芥川龍之介書簡抄125 / 大正一四(一九二五)年(六) 修善寺より下島勳宛 自筆「修善寺画巻」(改稿版)
大正一四(一九二五)年五月二日・修善寺発信・東京市外田端四三八 下島勳樣・五月二日朝 修善寺新井うち 芥川龍之介 (明日歸る筈)・(絵図のみで書信はない)
[やぶちゃん注:底本よりトリミング補正した。前で掲げた佐佐木茂索宛の同「画巻」を完全に改稿したもの。キャプションは、標題は枠内で右上部に右から左へ、
修 善 寺 画 巻
で、右から左に、右手に枠内で、
澄江堂先生讀書之図
とあり、その簷の上に指示線附きで、
コレハ鶺鴒
とあり、中央上に指示線附きで、
コレハ
修善寺ノ
鐘ツキ堂
とある。その中央池中に指示線附きで、
コレハ鯉
とあり、下方に右から左に枠内に、
澄江堂先生散策之図
とあり、「澄江堂先生」の背後の壁に「へのへのもへじ」の落書きがあり、「澄江堂先生」のの前方に指示線附きで、
蠅ニアラズ
蝶々ナリ
と注意書きしている。
左最上部には、枠内で、
鏡花先生喋々喃々之図
として、少し下方の玄関の間のところに指示線附きで、
コレハ カバン
とある(初稿と同じく、向いが泉鏡花、背を向けて対座しているのが鏡花の妻「すず」)。「喋々喃々」(やや「喋」の字は書き方が雑である)「てふてふなんなん(ちょうちょうなんなん)で、「喃喃」は「小声で囁くさま」で、「小声で親しげに話しあうさま」であるが、特に「男女が睦まじげに語り合うさま」を言う。ちょっと気になるのは鶺鴒(せきれい)で、本邦種として知られるものでは、修善寺にいておかしくないのは、スズメ目セキレイ科セキレイ属タイリクハクセキレイ亜種ハクセキレイ Motacilla alba lugens(北海道及び東日本中心)・セキレイ属セグロセキレイ Motacilla grandis ・セキレイ属キセキレイ Motacilla cinerea(九州以北)であり、これだけを見ると、全く以って疑問はないのだが、直前のスケッチと推定される初稿と比較すると強い疑念が生ずるのである。則ち、そちらでは、彼の部屋から見える位置に飛んでいる鳥を、カタカナで「ミソザザイ」と記しているからである。思うに、私は芥川龍之介は「みそさざい」を、この改稿版では、漢字で書こうとして、「鷦鷯」と書かねばならないところを、「鶺鴒」とやってしまったのではないかと考えている。二図は明らかに、同一のシーンのモザイク合成画であり、この鳥だけを「みそさざい」から「せきれい」に変える意味がないからである。だいたいからして新婚の佐佐木に送るなら「みそさざい」ではなく、伊耶那岐・伊耶那美に「みとのまぐはひ」の仕方を教えた「せきれい」こそ、寧ろ、相応しいではないか。相合傘なんぞより、ずっといいと思う。セキレイの博物誌は私の「和漢三才圖會第四十二 原禽類 白頭翁(せぐろせきれい) (セキレイ)」を参照されたい。]
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