曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 神主長屋惣八が事
○神主長屋惣八が事 文 寶 堂
淺草元鳥越明神前に、「神主長屋」といふあり。此長屋をあづかり守れる惣八といふもの、年ごろ、多病なるにより、くすしの匙をつくせども、させるしるしのなかりしかば、ある人のすゝむるまにまに、俄に宗旨を改めて、日蓮になりてけり。このもの、元淨土宗にて、その菩提所は、淺草なる小揚町の淨念寺なりければ、ある日、病の間ある折に、淨念寺に赴きて、「やつがり、長病[やぶちゃん注:「ながやまひ」と訓じておく。]祈禱の爲に、日蓮宗にならばやと思ひさだめ候。しかれども、改宗は、只、わが夫婦のみにして、子どもらは、さる望もなし。かゝれば、かれらは、いついつまでも、貴寺を菩提にこそたのみ奉るなれ。この義を、うけ引き給へかし。」と、亦、他事もなくまうしゝを、住持は聞きて、「一議に及ばず。いはるゝ趣、こゝろ得たり。更に仔細あるべからず。」と答へられたりければ、惣八、ふかく歡びて、「しからば、今より、やつがりらは、何がし寺【寺號を忘れたり。】を菩提所にたのみ侍らん。」とて、まかり出にけり。是より、法華を信仰して、題目をのみ唱へしかども、病は、いよいよおもりつゝ、ふるとしベ【文政四年。】[やぶちゃん注:割注。]の大つごもりには、わきて、あやふく見えけるに、みづから淨念寺に赴きて、「過ぎつる比、しかじかと申して改宗したれども、病は、おなじやうに、侍り。かゝれば、いかで、はじめのごとく、みてらに葬り給はれかし。やつがり、くすしの力にも及ばず、今はよみぢに赴き侍れば、又さらに此事をたのみ奉らん爲に、病苦を忍びてまゐりぬ。」といひ果てゝ、いでゆきけり。住持は竊にあやしみて、そのゆふべ、人を遣して、惣八がりとはせしに、「惣八は、きのふ、夕つがたに、身まかりぬ。」と聞えけり。住持は聞きて、且、おどろき、「さては來るは、かの者のなき魂にこそありけれ。」とて、いとゞ不便に思ひつゝ、すなはち、かれが願のまにまに淨念寺に葬りぬ。こは今玆【文政八年。】[やぶちゃん注:割注。]正月二日の事にぞ有りける。
文 寶 堂 識
[やぶちゃん注:この兎園会が開催された僅か十二日前に起こったとする出来たてほやほやの都市伝説である。
「淺草元鳥越明神」現在の台東区鳥越二丁目四番にある鳥越神社(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「淺草なる小揚町の淨念寺」現在の台東区蔵前四丁目に現存。浄土宗化用山常照院浄念寺。ここは古くは浅草小揚町(こあげちょう)内であった。]