクションの「近代日本文学大系」(国民図書株式会社編昭和四(一九二九)年刊)の第十六巻でここから全篇が活字で読める。私は、いつか、これを電子化したく思っている。

「北條九代記」「牡丹燈籠」の最初期の傑作を含む怪談集「伽婢子」(現在、ブログで全電子化注の最中)で知られる浅井了意が作者と考えられている、執権北条時政から貞時に至る北条氏得宗全九代の間の事件を物語風に記した史書。延宝三(一六七五)年刊。全十二巻。私はブログで全電子化注をとうの昔に完遂している(一部はサイト版もある。私の「心朽窩旧館」を参照されたい)。「北條九代記 卷之八 相摸の守時賴入道政務 付 靑砥左衞門廉直」及び「北條九代記 卷第九 時賴入道靑砥左衞門尉と政道閑談」で藤綱への言及がある。

「鎌倉志」「新編鎌倉志」。徳川光圀が編纂させた鎌倉地誌。全八巻。延宝二 (一六七四) 年に光圀が鎌倉を旅行した際(水戸黄門の行脚物語は全くの噓で、光圀の長旅は金沢八景及び鎌倉に旅した一度きりである)、名所・旧跡などの記録を取らせ、これを水戸藩彰考館の史臣河井恒久に命じて編修させ、松村清之・力石忠一らの補筆・校訂を経て貞享二(一六八五)年に出版したもの。鎌倉の概説・地名・旧跡・寺社などについて詳述したもので、概ね一巻分が約一日の行程にとってある。後に江戸幕府が「新編相模国風土記稿」を編纂した際、すでに本書があるという理由から、鎌倉郡の部分が簡略化されることとなった。私は既に遙か昔に全篇の電子化注をサイト版で完遂している。私の「心朽窩旧館」を参照されたい。また、そこにリンクさせてあるが、その原拠となった光圀の鎌倉への旅の記録である「鎌倉日記(德川光圀歴覽記) 德川光圀 附やぶちゃん注」(サイト一括版。ブログ分割版もある)もある。藤綱への言及は、「新編鎌倉志卷之二」の「滑川」の条に、知られたエピソードで不木も後で記す、十文の銭を川に落として、五十銭で松明(タイマツ)を買って探し出したという話が載る。

「蘇味道が故事」既注。]

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