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2021/08/24

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 虛無僧御定

 

[やぶちゃん注:以下底本では、各条の頭の「一」のみが行頭で、二行目以降に亙る場合は、一字下げになっている。「一」の後に字空けを行った。句読点は今まで通り、私の判断で読み易さを考えて追加・変更してある。疑問があれば、吉川弘文館随筆大成版を見られたい。標題は「こむそうお(ん)さだめ」。発表者は「文寶堂」である。]

 

   ○虛無僧御定

一 日本國中、虛無僧之儀は、勇士・浪人、一時之爲、隱家之[やぶちゃん注:底本ではここに『(本ノマヽ)』と傍注が付されてある。底本の現代の編者に拠るものか。]不入守護之宗つゝ、依之て、下々、家臣・諸士之席に可定之條、可得其意事。

一 本寺へ宗法出置たる其段、無油斷、爲相守可申候。若、相背者於有之は、末寺は本寺も[やぶちゃん注:底本ではここに『(マヽ)』と傍注が付されてある。同前。]、虛無僧は其寺より、急度、宗罪に可行事。

一 虛無僧之外、尺八吹申者於有之は、急度、差留可申事、尤、懇望之小寺は、本寺より免し出爲吹可申候。勿論、諸士之外、下賤之者へ、一切、尺八爲吹申間敷候。尤、虛無僧之姿爲致申間敷候事。

一 虛無僧多勢集り、逆意申合者於有之者、急度、遂吟味、本寺幷番僧に至迄、可爲重罪事。

一 虛無僧托鉢修行之者、同行二人之外、許不申候事。

一 虛無僧渡世之義、所々、專と仕之候。其段差免申候。一編修行之内、於諸國々法抔と申虛無僧、麁末慮外之體、又は托鉢等に障、六ケ敷義出來候はゞ、子細改、本寺へ可申達候。於本寺不相濟之義は、江戶奉行所へ可告來事。

一 虛無僧托鉢に罷出、或は道中宿往來所々何方にても、天蓋を取り、人に面を合せ申間敷事。

一 虛無僧托鉢之節、刀・脇差、幷、武具之類、一切、爲持申間敷候。總而、いかつかましきなり形、致間敷候。尤一尺下之刄物爲懷刀と差免可申事。[やぶちゃん注:「嚴がましき形(なり)・形(かたち)」で、「嚴(いかつ)し」(強い・乱暴な)の語幹に「望ましくない様子である」「不快な傾向を帯びた」の意味の形容詞を作る接尾語「がまし」を接続させたもので、「なり・かたち」は「姿・格好」。護身用の短い懐剣の所持は許容するというのである。]

一 虛無僧勇士之道、敵體尋𢌞國抔之義も有之、依而、芝居・渡舟等に至迄、往來自由に差免之事。[やぶちゃん注:料金を払わずともよいということらしい。]

一 似虛無僧於有之は、急度、宗法に可行候。若、又、賄賂を見遁し抔致候はゞ、番僧に至迄可爲重罪、總而、猥に無之外可申付事。

一 托鉢に罷出、下賤之者之痛を不顧、托鉢不可致、勿論、辯舌を以、遊興・賄賂預・饗應事、堅停止、總而、正道一己之情無之者、本則を取上可則申事。

一 虛無僧、自然、互に敵に候はゞ、還俗申付、於寺内勝負可爲致候、勿論、諸士之外一切、不差免之贔屓を以、片落なる取扱、堅、停止之事。[やぶちゃん注:「たまたま、仇討ちの当事者同士が虚無僧であった場合は、その場で二人に還俗(げんぞく)を申し付け、寺内に於いて勝負を致そうとする場合は勿論、その他の武家の虚無僧及びそれ以外の虚無僧らは、一切、本寺が許容していないところの、双方孰れかへの贔屓(ひいき)を以って、片方に不利になるような取り扱いをすることは、これ、堅く、禁ずる。」というのであろう。]

一 諸士、人を切、血刀、提、寺内へ逃込候共、留置、子細を改、不寄何事、武士之道に候はゞ、宗法に可仕候。科有る人は、一切、隱置申間敷候。若、隱置、後日に顯候は、難遁義に付[やぶちゃん注:「のがれがたきぎにつき」。]、早速、繩を掛、差出可申候事。

一 虛無僧に罷出敵討仕度者於有之候は、其段、子細相改、差免可申候、乍、倂、多勢相集申間敷候。同行一人は免可申候。諸士之外、一切、不差免事。

一 往來之節、馬・駕籠、一切無用、所之關所・番所に而は、無沙汰無之樣、本寺より之本則、往來出爲相改、通り可申事。

一 住所に離れ、他國所々、城下、幷、町、托鉢修行、滯留一日之外、堅無用。若、鳴物停止等、告來候は、宗門傳學之虛無僧之外、吹申間敷事。

一 虛無僧之義は、天下之家巨・諸士之席に相定候上は、常に武門之正道を不失、何時にても還俗申付候間、表には僧之形を學、内心には武者修行之宗法と可心得者也。爲、其日本國之内往來自由に差免置候樣、決定如件。

 慶長十九年戊寅正月  本田上野介 在判

            板倉伊賀守 在判

            本多佐渡守 在判

右上意之趣、相渡申候間奉拜見、會合之節、能々、爲申聞可爲守者也。

[やぶちゃん注:上の最終行のみは行頭から。

 以下は、画像中にも注を入れたが、底本の図版ページに従い、活字を新たに起こして、オリジナルに翻刻・作図したものを画像として取り入れ、それに底本の印形画像(原本の「文寶堂」に拠るキャプションを含む)の全部で六図十種(ソリッドに纏めてトリミングした数が「六」。実際の印形は十個)を合成したものである。従って、これは底本の編集権を侵害しない。なお、画像作成のために電子化した文字データを念のため(私は、その意味まで注する気はさらさらないが、普化宗を調べようとする人には価値があるやも知れぬので)、後に添えておく。なお、「天蓋」以下では底本では活字のポイントが落ちているが、読み難くなるだけなので、合成画像でも、ここでも、同ポイントで示した。

 

Komusou1

 

[やぶちゃん注:印形(「普化正宗■本■」。篆書は守備範囲外)のキャプションを電子化しておく。右側のそれは、右手に縦の長さで、

一寸三分

上部に、

白字

で、実際には、字が白で、周囲は朱ということであろう。而して、下部に横の長さで、

四分

とあり、左側のそれ(全く読めない)は、右に、

白字

二寸五分知四方

とある。

その左の印形(「金光■■金龍山之印」)は右に、

朱字

とあり、左側に、

二寸六分

ろある(四方長)。但し、「二」は「三」の欠字である可能性がないとは言えない。]

 

Komusou2

 

[やぶちゃん注:一番右の印形(「金龍■」)で、右に、

朱字

とあり、左に縦幅を示す記号の間に、

一寸五分

とあって、下部に、

■■五分

とある。「ヨコ」或いは「ココ」か。「一月寺」の下方には、印形(「■■月■」)とあって、右に、

八分

とし、下部に、

朱字

とある。

その左の上が、丸い印形(「桀秀」)の上に、

白字

とあって、左に、

八分

とし、下方の四角の印形(「看我」)で、左に、

七分五厘

とあって、下部に、

朱字

とする。

最後の三つの図は、上方右手の印形(「金龍山」)の右手に、

朱字一寸五分

とあって、左に、

ヨコ五分


か? その左の正方形菱形の印形(上は「佛」だが、他の三字は判読不能。右は「烙」に見えるも、字の順列も定かならず、判読不能)の右上には、

白字

で、左手に、

一寸二分四方

である。下部のそれは、印形ではなく、「掟書」の奉書の外包の封書と思しく、右手に、

本則の紙は、鳥の子、反切、丈、六寸七分。表包帋は粘入紙立二ツ折りニテ

とあって、表書に、

普化禪林[やぶちゃん注:「化禪林」は囲み字。]

 本則[やぶちゃん注:「則」は上を頂点とした四角で囲われてある。

とあって、下方の左に寄せて、

   授與

    何 某

と記す。]

 

普 化 常 於 街 市 搖 鈴 曰 明 頭

來 明 頭 打 暗 頭 來 暗 頭 打 四

方 八 面 來 旋 風 打 虛 空 來 連

架 打 臨  今 侍 者 去  纔 見 如

是 道 使 把 住 日 總 不 與 麽 來

時 如 何 普 化 托 開 曰 來 日 大

悲 院 裡 有 齋 侍 者 囘 擧 似 濟

濟 曰 我 從 來 疑 者 這 漠

尺 八

夫 尺 八 者 法 器 之 一 也 謂 尺 八

大 數 也 取 三 節 之 中 定 上 下 之

長 短 各 有 所 表 三 節 者 三 才 也

上 下 之 二 竅 者 日 月 也 表 裏 之

五 竅 者 五 行 也 此 是 萬 物 之 深

源 也 吹 之 則 萬 物 與 我 融 冥 而

心 境 一 如 也

 

天 蓋

  夫 天 蓋 者 莊 嚴 佛 身 之 具 也

  故 我 門 準 擬 之 也

          靈 山 一 月 影

           輝 萬 派

       普 化 孤 風 德

           馥 三 州

       下總國葛飾郡風早莊小金

           金龍山梅林院

               一  月  寺

             院 代

               傑 秀 看 我

文化八年辛未年五月

               授 與 何 某

 

[やぶちゃん注:以下は底本では、全体が一字下げで、曲名は九段組みであるが、一段で示した。]

        尺八曲名

無磚箇(ムカヒジ)

虛 空(コクウ)

靜 攬(スガヾキ)

瀑布音(タキオトシ)

休 愁(キウシウ)

厭 足(アキタ)

座 草(ヲクサ)

善 哉(ヨシヤ)

賤 子(シヅ)

意 子(イス)

雲 井(クモヰ)

興(キヨウ)

夕 暮(ユウグレ)

波 間(ナミマ)

獅子吼(シヽクルヒ)

盤 涉(バンシキ)

虛 靈(コク)

巢 鶴(スゴモリ)

         右十八曲

          倫 絕(リンゼツ)

          櫓 骨(ウチアヘ)

          鈴蒼挑(レイボウガシ)

      凡二十一曲、是を表組といふとぞ。

[やぶちゃん注:以下最後まで、底本では全体が二字下げ。]

此外に、猶、裏組もあるよしなれど、いまだゆるしなければ、しらざるよし。右十八曲の中に、「こくう」といへる名、二つあり。はじめにあるは、普化禪師相傳の曲にて、あとのは、後人の作りし曲なり、といヘり。

 文政八年正月朔     文寶堂 しるす

 

[やぶちゃん注:ウィキの「普化宗」を引いておく。同宗は本来は、禅宗の一つで、九世紀に、唐代、『臨済義玄と交流のあった普化を始祖とするため、臨済宗(禅宗)の一派ともされる。普化は神異の僧であり、神仙的な逸事も多く、伝説的要素が強い。虚無宗(こむしゅう)とも言い』、時代劇で『虚鐸』(きょたく:現在は尺八の異名。元は始祖普化禅師が鐸(大型の鈴)を振り鳴らしつつ、辻説法をするのを常とし、その音を慕った者が竹管でその鐸の音を模して吹奏し、その曲を「虚鐸」と名づけたのが濫觴とも言われる)『(尺八)を吹きながら旅をする虚無僧で』お馴染みである。建長六(一二四九)年、『日本から』南宋『に渡った心地覚心が、中国普化宗』十六『代目張参の弟子である宝伏・国佐・理正・僧恕の』四『人の在家の居士を伴い』、建長六(一二五四)年に帰国したことで、『日本に伝わった。紀伊由良の興国寺山内に普化庵を建て』、『居所とした』四『人の帰化した居士は、それぞれ』四『人の法弟を教化し』て、十六『人に普化の正法を伝え』て、十六の『派に分かれ』『た。後に宝伏の弟子の』二『人(金先、括総)の派が盛んになり、他の派は滅びてしまったり、両派を触頭』(ふれがしら:設置は後の室町時代で、江戸時代には幕府及び藩の寺社奉行の下で、各宗派ごとに任命された特定の寺院のことを指した。本山及びその他の寺院との上申下達などの連絡を行い、地域内の寺院の統制を行った)『として支配下に入り』、『存続した』。『心地覚心の法孫にあたる靳全』(きんぜん)『(金先古山居士)がでて、北条経時』(北条氏得宗家一門で第四代執権となった)『の帰依を受け、下総国小金(現在の千葉県松戸市小金)に金龍山梅林院一月寺を開創し、金先派総本山となった。一方、括総了大居士は武蔵野国幸手藤袴村(現在の埼玉県幸手市)に廓嶺山虚空院鈴法寺を開創し、括総派総本山となり、一月寺と共に普化宗末寺』百二十『あまりの触頭となった』。『普化宗を公称し、一つの宗派として活動するのは、近世に入ってからである』。『江戸時代に』於いては、虚無僧集団が『形成された特殊な宗派で、教義や信仰上の内実はほとんどなく、尺八を法器と称して禅の修行や托鉢のために吹奏した』。慶長一九(一六一四)年に『江戸幕府より与えられたとされる「慶長之掟書」』(☜この条に示されたものがそれであろう)『により、虚無僧の入宗の資格や服装も決められるなど』、『組織化され、諸国通行の自由など』、『種々の特権を持っていたため』、『隠密の役も務めたとも言われる』(☜時代劇は噓じゃないわけだ!)。『江戸幕府との繋がりや身分制度の残滓が強かったため、明治になって政府により』、明治四(一八七一)年に解体されてしまい、『宗派としては失われている。また、その後』、『一月寺は日蓮正宗の寺院となり、鈴法寺は廃寺となった。しかし』、『尺八や虚鐸の師匠としてその質を伝える流れが現在にも伝わっており、尺八楽の歴史上』、『重要な存在である。』。なお、昭和二五(一九五〇)年には、『宗教法人として普化正宗明暗寺が再興された』ともあり、京都市東山区にある普化正宗総本山虚霊山明暗寺である。本尊は虚竹禅師(元は心地覚心の門弟寄竹)像で、尺八根本道場でもある。

「二つ」の「こくう」とは「虛空(コクウ)」と「虛靈(コク)」のことであろう。

 一日かけての迂遠な画像制作に、ほとほと飽きた。]

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